婚約破棄したはずの元婚約者がわざわざ結婚を告げるため、親友との夜会に現れた経緯について
「久しぶりね、リーリャ。少し見ない間に、見違えるように綺麗になったわね」
私は親友から貰った招待状を片手にエイリアス伯爵邸へ赴いていた。望月が煌々と輝く今夜は、待ちに待った夜会の日だ。
あれからたったの二年しか経っていないはずなのに。舞い降りた伯爵邸は想像以上に月日の流れを色濃く感じさせた。美しく煌めいていたはずのシャンデリアには埃が被り、深紅の絨毯は僅かにくすんでいる。窓硝子は所々ひび割れていた。
そんな古びた屋敷の中、一際目立っているのは私─エミリア・スカーレット侯爵令嬢─の親友、リーリャ・エイリアス伯爵令嬢だ。
すっと通った鼻梁に、聡明さが伺える紫紺の瞳。艶のある黒髪は優美さすら感じられる。幼さが残る少女は過渡期を経て、洗練された女性へと変貌を遂げていた。
「ええ、久しいわね、エミリア。あなたは少し太っ─、いえ、何でもないわ」
「うるさいわね。どうして、あなたはいつも一言多いのかしら。向こうは美味しい食べ物ばかりなんだもの。ついつい食べ過ぎてしまうのは自然の摂理だわ」
留学という名目でこの地から離れて早二年。変わっていないのは、私だけ。そうやって気を落としそうになった瞬間、彼女はあの頃と変わらない、減らず口を叩いた。
眉を小さく顰め、緩やかに口角を上げている。一瞬にしていつもの私達に戻った気がした。
リーリャは察しが良いのか、単に間が良いだけなのかよくわからない。でも、そんな彼女に救われてきたことだけは事実で、今だって彼女のおかげで気分が簡単に浮き上がっていく。
「冗談はさて置き、元気になったみたいで安心したわ」
「お陰様で。この通り、食べすぎちゃうくらいには回復したわ」
「ええ、そうみたいね。立ち話も何だから、座って頂戴」
リーリャは私の両肩に手を伸ばそうとするが、躊躇うように手を止める。誤魔化すように笑みを零し、椅子を引いて座るように促した。
「……でも、また会えて嬉しいわ」
「それは私の台詞よ。2年間ずっとあなたと会えることを楽しみに頑張ってきたんだもの」
「きっと、大変だったでしょう?あなたと話したかったことが沢山あるの。こんなちっぽけな夜会になってしまって申し訳ないけれど、今日は時間なんて気にせず語らいましょう」
「ええ、そうね。私、この招待状を貰ってから、すっごく楽しみにしていたのよ」
私の手に納まっている招待状はクタクタに萎れてしまっている。私は今日までこの招待状があったから頑張って来られたのだ。
健康そのものであった私が病魔に冒されていることが分かったのは3年前。14歳になった頃だった。
ある日突然、触れられることすら苦痛になるほどに全身が痛み、寝台から起き上がれなくなった。すぐに医者を呼び診てもらった結果、告げられたのは半数が死に至るような残酷な病名。当初、スカーレット家で治療を行っていたが、病魔は私の身体を急速に蝕んでいき、生きるために医術の発達した隣国へと渡ることになったのだ。
隣国に発つ日、リーリャからは招待状を手渡された。“絶対に元気になって、戻ってきて。そうしたら、あなたの回帰を祝して盛大な夜会を開くわ”そんな言葉を掛けられて。心が折れそうになった時、痛みに負けてしまいそうになった時、この招待状が私に生きる勇気をくれたのだ。
エイリアス家の屋敷を見るにきっと盛大な夜会を開けるほどの経済状況では無くなってしまったのだろう。それでも、彼女の気持ちだけで、彼女とこうやって会えるだけで、私の心は満たされていた。
「……で、そろそろお隣の殿方を紹介して頂いてもよろしくて?私、気になって気になってしょうがないのだけど」
「ああ、ごめんなさい。紹介が遅れてしまったわね。彼はルイス・ヴェロニエス伯爵。私の夫よ」
リーリャの隣にはひっそりと紳士が佇んでいた。騎士団の白い上着に袖を通しているが、その上からでも分かるほどに鍛え抜かれた体躯をしている。紳士、もといルイス伯爵はにっこりと微笑むと、私に向かって深々と頭を下げた。
「初めまして、エミリア・スカーレットご令嬢」
「スカーレット家の一人娘、エミリア・スカーレットにございます。以後お見知りおきを」
彼に倣って私も淑女の礼を執る。そして、興奮を抑えきれずにリーリャに向き直り、声を掛けた。
「って、リーリャ!見ないうちに結婚なさっていたの!?それならそうと早く言って頂戴よ。私、お祝いの品も用意できていないわ」
「いいのよ、そんなことは。ねえ、ルイス」
「ああ、麗しいご令嬢に会えただけでも、十分だ」
「麗しいだなんて……、素敵な殿方ね」
ルイス伯爵はリーリャの肩を抱き寄せる。お似合いの二人だと思う。
リーリャはお調子者で、それでいて泣き虫な所があるから、こうやってどっしりと構えて彼女を見守れるような人が良いと昔から思っていた。二人に見惚れていると、そうね、とリーリャが口を挟み、顔を顰めた。
「あなたが向こうに行ってしまって悲しみに暮れていた私を支えてくれた自慢の夫よ」
「彼女からあなたの話はよく耳にしていました。お会いできて光栄です」
「光栄だなんて、大袈裟ね」
ルイス伯爵は、よく言われますと一言口にすると朗らかに笑った。そんな彼をリーリャは嬉しそうに見つめている。まだ出会ってから二年も経っていないのに、二人の醸し出す雰囲気は熟年夫婦のそれだった。
「こんなに立派な夫が居て、リーリャはもう心配いらないわね」
私の口からそんな言葉がぽろりと零れ落ちる。
そう、だった。私はずっと心配だったんだ。
思えばリーリャと私は誰よりも長い付き合いだった。出会いがいつだったのかもわからないほど昔から、私達は親友だったのだ。
彼女は小さな頃からよく泣いた。やれ、父親に叱られただの。やれ、学園で友達が出来なかっただの。やれ、親友が病気になっただの。
そのたびに慰めるのは私の役割で。大丈夫だと、心配するなと声を掛けてあげた。
隣国へと渡ってから、彼女がまた泣いているんじゃないかと考えなかった日は無い。
でも、会っていない間に私の役割はルイス伯爵の役割になっていたらしい。
だから、きっともう大丈夫。
「そうよ、あなたに心配してもらう必要なんて微塵もないくらい、私、幸せだから」
「幸せ、か」
リーリャの幸せという言葉がじんわりと私の胸を温めた。なぜだか目頭が熱くなって、視界が歪む。
「ええ。だからもう、心配しないで」
「そっか」
私たちは会っていなかった時間を取り戻すかのように沢山、本当に沢山、言葉を交わした。
夜会が始まる頃、地平線から出てきたばかりだった満月も、すでに空高く昇っている。
「ねえ、エミリア。今日はあなたにどうしても会ってほしい人が居るの」
少し前からそわそわとしだしたリーリャは意を決したように話を切り出した。
「会ってほしい人?」
「ええ!会えばきっと、分かるから!」
「わ、分かったわ」
私に有無を言わさぬ勢いでリーリャは立ち上がる。その真剣さに押され私が了承すると、彼女は眉尻を下げ、私に別れの言葉を告げた。
「じゃあ、エミリア。またいつか」
「ええ、また後で」
ルイス伯爵に支えられ、リーリャは客間を後にする。彼女の肩が少し震えているような気がした。
***
「やあ、久しぶり」
リーリャの言っていた会わせたい人というのは二年前、私が婚約破棄を言い渡した男─レイン・ヴァリック伯爵令息─だった。
私よりも2歳年下の彼は、いつまで経っても情けない男だった。
『エ、エミリア。だ、大丈夫だよ。僕が守るから、大丈夫』
彼はよくその言葉を口にした。全く大丈夫じゃなさそうな顔で。
私の病気が分かった時、両親は私に心底落胆した。病気だなんて、もう跡継ぎは望めない。この家も終わりだ。痛みに浮され朦朧とした頭でそんな会話を聞いた。
私の前ではいつだって優しかった二人がそんな事を考えていたなんて、申し訳ないと思った。そして、それと同時に誰にも心配も迷惑もかけてはいけないんだと悟った。
病気であっても、両親の期待は裏切りたくなかった。唯一の親友であるリーリャを泣かせたくはなかった。二歳下の情けない婚約者に弱ったところを見せたくなかった。
だから、私は痛みに顔を歪ませることはやめて、苦しみも悲しみも笑顔の裏に隠した。大丈夫だと言い張った。痛みは無い、病気は治る。そうやって自分と周囲を欺き続けた。
大丈夫だと言っているのに、彼は学院を休み、毎日、私のもとに訪れた。力強く私の手を握り締め、何度もあの言葉を吐いた。まるで、私が大丈夫では無いのだと証明するかのように。
握られた手は何時だって痛かった。私が思わず顔を歪めた時、彼はまたしても大丈夫と口にした。その顔は私以上に歪んでいた。
このまま一緒に居たら、きっと彼の人生まで歪んでいって、大丈夫じゃなくなってしまう。気付けば懇願するように声を掛けていた。
『もう、来ないで。私たちの婚約は破棄しましょう』
そう告げると、彼は情けなく肩を落とし、わかったと呟いて私のもとを離れていった。
「え、ええ。久しぶりね」
レインは、二年間で本当に大きく成長していた。あの頃とは比べ物にならないほど、背が伸びた。短かった銀髪も後ろで結べるほど長くなっている。いつもおろおろと不安に染まっていた青い瞳は凛々しく澄み切ったまま私を見つめていた。
「少し顔色が良くなったね。治療の効果かな」
「まあ、その。数週間前やっと、お医者様が寛解しているって」
「そうか、それは良かった。最近は苦しくないんだね」
「ええ。もう痛い所もないわ」
あの頃とは違った温かくて包み込むような視線が私には向けられていた。私は彼を酷く傷つけたのに。一方的に、理不尽に振ってしまったのに。彼の発する言葉も、態度も全てが優しさに溢れている。
「なら良かった。また会えて嬉しいよ」
「わ、私も」
取り繕う暇もなく、彼の温かさにするすると言葉が引き出されていく。
「ごめんなさい。私、あなたのこと傷つけた」
「そんな事言わないで。僕も守れなくてごめん」
失われた時間はもう、取り戻せない。
いくらお互いを想いあっていたとしても、私たちが心の底から大丈夫だと口に出来るようになったとしても。私たちはもう、結ばれる運命ではない。
彼の右手の薬指に輝く藍玉の指輪が私にそんな簡単なことを教えてくれた。
「今まで、元気だった?」
「まあ、それなりにやってたよ」
「そっか。寂しくは、無かった?」
「無かったと言えば嘘になる」
苦し紛れに問うと、彼はあの頃と同じように情けなく顔を歪めた。
思わず笑みが零れてしまう。
「新しい相手、見つかったみたいね」
「ああ。やっと、見つかったよ。僕、結婚するんだ。君にそれを伝えたくて」
「それは良かったわ。おめでとう。ちゃんと大切にしてあげないと駄目よ」
「うん。君と同じぐらい、守りたいと思える相手なんだ」
彼に大切な人が出来たとき、私はちゃんと祝福してあげられるような人間で居たいと思っていた。彼の幸せを陰ながらでも見届けたいと思っていた。
彼を傷つけておきながら、そんなことを願うだなんて、傲慢な人間だと分かってはいたけれど今日までやめることは出来なかった。
「そっか。じゃあ、もう安心ね」
「そうだよ。君はもう僕らのことを心配しなくていい。もう、大丈夫だよ」
レインの大丈夫には、あの頃と違って説得力がある。ずっと心の底に溜まっていた澱が消えたような気がした。
「そう、なんだ」
瞳からは言葉と一緒に涙が零れ落ちた。満月は相も変わらず私達を照らしている。
「ああ、君が亡くなってもう8年だ」
彼の言葉がするりと私の耳に入っていった。
ああ、やっぱり。二年間にしてはこの屋敷も、リーリャも、彼も変わりすぎていた。
ここに来るまでの記憶があやふやだった。おかしいと思っていた。
「そんなに経つんだ。てことは私、やっぱり負けちゃったのね」
「違うよ。君はちゃんと病気に勝った。負けてなんかいないさ」
「じゃあ、……なんで」
「帰ってくる道中。君の乗った馬車が崖から落ちたんだ」
「ああ……。そういえば……、そうだったわね」
衝撃音と、身体をつんざくような痛み。車輪がカラカラと空虚な音を鳴らし、私を取り囲んだ木々たちがざわざわと不気味な音を立てていた。
徐々に冷たくなっていく身体。消えていく感覚。朧げになっていく意識。何もかもが怖かった。
ふと空を見上げると、頭上に満月が浮かんでいて、私を照らしてくれていたことに気が付いた。彼の頼りない大丈夫が聞こえた気がした。リーリャが泣いているような気がした。
「うん。最期、痛くなかったかい?怖くなかったかい?」
「ええ。大丈夫だったわ」
「そう……、言うと、思ったよ」
私がにやりと口元を緩めると、レインは堰を切ったように泣き出した。やっぱり、彼は情けない。
「あなたが泣いていたら、私、何処にも行けなくなっちゃうじゃない」
私が彼を宥めるように励ますように告げると、目じりをぎゅっと擦り顔をあげた。
「ああ……、ごめん」
「そんな姿、新しい娘には見せないでね」
「ああ、分かってる。精一杯、格好つけるさ」
「じゃあ、情けないレインは私だけが知ってるってことね」
「情けないなんて言うなよ」
きっと、今の彼なら頼りがいのある男性を演じることが出来るのだろう。
私の心の中にあるのは、彼が変わってしまったことへの寂しさと、僅かばかりの優越感。
ふっと息が漏れ、ついつい顔が綻んでしまう。
「頑張ってね」
「ああ、ちゃんとやるよ」
「長生きしてね」
「ああ、向こうで土産話、楽しみにしておいてよ」
「そうするわ」
「心残りはもう無いかい?」
もう、彼らは大丈夫みたいだ。心配しなくても、きっとちゃんと生きていける。
「そうね。話せてよかった」
「僕もだよ」
「じゃあ、またいつか」
「うん。また」
私はゆっくりと立ち上がり、満月を見上げる。灯りが強くなり、視界が光に包まれていった。
──満月の夜になると、旧エイリアス邸に幽霊が現れるという噂はその日を境に囁かれなくなった──
──その年の冬に開かれた結婚式の日。季節外れのスカーレットが彼らの門出を祝福するかのように咲き誇っていた──
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追加 誤字報告ありがとうございます!!




