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契約結婚、上等です。公爵家は私の実験場にしますので!

「いいか。結婚したからと言って俺がお前を愛するなどとは思うなよ。王命でなければお前のような陰気な女とは絶対に結婚などしなかった」


 私は笑顔を何とか保ちつつ、口汚く罵ってやりたい気持ちを何とか押し留め、「存じております」と静かに答えた。

 まぁ、陰気なのは間違いない。黒髪黒目で垢抜けてないし、目つきはちょっと悪いし……。

 彼はそれをどう受け止めたのかわからないが、何故か満足気である。


「弁えているようだな。お前は所詮成り上がりの伯爵家、建国以来に王家に仕えてきた我が公爵家とは『格』が違うのだ。……全く、ビビアナの愛らしさの一割でもあれば可愛がれたものを……」


 聞いているふりをして聞きなしながら、私は自分に言い聞かせる。

 これは王命。敬愛する陛下の御心あってこその結婚。

 私には陛下への恩がある。それに報いるためにも、絶対にしくじるわけにはいかない。

 目の前にいる彼──オレガリオ・バレロンの代で潰えるだろうと噂されているバレロン公爵家の立て直すために私はいるのだ。成り上がりの伯爵家などと言われようとも、ここは耐えるしかない。

 私は自分自身を落ち着けるために、幼少時に見た陛下の優しい笑顔を温かな手を思い出していた。


「私の愛の全てはビビアナのものだ。お前は屋敷の中で息を潜めて大人しくしていれば良い」


 しかし、我慢も一瞬のことだった。

 「大人しくしていればいい」?

 それは約束が違う。この男は本当にこの結婚の条件を理解しているのかしら?


「……オレガリオ様? 私達の結婚の条件、もちろん把握されてらっしゃいますよね……?」


 可能な限り感情を抑えて聞けば、オレガリオ様の片眉がぴくりと跳ねた。


「条件? お前のような伯爵家の娘を娶ってやる代わりに、俺とビビアナの件には一切口を出さない。そういう約束だったろう?」


 思わずため息が漏れた。この男にとってはその程度の認識だったわけね。

 バレロン公爵家の長男であるオレガリオ様と、ドラード男爵家の末っ子ビビアナ嬢がただならぬ仲であるのは社交界で噂されていた。それは実際に事実であり、オレガリオ様はビビアナを溺愛していた。

 ビビアナ嬢はこれまでもオレガリオ様以外の貴族令息や騎士たちを籠絡しており、常に周囲には複数の男性がいる。

 何とも面白いと思ったのは、最初こそ「あの女は信用ならない」と言っていた男性陣全てが、彼女と接して数日も経つと「ビビアナは噂されているような子じゃないと思う。いつも笑顔で、誰に対しても優しくて……多分そのせいで誤解されてる。僕(or俺or私)が守ってあげなきゃダメなんだ……!」と言い出すこと。

 私はビビアナ嬢と直接話したことはないけれど、この現象をとても興味深く見ている。

 その才能! 諜報員として活かせるのではないかしら!? ああ勿体ない!!

 無論、そんなことを私に言い出す権利もなく、ただ「ビビアナ嬢、すごい」と感心していた。

 私がオレガリオ様に恋をしていたらきっとビビアナ嬢に嫉妬の炎を燃やしていただろう。けれど、私は恋愛というもののとことん興味がない。

 だからこそ、この上辺だけの結婚に同意したのだ。

 ……あ。陛下のことは心から敬愛しているけれど、これは恋愛感情ではないわ。だって、陛下は愛妻家で有名だもの。女王陛下と仲睦まじく寄り添っている姿は私の心の支え。


 とにかく。

 この男が結婚の条件をちゃんと把握してないのは理解した。

 勝手なことを言い出す前に釘を刺しておかないと……!


「オレガリオ様。それは条件のうちの一つですわ」

「……何?」


 不審そうな彼の顔を見て、私は咳払いを一つした。

 そしてぴっと人差し指を立てる


「一つ。私、フランシスカ・メリス……ああ、もうフランシスカ・バレロンでしたね。私はオレガリオ様とビビアナ嬢の関係に一切の口出しをしないこと」


 当たり前だと言いたげにオレガリオ様は頷いた。


「二つ。オレガリオ・バレロンは事業の一部を私に任せ、少なくとも一年間は私の決定の通りに事業を行うこと」

「は?!?」


 そこで初めてオレガリオ様は動揺を見せる。

 いや……この条件は全て書面にしていますし、両家も納得の上ですし、私も貴男も署名したでしょうが……。

 まぁ、あの時の貴男はビビアナ嬢との約束の時間が迫っていて大変ソワソワしていたようですけど。


「き、き、き、聞いてないぞ?!」

「いいえ。言いましたし、双方サイン済みの書類もございましてよ? 何ならオレガリオ様のお父上に確認していただいても構いません」

「父上が……?!」

「ええ、貴族の結婚は家と家の繋がりですもの。私のお父様も、オレガリオ様のお父上も承諾しています」


 オレガリオ様は信じられないと言わんばかりの顔をした。

 ……オレガリオ様の代でバレロン公爵家が潰れるなんて結構前から言われてたけど、こうして本人と一対一になると、その話はつくづく真実に近いのだと思わせられる。

 私、本当に大丈夫かしら?

 これまで私が培ってきたものを試したくて、この結婚に同意してしまったけれど、実はかなりまずい状況?

 いや、しかし、ここで泣き言を言うのはオレガリオ様と同じになってしまう……!


「まぁ、明日にでももう一度確認なさって下さい。お話はこれでよろしいでしょうか? ……式で疲れましたし、もう寝ましょう」

「お、俺はお前と寝るなど」

「私だって貴男となんてごめんですわ。ですが、今日くらいは一緒にいないと妙な噂が立ちます。陛下のお耳に届いたらどうなさるおつもりですか? 何もしなくて結構ですから、とにかく同じベッドで寝て下さい。……では、おやすみなさいませ」


 早口かつ一息にそう言うと私はさっさと布団の中に潜り込んでしまった。

 当然、オレガリオ様には背を向けて寝る。

 オレガリオ様は少しの間迷ったようだけど、結局この大きなベッドに潜り込んできた。

 お互いに背を向け、さっさと眠るのだった。



◇ ◇ ◇ 



 マクテリーク王国では、貴族の二極化が静かに問題になっていた。

 建国から代々続く高位貴族たちの堕落、そして下級貴族たちの隆盛。

 全ての高位貴族たちが堕落しているわけではないが、少なくともバレロン公爵家は落ち目になっていた。正確にはオレガリオ様の祖父の代でかなりの借金を作ってしまい、オレガリオ様のお父上がそれを必死に返した。けれど、そんなお父上を見て何も思わなかったどころか「ちょっとした借金などすぐに返せる。バレロン公爵家は不滅だ!」と勘違いしてしまったがのオレガリオ様。

 煌めく金髪に深い海のような青い目。通った鼻筋に、涼やかな目元。恵まれた体躯。

 幼少時から容姿を褒められ、ちやほやされ、女性たちの視線を集め続けたのも勘違いに拍車をかけた要因に違いない。

 自分は家柄、容姿、全てに恵まれた人間なのだと。

 それは決して間違いではない。

 間違いではないけれど、なんというか、時流が読めてない……。

 堕落した高位貴族たちを少しずつ取り潰そうかと王室が算段をつけているというのに……。


 私のメリス伯爵家は、数年前に子爵から陞爵しょうしゃくされたばかりだ。

 祖父の代で土地を与えられて男爵位を叙爵じょしゃく、父の代で子爵・伯爵に陞爵された。国内では異例のスピードだが、これは王室が段階的に進めていきたいことの一つだった。

 つまり、血の入れ替え。

 オレガリオ様の父上はその空気をいち早く察して私に目をつけた。そしてこっそり陛下に嘆願した。

 知識があり、事業に手を出したくても出せずにうずうずしている結婚のアテがない伯爵家の娘。

 いや、本当にお義父様は不憫……自分の父親のマイナスをゼロに戻すのが精一杯だったんだから。多分父親がプラマイゼロで終わっていたら、少なくともお義父様の代で「落ち目」なんて笑われることもなかったはず。むしろ、他の落ち目と言われる高位貴族とは一線を画す存在になっていただろうに……本当に不憫。


 私には兄も弟も妹もいる。兄も弟も優秀で、兄が伯爵家を継ぐことになっている。これには全く異論はない。

 元々私は結婚に興味はなく、勉強が好きだった。知れば知るほどに足りなくなり、自分の知りたいことを知るには時間はあまりにも足らなかった。

 勉強に勉強を重ね、留学をして、あらゆる知識を身に着けた。

 けれど、勉強をいくらしても、私にはそれを活かす場がない。

 血の入れ替えをしようという気運があっても、まだまだ女というものには厳しい時代である。内助の功が持て囃され、女だてらに商売や事業などするものではないと言う雰囲気があった。

 ただ、そんな中でも腐らずにいられたのは陛下のおかげだ。

 忘れもない。王宮でパーティー。

 勉強が好きですと言う私を見て驚いてから、「そうか。それは良いことだ。知識は人を豊かにする。いつの日か、その知識で私を助けておくれ」──そう言って私の頭を撫でてくれた陛下の表情、手の温かさ、いつまでも覚えている。


 オレガリオ・バレロンと結婚せよという王命。

 これは、あの時の「助けておくれ」という言葉に代えたもの。

 現バレロン公爵家当主の努力は買いたいが、肝心の次代に不安がある。更には現バレロン公爵家当主からの嘆願もあった。

 オレガリオ様を上手く制御し、バレロン公爵家を救ってみせよ──という王命。


 まぁ、これは私の勝手な妄想ですけれどね!

 そういう風に妄想しないとこの結婚はやってられない。

 オレガリオ様のお父上、つまりはお義父様から「あんな息子で申し訳ないが、君がバレロン家で何をしようとも文句は言わない。取り潰される未来だけは何とか回避できるようにしてくれないか」と、私に全幅の信頼を置いてくれた。

 陛下とお義父様の顔を立てるだけですからね!


 そして、私は挑戦がしたい。

 私の知識が通用するのか、確かめたい。

 こうすればもっと生産率が上がるはず、ああすれば効率化が進むはず、こうして、ああして、そうして──。

 そういう仮説を試せる実験場、それがバレロン公爵家。

 確度の高いものから実行していき、資金が回るようになったらもう少し革新的なこともやっていく。

 オレガリオ様のことは気に食わないけれど、どうせ家には滅多に帰ってこないだろうからいい。聞けば、あまり使われなくなった別宅を改装して、ビビアナ嬢を住まわせ、自身はそこに入り浸っているらしい。

 好都合だわ。



◇ ◇ ◇



「面倒でしょうけれど、五日に一度は帰ってきて下さい。それ以外はどこで何をしようとも何も言いませんので」

「何故だ? 必要ないだろう」


 翌日、彼が部屋を出る前に呼び止めて話をする。

 オレガリオ様はうざったそうに足を止めて、一応は話を聞いてくれていた。

 お義父様に確認をしに行く手前、私と全く意思疎通ができてないのはまずいと思ったのだろう。


「……私が事業で何をするかを説明するためです」

「それこそ必要がない。君が勝手にやれば良い」

「あのですね……決定は私が行いますが、実行はオレガリオ様ですわ。何も知らないで事業を行うつもりですか?」

「君の決定に興味がない。俺はいつも通りに自分の責務を果たすだけだ」


 この調子で本当に私の計画や決定に従ってくれるのだろうか?

 いや、そこはお義父様を信用しよう。

 現状、引き継ぎの目的でいくらかの事業をオレガリオ様が任されており、その事業を私がコントロールすることになっている。現当主に対して息子の妻が口出しをするのは体裁が悪く、助言程度に押し留めるつもりだ。そもそもお義父様がどうにかしたいのはオレガリオ様なので、オレガリオ様が私の話を聞いて事業を動かすようにならなければ意味がない。

 オレガリオ様が約束を反故にしないよう、お義父様が見ていてくれることになっている。


「……はぁ。かしこまりました。お好きになさって下さい」

「ふん」


 そう言ってオレガリオ様は寝室を出ていってしまった。

 お義父様が上手く説得してくれることを祈ります。

 子供のことは後回しになっている。結婚の条件が条件なので、それは状況を見て追々話し合うのだ。

 でも、この調子だと無理かしら。

 まぁいい。私は私の領域を手に入れたのだから──。


 どうやらお義父様がちゃんと話をしてくれたらしい。

 オレガリオ様は五日に一度、必ず家に帰ってきて私と話す時間を取るようになった。

 まぁ、話している間は終始不機嫌そうで、まともな返事一つしないけれど。


「──というわけで、事前準備は済ませておりますので、メローナは必ず実が硬いうちに輸送させるようにしてください。そして、こちらの村の倉庫に──」


 ぼけーっとしているオレガリオ様。本当に興味がないらしく話を聞きもしない。

 もちろん、話を聞く気がないのはわかっていたから、私のやって欲しいことを全て書面にはまとめている。「聞いてなかった」で済まされるのが嫌だからだ。

 ただ、少なからず意図や狙いを聞いて欲しかったのだけれど……本当に無駄かしら、これ。

 しかし、後で文句を言われないために書面にあることをきちんと説明した。

 最後に書面を取り交わし、確認したというサインをさせて終了。


 夫婦という概念を忘れてしまう。

 お使いを任せているだけの気分になるわ、これ。

 でも、今はこのやり方しか私が事業に口を出すことができないのだからしょうがない。


 こっそりお義父様に聞いてみると、オレガリオ様は意外にも私の決定に従って事業を取り仕切っているらしい。

 お義父様曰く、「自分で考える手間が省けて楽なんじゃないか」とのこと。

 ……素直というか、正直というか、まぁ私としては楽ではあるけれど……なんだかなぁ、という気持ちだわ。



◇ ◇ ◇



 転機が訪れたのは一ヶ月後のことだった。

 約束の日でもないのにオレガリオ様が慌てて家に帰ってきたのだ。

 慌てて準備をしてお迎えをするなり、オレガリオ様は前のめりになって口を開いた。


「あ、あれはどういうことだ?!」

「あれ、とは……?」

「メローナだ! 栽培もだが、管理も難しい果実だ。それなのに、以前お前の言う通りに仕入れて卸したものは質が高く評判がいい。輸送時にダメになるものが多いが、今回はほとんどそんなことはなかったとも聞く。昨日の夜、デアル侯爵から尋ねられて──……」


 「やっぱり聞いてなかったのね」という気持ちと、「ようやくお分かりになりましたか」という気持ちが生まれた。

 嫌味よりもまず先に説明をした方が良さそうね。


「実が硬いうちに輸送したからですわ」

「……それは、つまり熟してないうちに輸送したということか? しかし、どうしてそれで品質の良い果実になる?」

「ええ。マクテリーク王国ではあまり知られてませんが、一部の果物では、収穫後に時間をおくことで甘さが増したり実が柔らかくなるそうなんです。これは『追熟』という手法で、別の国では案外定着しているそうです。もちろん、全ての果物に有効なわけではございません。どういった果物に有効なのか、研究が進められている最中ですわ」

「それでメローナはその、ついじゅくとやらが有効な果物であったと……」


 慣れない言葉を口にする様子が少しおかしい。

 「そうか」「なるほど」としきりに頷いているオレガリオ様。

 こんなに真面目に私の話を聞いてくださったのは初めてだわ。ちょっと感動。


「で、その話をされたのはデアル侯爵でしたか?」

「うん? ああ、そうだ」

「かなり広大な果樹園を持つ方ですわね……うーん、どのようにお話するかは、一度お義父様とご相談なさってくださいませ」


 私はあまり社交の場には出ない。人付き合いや貴族特有の駆け引きが苦手だからだ。

 逆にオレガリオ様は社交の場が好きなようで、頻繁に顔を出していた。性格的に難があるものの、貴族同士の話や駆け引きはオレガリオ様の方が得意だから任せたい。もちろん『妻』として出る必要があれば出る。


「父上か……そうだな、デアル侯爵は少し怪しい噂もあるし……わかった、父上と話をしてくる」

「ええ、ぜひそうしてくださいまし」

「では、また二日後に」

「はい、お待ちしております」


 二日後が約束の日だ。

 今回のことがキッカケでもう少し私の話を真面目に聞いてくれれば良いのだけど──あまり期待をすべきではない。

 今後の計画も練らないといけないし、一年以内にはきちんとした成果を出したい。

 そう思い、私は執務机に向かった。



◇ ◇ ◇



 メローナの一件以降、オレガリオ様は私の話を真面目に聞くようになった。

 しかも話を聞くばかりか、その場で計画書を見ながら質問をしてくるようになった。

 「これは何のためだ?」「どういう効果がある?」「こんなに早くて大丈夫か?」などなど、まぁ事業を齧っていれば当然の質問ばかり。私が行っているのは研究が進んでいたり他で成功事例があったりして、ある程度実績が裏打ちされているものでありながら、あまり知られてないものばかり。新しい手法を試そうとしているのだから懐疑的になるのは致し方ない。

 何回か会話が往復するとオレガリオ様は一応納得してくれる。

 結果がきちんと追いついているのも大きいだろう。不発のものもあるけれど……まぁ恐らく目を瞑れるレベル。


 ただ、その時は納得しても後々疑問が湧くこともあるらしい。

 約束の日でもないのに家に帰ってくることが多くなった。

 素直というか真面目というか……。

 ビビアナ嬢は良いのかしら? と思ったが、毎日一緒にいるわけでもあるまいし、どう考えても月の大半はビビアナ嬢のところにいるのだから問題はないのでしょう。多分。


 私の実験の成果──もとい、公爵家が少しずつ回復していくのを目の当たりのするのはいい気分だわ。

 半年も経てばオレガリオ様の刺々しさは消え、普通に話すようになった。

 話がスムーズなので私も機嫌が良い。

 「今日は以上です」と言って書類をまとめたところで、オレガリオ様が私を見た。


「ふ、ふ……フランシスカ」

「? はい?」


 やけに緊張した様子でオレガリオ様が私を呼ぶ。

 ……あら? そう言えば、名前を呼ばれたのは初めてかしら?


「……その、……だな……」

「なんでしょうか?」


 言いづらそうな様子もオレガリオ様。どうしたのかと首を傾げてじっと見つめたところで、オレガリオ様がふいっと顔を背けてしまった。


「さ、最初! お、お前のことを……陰気などと言って悪かった! い、今は……陰気などとは思ってない。お前は、そ、聡明で知的で……黒髪が美しい! 以上だ!」


 そう言うとオレガリオ様は耐えきれなくなったように立ち上がり、私に背を向けた。

 けれど、すぐに出ていこうとしない。

 何となく釈然としない気持ちがあったけれど、お礼待ちかもしれないと思って口を開いた。


「……は、はあ? ありがとうございます……?」

「……ふん! また来る!」


 そう言って部屋を出ていくオレガリオ様。

 一体どういう風の吹き回しなのかと不思議でしょうがない。まぁ知的とか聡明という褒め言葉は……嬉しいですけどね! 私のこれまでの勉強漬けの毎日が報われたようで。もちろん、勉強は好きでやってたんですけど!

 陛下のお役に立ててるかしら?

 バレロン公爵家を取り潰さずに済むような働きが少しでも出来ているかしら?

 結果が出るのはもう少し先の話。けれど、着実に進んではいる、はず。


 この調子でいければいい、と思っていたのに、ある日オレガリオ様が妙なことを言った。


「フランシスカ。君は俺の妻で、俺は君の夫だな?」

「ええ、法律上はそうですわね」

「……。……子供はどうする」


 ぼそっと、ぶっきらぼうに言われた。

 こども、コドモ。子供?

 私には無関係な話だと思っていたのですっかり忘れていた。


「ああ、子供。要は跡継ぎですわね」

「そ、そうだ」

「ビビアナ嬢との子を跡継ぎに据えればよろしいのでは? ビビアナ嬢には申し訳ありませんが、バレロン公爵家に預けていただき……定期的に会う機会を設けるか、提案しづらいですが乳母になっていただくか……いえ、うーん、母子が離されるのはお辛いですよね。一定の年齢になったらこちらで引き取る方がよろしいでしょうか?」


 自分自身に置き換えて考えづらいので、どうにも良い提案が出来ない。

 悩みながらそう言うと、オレガリオ様は何とも言えない顔をしていた。


「……そ、そうではなく……お、俺と君の子供は……」


 思いも寄らぬ発言に私は目を丸くしてしまった。


「私と?! オレガリオ様の?! ええぇっ!? どうしてそんな話になるのです?!」

「どうしても何も、追々話をするということだっただろう……!」

「それはオレガリオ様とビビアナ嬢にお子さんができた時にどうするか、という話でしょう?! まさかオレガリオ様が私と子作りをするなんて思ってませんのでご安心を。それに、妊娠出産があると事業がままならなくなるでしょう? そういう役割をビビアナ嬢におまかせできることもあったのでこの結婚を受け入れたのですわ」


 オレガリオ様は絶句していた。

 お義父様もビビアナ嬢との子供を跡継ぎにするのもやむなし、しかしあくまでもオレガリオ様と私の子として育てる、というつもりだったはず。これは貴族の義務とは言え、私に望まぬ行為をさせるなんて言語道断という話があったからだ。陛下が愛妻家ゆえに妻を大切する風潮もあった。

 陛下、大好きです。心から敬愛しています。

 オレガリオ様が額を押さえて俯く。


「……さ、最初から、そういうつもりだったと……」

「ええ、最初にそう言いましたわ。私は恋愛に興味がありませんもの」

「じ、自分の子が欲しいとは思わない、のか……?」

「興味はありますけど、積極的に欲しいとは……色々大変そうですしね。……あ! もしビビアナ嬢との間に子供が出来ずとも、私のきょうだいの子を養子に貰うのは可能かもしれません。跡継ぎに関してはお互いに手を尽くしましょう! 

ですが、出来れば、オレガリオ様はビビアナ嬢と励んでくださいね」


 今度は頭を抱えるオレガリオ様。 

 何かコメントが欲しいところだわ。何を考えているのかわからないし。


「フランシスカ、俺は──……いや、何でもない。だが、君は俺の妻で、俺は君の夫であるという事実は変わらない」

「ええ、そのための結婚でしたもの」


 「そうか、そうだな」と言いながら、オレガリオ様が顔を上げる。

 どこか疲れた顔だった。ビビアナ嬢と励んで下さい、なんてちょっと下世話だったかしら?

 私は静かにオレガリオ様を見つめ、そっと自分の胸を押さえた。


「最初、オレガリオ様はおっしゃいましたわ。──私の全ての愛はビビアナにある、と……」

「っ、そ、それは……!」

「私、実は結構感動しましたわ」


 そう言うと疲れた顔のオレガリオ様が目を丸くしていた。


「だって、そうでしょう? 身分差を顧みず、周囲からの圧にも負けずたった一人を愛せるなんて……恋愛に欠片も興味のない私からしたら考えられませんもの。本当なら私とだって上辺だけでも上手くやった方がいいでしょうに、わざわざこんなことを言うんですもの。余程好きなんだろう、と……」


 ビビアナ嬢が数多の男性を籠絡していることはさておき。

 そこまで一途に誰かを愛せるということはすごいことだわ。オレガリオ様には色々とムカついたし、正直全く気に入らないけれど、その真っすぐで迷いのない気持ちだけは素直にすごいと思っている。

 私の言葉を聞いたオレガリオ様は複雑そうな顔をしていた。


「だから、オレガリオ様。そのお気持ちはどうぞ大切になさって下さい。その気持ちがあったからこそ、私はバレロン公爵家という素晴らしいじっ、えぇと、歴史ある名家で新しいことに挑戦できるのですから」


 危なかった。実験場と言ってしまうところだった。

 流石に実験場だなんて心の中では思っていても外に出すべきじゃない。こういうところが社交に向いてない。

 にこりと笑ってみせると、オレガリオ様はあやふやに笑った。


「……君は、バレロン家に嫁いできて良かったと」

「ええ。あの条件を飲んでくださる家はないでしょうから。感謝してますわ、オレガリオ様」

「そう、か。……そうか。……フランシスカ」

「何でしょうか」

「これから、君のことをフランと呼んでもいいだろうか……?」


 家族が呼ぶ呼び名だった。バレロン公爵家に来てからは呼ぶ人間はいなくなってしまった。

 オレガリオ様は家族だし、さほど拘るようなことでもない。


「好きに呼んでください。家族ですので」

「そうだな、夫婦だしな。……気が向いたら、俺のことはリオと呼んでくれ」

「? ええ、かしこまりました。気が向いたらお呼びしますわ」

「ああ、今はそれでいい──」


 そう言ってオレガリオ様は柔らかに笑った。

 あら、こんな顔を見るのは初めて──。

 ようやく『家族』、いえ『夫婦』になれたのかしら。正直どちらでもいいですけど!

 オレガリオ様の態度が柔らかくなり、私は今後の計画も順調に進みそうだと心の中でほくそ笑むのだった──。




 余談。

 数カ月後、私がオレガリオ様のことを「リオ」と呼ぶのが普通になった頃、ビビアナ嬢とオレガリオ様は静かに離れた。

 そして、何故かビビアナ嬢は王国の諜報部に入ったという噂がまことしやかに流れ、その真偽は誰にも確かめられないまま終わった。女諜報員が活躍しているという話は聞かないものの、諜報員の活躍なんて本来は耳に入ってこないのよね。ただ、その噂が本当だとしたらビビアナ嬢はきっと活躍しているに違いない。


 更に数年後、ビビアナ嬢と別れたリオに熱心に口説かれて、名実ともに『夫婦』になった。

 いや、あの……恋愛に興味なくても、異性に免疫のない私がリオみたいなのに口説かれて、普通でいられるはずがなくて……。口説かれているという事実に気付くまでものすごく時間がかかりましたけど、気付くともう急転直下。

 決め手は、

「フラン、君は好きなだけ実験したらいい。君のおかげで今のバレロン家があるのだから文句はないさ」

 だった。

 というか、私が気付かなかっただけで昔から「次のじっけ、んん~っ、事業計画は~」とか言ってたらしい。

 不覚だわ。

読んでくださってありがとうございます。

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