パラドックスの始まり
2023年12月25日クリスマスの夜。
冷たい月光が静まり返る街を照らしていた。その夜、13人目の犠牲者に手を掛けた「猟奇殺人鬼X」は、一年前に初めて人の命を奪った時間と場所である富士の樹海奥地に巻き戻っていた。
霜がおりる程に冷え切った空気の中で殺人鬼は歓喜にうねうねと悶え、目の前に倒れている人物の血で真っ赤に染まった狂気の笑みで呟く。
「あぁ~!やっぱり結城くんはサイコーだぁ〜!結城くぅ~ん!だいちゅき、ちゅきちゅきだょぉお!!」
樹海の木々の不気味なざわめきがこれから繰り返されるであろう殺戮に歓喜しているようであったーー。
同じく2023年12月25日のクリスマス。結城學はクラスの仲間達と大学生活最後のクリスマスパーティーを開く準備をしていた。
仲間達と笑い合いながら、商店街で買い出しに行ったり、バイト先のバーを貸し切って楽しい一夜を過ごす予定であった。だが、そんな幸せのひとときは当然の背中の激痛により切り裂かれる。
慌てて振り返ると目出し帽を被った人影が両手で頭上高くナイフを構えていた。
そして、抵抗する間もなくその光る刃は結城の鎖骨上部に無慈悲にも深々と突き刺さった。
「うがぁ…っ!がぼっ、…ごぽっ!」
自分の血に溺れるような感覚。激痛で視界はボヤけ、周囲の叫び声が遠のいていく。
意識が薄れゆく中、犯人が結城に跨り、顔を近づけ−−不気味なまでに静かな口づけを落とした。その瞬間、全てが闇に沈んだ。
ピピッ、ピピッ
デジタル時計の音が鳴り響く。朝日が射し込み寒空の中スズメたちが忙しそうに飛び回っている。
「うっ、うわぁ!!」
結城は汗びっしょりの状態で飛び上がった。
「あれっ!ここって!?俺の部屋!?背中っ!首ッ!ってあれ?痛くない。」
結城はひとしきり体中をまさぐった後、魂が抜けたようにポカンとなった。
「…夢??」
あまりにもリアルな夢だったと結城はしばらく頭が混乱していた。
結城の背中に突き刺さったナイフの鋭い感覚が未だに脳裏から離れない。
結城は呆然としながらデジタル時計を凝視した。
「12月18日…?え、待てよ、クリスマスは今日のハズだろ?」
自分の記憶に自信がなくなり、慌ててスマートフォンを手に取る。そこにも同じ日付が表示されている。
「何だこれ…。夢の続きなのか?それとも俺、時間を巻き戻された?」
夢の中で感じた生々しい感触が、今も背中や胸元に蘇る。
手を無意識に鎖骨のあたりにやるが、もちろん傷跡なんてどこにもない。ただ、触れた部分がじんわりと痛む気がして、結城は思わず身震いした。
その瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。
「おい結城、早く起きろって!遅刻するぞ!」
幼馴染の桐谷翔が顔を覗かせる。学校までの道中をいつも一緒に歩く間柄で、朝はだいたいこうやって起こしに来るのが日課だった。
「お前、また徹夜でもしたのか?顔色ヤバいぞ」
翔の言葉に返事をしようと口を開くが、どこか現実感が乏しく、声が出ない。ただ「いつも通り」の様子の翔に、かすかに安堵しつつも、さっきの夢がどうしても頭から離れない。
「…なあ、翔。12月25日のクリスマスパーティー、行くんだよな?」
唐突に尋ねると、翔は怪訝そうに眉をひそめる。
「は?何言ってんだよ。当たり前だろ。お前が発案したんだから、忘れるわけないだろ」
そうだ、自分が提案したイベントだ。結城は小さく頷くと、ようやく布団から抜け出した。
「悪い、ちょっと準備するから待っててくれ」
表面上は平静を装ったが、心の中は嵐のようだった。
学校へ向かう道すがら、結城は夢と現実の齟齬についてずっと考え続けた。クリスマスの日に刺されたこと、そして謎の人物が自分にキスをしたこと。それが「夢」だと言い切るには、あまりにもリアルすぎた。
さらに妙なことがあった。夢の中で聞こえた「猟奇殺人鬼X」という言葉。それについて結城は心当たりが全くなかった。しかし、学校に着いてからすぐ、その謎がさらに深まることになる。
教室に入った瞬間、何気なく耳にしたクラスメイトたちの会話が、結城の心臓を鷲掴みにした。
「なあ、聞いた?『猟奇殺人鬼X』って、また被害者が出たらしいぞ。もう11人目だってさ」
その言葉に、結城の脳裏で昨日の夢が一気にフラッシュバックした。
「13人目」と、犯人が呟いていたあの言葉が…。
「嘘だろ…そんな…」
結城の足元がふらつき、視界がぐらりと揺れる。夢ではなく、現実に繋がる何かが、この出来事にはあるのかもしれない。
この瞬間から、結城の平凡だった日常が、狂気と謎に満ちた運命の渦へと巻き込まれていくことになる。
Xの最初の殺人は富士の樹海に来ていた自殺志望の少年。少年の後をつけ、首を吊る瞬間に少年を抑えつけ、馬乗りとなりその柔らかい腹に何度も何度も鋭いナイフを突き立てた。
少年は無抵抗であったが、最後の力を使い懸命に一言を絞り出した。
「ぼ、僕の事を…忘れないで…」
一言言い終えると少年の目は光を失い虚無を見つめる。
「忘れる訳ないよ!コレってばさぁ、愛ってヤツだよねっ!?」
そして、Xは嬉しそうに少年の血に塗れた唇にキスをするのであった。