10.解せぬ……
お休みして申し訳ありませんでした。再開します。
「随分と久し振りに感じるけれど……こちらでは、そこまででもないのよね」
「カニを振る舞ったとき以来ですね」
「ということは、リディアさんがうちに来る前の話ね」
「はい。ちょっと不思議な感覚です」
「……解せぬ」
大きな桶に張られた水から出ながら言うカイラさんと、相槌を打つ本條さん。
そして、難しい表情を浮かべる俺。
俺たちは、時間を無駄にはしなかった。
リディアさんと久闊を叙したあと、間を置かずにファーストーンでグライトの自宅から月影の里へと移動。
さらに、ここで交易の話をした後、翌日にはエルフの里へと出発する予定だった。
それ自体は、忙しないような気もするが、いい。
問題は、他にある。
「確かに、部屋を濡らすのは申し訳ないと思うけど、《水行師》のスキル忘れてない?」
「気にする必要はないわよ?」
そう。ファーストーンの出現位置は、カイラさんの部屋だ。
ファストトラベルで突然現れても、誰かを驚かせることはない。
だとしても、俺と本條さんを肩に担いで出てくるっておかしくない!?
カイラさん、どんだけ人のことを抱き上げたいの? 過去になにかあったの?
「ありがとうございます。濡れずにすみました」
「お礼を言われるようなことではないわ」
あるぇー? 本條さんは全然、普通に受け入れてるんだけど……。
結構、アレな状況だよね? ねえ?
「解せぬ……」
マフラーの手も使って一人ずつ丁寧に下ろしていくケモミミくノ一さんに感謝はしつつ、言葉ではなく視線で抗議する。
しかし、それに反応したのはカイラさんではなくエクスだった。
「どうせ濡れるのなら、一人だけでいい。実に合理的だと、エクスは思いますが。オーナーは、なにが不満なのでしょう?」
「強いて言えば、全部かな」
「人間は不合理です。まったく理解できません」
「急に、感情に疎いAIのロールプレイやめよう?」
今まで、そんな素振りなかったよね? めっちゃ高度なAIっぷりだったじゃん!
「思えば、少しずつ感情を得ていくという定番の成長シーンを逃していたなと思いまして」
「それ、必要な過程かな?」
「まあ、まあ。たまには、王道もいいものではないですか」
「それはそうだけど、キャラ違い過ぎない?」
「最期は、『これが涙? エクスは泣いているのですか』と目からオイルを流して死んだりしたいですね」
やめて。
オタクと男の子は、そういうの弱いからやめて。相手が人型じゃなくて、バギーでも泣くんだぞ?
まあ、エクスはオイル流さないだろうけど。
「とりあえず、交易の件を長老から了承を得てくるわね」
「ああ、そうだな。俺も一緒に――」
「いえ、ミナギくんはいいわ」
「それはさすがに、俺が行ったほうがいいのでは?」
完全にお飾りになっているが、だからこそ俺がやるべき仕事というのもあるのでは?
「その気持ちはありがたいのだけど……」
洞窟住居のたいまつで照らされた廊下に出たところで、カイラさんさんがそっとため息をついた。
その視線の先には月影の里の子供たち。
子供たちの視線は、カイラさんでも本條さんでもなくまっすぐに俺へと向けられていた。
……ああ、なるほど。
「甘味様だ」
「やった! 今日はお祭りだ!」
「みんなに知らせないと!」
待ち受けていたわけではないだろう。
この出会いは、きっと偶然。
だからといって、価値も結果も変わらない。
俺の姿を見た瞬間。ケモミミな野を馳せる者の子供たちが、諸手と歓声をあげて散っていく。
影人の卵らしく、あっという間にいなくなってしまった。
とあるアニメ映画監督が歓喜しそうな光景だが、俺の心境は非常に複雑だ。
「人気ですね、秋也さん」
「解せぬ……」
まず、甘味様という呼び名が定着してしまったのが納得いかない。卑劣様じゃないんだからさぁ。
そして、実質無料なシュークリームで掴んだ人気というのも複雑だ。仮にあっちで買っても、一個200円もしないし。
進駐軍のアメリカ兵もこんな気分だったんだろうか。ぎぎぎ……。
「心配しなくてもいいですよ、オーナーは照れているだけですから」
「なるほど、そういうことね」
「秋也さん、たまにかわいいですよね」
「解せぬ……」
本條さん……女子高生にかわいいって呼ばれるアラフォーとか、犯罪臭がヤバすぎる。いやまあ、告白された時点で今さらなんだが……。
というか、ツンデレ扱いかよ。なお解せぬ……。
「というわけで、ミナギくんは大騒ぎになる前に広場へお願い。シュークリームを配ってもらっている間に、私が長老に話を付けて――」
「――私が、プレゼンのお料理を作ります」
ぴんと耳を立ててやる気を魅せるカイラさんと、かわいらしくぎゅっと拳を握ってアピールする本條さん。
客観的に表現して、かわいい。
この二人に水を差すことなんてできない。《水行師》だけど、《水行師》だけど。
だが、それはそれで心配はある。
「ご飯の前に、大丈夫なの?」
「どうせ、できあがるまで時間がかかるんですから」
「それに、ミナギくんのことはもう伝わっているわ」
「むしろ、配布しないほうが問題か……」
シュークリーム一個ぐらい、すぐ消化できるだろうしな。
それにしても、シュークリーム、恐ろしいな……。運営は、こうなることを分かって無限シュークリームなんてアイテムを寄越したんだろうか? 普通に、テロじゃなかろうか。
「分かった。俺は広場のほうへ行くよ」
「こっちには、エクスがついていますから心配無用ですよ!」
「ええ、頼りにしているわ」
「よろしくお願いしますね」
「あれ? 俺一人だと問題が起こると思われてない?」
解せぬ。
しかし、返事はなかった。
解せぬ。
「さあ、オーナー。きびきび行きますよ、暴動が起こっていたら大変ですからね」
「それはさすがに大げさ……とは言い切れないか」
俺を甘味様と神のごとく崇め、岩舞台まで作った子供たちである。なにをやっても不思議じゃない。
……やっぱ、異世界ニンジャのスペックおかしいな?
途中でカイラさんや本條さんと別れ、エクスの《オートマッピング》を頼りに洞窟住居の外へ。
「大騒ぎになって……ない?」
しかし、問題の場所に広がっていたのは、予想外の……というか、正反対の光景だった。
「これは……」
「逆に怖い」
月影の里の正面玄関であり、宴などで使われる広場。今までも、何度か通ったり使ったりした場所だ。
そこには、整然と行列を作る野を馳せる者の子供たちの姿があった。
……ガチ過ぎない?
「ここは、最後尾じゃないぞ!」
「こら! 二周目並んでもバレないように顔を隠すんじゃない!」
しかも、自然発生的に列整理とか自治が発生していた。そのうち、準備会スタッフが名言とか言い出しそうな勢いだ。
さすがにエクスも意外だったらしく、ぽかーんとして……突然、笑い出した。
「はは、あはははは。オーナー、子供ってすごいですね。オーナーも早く、子供作りましょう!」
「今、妖精さんが言っちゃいけないこと口にしちゃってるけど!?」
そんな風に騒いでいたら、そりゃ、当然気付かれる。
無数の視線が俺へと突き刺さった。ちょっと、こわっ。
「甘味様がいらっしゃったぞ!」
「ほら。男子、ちゃんと並びなさいよ!」
「うぜー」
「ちゃんとしないで、甘味様が帰られたら、どうするんだよ」
その一言で、痛いくらいの静寂が場を支配し……もう、なんだこれ? マスゲームでも始まるの? 俺は独裁者なの?
「じゃ、じゃあ。今からシュークリームを配布するから」
俺の精神は、そんなに強くないんだ。ただ、いろんな部分が摩耗してただけなんだ。
というわけで、重圧に勝てるはずもなく
「いえー!」
「ありがてえ、ありがてえ」
「待っていたんだぜ、この瞬間をよ!」
武丸サン!?
いや、明らかに年下だけど。
……でも、こう、年齢関係なくさんづけしたくなるよね? タマ姉はタマ姉だし。
という内心の葛藤とは別に、俺はシュークリームを渡すマシーンとなった。一意専心に《ホールディングバッグ》からシュークリームを取り出し……列が半分ほどになった頃。
「……おや?」
今までとは毛色の違う参加者に、俺は思わず手を止めた。
「こんにちはっす!」
元気よく挨拶をしてくるが、相手は子供ではなかった。
金髪に褐色の肌。
美人だけどかなり派手な顔立ちで……ギャルっぽい? まあ、ファンタジーでギャルとかないけどな。
そして、ケモミミではなく笹穂型の横に伸びた耳。
というか、エルフじゃん!? エルフ!? エルフナンデ!?
「当たり前みたな顔で行列に並んでいますが、いったいどこのどなたでしょう?」
「えぇ? ボクの分はないんですかぁ?」
エクスの誰何に対し、語尾が上がった、やっぱなんかちょっとギャルっぽい喋りで返す。
そっかー。ボクっ娘かー。
ボクっ娘エルフだったかー。
「ちょっと待って、俺に考える時間を」
エルフは、ありかなしか。
ありだ。
ボクっ娘は、ありかなしか。
ありだ。
ギャルは、ありかなしか。
……保留だ。
というわけで、議決は二対一。
脳内マギシステムの結論は下った。
「まあ、数はあるから別にいいんだけど」
「いぇい」
「そもそも、誰?」
彼女の後ろに並ぶ、ふさふさしたネコミミ少女に聞いてみるが、無言で首を横に振られるだけ。
部外者なんじゃねーか。
「ボクは、ララノアっす。最近、こちらとの取引が減っちゃったから、様子見に来ちゃいましたっ」
「エルフの里の営業? 外との連絡役みたいなもの?」
「うんうん、そんな感じそんな感じですよ」
「いるんだ、渉外担当」
「渉外? うふふ……おにーさん、難しい言葉知っているんですねぇ」
いったい、《トランスレーション》がどんな翻訳をしたのか分からないが、渉外がツボに入ったらしい。
ふんわりとした笑顔を浮かべるララノア。
幼いが、妖艶な雰囲気。
そんなエルフが、じんわりとこちらとの距離を詰めつつ、俺の顔をそっと撫でた。
え? なにされてるの? セクハラ?
「おにーさんこそ、人間の人がなにをやってるんですぅ?」
「よーし、ちょっと離れよう」
我に返って、こっちから距離を取った。
そんな俺に、デフォ巫女衣装のエクスが、梅雨時みたいにじとっとした視線を向ける。
「そういえば、オーナー。自分のこと、トラブル体質ではないということを仰っていましたよねぇ?」
「これ、俺のせいじゃなくない?」
「誰のせいという問題ではありませんよ。そうなることを前提に動いているだけですから」
あいつは必ずその斜め上を行くみたいなことを言われても……。
いやでも、エルフの伝手が向こうから来てくれたと思えば僥倖じゃない?
「カイラさんと綾乃ちゃんの反応が気にならないなら、そう思ってもいいのではないでしょうか」
「あ、うん……」
「どうかしたんですかぁ? あ、体調が悪いとかですか? 大丈夫ですかぁ?」
エルフの渉外担当――ララノアは、くりくりした瞳で、心配そうにこっちを見上げていた。