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12 それはちょっと無理①

 エイシャがウルバーノと一緒に資料整理をしている、同じ頃。


 エイシャの姿をしたディーノは、げんなりとした気持ちをおくびにも出さずにこやかに、庭園散策に興じていた。


 庭園散策の会というのはつまり、ぶらぶらと庭を歩いていればいいのだろう、と思っていたし、エイシャも「まあそんな感じね」と言っていた。

 エイシャは嘘を言っていないし、彼女の体調が優れないことを分かっているから周りの令嬢たちも「無理はなさらないでね」と言ってくれるので、黙っていればよかった。


 ……ただ、この女だらけの空間にいるのもなかなか堪えた。


「……そうそう。あそこのご令嬢が、年配の伯爵と――」

「あちこちに遊び歩いてらっしゃるのでしょう? ほら、あの美貌とお体ですから」

「殿方を籠絡させるのも、たやすいことなのでしょうね」


 ディーノは、知らなかった。

 令嬢たちのあけすけな会話を聞くのが、これほど苦痛だったなんて。


 騎士団は男所帯なので、猥談や下品な会話はしょっちゅう耳にしていた。だからディーノも慣れているつもりだったが、女性には女性ならではのデリケートな話題がある。

 いくら会話に参加せずとも、庭園を歩いているだけであちこちからそういった話が聞こえてしまうので、気が滅入ってしまいそうだ。


 女性はただおしゃべりをして茶を飲んでいればいい、と思っていたのだが、訂正する。

 陰口、デリケートな話、ゴシップネタ、流行の話――どんどん流れてくる様々な話題の波にさらわれないように鉄壁の笑顔を貫くというのは、とても辛いことだった。


 もとの体に戻ったら絶対に、エイシャのことをいたわろう――と決めたディーノは、庭園をぐるっと回った後に主催者である王女に挨拶をして、ちらとクリスを見た。


「……そろそろ帰ってもいいか?」

「そうですね。最低限のことはなさいましたし、そろそろ戻りましょう」

「ああ」


 そこでクリスが進み出て、「エイシャお嬢様のお体のことを考えて、そろそろおいとまします」と言ってくれた。令嬢たちは「ごゆっくりなさってね」「お大事に」と気さくに声を掛けてくれた。


 男爵令嬢という微妙な立場のエイシャだが、今回の雰囲気を見る限り高位貴族の令嬢たちから貶されたりすることもなく、普通に接してもらえている。


 ディーノは昔からエイシャのことを、「普通」の少女だと思っていた。

 飛び抜けて美しいわけでも賢いわけでもない、至って平均的な幼なじみ。いろいろな点で平均点をキープしているという感じだった。


 だが考えてみれば、あらゆる点で「普通」を保つというのは難しいことだ。

 祖父、父、と商才に恵まれた家系に生まれ、双子の兄も祖父のもとで訓練をしている彼女は、目立たない存在だと思っていた。


 ……だが、荒れ狂う貴族の社会で「普通」の評価を叩き出すのは、簡単なことではない。


 そのことも、妖精の「祝福」を受けてから気づいた。彼女との縁ももう十年以上だというのに、エイシャのよさに気づけていなかった。


『ディーノ』


 目を閉じれば、はにかんでディーノの名前を呼ぶエイシャの姿が思い出される。

 昔はそうでもなかったのに、思春期になった頃からどうにもエイシャの顔を見るのが気恥ずかしくなり、つい意地悪なことを言ったり素っ気なくしたりしてしまった。

 エイシャもなかなか気が強いので、喧嘩になり……ここ数年は、顔も合わせなかった。


 だから、知らなかった。

「ディーノ」と呼ぶ声が、あんなに可愛らしいことに。

 困った顔や怒った顔、笑った顔のどれもが、魅力的であることに。


 そして――そんな彼女がオスヴァルトにお茶に誘われたと知ったとき、胸の奥からどろりとした感情が湧いてきたことにも。


「……あっ。待って、エイシャ!」


 考えながら歩いていたディーノは、少し反応が遅れた。

 先に気づいたクリスにそっと腕をつつかれてようやく、今の自分の体の名前が呼ばれたことに気づき――後ろから、三人の令嬢たちが小走りにやってきていた。


「よかった、あなたも今日、来ていたのね!」

「探したのだけれど見つからないから、まだ伏せっているのかと思ったわ!」

「来ていたのなら、声を掛けてくれればよかったのに」


 口々に言うのは、エイシャと同じ年頃と思われる令嬢たち。

 誰だこいつらは、と目を白黒させるディーノの隣で、クリスが進み出た。


「ごきげんよう、皆様方。エイシャ様は今日なんとか起き上がれるようになったので、庭園散策会にお越しになりました」

「そうなのね! ずっと体調が悪いと聞いていたから、心配していたの!」

「もう平気なの? ……ずっと黙っているけれど」

「あ、もしかして、喉が痛いとか?」

「……そ、そうなの」


 令嬢の一人の言葉を利用させてもらい、ディーノはどきどきしつつかすれた声を出した。


 おそらく彼女らは、エイシャの友人だろう。エイシャが、「私の友だちも参加していると思うわ」と言っていたこともあり早く撤退したかったのだが、追いかけてこられるとは思わなかった。


「で、でも、大丈夫よ。もう少し休めばなんとかなるし、今日は大丈夫よ」

「そう? それならよかったわ」

「もしエイシャの体調がよかったら、お茶にでも誘おうと思ったけれど……」


 令嬢の一人が言うので、ディーノはちらとクリスの方を見た。


 ディーノとしては、エイシャの友人を無下にしたくはない。ここで断れば、エイシャは付き合いの悪い女という印象を持たれるかもしれない。そうすれば、無事に体が戻ったとしてもエイシャは友だちをなくしてしまう。


 ……それだけは、避けなければならない。


「……エイシャを呼んでくれ」

「……はい」


 小声でクリスに命じると、彼女はきびすを返して去っていった。


 せっかく友人たちに会えたのだから、今は偽物ではなくて本物のエイシャを呼んで会話をさせてやりたかった。


 ディーノは振り返り、ここ数日で鍛えたエイシャらしい微笑みを浮かべた。


「……ありがとう。それじゃあまた今度、ご一緒していいかしら」

「ええ、もちろんよ!」


 令嬢たちは納得してくれたようで、ディーノはほっと胸をなで下ろした。


 ……あとは本物のエイシャが入れ替わるまで、ディーノが適当に話をつなげばいいだろう。だいたいのことは、クリスが説明してくれるはず。


 ……そう思っていたのだが。


「……おや、あなたはエイシャ嬢ではないか」


 背後から聞こえてきた声に、ディーノはぎくっとした。彼とは対照的に、周りにいた令嬢たちはきゃあっ! と盛り上がっている。


 この声は、まさか――


「まあっ、エック様だわ!」

「ごきげんよう、エック様。エイシャにご用事ですか?」

「ごきげんよう、レディたち。もしよろしければ、あなた方の大切なご友人を少しお借りしたいのですが」

「え、ええ、もちろんでございます!」

「ただエイシャは病み上がりですので、お優しくなさってくださいね?」

「はは、もちろんだとも」


 背後から聞こえてくる気取った笑い声に、ディーノはぞわっと鳥肌が立った。


 令嬢たちがきゃっきゃとはしゃぎながら、去っていく。ぎこちなくディーノが振り返るとやはりそこには、オスヴァルト・エックの姿があった。


 今日の彼は確か、王族に同行してどこかに視察に行くとかだったはずだ。

 おそらくその帰りなのだろう彼は、豪華な騎士団服を纏っている。黒髪も粋に整えており、なるほどこれが王城の女性たちの心を惹き付ける理由かと思わされた。


 だが、ディーノはこのオスヴァルトが好きではない。むしろ……嫌いだ。

 そんな嫌いなやつがエイシャに言い寄っていると聞いて、楽しいわけがない。

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