5 突然の同棲
王国には、妖精の起こす現象やその生態などについて研究する部署が存在する。エイシャは訪れたことはないが、王都から少し離れた町に研究機関があるらしい。
だが今日いきなりそこに行くのは難しいので、明日ディーノと一緒に行くことになり――まずはこれからの生活をどうするべきか、という話になった。
なんといっても、二人はある程度離れると体が入れ替わってしまう。普通に歩くだけでも気を遣い、しかも風呂やトイレとなると絶対に入れ替わるわけにはいかない。
不幸中の幸いと言うべきか、エイシャとディーノは幼なじみで、屋敷も隣同士だ。そしてディーノの父親はずっと城にいるし、母親はここ最近体調が優れないので療養地でゆっくり過ごしている。
よってロヴネル家の屋敷にいるのはディーノだけなので、彼の屋敷に泊まらせてもらうのが一番楽だろうということになった。
「……ごめん、ディーノ。父様がうるさくて……」
「いや、娘を持つ父親なのだからあれくらいで当然だろう」
夜になり、ロヴネル家の屋敷一階のリビングにて、エイシャとディーノは向かい合って座っていた。
先ほど二人でエイシャの両親のもとに行き、事情を話すことにした。両親は「ある程度離れたら娘と隣家の息子が入れ替わる」と聞いて最初は疑っていたが、これも必要なことだと割り切って二人が入れ替わり、ディーノの姿のエイシャが家族でしか知らない秘密をこっそりと両親に告げたことで、信じてもらえた。
そしていきなり二人の体が入れ替わらないようにするため、夜も近くにいるべきだということになった。寝泊まりする場所だが、なるべくこのことが外部に漏れないようにするためにも、人の出入りがあるフォーリーン邸よりも最低限の使用人しかいないロヴネル邸の方がよいだろう。
それに、エイシャの屋敷だからといって入れ替わりが発生しないわけではない。それなら、万が一の事態に備えてできるだけ周りの人がいない環境で過ごした方がいいのでは、ということになったのだった。
……エイシャの父は娘を退出させてから、ディーノと二人きりで何か話をしていたようだ。
おおよその予想は付いたのでエイシャはディーノに謝ったが、彼はあっさりとしていた。
「ひとまず、エイシャは俺の部屋の隣を使ってくれ。あそこなら侍女用の小部屋もあるから、困ることはないだろう」
「ええ、ありがとう」
ロヴネル邸にも使用人がいるが、何かあったときに相談できる相手がいた方がいいだろうということで、実家から一人だけ侍女を連れてきた。
侍女のクリスは元々屋敷のメイドだったが、数年前にエイシャ付きの侍女に昇格した。フォーリーン家の傘下である商家出身のクリスは仕事ぶりは優秀でエイシャとも気の置けない仲で、口も堅い。
少し離れたら、エイシャとディーノの体が入れ替わる。そんなことを外部の者に知られたらどんな噂になるか分からないので、この話をするのはエイシャの両親とごく一部の使用人だけということになった。
なおディーノ側には、ウルバーノという従者がいた。彼はディーノの母方の従弟で、元々作法を習うためにディーノに仕えていたが仕事ぶりがよいので、そのまま従者として側に置くことになったそうだ。
「俺は明日、休みを取っている。そこで郊外にいる研究者に会いに行くが……日常生活を送る中で入れ替わりが起きないよう、互いに気をつけないといけない。風呂やトイレなどで移動するときは、必ずウルバーノやクリスに伝える」
「……手間は掛かるけれど、仕方ないわよね」
服を着た状態ならまだなんとかなったとしても、風呂やトイレのときに入れ替わったらそれこそ大問題だ。おそらくだがエイシャの父も、ディーノに対してその点について厳重注意したのではないだろうか。
すぐにエイシャの私物がロヴネル邸に持ち込まれて、エイシャ用の部屋に運ばれた。
(これから妖精の力がどうにかなるまでは、ここで暮らすことになるのね……)
ドレスや小物などが次々に運ばれていくのをぼんやりと見守りながら、エイシャは思う。
子どもの頃はよく互いの屋敷を行き来しており、現在エイシャ用にあてがわれる部屋は当時、子ども用の遊び部屋だった。
もうエイシャには記憶がないが、小さい頃はその部屋でディーノや双子の兄と一緒に寝たりもしたらしく、エイシャの母は「あの頃はまるで、子どもが三人になったみたいだったわ」とよく言っていたものだ。
荷物が運び込まれたところで、今日はもう休もうということになった。
「悪いが、風呂には俺が先に入る。おまえは髪が長いし仕度に時間が掛かるから、待っている間に湯冷めするだろう」
「あ、ありがとう。でも、あなたはいいの?」
「俺はいい。それくらいで弱るような体じゃねぇし」
「確かに、思ったよりもあなたの体はたくましかったわね」
「……そういうことをあっさりと言うな!」
じろっと睨んで叱られたので、エイシャも自分の失言に気づいて口をつぐんだ。
まずはディーノが風呂に入ることになったので、お互いの体が入れ替わる基準の距離を念入りに確かめてから、ディーノとはバスルームの前で別れることになった。
「じゃあ、その椅子から離れるなよ」
「うん。ゆっくりしてきていいからね」
「……ああ」
ディーノは短く答え、ウルバーノを連れてバスルームに入った。
彼の入浴中はウルバーノが、エイシャの入浴中はクリスが側につき、万が一の場合に備えてくれるのだ。
「……クリスもごめんね。巻き込んでしまって」
「いいえ。他ならぬエイシャ様のためですので、お気になさらず」
椅子に座ったエイシャが謝ると、向かいに立つクリスは微笑んで首を横に振った。
エイシャは明日、ディーノと一緒に妖精研究者のもとに行くが、即日でこの厄介な「祝福」が解除されるとは思っていない。よって、明後日以降は騎士として仕事のあるディーノにエイシャが付き添う必要があった。
なんといっても入れ替わりの際に事故が発生しやすいのは、それぞれが服を脱ぐときだ。トイレは日中も行くのだが、二十四時間ずっとクリスを振り回すわけにはいかない。
よって彼女には主に、ロヴネル邸で過ごす際に付き添ってもらうことにした。
エイシャがディーノと一緒に外出している際はウルバーノと一緒に屋敷に残り、実家との連絡を取り合ったり使用人を動かしたりする。この秘密を教えている使用人もわずかなので、彼らをうまく動かす役目をお願いする必要があった。
「……こんなんじゃ、オスヴァルト様とのデートも無理よね」
「この前エイシャ様をお茶に誘ってくださった騎士様のことですよね?」
「ええ。……もしデートに誘われたとしても、必然的にディーノ同伴になるし」
「それはさすがにまずいですね……」
クリスは残念そうにうなずいた。
「もしエック様からのお手紙がありましたらすぐにお届けしますが、よい返事はできないですね」
「そうよね。……でも、困るのは私だけじゃないわよね」
ディーノは、石をどけて妖精を助け出した自分のせいだと思っているようだ。
そんなことはないとエイシャも言っているのだが、何だかんだ言って責任感が強くて面倒見がいいディーノは、「自分のせい」というのを引きずるだろう。
そしてエイシャにとっても不都合があるように、ディーノにとっても不自由な日常を送ることになる。
どこに行くのにもエイシャ同伴になり……そうなると、恋愛などもできなくなる。
(ディーノに恋人がいるとかいたとか、そういう話は全く聞かないけれど……その可能性も潰れてしまうのよね)
ディーノのことは気に食わない幼なじみだと思っているが、それはそれ、これはこれ、だ。
いくら好かない相手同士だろうとここからは、ディーノと協力していく必要があった。