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大事な大事な宝物 ~パパと呼ばないで~

作者: 青三斎

凝った設定もなく、恋愛物が書きたくなってしまいました。

楽しんでいただけると幸いです。

 会社で仕事をしていると、事務のお姉さんから「警察から電話がかかって来ていますよ」の一言に社内がザワッとした。

 身に覚えのない突然なことに少しドギマギしながら電話に出た。


「失礼いたします。私、〇〇警察の△△と言うものですが、北川修也さんで間違いないでしょうか?」


 俺はテレビドラマのワンシーンを思い浮かべた。


「は、はい。その北川修也で間違いありません」


 少しドモりながら返事をした俺は、内心で『格好が悪いなー』とか思っていた。


「何度か携帯にお電話をさせていただいたのですが、お出になられないようでしたので、会社に電話をさせていただきました」


「いえ。それは構わないのですが、俺何かしましたか?」


 いったん落ち着くと『逆に何故警察が?』といった思いが心を埋め尽くした。


「そういったことではありません。北川愛美さんはあなたの奥様で間違いないでしょうか?」


「は、はい。北川愛美は俺の妻です。え? 何かあったんですか?」


 愛美は今年で32歳となる俺の7歳年上の妻で間違いない。俺の実家からは猛反対の末に1年前結婚をした新婚ほやほやだ。


 え? もしかして妻に何かあったのか? 事故? いやいや、今日はパートも休みで家にいると言っていたが……?

 不倫? だったら何で警察が? それに夫婦仲は悪くないし……


「落ち着いて聞いてください。愛美さんは買い物の帰りに事故にあいまして、××病院に搬送をされています。…… 北川さん?…… 聞こえていますか?」


 ここからの俺は記憶が曖昧だ。


 直ぐに病院に向かうこと。

 会社の上司と何か話したこと。

 実家に電話をし、何かを話したこと。

 気が付いたら病院にいて、赤いランプを見続けていたこと。

 愛美の遺体の手を握り泣き続けたこと。


 その全てが曖昧だ。


 記憶がはっきりしたのは、霊安室に母と駆け込んできた由香の顔を見たときだった。

 北川由香は今年11歳になる愛美の亡くなった前夫との間に出来た連れ子だった。年の離れた姉さん女房だけでなく、連れ子がいたのが実家から猛反対のあった理由である。


「いや~。嫌だよ。お母さん。…… ねぇ。お母さん、…… 一人にしないでよ!」


 愛美の肩に顔を埋めながら震えながら泣き叫ぶ由香の後姿を見て、俺がしっかりしないといけないと認識させられた。


 どれくらい時間が経ったのだろうか、すすり泣く声も収まり、ある程度気持ちが落ち着いてきたであろう床の頭を撫でた。


「…… 修…… ちゃん。…… グズッ」


 振り返り、俺の顔を見た由香は、俺の胸に顔を埋め小さな声で泣き出した。

 まだ俺のことを『パパ』と呼ぶことを恥ずかしがっている由香をギュッと抱きしめた。


「大丈夫。どれだけ泣いてもいいよ。ずっと俺が由香の側にいるから」


 俺はこの時、妻の宝物を守ることを決めた。




 そこからは大変だった。

 遠方に住む、駆けつけた義父母が「由香を引き取る」と言ってきたり、前夫の財産や死亡保険金を狙った愛美の親戚が「血が繋がらない赤の他人に由香ちゃんを育てさせるのも……」と言ってきたりと。

 俺の想いだけでなく、由香が「修ちゃんと一緒に暮らしたい」と言ってくれたのが、決め手になったのだろうと思う。だが俺は義父母以外の親戚と由香は二度と合わせないと決めた。


 まだまだ会社で新人に毛が生えたような俺は忙しく、由香が小学校の間は、近場に住む俺の親に相当助けられた。俺の事情を考慮してくれた会社と家事を覚えた由香のおかげで2年もたつと二人で生活をしていくことが出来た。


「由香。家事をしてくれるのは本当に助かっているし、とてもありがたいんだが、由香はまだ中学生だ。もっと自分の好きなように時間を使っていいんだぞ。俺も家事を手伝うから、友達と遊んだりしたらどうだ?」


 何時も家事をしてくれる由香に申し訳なく思い、いつもの言葉で由香に話しかけた。


「フフッ。修ちゃん、いつもそればっかり。私は好きで家事しているんだよ。修ちゃんが日曜日は手伝ってくれるから、私は楽をさせてもらってま~す。それに日向ちゃんとは、よく遊んでるから心配ご無用です」


 いつものように由香には返答された。しかも最後は揶揄われるように。


「日向ちゃんって、一歳年上の女の子だろ? 同学年の友達とかは?」


「頭のいい日向ちゃんと遊んでるほうが、修ちゃんとしては安心じゃないの?」


「そりゃ安心だが、遊ぶっていっても勉強を教わってるだけだろ? 日向ちゃんのお母さんから聞いたぞ」


「勉強するのはいい事じゃない。それなら日向ちゃんのお母さんに嫌味でも言われた?」


 何を言われたか予想がついてるんだろう。由香は勝ち誇ったように言った。


「い、いや。日向ちゃんの復習にもなって、成績も上がったってお礼を言われた。今後ともよろしくお願いしますってさ。…… それなら、塾に通うか? 友達もできるぞ」


「もう! それならいいじゃない! そ・れ・に! 塾は勉強しに行くんです! 友達を作る場所ではありません!」


 子供らしく頬を膨らませ、由香は怒っていることをアピールしてきた。


「そ、そうだけど…… ご、ごめんなさい」


 俺は由香が丁寧な口調で怒りだすと勝てないことが分かっているので、そうそうに白旗を上げた。


「よろしい。それに私も怒ってごめんなさい。それより、今週の日曜日はお出掛けしようよ。私行きたいとこがあるんだよね~。前回はお爺ちゃんとお婆ちゃんと一緒だったから、今回は二人だけで行こうよ」


 すぐに気持ちを切り替えると、由香はパソコンを立ち上げて、行きたい場所について俺にプレゼンしてきた。


 最初は俺に遠慮をしていた由香だったが、自分の気持ちを俺に言ってくれるようになったのは最近のことだ。ほとんどの家事を由香がすることで、家族の一員としての自信がついてきたのかも? と、俺は思っている。

 ただ、由香の口調から友達と思われているかもといった不安は拭い去れないが。


「行きたいところに一緒に行くのはいいんだけど、そろそろ『パパ』って呼んでくれても……」


 俺の言葉は途中で遮られた。


「はぁ? またそれ?」


「う、うん。『パパ』が嫌なら、『お父さん』でもいい……」


「ごめん。無理。修ちゃんは『お父さん』って感じしないから」


 早々に否定された俺はあからさまに落ち込んだ。


「そ、そう……か」


 俺は愛美が亡くなった時の由香の「一人にしないで」と泣き叫んだ言葉が、どうしても頭を離れない。


 俺は由香の父親になれているんだろうか?

 俺は由香の家族になれているんだろうか?

 俺は由香から頼られているんだろうか?


 この思いが常に頭を悩ませていて、由香に対して自信が持てていなかった。


「…… でも…… 愛情は持っているから安心してよね。じ、じゃあ、日曜日はここで決定ね」


 そう言うと、由香は慌てて自分の部屋に入っていった。


 俺はこの一言で心が救われたような気がした。

 血の繋がらない歪な家族かもしれないけど、初めて今までの俺は間違ってなかったんだと自信を持つことが出来た。




 それからは穏やかに時が流れていき、由香は都内でも有数の進学校に合格をして高校二年生となった。

 俺も順調に出世を果たし、数人の部下を持つまでとなった。

 そんな俺の今の懸念と言えば、会社が忙しくなり帰宅が遅くなったことと、未だ『パパ』と呼ばれないこと、由香に今まで彼氏がいたことがないことだった。


由香は大人の目から見ても美人だと思う。目元なんかは愛美に似ていて、たまにドキッとすることがあった。それに性格もよく、ハッキリと思いを伝える言葉は少しキツイと思うこともあるが、相手のことを想っていったのだと分かると逆に可愛いとさえ思う。

 やっぱり、知らず知らずのうちに由香に負担をかけてしまってるかと思い、帰る方向が同じ部下に相談をしていたりする。


「いつも言ってますが、部長の考えすぎですよ。私も大学生になるまで恋人いませんでしたよ。高校時代に恋人がいないのって普通ですよ」


「で、でもさ。由香は美人だし、性格もいいんだぞ。そりゃ、友達は少ないようだけど、狭く深く付き合えるタイプなんだ。そんないい子を男は声を掛けないはずがないだろう? そりゃ、声をかけてきた男は潰すが……」


「それは、親の欲目ってやつでは……? てゆーか、部長~! 遠回しに私のことをディスってませんか?」


 相談していた部下から、ジト目で睨まれる。


「い、いや。き、君のことは……何というか。そう。か、可愛いと思ってるよ」


「ハハッ。そんなシドロモドロ言われても、さらに傷つきますよ。でも分かってますよ~。部長は由香ちゃんラブですからね」


 俺の慌てる姿に部下は笑い出した。


「す、すまない」


「もういいですよ。あっ、そろそろですね。ここまで送っていただき、ありがとうございます」


「俺の方こそ相談に乗ってもらって、ありがとう。最近ようやく来た反抗期なのか少しぎくしゃくしていてね。少し心が軽くなったよ」


 遅い時間になったため、近くまで送り届けた部下と別れ、来た道を引き返し俺は家に帰った。

 その家には、いつも夕飯の準備をしている由香がいなかった。


「え? 由香? 体調でも悪いのか?」


 由香の部屋をノックして入ったが明かりはついておらず、ベッドにも人がいる痕跡はなかった。

 ふとリビングの食卓に目を向けると、一枚の紙が残されていた。


『修ちゃんへ


 少し考えたいことが出来ました。

 日向ちゃんの家にしばらく泊めてもらいますので、安心してください。

 朝と夜のご飯は作って冷蔵庫に入れています。

 明日以降も冷蔵庫に入れておきますので、コンビニで済ませないようにしてください。


 由香』


 一先ず由香が事故にあったのではないことに気が抜け、床に暫く座り込んだ。


 日向ちゃんの家に電話をすると、実際に由香がお邪魔しているようで、日向ちゃんのお母さんにも「しばらくは預かりますよ」と心よい言葉を貰った。反対に俺は恐縮してしまい、「すみません」を連呼するしかなく、日向ちゃんのお母さんには終始笑われてしまった。

 由香のほうも俺とは話をするのがためらわれるので、しばらくはメールでのやり取りとなった。


『とりあえず、無事で安心したよ。由香が落ち着いて話が出来るようになったら、折り返し連絡をくれ』


 既読はついたものの返信はなく、なかなか寝付くことが出来なかった。


『おはよう。心配をかけてごめんなさい。冷蔵庫に入っている朝ご飯はきちんと食べてね』


 朝の由香からの返信で、由香とつながりが持てたことに安堵の溜息が出た。由香の律儀な性格に笑いがこぼれる。


『おはよう。ちゃんと食べるから安心して。日向ちゃんのお母さんに良くお礼を言うんだよ』


 そして、俺は会社からの退勤時にメールが届いているのに気が付いた。


『そろそろ、会社から帰るころかな? 夕飯と明日の朝ご飯は冷蔵庫に入ってるよ。洗濯ものは畳んでクローゼットに片付けてるからね』


『今から帰るよ。わざわざご飯を用意してくれてありがとう。ご飯も洗濯も自分で出来るから心配しないで』


 俺がメッセージを送ると直ぐに既読になった。


『修ちゃんは気を抜くと外食やコンビニになるから、私が作ります。洗濯も二、三日ほったらかしにするつもりだろうから、お任せできません』


 メールでも怒った時は丁寧な文章になるだと思い苦笑してしまう。


「あれ? 部長何かあったんですか?」


 その様子を見て部下が声をかけてくる。


「ああ。今ちょっと由香が家出しててな。遅れてきた反抗期だと思うんだが、家出の理由が分からないんだよなー」


 俺はそう言うと、いつもの相談の流れで昨日の出来事を話した。


「へ~大変でしたね。私も経験ありますよ。でも、それなら何で笑ってたんですか?」


「ああ。由香からのメールが面白くてな」


 そう言うと俺は携帯の由香とのやり取りを見せた。


「ふむふむ。 え? これって……」


 携帯の画面を見て一瞬硬直する。


「ん? 何か変か?」


「いやいやいや。これって親子の会話じゃないですよ」


 携帯の画面を俺に見せつけ、近づいてくる。


 俺と由香とのやり取りなんだから、見せなくても分かっているんだがな。


「由香が俺を父親として見てくれないのは、お前に相談してただろうが!」


 携帯を奪い取り、部下の頭を掴んで引き離した。


「いやいやいや。部長のほうも父親として接して無いじゃないですか! 私はそこまで聞いてないですよ」


「だから、そのことを相談してたんだろうが。由香との関係が家族より友達の関係に近いって!」


「だから! その認識が間違ってるんですって! これは同棲中のカップルか夫婦のメール内容ですよ」


 すごい剣幕に俺は少しビビってしまう。


「カップル? 夫婦? 俺と由香が?」


 俺は小首をひねる。


「ダメだ~! 誰がどう見てもカップルって言いますよ。これ絶対に由香ちゃんは部長のこと好きですよ」


「お、お前は何を言ってんだ? 現実を考えろ。高校生がこんなオジサンを好きになる訳がないだろ」


「部長こそ何を言ってるんですか! 由香ちゃんが小学生の時の部長はオジサンじゃなく、お兄さんでしょう? それに…… あっ! そういえば由香ちゃんとぎくしゃくし始めたのって最近でしたよね?」


「あ、ああ」


 何だか部下に詰問されているような気がして、背中に冷汗が垂れてくる。


「私が部長に送ってもらってるのも一週間前からでしたね」


「企画が通って、帰りが遅くなり始めたのが10日前からだな」


 何やら考え込んでいる部下に話しかけた。


「それだ。……もしかして、見られてた?」


「何を?」


「分かりました」


「何が?」


「部長! 由香ちゃんに直接会って話をしてください」


「何で?」


「何でこんなに鈍いかな? いいから明後日の日曜日に直接私との関係は上司と部下の関係だと言ってきなさい! 時間を置いたら、取り返しのつかないことになりますよ!」


「は、はい!」


 部下の強い口調に思わず返事をしてしまった。

 そして、これ以上は何も教えてもらえず、部下を送っていくこととなった。

 部下曰く「由香ちゃんから直接聞きなさい」だそうだ。




 俺はお礼も兼ねて、日曜日に日向ちゃんの家にお伺いできないかとアポを取った。

 由香が俺のことを好きだと断定する部下の言葉を否定したいのだが、その反面で「まさか?」と思う俺がいるのも事実だった。

 その事実と向き合えないまま日曜日になり、日向ちゃんの家のチャイムを押した。


「いつも由香がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


 と言って、お土産を日向ちゃんのお母さんに渡した。


「あらあら。こちらこそ手間を掛けさせてようで、ごめんなさいね。由香ちゃんのことは日向の妹だと思ってるから、謝らなくていいんですよ」


 俺より年上の日向ちゃんのお母さんが居間へと案内してくれた。


「あなた。北川さんがわざわざ駅前のプリンを買ってきてくださったわよ」


 日向ちゃんのお父さんの向かい側のソファに案内をされた。


「うちの由香が長い間お邪魔してしまい、申し訳ありません。何かご迷惑をおかけしてないでしょうか?」


 俺はお父さんに向かって頭を下げた。


「いやいや。由香ちゃんは本当にいい子だから、何にも迷惑を掛けられてないよ」


 由香が中学校からの家族付き合いということもあり、日向ちゃんのお父さんとの仲は悪くない。俺とも気が合い、娘を持つ父親の後輩として可愛がってくれている。


「それを聞いて一安心です」


「それに由香ちゃんのおかげで家族での会話が増えたからね。ずっとこの家で暮らして欲しいくらいだよ」


 恐らく社交辞令なのだろうが、お父さんはそう言うと「ワハハッハー」と笑った。


「あらあら。あなたは日向に構いすぎるんですよ。いつか日向に嫌われてしまいますよ」


 実は日向ちゃんはお父さん大好きっ()で、お父さんも家族大好きっ()なのだ。


「それはそうと、由香は今どこにいますか?」


 由香が姿を現さないことにしびれを切らし、俺はお母さんに尋ねた。


「今は、日向と買い物に行ってますよ。その前に修也さんとお話をしようと思い、早めに来てもらったんですよ」


「話…… ですか?」


 お母さんの言葉に俺は生唾を飲み込んだ。


「ええ。修也さんは由香ちゃんの家出に何か心当たりでもありますか?」


「いえ。情けない話ですが、今の今まで反抗期と思っていたぐらいでして……」


 俺は部下の言葉を頭の片隅に追いやった。


「そうですか。私としては、修也さんと由香ちゃんの家族としての関係に齟齬(そご)があるように思うんです」


「ゆ、由香が何か相談したんでしょうか?」


 俺は何故か背筋が凍るような気がした。


「いえ。日向と由香ちゃんを長年見てきた母親としての勘というものでしょうか」


 俺はお父さんを見た。


「すまんが、俺にはそんな勘はないよ。妻から聞いて理解はしたがな。ただ……納得というか対応というか……俺からは出ない解答だから、俺では話を聞くことぐらいしか力になれんと思う」


 お父さんは困った顔でそう言った。


「そうですか」


「修也さんが由香ちゃんと話をして、どういった結論になるかは分かりませんが、修也さん自身がきちんと由香ちゃんと向き合ってあげてください」


「はい。分かりました。由香は俺と妻の大事な娘です。しっかりと向き合うつもりです」


 俺がそう言うと、お母さんは困ったような溜息をついたが、俺は気付かないフリをした。


「「ただいま~」」


 買い物から帰った由香と日向ちゃんが今に顔を出した。


「あっ。修ちゃん。早かったんだね」


 早めに来ていた俺に会うと一瞬喜んだ顔をして、すぐに悲しい顔に変わった。


「ああ」


 数日ぶりに元気そうな由香と会えたことで、少し嬉しくなった。メールのやり取りをしていたとはいえ、直接顔を合わせたことで安心したのだろう。


「あらあら。それでは、居間は自由に使って構いませんからね」


 そう言うとお母さんとお父さんは立ち上がった。


「いえ。そこまでしてもらうわけにはいきませんよ。どこかカフェにでも行きますので……」


「そんな気遣いは無用だよ。私たちは別室に行ってるから、ゆっくり話しなさい。さぁ、日向も」


 そう言ったお父さんは、日向ちゃんにも声をかけた。


「いや。私も話を聞く。口を出さないから私も参加させて」


「日向」


 優しいが、有無を言わせない雰囲気でお母さんが日向ちゃんを呼んだ。


「ごめん、お母さん。でも、由香は私の妹なんだよ。由香からも色々話を聞いてるし、直接話を聞かせて欲しい。絶対に口を挿まないから! お父さん、お母さん、オジサン、お願い」


 俺たちはどうしたものかと思い黙ってしまったが、由香が「日向ちゃんがいたほうが私も話しやすい」と言うことだったので、日向ちゃんも含め三人で居間に残ることとなった。


「心配をかけて本当にごめんなさい」


 開口一番で由香は頭を下げてきた。


「それに関してはビックリしたけど、怒ってないよ。日向ちゃんのお父さんとお母さんには、再度お礼を言わないとダメだよ」


「うん。オジサンとオバサンにもちゃんと謝罪とお礼を言うつもり」


 そう言うと、しばらく沈黙が続いた。


「でさぁ。家を出て言った理由って、俺が夜に部下を送って帰ったのが原因かな? もしかして見てた?」


 俺がそう言うと、由香は俯いた。


「…… うん。調味料が切れちゃったから……コンビニに買いに行った帰りに……修ちゃんが……女の人と歩いているのが見えた」


「そっか。ただ、彼女は俺の部下ってだけで、特別な感情は持ってないよ。最近仕事が忙しくなってきてただろ? 帰る方向が同じだったから、近くまで送って帰っただけだよ」


 俺は意識して優しく言った。


「それは…… 分かってる。でも……でもね。その時私思ったんだ。私が修ちゃんの幸せ奪ってるんじゃないかって」


 俺は、由香が何を言っているのか分からなかった。


「え? 俺の幸せ? 奪う? 由香が?」


 俺はバカみたいに由香の言葉を繰り返した。


「うん。私が…… い、いなかったら、修ちゃんは……あ、新しい恋人が出来たんじゃないかって。…… ママが死んじゃった時、修ちゃんは25歳でしょ。まだ若いし、仕事も…… 恋愛もこれからで、いくらでもやり直せたんじゃないかって」


 俺は由香の話を黙って聞いた。

怒りはある。悲しみもある。でも、それは由香に対してじゃない。由香にそう思わせた自分自身かもしれないが、それだけじゃないような気がする。


「わ、私は修ちゃんに引き取られて、すっごく嬉しいよ。で、でも……修ちゃんはもっと幸せになれたんじゃないかって思うと、それは否定できなくて……新しい奥さんとか……それで、少し考えたかったの。まだ、分かんないけど」


 言い終わった由香の目からは涙がこぼれ、膝においた手を濡らしていた。


「由香。…… まずはそんなに不安にさせたことを謝らせてくれ。本当にごめんなさい」


 俺はそう言うと、頭を下げた。


「由香がそれだけ悩んだってことは、俺は幸せそうに見えたってことだよね? それで、もっと幸せになれたんじゃないかってことだよね?」


 そう言うと、由香は黙ってうなずいた。


「俺さ。これ以上の幸せが分かんないんだよね。周りの分かってない連中は「大変だね」とか「お前の人生が~」とか言う奴はいたんだけどな。でも、過去を振り返った時に思い出すのは、『由香と一緒に料理を作ったけど失敗して不味いって言いながら二人で笑いながら食べたな』とか」


 俺は目を瞑って、思い出しながら話す。


「他にも『久しぶりに遠出しようって話をして夜遅くまで話し込んで、結局二人とも寝過ごして昼前に起きちゃって出前を取って映画を見たり』とか、本当に楽しかったよな」


「グズッ。…… 失敗ばっかり」


 由香が少しだけ笑った。


「そんなことでも楽しくて幸せだったんだよ。他にも色々覚えてるぞ。『由香と初めて見に行った映画で、感動して泣いた』こととか『高校の合格発表で番号があって、嬉しくて泣いた』こととか……な」


「今度は泣いてばっかり。……ズズッ。それに泣いたのは修ちゃんだし」


「そうだったっけか? どれもこれも俺にとっては大切な宝物だよ」


 俺は由香を見ながら言った。


「……本当に?」


「由香は俺の嘘を簡単に見破れるだろ?」


「修ちゃんは分かりやすいもん」


「ハハッ。それに……さ。俺が未来を思い浮かべたときって必ず笑顔の由香がいるんだよ。会社の上司に美味しい昼ご飯をごちそうになった時は『今度由香と食べにこよう』とか、街中で可愛い服を見かけたら『この服って由香にも似合いそうだな』とか」


「う……うん」


「だから、俺には由香がいない未来が想像できない。由香を笑顔にできない俺は俺じゃないんだよ」


「うん。……うん。ありがとう」


 由香はまた涙をこぼしながら、頷いている。

 しばらく続いた沈黙を破ったのは日向ちゃんだった。


「由香。それだけじゃないよね。全部言わないと後悔しちゃうよ」


 由香はその一言で肩をビクッと揺らした。

 それでも由香は口を開かなかった。


「由香。まだ不安や心配事があるのか? 全部聞かせて欲しい」


 俺がそう言うと由香は、日向ちゃんに見つめられる中、小さく浅く深呼吸をした。


「わ、私ね。修ちゃんが私を育てるために、父親として頑張ってくれていることを分かってるの。…… でも! でもね。無理なの」


 由香の声が震えている。


 俺は聞きたくない。でも、由香が勇気を振り絞って言うことだぞ。

 聞いちゃいけない。聞いたら今までの関係に戻れない予感がある。


「な、何が…… 無理なんだい?」


 涙に濡れた由香が俺を見つめてくる。


「私。…… 私ね。修ちゃんをパパと呼べないの! こんなに私のために一生懸命な修ちゃんをパパだとは思えないの! ごめんね。修ちゃんのことが好きになってしまってごめんね。…… 家族としてでなく!…… 父親でもなく!…… 男として好きになってしまって…… ごめん…… な…… さい」


 由香の言葉は最後のほう嗚咽交じりだったが、なぜかはっきりと聞き取ることが出来た。由香の心の、魂の言葉だと理解することが出来た。


 そして、しばらくの間静寂に包まれた。

 その間、俺は男としてどう答えたらいいのか考えていた。


「由香。突然のことで何て言ったらいいのか分からないが、ありがとう。しばらく考えさせてくれないか」


 俺はそう言うのが精一杯だった。

 その後は、お互いに話をすることも出来ず、日向ちゃんのお母さんにはもうしばらく由香を預かってほしい旨を伝えて帰路についた。




 由香と話をしてから五日間が過ぎた。

自分でも分かるぐらいに仕事以外では腑抜けたと思う。由香と会わないし、メールもしない日々がこんなに味気ない日々だとは思ってもいなかった。

ただ、その間も由香は俺のご飯を作り、洗濯ものや掃除をしてくれているようだった。


「部長って本当に自分の気持ちに鈍感ですよね。外から見てると分かりやすいのに」


 詳しいことを話したわけじゃないのに、部下から言われた一言に憮然(ぶぜん)としてしまった。そんなに俺って分かり易いのだろうか。そう思いながら土曜日の仕事が終わって家に帰ると、日向ちゃんが待ち構えていた。


「いらっしゃい。どうやって……あぁ。由香の合鍵か」


 ネクタイを緩めながら俺は言った。


「お邪魔してます。オジサンの答えが出たかなって思って来たんですが…… まだみたいですね」


 日向ちゃんは分かりやすく溜息をついた。


「そうだね。自分の気持ちなのに、考えれば考えるほど分からなくなってくるよ。由香は俺の幸せを奪ったって言っていたけど、逆に俺が由香の幸せを奪ったんじゃないかってね。同年代の男性と普通に恋愛をする幸せがあったんじゃないかなって」


 俺はここ数日の間考えていたことを告白した。


「めんどくさい考えですね」


 日向ちゃんはそれをバッサリと切り捨てた。


「それを日向ちゃんが言うかい? 君の一言でこうなったんでしょ?」


 俺は日向ちゃんを軽く睨む。


「それは悪かったと思っていますが、反省はしてませんよ。あの場で言わないと由香の気持ちがうやむやになっていたでしょうから」


 日向ちゃんは悪びれずに言った。本当に悪かったと思ってるんだろうか?


「由香の気持ちをはっきりさせる必要があったのか?」


 俺は責める口調で言う。


「由香のことを想うなら、ありましたよ。あのままだと由香の心は壊れていたと思います。お互いに依存しあって、変に気を使って……はっきり言ってしまえば気持ち悪いですよ。あんなのは親子じゃないですよ」


「君は!」


 日向ちゃんの一言に俺は語気を強める。


「怒らせたのなら、すみません。でも由香の気持ちを知っていたから思うことかもしれません」


「由香の気持ち……か。日向ちゃんはいつから知っていたんだ?」


 由香の名前で頭が冷えた。


「私が気付いたのは、由香が中3の頃ですね。時折、悲しそうな…… 苦しそうな表情を浮かべることがあったので、最初はいじめられてるんじゃないかって思って問いただしたんです。受験学年ってこともありましたから」


「中3から……」


「オジサンにお願いがあります。由香のことを父親としてしか見れないなら、きっぱりと振ってください。そうしないと、由香は前を向けません。もう無かったことにして、家族として暮らしていくなんて無理だと思います」


 口調は丁寧だが、日向ちゃんの切実な思いが伝わってくる。


「由香があんな気持ちを抱えたまま生きていくなんて…… あんな表情を浮かべる由香なんて…… 私は見たくない!」


 日向ちゃんの目から涙が溢れる。


「人を好きになって、謝るなんて……そんなのおかしいよ! オジサンは由香と過ごした6年間は父親としての気持ちだけだった? 私にはそうとは思えない! 由香のいないこの1週間以上は父親として由香を心配して、由香を想ってた? 私には…… そう思えないよ」


 日向ちゃんの気持ちが痛いほどぶつけられる。

 日向ちゃんの言葉が由香と過ごした6年間を思い出される。

 日向ちゃんの涙がいつ頃からか俺の二をした気持ちをこじ開ける。


「そうだね。好きになって謝るなんて、そんなおかしなことなんてないよね。俺は由香のことを宝物だと思い込み、傷つけないようにガラスケースに閉じ込めていただけだったんだ」


 俺はそう言うと、長い息を吐く。


「俺は由香を女性として愛してる」


 その一言を口にするだけで、心が軽くなった。


「ごめん、日向ちゃん。由香をすぐに迎えに行ってくるから、ここで待ってて」


 ひとたび自分の気持ちに気付いてしまえば、居ても立っても居られなくなってしまった。

 俺は慌てて靴を履き、玄関を開いた。


「……由香?」


 そこには携帯を耳に当て、泣いている由香がいた。


「由香!」


 俺は思わず由香を抱きしめた。


「由香、ごめん。待たせて、ごめん。辛い思いをさせて、ごめん。本当にごめん。」


 俺は由香を抱きしめながら、何度も何度も謝った。

 すると由香は俺の顔にゆっくりと手を当ててきた。


「人に好きって伝えるときに謝ったらダメでしょ」


 由香はゆっくりと俺の涙をぬぐった。


「ああ。そうだな。……由香。愛してる」


 俺はそう言うと、優しくキスをした。




 あれから一か月が経ったが、俺と由香の生活はあまり変わっていない。少しだけスキンシップが増えたのと、日向ちゃんに揶揄われることが増えただけだった。

 今となっては、前までの俺たちの関係が十分にカップルや夫婦みたいという部下の言葉に納得すらしてしまう。


「修也さん。今度の長期休みにママの方のお婆ちゃんとお爺ちゃんに会いに行くでしょ?」


 あれから、由香の俺の呼び方が変わった。


「そうだな。愛美の墓参りにも行きたいしな」


「どうする? その時に私たちの関係も言っちゃう?」


「あ~。そうだな。言わないと義理にかけるか。怒られるんだろうな~」


 いつかは言わないといけないと分かっていても、憂鬱になってきた。


「そこは、頑張ってよね。パパ」


 そう言うと由香は軽くキスをしてきた。


「お願いだから、パパと呼ばないで。申し訳ない気持ちになってくる」


 俺は困った顔でそう言う。


「私は今となってはいい思い出よ」


連載もしていますので、興味があれば覗いてみてください。

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