第12話 旅立ちの前夜
勇者と魔王討伐、というシステムについての説明が終わった後は、すぐに明日僕たちは旅立つ、ということで、母が腕によりをかけた料理を作ってくれた。
急ごしらえだったが、それでも僕の好物ばかりが並んだ食卓に、使命を忘れて舌鼓を打った。魔王も、せっかくだからと食事をしていた。
食事の後は、僕は父とともに庭へ出た。
食後の運動ついでに、僕がどれほど弱体化してしまったのかを確かめてもらうためだ。
父が渡してきたのは、僕が二年前まで使っていた木剣だった。これは庭の木人形とは違い、家の中に保管してあったのか、記憶のままの姿をしている。
もう日はとっくに落ちている。薄闇の中で、僕は軽く木剣を素振りした。
それから、身体から剣気を呼び起こそうとしてみる。が、なにも起きない。
「使えないのか」
僕の様子を観察していた父は、腕組みの姿勢で訊いてきた。それに頷いて――この暗さでは分からなかったかな、と思い直して、口を開いた。
「全然。僕の中にあった力が、全部どこかに行っちゃったみたい」
「ふうん……。そんなケースというのは、聞いたことがないな。たとえば、達人が記憶を喪失しても、剣の技は忘れていなかった、というような話なら、いくらでもあるが」
「僕の場合は、それとは逆みたい。記憶も身体もちゃんとしているのに、技とか、勘だけがなくなってしまったって感じ」
「うむ……。その、魔王城での爆発というのが、関係しているのかもしれないな。剣気とは、元は生命のエネルギーだ。北の端から南の端まで吹き飛ばされたのだから、生きていたとしても、想像を絶するほどのストレスに身体が晒されたはずだ」
父のその考えは、的を射ている気がした。
身体は、外から分からないが想像以上のダメージを受けていて、剣気が出せなくなっている。それくらいしか考えつかない、ということでもある。
「もしくは――剣気は聖なる力だ。純粋な生命エネルギーなのだからな。爆発というのは、邪気の爆発だったんだろう? それだけの邪気を浴びれば、身体にそういった異変が起きてしまうものなのかもしれん」
「うん……。父さん、僕はどうすればいいと思う? もし、剣気が戻らなかったら……きっと魔王さんと協力したって、僕は足手まといになるだけだよ」
「お前はずいぶん、あの魔王を慕っているようだな」
薄闇の中で父の表情は見えない。だが、怒っているわけではなさそうだ。声音も、こちらへの理解を示してくれているように思う。
だから僕も、正直に話した。
「慕っている、っていうのかは分からないけど……。でも、ちゃんと話を聞いてくれるし、思っていたのとは全然違う、いい人だなって思ってる」
「ふむ。俺が母さんと一緒にあいつと対峙したのは、二十年ほど前になるが。確かに、その時に俺も思ったものだ。想像とは違うな……ってな」
そこまで言って、父は首を振る。
「だが、心を許したりはするな。敵の敵は味方。それだけだ。忘れるな、たとえ俺たち勇者の歴史が、茶番であったとしても……あの魔王は凄まじい力を持ち、紛れもない邪悪として、この大陸に君臨し続けていたんだ。あいつの作り出した魔物で死んだ人の数は知れない。俺や母さんのように生かされた勇者など、数えるほどもいない。あいつは、千年間、勇者をことごとく殺してきたんだぞ」
でも、命を狙ってきた相手がいるのなら、仕方のないことなんじゃないだろうか。
僕だって、数え切れない魔物を自分の手で殺してきた。
自分のやるべきことを見定め、それを徹底してきた魔王と、命令ひとつで言われるままに、なにも疑わずに魔王や魔物を殺そうとしてきた勇者と、どちらが悪なのだろう?
だが、そんなことを父に言うわけにはいかなかった。どやしつけられるなんてことはないだろうけど、一応、当代勇者としての体裁があるし。
俯いて黙っていると、父は言った。
「だが、本当の邪悪……というものでも、ないのかもしれないな。あの魔王は」
「え?」
「その、邪気の爆発というのに晒されて……お前は、剣気で防御することもできなかったんだろう?」
「あ、うん。その、攻撃に全力だったから」
「なら、きっと……お前が生きているのは、魔王が庇ってくれたからだろうな。そのせいで魔王は肉体を失うほどのダメージを受けた。そう考えると、辻褄が合うだろう。あの魔王がそれだけのダメージを受けたのに、剣気で防御できなかったお前が無事なわけがないんだ。いくら勇者だろうと、肉体そのもの――生身の強度は普通の人間と同じだ。それを差別化するのが剣気、というだけなんだから。まあ、お前は……わりと特別に頑丈なほうではあるけどな」
そんなこと、僕は考えもしていなかった。
魔王が――勇者を庇った、だなんて。
「……そんな」
「まあ、理由を問うたところで、お前を失えば、その邪悪なるものを倒す手立てがなくなるからだ、とか答えるんだろうがな。……俺は、あの魔王の言うことを信じるよ。形や意図はどうあれ、お前をきっと、救ってくれたんだからな。そしてもちろん、父さんはいつでもお前の味方だ。気をつけろ、と助言はしておくが、お前はお前の考えを大事にしろ」
一言一言はっきりと言ってから、父は薄闇でもよく分かる白い歯をにかりと見せて、頷きかけてきた。
僕も頷き返す。
「うん。父さん、ありがとう」
父は、こういう人だ。言うべきことは言った上で、いつだって僕を尊重してくれて、味方に立ってくれる。
僕にとって最高の父親であり、尊敬すべき先輩勇者でもある。
父は恥ずかしそうに肩をすくめると、また口を開いた。
「話を戻そう。剣気が戻らない、ということはないだろう。肉体は回復している。こうしてお前は生きているのだから、生命エネルギーがない、ということもあり得ない。つまるところ、生命エネルギーがあっても、それを剣気や魔法の力として扱えない大多数の人と同じで……感覚が分からなくなってるだけじゃないか?」
「時間が経てば、戻るのかな?」
「分からん。が、鍛練はしっかりと積み直すことだ。剣を振っていれば、思い出すこともあるかもしれん。西の都への道中でも、素振りなどはみっちりやっておけ」
「うん。分かった」
「しかし、相当時間が掛かるかもしれんな……。お前、その持ち方はギャグでやっているわけじゃ、ないんだよな?」
父が指摘してきたのは、僕の剣の持ち方だ。
「え? なにか変?」
「変どころか、手があべこべだぞ」
「あ、あれ……。おかしいな。普通に持ったつもりだったのに」
僕の言葉に、父は深々と嘆息した。
「心配でかなわんな……。初心者に逆戻りどころか、五歳の頃より弱いんじゃないか? 明日早いのは分かっているが、基本動作くらいは叩き込んでおくぞ」
「はい。お願いします」
僕は元より、そのつもりだった。この王都に戻るまで、ただ馬車に揺られていただけだったので、身体を動かしたくて仕方がなかった。
そして、父との時間を、たくさん持っておきたいと思っていた。
明日、旅に出てしまえば、今度こそ――父、母とはもう二度と会えないかもしれない。そんな予感があったからだ。
僕と父は、瞬く星の下で、みっちりと剣術の基礎から確認するための稽古をした。




