4話 心の拠り所
退屈な授業の時間を終え、昼食の時間が来た。
狭い教室の中に、生暖かい弁当の匂いが充満する。
母親のいない僕にとって、この弁当の匂いというものが堪らなく羨ましかった。
一度でいいから、母親の弁当というものを食べてみたかった…
そんなことを考えながら、僕は、なけなしのバイト代で買ったパンを鞄から取り出し、袋を開ける。
「鈴木〜!昼飯の時間だぜぃ!」
うるさい男が目の前にやってくる。
「あんた、少しは落ち着きなさいよ。目立ちたくないこの男のことも考えなさい。」
右の席に腰をかけながらゆりが、無意識に言葉の槍を僕にぶつけた。
「僕は、別に目立ちたくないわけではないんだ。人に対して、それなりに興味はわくし、友達も作りたいと思ってる。」
小学生の頃は、本気で友達100人つくろうとしていたんだ!
そう言いかけた途端に、翔太郎が横槍を入れてくる。
「それなのに、初対面の人との会話の仕方がわからないっと。なるほどねえ。」
ニヤついた顔で知った口を聞くな。
ほふるぞ。
まあ、正解なんだけど。
少し考えた顔をした後、ゆりが口を開く。
「それならさ、“それ”を部活にすれば良いんじゃない?」
俺と翔太郎は顔を合わせた。
一体、何を言っているのだろうと。
「だから〜、友達を作ること自体を部活にするのよ。高校生活を楽しまなければ、人生損するわよ。」
口に食べ物を含んだまま、自信満々にそう答えた。
「はあ?そんなもん、部活の活動として認められるわけがないだろ。」
少し馬鹿にしたように僕が答える。
「いや、待てよ。」
翔太郎が何かを思い付いたかのような顔をして、ある提案を持ちかけてきた。
「そうじゃなくて、青春を楽しむこと自体を部活にすれば良いんじゃね?友達作りは、その活動の一環としてさ!」
やばい、目が輝きはじめた。
変なことに巻き込まれる前に、何処かへ逃げよう。
そう思い席を立とうとするが、ゆりに制服を引っ張られ動きを止められる。
こうなってしまっては、仕方ない。どうにかして諦めさせなければ!
「そんな、私利私欲のための部活動を学校側が認めるわけがないだろ?少ない脳味噌でもっと考えろ。」
僕の少ない脳味噌で考え、咄嗟に出た答えがこれだった。
ガタッ!!!
翔太郎が勢いよく席から立ち上がる。
しまった、流石にこれは言いすぎたか?
身の回りの音が消え
自分の心臓が動いているのがよく分かる。
翔太郎は、僕の方を見つめながら、今月1番でかい声を出した。
「それだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
僕の意識の中の一瞬の静寂を切り開くように、太鼓並みにでかい音が僕の脳天を一直線に貫く。
瞬間、クラスの全員が驚いたようにコチラを見つめる。
みんなからの視線を浴び、背中が熱くなっていくのを感じた。
ゆり、前言を撤回しよう。
やはり、僕は目立ちたくはないのかもしれない。
騒つく教室に違和感を覚えることなく翔太郎は続けた。
「私利私欲のためじゃなければ良いんだろ?簡単な話じゃないか!学校の行事を手伝えば良いんだよ!」
今度は僕とゆりが見つめ合う。
「だからさ、青春といえば文化祭!体育祭!その他、この学校には色々な行事があるじゃないか!」
確かにそうだ。
何故だか、この学校には他と比べて、何かとイベントの数が多い気がする。
これも、校風と何か関係があるのだろうか?
「つまりだ、行事を手伝うイコール!青春を楽しむ!と言うことになる!違うか⁈部長!」
そう言いながら翔太郎が僕に向けて指を刺す。
一瞬で意味がわかった。
コイツは僕のことを部長にしたいのだと。
面倒くさいことは、全部僕に押し付ける気だな。
「いや、待て!俺は部長になりたいなんて…」
とっさに、否定しようとしたが聞き覚えのある声が頭の後ろで聞こえた。
「ほう。うるさいと思えば、お前たちか?」
声が聞こえた方を見上げると、太陽に照らされた真っ赤な唇が浮いていた。
「くち…び…る…。」
思わず声に出してしまった。
あまりにも、立派な唇だったのだ。
「ほう。唇とな?」
教室からは、押し殺した笑い声が聞こえる。
そして、目の前の唇は形を変えて、おしゃべりを始めた。
「うるさいと思い、来てみればなんだ?」
「普段は、大人しそうだと思った君は、そんな面白い冗談も言えるのか。」
怖くて言葉が出ない。
蛇に睨まれたカエルとはこのことを言うのだろうか。
変に動けば、一瞬で飲み込まれる。
僕の本能がそう言っている。
褒められたことではないが、僕の直感は良く当たるのだ。
この人をこれ以上刺激してはいけない。
僕の直感がそう指摘した瞬間、目の前の男が口を開いた。
「設楽先生、コイツさっき先生の胸が小さいとか言ってました。」
血の気が引いた。
翔太郎?君は僕に死んで欲しいのか?
親友であれば、ここは助け舟を出すのがセオリーなのでは?
なぜ、泥舟を送る?
「私も聞きました。」
右手を小さくあげながら、泥舟をもう一隻送ってくる。
なぜ君たちは真顔で、平気で、嘘がつけるのか?
一度、お前たちは病院で診てもらった方がいい。
「先生!俺は…違っ…」
冷たい視線が僕を見下ろす。
もう、何を言っても無駄だぞ。
お前は死ぬ運命にある。まさに、そう言っているかのような目をしていた。
「そうか、君は死にたいのか。」
笑顔で教師はそう答え、
「放課後、職員室へ来るように。私に、反省文というラブレターを50枚で書きなさい。」
そう告げると、担任は足早に教室を去っていった。
「あ〜あ。黙ってれば、先生ってモテそうなのにね。まあ、書き終わるまで、待ってるよ。」
翔太郎は、悪びれる様子もなく、卵焼きにガブリ付きながらそう話す。
「50枚かあ、熱々だね。私も誰かから貰いたいなあ〜。」
何かを妄想するように上を見上げるゆり。
ああ、もう本当にコイツらとは縁を切ろう。
友達のいない高校生活を送ることになるが、縁を切らなければ。
その後の授業のことは頭には入らなかった。
時計の針を指で進めたかのようにして、一瞬で時間が過ぎた。
オレンジ色の太陽が斜めに僕の顔を殴り、見つめている。
廊下は、朝とは違う色を醸し出し、もう一つの姿を見せていた。
僕は、重たいその足で、唇の待つ職員室へと向かったのだった…