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20 それぞれの奮闘~ディーノ~①

 ――頭が痛い。


 しつこく絡みついてくるこの臭いには、覚えがある。

 ディーノは騎士としての訓練の一環として、毒薬などに慣れるための練習をした。その際に、失神効果のある薬草の臭いを嗅いだことがあるのだが――それと同じ臭いがする。


 自分の体であればなんとか耐えられたこの臭いも、今のエイシャのか弱い体では抵抗できなかったようだ。


「……おや、お目覚めかな、僕の可愛い人」


 もぞっと身じろぎしたディーノに、声が掛かる。飽和量を超えるほどの砂糖を煮溶かした飲み物かのようにどろっと甘い声に、背筋に悪寒が走った。


 手足を縛られた状態でベッドに寝かされていたディーノは、顔を上げた。

 視線の先――ベッドの前の椅子に優雅に腰掛けていた黒髪の男が、暗く笑う。


「可愛いお姫様を、我が家に招待させてもらったよ。……寝心地は、どうかな?」

「……最悪よ」


 一瞬素の口調で話しそうになったが、今はまだ様子見だと思いエイシャの口調をまねた。


 新人の指導中、いきなり視点が変わった。

 目の前が真っ白な布で包まれ、吐きそうな臭いのする薬品を嗅がされ――自分はエイシャの体になり、今彼女は何者かに薬品を嗅がされて連れ去られようとしているのだと気づいた。

 だがエイシャの体では薬品にあらがえずに昏倒し、気がついたらこのベッドに寝かされていたのだった。


 よく見ると、部屋の内装はかなり豪華だった。調度品なども一式揃っており、奥にはバスタブさえある。

 この部屋だけで十分暮らせそうな広さだが――その内装が明らかに女性向けの可愛らしいものだったので、ディーノは思いっきり顔をしかめた。


 だがエイシャの中身がディーノだと知らないオスヴァルトは、くつくつと楽しそうに笑った。


「そんな強気なところも、素敵だね。……この部屋は、あなたのために準備したんだ。気に入ってくれると嬉しいな」


 嘘だろこいつ……と言いたい気持ちで、ディーノは改めて室内を見渡す。

 なるほど、ピンクや赤、白を基調としたデザインはいかにも年頃の女性が好みそうだが――オスヴァルトは、知らないだろう。

 エイシャが好きなのはピンクではなくて、黄色やオレンジ色なのだと。


 内心では嘲ってやりたい気持ちになりつつ、ディーノは体をよじってベッドの上に座り直した。


「……どうしてこんなことをするのですか」

「僕は、あなたのことが本当に好きになったんだよ。いつか色よい返事がもらえるだろうと思いきや……あなたはあの下品な男のせいで、男のふりをして汚れ仕事をさせられていた。そんなあなたを放っておけるわけがないから、こうして我が家に連れてきたんだ」


 なるほど、つまりここはエック邸のようだ。


 もしかしたら今頃、エイシャがいなくなったことで捜索隊が出ているかもしれないが……まさか、王家の血を継ぐエック邸に誘拐されているとは誰も思わないだろう。


 ……だが、幸か不幸か今のエイシャの体の中にいるのはディーノだ。気絶する寸前のことではあるが、エイシャはきっとオスヴァルトの犯行だと気づいているはず。

 ならば、ここで時間を稼げばきっと勝機が生まれる。


「そんなことありません。あれは……私がやりたくてやったことです」

「……なんということだ。あなたは健気にも、あの男をかばおうというのだね」

「……かばう?」


 ディーノが眉根を寄せると、椅子から立ち上がったオスヴァルトが歩み寄ってきて、ディーノの顎に触れようとした――ため、全力で顔を背けた。


「触るなっ!」


 あまりの気持ち悪さに、そして――エイシャの体をこれ以上触らせるまいという思いでつい素の反応をしてしまったが、オスヴァルトはさして気にしていないようで小さく笑った。


「あなたは知らなかったかもしれないが……ディーノ・ロヴネル。あの男は、とんでもない人間だ。あなたはきっと彼に弱みを握られ、あのような雑用小間使いの扱いを受けていたのだろう?」

「そんなことない……わ。私はディーノと相談して、小姓の仕事を――」

「あなたにそんなことを言わせているのは、あの男だね。……でも、大丈夫。僕が魔の手からあなたを救ってあげよう」

「結構……です! だいたい、私はあなたのことなんてなんとも思っていません!」


 確信があるわけではないが、少なくともエイシャはオスヴァルトのねちっこいところを嫌っているようだった。

 そう思って声を上げたのだが、オスヴァルトは笑みを深くするだけだ。


「それはあなたの本心ではないのだろう? ……でもしばらくすれば、僕の愛に気づいてくれるだろう」

「そんな日は何百年経とうと来な――うぎゃあああっ! 触るなクソ野郎!」

「おっと……」


 オスヴァルトの手が胸元に伸びてきたため、ディーノは叫んで身をよじった。おかげでバランスを崩してベッドから転げ落ちてしまったが、オスヴァルトとの距離は取れた。


 ぜえはあ言いながらディーノが起き上がると、ベッドを挟んで反対側にいるオスヴァルトが怪訝そうな顔をした。


「……思ったよりも荒っぽいお姫様だ。あの男に何か仕込まれたのか?」

「そんなことはっ……」

「まさかもう、抱かれたのか? 生娘ではないのか?」

「てめぇと同じにするなクソが!」


 またしても伸びてきた手から逃れ、ディーノは歯をかみしめた。


 ……自分とエイシャが入れ替わっているというのは、知られてはならない。特にこの得体の知れない男には、絶対に気づかれてはならないと思っていた。


 だが、今のディーノは手足を縛られた状態。元の自分の体だったらどうにでもなったが、エイシャの体を傷つけるわけにも……そして、この男に触れさせるわけにもいかない。


 ディーノはつばを呑み、挑戦的な笑みを浮かべた。


「……オスヴァルト。俺は、エイシャじゃない。おまえが心底嫌う、ディーノ・ロヴネルだ」

「……は、はは。何を言うのか、エイシャ嬢。そのような演技をして、僕を驚かせようというのかね?」

「だったら教えてやるよ。……騎士団詰め所の奥にある金庫には数字のパネルが付いているが、あれはフェイクだ。あの金庫はパネル操作じゃなくて、周りのダイヤル部分を一定方向に回すことで開く。開け方は、右に九十度、左に百八十度、右に二百七十度、左に百八十度。……これでどうだ」


 最初は薄ら笑いを浮かべていたオスヴァルトだが、騎士団の中級士官以上でないと知らされていない機密を耳にして、その笑みを消した。


「……まさかおまえ、本当に――」

「ああ、そのまさかだよ。……んで? てめぇはエイシャの体をした俺だと分かっていても、抱くのか?」

「……。……やる気が失せた」


 オスヴァルトは憎らしげに吐き捨てると、椅子にどかっと座り直した。

 ひとまず、オスヴァルトによってエイシャの体とディーノの心がズタズタに踏みにじられる事態だけは回避できたようだ。

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