帝国の動き
フューガ・ミュラーは浮かれているが。
戦に勝てば、勝ちすぎれば、
当然待ち受ける、訪れるものがある。
それを彼女は見落としていた、
あるいは見て見ぬフリをしていたのかもしれない。
ある朝のことである。
バルリッヒ城『謁見の間』には、多くの人が詰め掛けていた。
貴族らしい豪華な衣服に身を纏った者。
あえて艶消した黒塗りの、不気味な鎧を着込んだ者。
清貧を心掛けたか、質実ながら剛健な広間には似合わぬ修道服の者もいる。
それらが直方体の広間、
調度品こそないが、素材は立派な大理石
柱に彫られた飾りの縦筋も、1本1本まで繊細にして正確な空間。
まさに質実剛健を形にしたような世界に、ぞろぞろゴチャゴチャ列を成している。
なぜかと言われれば、『謁見の間』であるからして明白である。
彼らはそれぞれに案件を抱え、それを奏上すべくここにいるのだ。
ではその相手はというと、
一段高い壇上の、幔幕の陰。
そこから青年が姿を現す。
立派な服を着てはいるが、成年したかどうかに見える。
雰囲気も服を着てか着られてか、人品に深みを放つでもない。
それはそう。
彼はただの近習なのだから。
ゆえに課せられた役目は単純。
若く、腹の底から響く、よく通る声で告げる。
「我らが神聖なる帝国の、神に選ばれし皇帝陛下!
おなーりぃー!」
同じように幕の陰から現れたのは、
金糸銀糸の刺繍鮮やかなマントに身を包む、
筋骨隆々、背が真っ直ぐ伸びた男性。
髪はロマンスグレーだが、与える印象は年齢より雄々しく若々しく、
逆に頭上に輝く王冠が、より威厳を纏わせる。
そう、ここはバルリッヒ城。
神聖鉄血帝国の中枢である。
そのまた中心、玉座へ
皇帝カール・フランツ・(以下略)は深く腰を下ろす。
きっと頭上に剣が吊られていても、意に介さなかったことだろう。
それほどの男が
「陛下! シュタッツガルフの租税収益なのですが!」
「ライヒ川氾濫地域の被害、形状が終わりました!」
「大聖堂の修繕費をぜひ寄進していただきたく!」
「待て」
日々のルーティンにして、皇帝の責務。
朝の政務を、右手を挙げて制する。
あるべきかたち、物事の順序、人々の席次。
そういったものを全てすっ飛ばした行ない。
質実剛健。飾らず、真理真実を追求した空間に似合わぬような
秩序なき上奏より、優先されるべき道理があるような。
言うなれば
『他の何を置いても、この一事に触れること』
が古今東西、いかなる政道から見ても正しい。
そう担保するほどに。
正しい空間にあって、王は堂々と切り出す。
そうまでして優先されること。
それは、
「宰相」
「ははっ」
「『鉄鹿に遣いは出しておるのだな?」
「なぜ我輩がこのようなところに……」
大陸は広い。
白十字王国の周辺には多くの国があり、北や東に神聖鉄血帝国がある。
だがもちろん、帝国のさらに東にも大地は続いているのだ。
「おお、昼間だというのに雲が黒い。焦げ臭い」
見るからに市民が乗る荷馬車とは違う高級車両。
見るからに市民が着るのとは生地から違う立派な礼服。
それらに包まれた中年男、ヘルムート・フォクツは愚痴が止まらない。
「うおお! おい馭者! エラく揺れたぞ! 安全運転せんか!」
「なにぶん地面が穴ボコだらけでして。ご自身で歩かれる以外には、致し方ないかと」
「ぬうぅ」
なぜなら、
「せっかく侵略したとて、こんな荒れ果てた土地にしてなんになるのだ。
これだから騎士どもは。
やはりこんなところ、高貴な我輩の来るところではない」
神聖鉄血帝国首都バルリッヒより随分と東、東南東。
東部戦線の最前線まで来ているのだから。
鼻に付く自己認識は置いておくとして。
事実、租税帳簿を相手に羽ペンで舞う彼には、縁のない世界である。
「まったく、軍のことは軍務大臣でも使者に立てればよいものを。
『大蔵省は人手が間に合っているから』
だと?
人が多いのはそれだけ必要だからだ。我輩とて暇ではないのだ。
第一それなら、もっと下々の者で」
窓の隙間から外を眺め、なおもグチグチグチグチブツブツブツブツ。
止まるところを知らない不平不満に、
「のああっ!
すわ地震か!?」
『黙れ』とでも脅すように、大きな振動と音がした。
座席の上でひっくり返ったフォクツは、腰を撫でながら窓を開ける。
だが広い平原は、元から荒れている以上に変わった様子はなく
逆に不気味なほど平然とした、味方の陣があるばかりだった。
「閣下は今、前線へ出られていらっしゃいます」
などと言われて、着陣するなり通されたのがこのテント。
フォクツが椅子に座って、30分は経っただろう。
「我輩を待たせるとは。いや、陣所でのんびりされていても気に食わんが」
口ではこう述べているが。
内心は先ほどの愚痴とは違う。
爆音。
振動。
それが近付いただけ、大きく生々しく、体に響く。
(あなや、地獄へ来てしまった……)
役目を終わらせて帰りたいのだ。
1分1秒でも早く。
ここまで流れ弾が飛んでくることはないと知っていても。
もはや空気が四次元的に寿命を削ってくる。
「なんぞ、ないものか」
ならばせめて気を紛らわせたいのが人情というもの。
手持ち無沙汰に周囲を見回すも、
「……うむ」
皇帝からの使者を招いたのだ。
ここが指揮官のテントなのだろう。
素人目にも、広さが他よりひと際だった。
だというのに。
なるほど、国民性かリスペクトか。
皇帝が政務を執る広間と同じく、質素にして何もない。
最低限のベッド、机、椅子、鎧立て、小さなチェスト。
他には何もない。
厳密には机の上に書簡があったりはするが。
機密を盗み見るわけにはいかないし、第一見ても分からない。
フォクツには困ったことになったが、
(しかし、思えば宮中では常に庶務に追われていた。
こうしてボーッとできる時間は貴重やもしれぬ)
30分も待たされ、ようやく騒音にも慣れてきたか。
せっかく頭を切り替えた
そのとき、
『オーッ!』
『オーッ!』
『オーオオオッ!!』
遠くから雄叫びが聞こえてきた。
同時に
「閣下が凱旋なされました!」
彼を案内した騎士が顔を出す。
「ようやくか」
落ち着いたら落ち着いたで邪魔される。
愉快ではない感覚に、待たされたイラ立ちも甦る。
「いやしくも皇帝陛下のご下命をすぐに受け取らぬ体たらく。
いかに譴責してくれようか」
フォクツが先ほどまでとは正反対の、攻撃的な態度で構えていると、
「お待たせした」
「おっ」
テントの入り口をくぐって、待ち人が現れた。
そこにいたのは、フォクツの気勢が思わず詰まるような
「皇帝陛下がこの身をお召しとか。
辞宜合い無要。本題に入りたまえ」
真紅の巨躯。




