6 研究所にて①
波乱に満ちた一日目は、なんとか終えることができた。
エイシャ用に急にしつらえてくれた部屋だが、客室に置いていたベッドを持ってきてくれたようで十分寝泊まりができた。
また衣類やベッドカバー、抱き枕などは実家から持ってきてくれていたので、壁一枚隔てた先に異性の幼なじみがいるという状況でもなんとか、眠りにつくことができた。
……そうしていつもよりは浅いものの眠りについた――のだが。
「……ふぎゃっ!?」
いきなりどすん、どすん、という衝撃が走り、エイシャは太い悲鳴を上げた。
いつの間にかエイシャは、どこかの廊下に座り込んでいた。自分の背後には階段があり、そこから尻もちをつきながら落ちたのだと分かる。
(……え? あ、こ、これは、もしかして……!?)
ぱっと下の方を見ると、そこにあるのはがっしりとした太ももと――裸の上半身。
「……きゃああああっ!?」
「ディーノ様!? ……って、もしかしてエイシャ様ですか?」
内股になって裸の胸元を腕で隠しているエイシャのもとに来たのは、お仕着せ姿の青年。彼は確かディーノの従者の、ウルバーノだ。
「そ、そうよ! 私、さっきまで寝ていたのに……」
「あー、すみません、エイシャ様。ディーノ様は毎朝、庭で鍛錬をなさるのです。おそらく入れ替わってしまうことを忘れて、そのまま部屋を出てしまったのでしょう……」
「え、ええと……それじゃあ、近づいたら戻れるわよね?」
「おそらく」
ウルバーノの手を借りて重量のある体を起こしたエイシャは、よっこらせと階段を上がり――
「……エイシャ!」
「……ん?」
ディーノの声が聞こえてきたため、エイシャは目を覚まして体を起こした。
いつの間にかエイシャは、昨夜眠りについた部屋のベッドに寝ていた。
(……あれ? 私さっきまで、ディーノの体になっていたはずじゃ……?)
寝起きの頭でぼんやりと考えていたエイシャだったが、寝室のドアが叩かれた。
「エイシャ、そこにいるか!?」
「……あ、ディーノ?」
「そうだ。……悪い、俺がうかつに出歩いたから、おまえと入れ替わってしまった」
扉越しにディーノが謝ったので、エイシャはしばしぼうっと考えてから、ああそうだったと思い出した。
(ということは、私の体の方はまだ眠っていたから、こっちに戻ってきたときの私はまた眠りについていたのね……?)
それで階段にいたディーノは我に返り、慌ててこの部屋まで駆け上がってきたのだろう。
「私は大丈夫よ。……ディーノこそ、さっきうっかりお尻をぶつけてしまったけれど、大丈夫?」
「俺のことは気にするな。……起きる時間もそろえないといけないのは、辛いところがあるな」
「そうね……」
ひとまず扉越しの会話はそこまでとして、エイシャはクリスの手を借りて着替えをした。着替え用のワンピースも昨日実家から持ってきてくれているので、しばらくの間は困ることはないだろう。
「お待たせ」
「……おう」
扉を開けると、向かいの壁にディーノが寄り掛かっていた。彼も今の間に着替えたようで、きちんとシャツとスラックスを身につけている。
「どうやら私たちは、別の階にいたら入れ替わってしまうようね」
「だいたい半径十五メートルあたりか。……それ以上離れるのは、危険だな」
「そうね……早く解決策が分かればいいのだけれど」
そんな話をしつつ階下に向かい、使用人が準備していた朝食を食べる。
この屋敷にいる使用人は元々少なく、従者のウルバーノの他、調理担当が二人と掃除担当が二人だけだった。エイシャたちが子どもの頃はもう少し賑やかだった気がするが、ディーノの母が田舎に移動する際にごっそりと連れて行ったそうだ。また彼の父親も城で寝泊まりしているので、あまりここでの人手は必要ないという。
「今日は、妖精研究所に行く。既に連絡はしているから、すぐに話ができるはずだ」
向かいの席で上品に食事をするディーノが言ったので、パンをちぎっていたエイシャはうなずいた。
「まずは、相談してみないと始まらないものね。……でも、今日一日で解決するとは思えないわね」
「そうだな」
「まだ日にちが掛かるのなら……ディーノは仕事に行かないといけないわよね」
念のためにエイシャが問うと、ディーノは渋い顔でうなずいた。
「さすがに何十日も休暇を入れるわけにはいかない。父上にはなんとかして話を付けられるかもしれねえけど、あまりこういうのは他人に言うべきじゃないからな」
「そうよね……」
基本的に暇で時間に都合が付きやすいエイシャと違い、ディーノは騎士団で働いている。
(中級士官ということだから、特訓ばかりというわけじゃないはず。でも、だからといって四六時中私が付いているわけにはいかないし、入れ替わったときに困るし……)
悶々としつつも食事を終え、さっそく二人は出かけることにした。お付きはクリスとウルバーノだけで、ウルバーノが御者役を務めてくれた。
目的地である妖精研究所は、郊外にある。
王都の周囲はぐるりと高い塀で囲まれており、随所に門がある。王都から外部に出る際は基本的に身分証明は必要でないが、戻る際には人数分の身分証明をしなければならない。
「さっさと終われば午前中に帰れるだろうが、どうだろうな……」
「早く済めばいいわね」
そんな会話をしつつ、馬車は門をくぐった。
王都の外は東西南北に向けて交易路が延びており、この整備された道を進めばそれぞれの町にたどり着く。また町と町の間にも小さな村や集落は点在しており、王都周辺だと誰も住んでいない閑散とした場所はあまりない。このあたりも、牧場や農場があちこちに見られた。
妖精研究所は、王都を出て半刻ほど経った頃に到着した。
つるりとしたボウルを伏せたような形の建物は近代的で、よく見ると窓がない。
「噂には聞いていたが、変わった形の建物だな……」
「何か意味があるのかしらね」
門番に話をすると馬車を停めさせてくれたので、さっそく建物の中に足を踏み入れた。
外観は近代的だったが内装はごく普通で、病院のような雰囲気だった。
二人はすぐに室内に通され、妖精研究者の前の椅子に座った。
「どうも、こんにちは。私は妖精研究者の、イェスペル・エードルンドだ。ディーノ・ロヴネル君と、エイシャ・フォーリーンさんだね」
「ああ、よろしく」
「よろしくお願いします」
エイシャとディーノが並んで挨拶をすると、四十代とおぼしきイェスペルはカルテを取り出した。
「連絡は受け取っているよ。……昨日、ディーノ君が石に潰されていた妖精を助けた際、『祝福』を施された。そのせいで、お二人がある程度離れると体が入れ替わってしまうとのことだね」
「はい。……これ、なんとかなるのですか?」
「そうだね……正確な数字を出したいからまずは、少し実験をしてみようか。どうしても入れ替わってしまうことになるけれど、大丈夫かな?」
「まあ、仕方のないことだ」
「……なんとか我慢します」
「了解。じゃあ、やってみようか」