『鉄鹿』
常人より頭ひとつ抜けた体躯もさることながら。
鎧を着ていても分かる細身に長い手足。
見る人によっては、伝承に出てくる怪人魔人に思えるかもしれない。
冬枯れの木に似た雰囲気がある。
それにも増して異様なのは。
帝国軍の鎧は艶消しの黒と相場が決まっている。
だというのに、目の前の相手の第一印象は、
紅。
鎧はおろか、兜をしていない頭部まで。
脳天を叩き割られたように、髪も顔面も真っ赤に染まっている。
なんなら本人どころか。
1歩、1歩、通ったあとにすら、赤い足跡が残る。
「もう少しで東の異教徒どもを、吸血鬼の国まで追い返せるところだった。
国境線に足まで掛けたこの身を、ほんに陛下はお召しになると?」
字面だけなら不服そうに。
しかし声色は至って無感情、どうでもよさそうに言葉を流す。
そのまま相手も椅子に腰掛け、目線の高さが近付いたところで。
フォクツは初めてそれが返り血であると気付いた。
そりゃもちろん、鎧やマントはともかく、顔まで塗装する人はいるまいのだが。
ゆえに鎧も、本来は他と同じ黒なのだろう。
証拠に、赤いシルエットの中にポツポツと、黒い点が見え隠れしている。
あるいは水玉模様に近しいのかもしれないが、人によっては
子鹿の背中を想起するかもしれない。
フォクツはようやく、光景と相手の存在が脳内で繋がり、
ポツリと言葉が溢れた。
「『鉄鹿』どの……」
騎士が一人テントに入ってきて、水差しと杯を置いていく。
『鉄鹿』は口元の血だけを手のひらで拭うと、液体を杯に注ぐ。
赤く輝くのはブドウ酒である。
「勝利の美酒にて」
だが、口元へ運ばれる赤が、今だけは。
先ほどはかつて『吸血公』と呼ばれた領主がいた地をそう呼ばわっていたが、
(キサマの方が、よっぽど吸血鬼に見えるぞ)
素肌の見える口元が、思った以上に若く中性的だったせいもあるだろう。
「して、この身をお召しとは聞いているが。
なにゆえ、何処に? 陛下はアティーノイの柱神殿参詣をご所望か?」
「あぁ、いや」
圧倒されすぎて半分意識を失っていたフォクツも、ようやく役目を取り戻す。
「さにあらず。
過日、我が軍の白十字王国へ差し向けたる手勢が、痛く敗北を喫した」
「白十字」
ようやく『鉄鹿』の声に方向性が宿る。
「うむ。我輩も信じられんが、あの弱小国め。牙を隠し持っておった。
それにより味方は壊滅の憂き目に遭い、
奪いし土地の多くを奪り返されるに至っておる」
「ほう」
「陛下はこれを異教徒撃退以上の優先事項と思し召された。
ゆえに『鉄鹿』どの。
貴公は本日をもって東部戦線を離れ、白十字へ向かってもらいたい」
その言葉に『鉄鹿』は椅子から立ち上がり、
地面にひざまづいて、長い体を丁寧に丸める。
「仰せのままに」
血塗られた塊とは思えぬ所作である。
「気を付けられよ。今回の白十字ども、言葉に聞く以上の厄介さである」
「というのは」
『鉄鹿』は頭も上げずに先を促す。
わずかな動きすら後回しにして、全てを情報の吸収に捧げるような。
「現在あちらには、白十字の皇太子が親征に来ておる。
乾坤一擲の一大事業である」
「ふむ」
「加えて。
その副官フューガ・ミュラー。
これが長靴半島、ヴァリア=フルールをただ一人の力量にて押し返した
『女熊』
なる豪傑と聞く」
陛下のご天気を不足なく伝えるのも使者の役目。
フォクツが紙芝居でも語るように、やや大袈裟に告げると
「くくく」
『鉄鹿』の、俯いたままの肩が揺れた。
「……心踊るかね」
「まさか。鹿と熊ではなぁ」
単純な字面が気に入ったらしい。
そう、
『気に入った』
と感じるほどには、
「まぁ、せいぜい楽しめる舞台をご覧にいれましょう」
言葉と裏腹、負ける様子は微塵もない気配である。
『鉄鹿』はようやく立ち上がると、そのままテントの出口へ向かう。
「しかれば、この身は早速西へ向かうとしよう」
フォクツも立ってまで追い掛けはしないが、少しの私見を述べておくことにした。
「あとはだな、閣下。東方は異教徒退治が目的ゆえ目を瞑るが。
白十字は『領土拡大』の闘争である。
かように土地を穴ボコ、荒らしてくれるなよ?」
すると『鉄鹿』も振り返り、テントの入り口から顔だけ覗かせて笑う。
「何をおっしゃる。畑として耕しているのではないか。
肥料も撒いたぞ? 魚粉を有機肥料とする土地があると聞いてな。
来年にはここも豊作でありましょう」
「ぐむ」
肥料に何を粉々にして撒いたのか。
フォクツはあえて聞かなかった。
知りたくなかったのもあるし、
あの、頭から返り血を被ったせいで、性の判別もつかないほど染まった顔。
それが意外にも、にっこり柔和な笑みを浮かべていて。
その印象のままで留めておきたかったから。
笑顔の意味を変えたくなかったから。
「掛かれーっ! 絶え間なく攻めろ! 途切れさせるな!」
「連中を休ませるな! 城壁を崩すより先に、ヤツらの気骨を崩せ!」
皆さんこんにちは。
北の国から、フューガ・ミュラーだ。
いい昼下がりをお過ごしか?
私は攻城戦の真っ最中ゆえ、馬上から失礼する。
今まさに、ヴァイスフレンデン攻略が大詰めなのだ。
実はここまで、意外に時間が掛かっている。
まずファーレンファイトに手こずった。
いや、そもそもマックインガーまでが異様に速かった、と言えばそうだが。
ここまでの侵攻はエノレーで敵勢を破っての返す刀。
ほぼそのままの勢いで来ている。
で、ついに私の懸念が的中したというか。
経験のほぼない中央からのかき集め軍が、スタミナ切れを起こしはじめた。
マックインガーが無血開城だったために、休息になっていると思ったが。
私としたことが、精神的な疲労を見落としていた。
これは一度、兵装を解いて脚を伸ばさねば回復しないものだ。
またファーレンファイトは残る帝国支配地域で、指折りの要害。
相手も踏ん張ってみる気になったのだろう。
あらかじめ敵兵を減らせていたために、2週間ほどで陥落はせしめた。
平気で月単位を要することもある攻城戦においては、なお早くはあるだろう。
だがその後、まとまった余暇を取ることとなったのだ。
それで侵攻が遅れている。
「アネッサ、地図を」
「はい」
平原に机を置き、地図を広げる。
ちょっと抜けた光景は、敵からの攻勢がほぼない攻城戦ならではだな。
「ヴァイスフレンデンが落ちれば、あとは」
「細かいところはあるけど。同規模の拠点となると、クラウスリッケンを残すのみ、かな」
「ふむ」
現在取り掛かっているヴァイス以下略も、ファーレン以下略レベルの要害だ。
それもあとひとつだけ。
ひとつは確実にある。
「ちょうど暖かくなるころに、いろいろ片付きそうだな」
「はい」
そういう目処もまた、味方の精神疲労を回復させる(遠すぎると悪化もする)。
「この城攻めも、あと数日で城門を抜けそうだ。着実と言っていい」
などと、努めてプラス面を拾っていた私たちだったが。
その報せは、ちょうどヴァイスフレンデンの城門を陥落させた日に届いた。
曰く、
『東方より帝国軍の増援来たる』
と。




