第13話 夜、自室で魔王と
父との稽古を終えて、風呂に入り、歯を磨いて、僕は両親が二年前からそのままにしておいてくれていた自室に戻っていた。
部屋の中にいるのは、僕と黒猫だけだ。
黒猫――魔王は椅子の上に丸まって、すっかり寛いでいる。ヒマなのか、のんびりと毛繕いをしていた。
僕のほうは、ベッドに腰掛けてそれを見つめていた。
毛繕いをしていた黒猫が、それとなく話しかけてくる。
「こってりと搾られたか」
「はい。魔王さんの言う通り、僕が培ってきたものがほとんど、抜け落ちちゃってるみたいな感じで。とにかく、基礎を一通り確認していたんですけど、魔物と戦ったりとか、ちゃんとできるのかどうか……」
「そうか。まあ、心配は要らぬだろうよ。一度はできていたことなのだ。そこまでもう一度鍛え直せばいいだけのことだ。元に戻るのも、きっと早い」
素っ気ない印象を受ける、魔王の言葉だった。
それを聞くと、不安が募る。
「あのう、もし、元に戻らなかったら……」
「詮無い心配をするな。戻すのだ。戻さねば、この大陸は滅ぶのだぞ。お前が以前の力を取り戻せるかどうかに、大陸の命運は懸かっている」
「ぷ、プレッシャーだなぁ……」
「ふん。まぁ、肉体的にはなんの被害もない状態に戻したのだ。お前はどうやら、パフォーマンスが大きく精神状態に依存するタイプらしい。無駄なプレッシャーを感じているようでは、いざという時、たとえ力が戻っていようとそれを発揮できんぞ。今も案外、精神的な理由で力が出せないのかもしれぬな」
精神的な理由――
言われて、僕は考えたが、さっぱり見当はつかない。
剣気を自由に操れた今までのほうが、むしろ魔物や魔王と戦いたくないなと思っていたくらいだ。
しかし今は、魔王の力になりたいし、北の地にいる真の敵を倒さなければ、という意思がある。
はあ、と僕は嘆息した。歯痒い。
それを見て、黒猫は苦笑いをしているようだった。
「単に稽古不足なのかもしれぬし、なんらかの明確な原因があるのかもしれぬ。ともかく、旅の途中でなにかは分かろう」
「魔王さんは、豪快な考え方ですね」
「ふん。悩むべき部分とそうでない部分をわきまえているだけだ。千年も生きていれば、それくらいは身につく。まぁ、お前は千年生きても身につかなさそうだが」
「あー、そうかもしれません。想像もつかないな、千年なんて……」
言って、想像してみようとする。が、時間の尺度が大きすぎて、さっぱり分からない。
僕が今年で十八歳。四捨五入をして、二十として。それを五十倍すると……
つまり、ここまでの人生を五十回分、ということだが、見当もつかない。途方もない時間だということは分かる。
父が、歳を取ると時間の流れが早い、とぼやいていたのを聞いたことがある。
魔王はどうなんだろう。彼女にとって、千年は永い時だったのか、それとも、あっという間だったのだろうか。
僕は、それを直接訊ねるのではなく、黒猫の――魔王の様子から、想像しようとした。それが、正しいことだと思えたから。
そうして、問いが浮かんでくる。
「魔王さんは、千年間、ひとりぼっちだったんですか?」
「ん? そうだな。使い魔が――今身体を借りている、この黒猫のことだが――一緒ではあったが。魔王業務自体は、私が私の手でやらねばならなかったから、そういう意味ではずっとひとりだったことには違いない。まぁ、使い魔に身の回りの世話を焼いてもらうだけでも、完全にひとりだった頃と比べ、だいぶ楽だったがな」
「そうですか……」
猫と一緒というだけでは、確かに、ひとりぼっちに違いない。今の魔王のように喋ったりする猫でもなければ、ひたすらに孤独なはずだ。
「魔王さんは千年間、ひとりで寂しくはなかったんですか?」
「封印を維持し、その封印から漏出してくる邪気で魔物を製造し……と仕事が多かったからな。そんなことを感じている暇などなかったわ」
「寂しさを感じるヒマもないくらいのワンオペ業務ですか。それはそれで……ものすっごく大変ですね。使い魔さんがいたとしても」
「全くだ。元々、私と対等に話ができるようなものは存在しないからな。王を見ただろう? 私にへりくだっていた。実質的に、この大陸を支えてきたのは私だと言えるのだからな、頭も上がらんのだろう」
「そうなのかも、しれませんね。でも、なんで……そんな大変な思いをしてまで、ずっと魔王を続けてきたんですか?」
僕は問いに続けて、率直な気持ちをぶつけた。
「別に、魔王さんがやめちゃっても……この大陸が滅ぶだけなんでしょう? そんなの、魔王さんには結局のところ、関係がないじゃないですか。その封印されているものを滅ぼせるだけの勇者を待つ、なんて回りくどくて時間の掛かることまでして、そうまでしてこの大陸の支配者になりたい、だなんて。僕には価値のあることには思えないし、魔王さんだって、そんなふうに考えてるようには、見えないですよ」
はぐらかされるかと思ったが、黒猫はふっと息を漏らして答えてくれた。
「なかなか、痛いところを突いてくるな。まぁ、小僧の言う通りではあろう。答えを述べるなら……そうだな、私が魔王だからだ」
「魔王だから?」
「ああ、そうだ。お前はなぜ、魔王を討伐に来た?」
「え? それは、僕が勇者だから――大陸に、平和を取り戻すために……」
「それと同じことだ。皮肉なようだがな」
面白くはなさそうに、短く魔王は結んだ。
僕は、分からなかった。『それ』とは、一体どの部分のことを指しているのか。
役目のことを指しているのか。それとも……?
考えていると、魔王が反対に、質問をしてきた。
「小僧。お前こそ、たったひとりで我が城に乗り込んできたではないか。これまで、人間の勇者は仲間を集い、パーティを組み、私に挑もうとしてきた。長い千年の歴史の中でも、たったひとりで魔王に挑もうとしたのは、最初の勇者とお前だけだ」
「そうなんですか?」
「ああ。私としては、群れる時点で落第だから、容赦なく葬ってきたが。お前は、ひとりで寂しくはなかったのか?」
言われて、考える。
「うーん……。寂しいとか、そういうふうには思わなかったですね。旅の途中で、強い人や、手伝ってくれる方もいましたけど。でも、一緒に魔王を倒そうとは思えなくて」
「なぜだ?」
「仲間がいたら、それを守らないといけないでしょう。十分に強かったとしても、どうしても僕は、気にしてしまうし……。それなら最初からひとりだけのほうが気が楽かなって。だから……僕自身、魔王さんの足手まといになることが心配です」
「ふ……。仮にお前の力が十全だったとしても、小僧には違いない。面倒な保護者役を務めることに関しては、最初から覚悟の上だ。気にするな」
優しい言葉に、胸が楽になる。
だがすぐに、黒猫は牙を見せて言ってきた。
「勘違いをするなよ、小僧。お前がいなければアレを倒せん、というだけだ。私がお前を鍛え直し、面倒を見てやるのもすべて、アレを倒すときまでだ。肝に銘じておけよ。勇者は魔王を倒すものだ。それが、お前の役割なんだ」
それからふい、と顔を背けて、丸くなってしまう。
「私と小僧は、結局最後には殺し合う。その時に、またあんなくだらない問答をするのは御免だからな。きちんと、覚悟しておけよ」
「……でも、魔王さん、僕は――」
はい、とは頷けず、なにか言おうとするが。
結局言葉を見つけられず、途切れてしまう。
魔王もこちらは無視して、眠ろうとしているようだ。一瞥すらしてこない。
仕方なく僕も、ベッドの布団に潜りこんだ。
眠りに落ちるまで、魔王が言ったことについて、思索を巡らせようとしてみたが、なにもまとまることはなく、いつの間にか僕は眠り込んでいた。




