雪の偵察氷を踏んで
翌日。
空が白み始めるまえからヤーン宅を出発。
馬を嘶かせないよう注意しつつ、路地で張り込みを開始する。
季節柄、朝の冷え込みもシャレにならない。
あまり待たされるとたまらんが、
「あ、もう出てきた。朝ごはん食べたのかな」
「野戦訓練の一環で、外で作って食べるんじゃないか。もしくは行軍中に食うか」
街が起きるまえから連中は移動開始。
風邪を引くかは杞憂に終わったらしい。
「北か東か」
「平地もあるけど、どっちかっていうと山手かな」
「ル・マル湖もある」
次々出てくる連中を雑観、
「今のところ、騎兵の割り合いが少ないな」
「平地での激突は想定してなさそうだね」
戦闘もそうだが。
結局移動や運搬に馬は欠かせないものだ。
先だってのナルデーニも、高地での戦闘ながら騎兵は一定数持ってきた。
「ル・マル湖はロージーヌまで続いている。水路、かつゼネヴォンより先への侵攻も想定しておくべきだな」
あの人気なら、市民も喜んで船を貸し出すだろうしな。
やはり万単位の行進を見送るのは時間が掛かる。
夜明けから出張って、市民の朝食が終わるころに最後尾。
「結局冷えてしまったぞ」
「まぁどうせ今日はずっと屋外だから」
「にしても、あの人数でピクニックか。留守にしても市民が反乱しない自信がおありか」
なんて愚痴りながら追い掛けて
郊外の道、分かれ道に差し掛かる。
向かうのは山手の方。
湖ではないようだ。
「こりゃ都合がいい。湖よりは隠れて近寄りやすい」
「ロージーヌには山伝いに攻めてくる、ってことかな」
「どうだろうな」
高地はこちらのフィールドだ。
ロージーヌへは水路だけでなく平坦な道もある。
不利とまで言わずとも、わざわざ得しないルートを選ぶとは思えんが。
とりあえず、もう後ろを着いていく必要もない。
「アネッサ。湖畔の道から抜けて、先周りしよう」
この位置どりでは、先頭が何をしているか見落とすからな。
名前にアとマが多い例の女は、前の方にいたことだし。
しばらく追っていくと、
「山に入るつもりか」
「山岳戦の訓練かな?」
平地で調練を大展開、とはせずハイキングが始まった。
「まぁいい。山ならより遮蔽物が多いさ」
「こっちに獣道があるよ」
「でかした」
「いつまで登山するんだろうね」
「さぁな」
昼まえに開始したハイキング。
太陽はすでに一番高い位置を降りた。
山も中腹を越えたが、連中はまだ進む。
「そろそろ昼メシも食いたいだろうに」
「私は休みたい」
私たちは数十メートル右の位置で、木の陰に隠れて進んでいる。
獣道は途絶えて久しく、オフロードを下馬して登り坂だ。
こっちの気持ちも考えてくれ。
いや、それだとスパイの存在がバレているわけだが。
「わ、雪だ」
「降ってるのか」
「ううん、根雪だね。天気が崩れてるわけじゃないから安心して」
「土地勘があって助かるよ」
だが登山としての条件が悪化したことに変わりはない。
これ以上は勘弁してほしいところだが……
スパイの思惑はバレなくとも、天には通ずるものらしい。
『全隊、止まれーっ』
フルール軍もようやく行進を止める。
「『止まれ』と言ったのか」
「うん」
「じゃあ調練開始か。お手並み拝見といこう」
となれば、広い範囲を動き回るだろう。
たかだか数十メートル、こちらにも来るはず。
と身構えたが、
「……」
「……」
「……メシ作ってるな」
「うん」
連中は雪の上に陣を設営。
ハイキングからキャンプへと移行した。
調練どころか調理が始まっている。
「まぁ、空腹で訓練しても体によくないしね」
「それもそうだが」
しかし、その後待てども
周囲の木々の枝を切って薪材を集めたり
雪を掘ってビバーク用の窪地を整形したり
なかなか『戦闘訓練』と言えるものは始まらない。
「これって」
「あぁ。高山に布陣する予行演習の方が近しいな」
「じゃあ数日雪遊びしてるだけ?」
「可能性はある」
「なぁんだ」
アネッサは
『わざわざ来て損した』
って顔で馬の首を撫でる。
確かに私も、敵の用兵や錬度が見られると期待はしていた。
そちらのアテは外れたわけだが、
「まぁそういうな。少なくともヤツらの方針くらいは読める」
「へぇ?」
「まず
『私たちの反撃に対して、山に籠って対抗する』
って線はあるまい。
連中にはゼネヴォン城があるしな」
「手塩に掛けたね」
「迎撃するにも、まだ戦いよい平地が街周辺にある。
となると、ヤツらが山岳戦を強いられるパターンは限られてくる」
「まさか!」
さすがに馬を撫でる手も止まるか。
「そうだ。
ヤツら、ゼネヴォンの奪取では飽き足らず、まだまだ遠征してくるぞ。
しかもロージーヌだけなら平地、水上、攻城。
山岳を避けた戦いはいくらでもできる」
思わず振り返ってしまう。
木々の隙間から見えるのは、今まで登ってきた景色。
遠くにゼネヴォンの街も映るが、
脳裏にあるものは、もっと遠く、広い。
「白十字の国土全体を睨んでいる。
どこかで、いや、ここで止めなければ、
降伏するまで永遠に侵略を続けるぞ」
その後もフルール軍は、紅白戦などを行なう様子はなく、
トレッキングしては最初のキャンプ地に戻る
といった、軽い雪中行軍の訓練に終始した。
初日だしな。
こういうのは何をするってより
『凍傷にならずに夜を越せるか』
『何日でも野営を保たせられそうか』
が重要だしな。
私たちはというと、
「もう西陽か」
「冬だしね」
「このまま付き合ってたんじゃ、こっちが遭難してしまう。
アネッサ、案内してくれ」
「はい」
諜報は一旦終了。
近くにある猟師用の山小屋へ向かった。
さすがにこっちまで野営はしてられんよ。
南方でたっぷりやったんでな。
そんなわけで、レポートを書いて時刻は深夜。
私は暖炉の火の番。
アネッサはベッドでぐっすり。
あとは簡素な机と椅子、スペアの狩猟道具しかない。
毛布に包まり、静かで
「ふあぁあ」
寝落ちしそうなほど退屈な時間を過ごしている。
よっぽど外で素振りでもしようかと思ったが。
チラチラだが雪が降ってきたし、そもそも火の番だから断念した。
「いっそ大雨なら、雨音で起きてられるんだがなぁ」
何か起きんかなぁ。
眠気の覚めるような。
などと思ったそのとき、
『ああぁああああ〜〜〜っ!!』
「なんだ!?」
野生動物じゃない。
明らかに人間の、成人男性だ。
しかも、丸太小屋の厚い壁でも微かに聞こえるほどの叫びとは。
何があったんだ。
地元猟師か?
フルール軍か?
一応剣くらいは持ってきているが。
さっきまで『何か起きろ』と思っていたが。
今は『こっちに来るなよ。面倒ごと持ってくるなよ』と心臓が鳴る。
だが、
『助けてくれーっ! たぁすけてくれぇーっ!!』
「ちっ」
声は大きく近く、しかも小屋のドアをノックする音まで加わる。
しかも最悪なことに、何言ってるか分からん。
つまりフルール語で、地元民か敵軍か判別がつかない。
『早く! 早く!』
しかし黙殺してるのも不自然だろう。
アネッサも起こしてしまう。
いや、軍人なら騒ぎで起きろよ。
「どちらさまだ! 今行く!」
レポートだけ懐に隠して、ドアを開けると、
「オマエ」
あぁ、2択を外した。
フルール軍の鎧だ。
私からすりゃピンチこのうえないが、
『助かった! 早く入れてくれ!』
「どうしたオマエ」
この若い男はもっと深刻らしい。
『転がり込む』が文字どおりだ。久しぶりに見た。
『早く!! ドアを閉じろ!!』
「あ、あぁ」
言語は分からんが、気迫とジェスチャーで言いたいことは分かる。
外気も寒いしな。
戸締まりをする横で、男は叫ぶ。
『熊だっ!! 熊が出たっ!!』




