4 厄介な「祝福」②
「妖精はたまに人間に不思議な力――『祝福』を施すらしいわ。だからあなたはディーノにお礼として『祝福』をしたいのね?」
『矮小な人間ごときが、わしに口をきくでない。口を慎め』
ディーノに対してはフレンドリーだったが、妖精は可愛らしい声で凄んでエイシャに向かって突進した――が、その途中でぺしっとディーノの手にはたき落とされた。
「おい、エイシャがおまえの居場所を見つけてくれたんだから、もうちょっと態度を改めろよ」
「いいのよ、ディーノ……」
『こっちの人間がそう言うのなら、改めてやってもいい』
妖精は偉そうに言ってから、ディーノの周りをぐるぐる飛んだ。
『人間、おまえは他人思いでいいやつなの。だからとっておきの『祝福』をしてあげるの』
「いや、いらねぇよ……」
『人間、おまえは慎ましくて素晴らしいやつなの! 遠慮せずともよいの! えーい!』
「あ、おい……」
ディーノが止めるのも構わず、妖精は彼の周りをぐるぐると回り――にわかに強い光があふれて、エイシャは思わず顔を手で覆って後じさった。
「きゃっ!?」
「エイシャ!?」
『ふー。よし、できたの! 最高の出来なの!』
光が収まった後、妖精は満足そうに言ってからふわふわと浮上した。
『それじゃあ、さようならなの! 人間、わしの力で幸せになるの!』
「は? おい、何を――」
二人が顔を上げたときにはもう、妖精は空高く上っていってしまっていた。
しばらくの間、二人は黙っていたが――やがて、ほぼ同時にため息をついた。
「……俺、妖精ってもっと神秘的なものだと思っていたんだが……なんというか、話を聞かないし面倒くさいやつだったな」
「そうね……。あの、ディーノ。さっきすごい光に包まれていたけれど、なんともないの?」
「ん? ……ああ、そうだな。特にこれといった変化はない」
ディーノは自分の両手や足下をさっと見てから、肩を落とした。
「……なんか、すげぇ疲れた。エイシャ、もう用事がないのなら帰った方がいい」
「……そうね。ディーノはまだ、お仕事?」
「ああ。でも今日は早めに帰るわ」
「そうした方がいいわ」
……妖精のおかげなのか、久しぶりに彼とまともな会話ができた気がする。
(……でも私も、なんだか疲れたわ)
「それじゃあね」
「……あー、その。門のところまで、送ろうか?」
「そこまでしなくていいわよ。あなたも仕事――」
歩きながらそう答えたエイシャだが――急に目の前がぐるんっと回転して、派手に尻餅をついてしまった。
「きゃあ!?」
「エイシャ……えっ?」
地面に倒れ込んだエイシャは、野太い悲鳴を上げた。
(……え? 野太い悲鳴?)
あれ、と思って顔を上げたエイシャは――自分の視線の先に赤い髪の令嬢が立っていることに気づき、ゆっくり瞬きした。
赤い巻き毛に、驚愕で見開かれた灰色の目。外出用の若葉色のドレスを着た彼女は――今日屋敷を出る前に玄関の鏡に映っていた自分と、全く同じ姿をしている。
「……私?」
「おまえ、まさか……」
正面にいる自分が、青い顔でつぶやく。そして彼女は自分の両手を見て、腕を見て、再びエイシャを見てきた。
「……おまえ、エイシャか?」
「え? あ、あれ? 私、なんで……?」
うろたえて出した声は、かなり低い。
それはつい先ほどまで聞いていた、ディーノの声で。地面に座り込んだままの自分の体は大きくて、脚も長い。胸に筋肉は付いているがぺたんこで、いつもとは体の動かし具合が全く違う。
(……えっ。ま、まさか……)
「あなた、ディーノ……?」
「おまえが、エイシャ……?」
お互い声を出してから、分かってしまった。
(……私たち、体が入れ替わっている――!?)
なぜかは知らないが、エイシャとディーノは体が入れ替わっていた。
「い、いやぁぁぁ! な、何これ!?」
「おい馬鹿! 俺の声で気持ち悪ぃ声を上げんな!」
「だって、え、なに、やだ、これ!」
「おまえっ……! 人の体にケチ付けてんじゃねぇ……って」
「わっ!?」
エイシャの顔を怒らせたディーノがずかずかと歩いてきた――瞬間、またしても視界がぐるんと回転して、エイシャはふらつきながらもその場に立っていた。
目の前には、ぽかんとした顔で座り込むディーノが。ただし、内股になって両腕で自分の体を抱き込むという格好をしている。
「……あれ?」
「戻った……」
「……あの、ディーノ。その格好は、やめた方がいいわ……」
「おまえがしたんだろう!?」
そう叫んで立ち上がったディーノは、自分の体をじっくりと見てから眉根を寄せた。
「……ちゃんと、戻っているな。何だったんだ、さっきの」
「……まさか、だけど。今のが、妖精の言っていた『祝福』だったり……?」
「それは俺も思ったが……なんで俺とおまえの体が入れ替わるのが『祝福』になるんだ?」
「分からないわよ……」
エイシャだって、いきなり男の体になるなんて意味不明なことになり、混乱しているのだ。
(妖精の不思議な力って、こんなとんちんかんなものなの!?)
「……わけが分からねぇ」
そう言いながら立ち去ろうとしたディーノだが――彼がある程度歩いたところでまた世界が回転した。
「わっ!」
「チッ! またかよ……」
今度はなんとかエイシャも踏ん張ったが、成人男性の体は思ったよりも重くて動かしにくい。ふらふらしつつ振り返るとそこには、大股開きで腕を組んでこちらを睨む自分の姿が。
「ちょっと! その格好、やめて!」
「わ、悪い」
そう言ってエイシャの姿をしたディーノがこちらに歩いてくる――と、またエイシャは自分の体に戻った。
二人が見つめ合うこと、しばらく。
「……つまり、だな。俺たちはあの妖精の力のせいで、ある程度の距離が離れると体が入れ替わるようになった……と?」
「……そのようね」
「……。……悪い。まさかこうなるとは思っていなかった」
ディーノがどう言い出すかと思いきや殊勝に謝ってきたので、エイシャの方がぎょっとして首を横に振った。
「あ、あなたが謝ることはないわよ。妖精を助けたのは、善意なんだし……まさかこんなことになるなんて、私も思わなかったもの」
「……」
「それに、あそこで見捨てていればそれはそれで後味が悪かったんだし……過ぎたことを後悔しても、仕方ないでしょう。これからどうするのか、考えよう?」
「……それもそうだな」
顔を上げたディーノは、神妙な眼差しでエイシャを見てきた。
「……それじゃあ。まずは……これから、どうしようか」
「……」
どうやら、問題解決まで前途多難のようだ。