神の血は飲み干せどなお渇く
神聖鉄血帝国。
白十字王国の北からほぼ真東までと国土を接している。
『帝国』の名が示すとおり。
かつてひとつの国であった東クランキスカ王国が、
周囲の諸国諸部族を併呑し、
今日の一大版図を築き上げている。
また、重ねてその名が示すとおり。
長靴半島王国の繁栄は、ナルデーニすら育んだ母なる内陸海の豊かさだ。
ヴァリア=フルール王国の力の源は、アンヌ=マリーの
『パンによる統治』
を可能たらしめるほどの実りある土地だ。
では、神聖鉄血帝国は
侵略。
土地の豊かさ。
天の恵み。
自領の物的価値。
北方で極寒、作物の貧しい国たる彼らに、そんなものはない。
ゆえに、ただひたすら
攻め
侵し
他所の貯蓄で倉を満たし
奪い取った畑で腹を膨らませる。
生き残るため、民族そのものが脳天からつま先まで染まった、
皆ヘソの緒と帝国主義を握りしめて生まれくる、
生粋の『帝国』なのである。
彼らが通ってきた道には、歴史には、
夥しい鉄血の川が流れている。
「そんなののどこが神聖なの!」
アネッサの意見はごもっとも。
「なんでも何代目かの王が自分たちの侵略行為とその連勝を、
『我々はいくたびと戦い、侵略し、しかしこれに敗れ神罰を受けたことはない!
ゆえに我らが戦は神より認められた、進むべき正しい道なのだ!』
とか言い出したのが由来らしいぞ」
「開きなおりじゃん! 世迷い言じゃん!」
「あんまり叫ぶな。唇切れるぞ」
デュートリッヒ城の一室。
暖炉が効いてきたとはいえ、空気は冬らしく乾燥したままだ。
昼でも寒くてたまらんのに、この夕方にはもう命の危険を感じる。
やってられんよな。
「とにかく連中は戦争のエキスパートだ。
これまでの慣れない陸戦をしたナルデーニや、甘ちゃんマリーとは話が違う」
「う、うん」
「そしてこちらの大将は、素人のフリードリヒ殿下だ」
「わっ」
唯一の救いがあるとすれば。
ご親征であること
失敗できないこと
南方西方はしばらく無事である(見込み)こと
これらの要素が合わさって、
都合3万の大軍勢が派遣されたことか。
まさかこれだけの兵力を捻出する力が王国にあったとは。
それなら南方西方にもまわしてほしかったよ。
だが、おそらくはこの日のために取っておいた貯蓄だろう。
普段の雑費には使わない、娘の嫁入り道具に備えた財産みたいなものだ。
普段鼓笛隊より戦闘しないレベルの王城守備隊まで駆り出したんだ。
息子の晴れ舞台に陛下も大自腹ってとこだろうさ。
これに加えて、北方も手痛くやられたとは聞くが全滅ではない。
現地軍と合わせれば、結構な数になるだろう。
逆に帝国は積極的軍事国家の泣きどころ。
白十字に全リソースを割けるわけではない。
大陸はさらに東へと続いており、彼らは無限の闘争を強いられている。
あるいは実利や自転車操業のために。
あるいは自らを止められぬ、坂を転がりはじめた石のごとき本能がために。
という彼我の状況を鑑みるに。
あるいはこちらが多勢。
条件のうえでは有利に対峙できるかもしれん。
「大船に乗った感じだね!」
「あぁ」
久しぶり、いや、局地的な小競り合いを除けば、初めてかもしれん。
有利、あるいは不利を強いられていない戦場で戦うのは。
だが、
「だけどなアネッサ。ただ大船あらば渡海日和でもないんだ」
「なんでそんなこと言うの」
不安要素もないではない。
「まず第一に、殿下はもちろん私もこんな大軍を動かしたことはない」
「あー」
最近まで500名の騎士団を率いているにすぎなかった。
西方ではエラい役職だったそうだが、部下はアネッサ一人。
ゼネヴォン市民も妹魔法で洗脳して、一斉蜂起させただけ。
数万の兵を手足のごとく操り、戦場という広い盤面を支配する。
そんなことはボードゲームでも経験しちゃいないんだ。
ここは元々の北方方面軍司令官に期待するしかない。
あまり何もできないと殿下や中央の面目丸潰れ。
向こうからも
『後方でふんぞり返ってる連中は無能か』
『オレたちは前線で、こんなヤツの代わりに命張ってるのか』
と思われたらマズいが、逆に
『他所から来たのが口うるさく指図しない』
って方向で気に入ってくれることを願うしかない。
「そのへんは大丈夫でしょ。フューちゃんには魔法があるから」
「何人に掛けてまわりゃいいんだ」
鑑定時に『魔力量が膨大』ってお墨付きをもらった私だがな。
ゼネヴォン市民のときは、あれで結構疲れたんだぞ。
いや、私が馬車馬のごとく動けば済むなら、それはそれでいい。
いいのだが。
「それに、問題はもうひとつある」
「そうなの?」
「あぁ、いや、厳密には『あるかもしれない』なんだが」
「不確定要素ってことね」
アネッサは元来お気楽なヤツだ。
急に表情から力を抜いて、暖炉の方へ向かう。
沸かしていた白湯でも飲むんだろう。
「だが、もし現実となったら、こっちの方が厄介なんだ」
「へぇ? アチアチ」
取手のない薄い素焼きの器で、熱湯の温度が貫通しているようだ。
取り越し苦労をしないのはいいことだが、
「……そしておそらく、それは現実になる」
ヴィータダンゲの平原はひたすら白い。
夜のうちに降り積もった雪が、枯れ草色の草原を埋め尽くした。
遠くに見える山も同様、シルクなら持って帰りたい景色だ。
そこにあえてシミを探すなら。
葉を全て落とした黒い木の幹が点在するのみ。
今朝は曇りなのもあって、全てがモノトーン。
世界から色が消えたみたいだ。
晴れていたらば太陽が反射して、何も見えなかったかもしれない。
いや、いっそその方がよかったかもしれん。
なぜって、
遠くにまた黒が増える。
急に木が生えたか?
そんなわけはない。
もし仮にあれが木だったら、明らかに規模は森であり、
童話じゃあるまい。
こちらへ行進するわけがないだろう。
そう、アレは木ではなく人の集団だ。
「おいおい、よくやる。こんな数歩進むのもやっとな日に戦争なんて」
我々の、騎士の誇りを誇示するような白銀とは違う、
自分たちのサガを理解したような、ツヤ消しの真っ黒な鎧。
旗も黒字に黄色やオレンジで獅子を描き込めた、危険色のデザイン。
「団長、いえ、副司令官どの」
「アネッサ。私はゲイル系とは言われるが。やはりあの殺し屋どもが同属とは思えんよ」
物見の報告によると3万強。
神聖鉄血帝国軍だ。
先ほど
『何も見えない方がよかったかも』
と言ったが。
訂正する。
連中、それでもきっと進軍してくる。




