09.黒喰
冒頭部、三人称です。
巨大な岩山をくりぬいて作られた月影の里。
その最奥にある臥待の間へカイラが足を踏み入れたのは、ミナギたちと別れてわずか数分後のことだった。
かがり火はあるが、広さに比べて絶対数が足りない。祖霊神が彫り込まれた壁がわずかに照らされた、妖しげな空間。
その壁に沿うように、存在する五つの影。
カイラを含め、黒喰のすべてが揃っていた。
「首尾は?」
「来るわ」
中央の壁際。
つまり、入り口から最も遠い場所に座る山羊のような角を生やした長老からの問いに、カイラは立ったまま短く答えた。
オーガの蠢動を察知した長老が、カイラを派遣したのだ。この結果は、当然と言えば当然。驚きは見せずに、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「オーガの地下通路は、デオナ山のうち捨てられた神殿に」
「そのまま、根拠地として使用できますね」
「多少距離はあるが、ぶつかるのは時間の問題だな」
この月影の里は、里だけでは完結し得ない。
外の森で狩りをし、モンスターを倒して手に入れた魔力水晶を持って出向いて交易をする必要がある。
つまり、オーガの存在は死活問題。
いや、いくら隠れ里だろうと、貪欲なオーガが見逃すはずもなかった。
「ええ。多少は減らしたけれど、それで終わりとはならないでしょうね」
長老と他の黒喰たちに、オーガの地上派遣軍の規模と予想上陸地点を説明していく。
地下通路の場所以外は、ミナギにも秘密にしていた情報だ。
「そして、これが一番重要なのだけれど……」
改めて、周囲を見回しカイラが口を開く。
「オーガの軍勢には修羅種も含まれていて、私を子供扱いするほどだったわ」
「バカな。冗談も休み休み言え」
まだ比較的若い。虎の耳を生やした精悍な男が、不機嫌そうに尻尾を振り下ろした。
その苛立ちも、当然だろう。
影人の数は多くないが、黒喰の数はさらに少ない。それが赤子の手のようにひねられるなど、絶対にあってはならないこと。
「ならば、カイラ。貴様はどうやって、里へ戻ったというのだ」
「勇者の助力を得て」
カイラが放った言葉の刃に、思わず息を飲む。
さすが、影人の最上位、黒喰の称号を持つ野を馳せる者たち。取り乱すことはなかった。
だが、驚きまでは隠せない。
それほどまでに、勇者の存在は衝撃的だったのだ。
「なるほど。勇者を連れてきたから、外で騒いでやがるのか」
「それは、私も予想外だったのだけれど」
(ミナギくん本人に会ったら、別の意味で驚きそうね)
まったく勇者らしくない勇者の顔を思い浮かべ、カイラは心の中で微笑む。
最初は信じられないだろうが、一度でいい。彼と相対してみれば、勇者が勇者である理由が分かるはず。
分からなければ、黒喰の資格はない。
しかし、その機会はないだろう。
カイラが、させないからだ。
「その勇者、いかほどか」
山羊のような角を生やした長老が、真偽を飛ばして核心を問うまでには、それなりの時間を要した。
「命運を託すに足るかと」
一方、カイラは即答だった。
確かに、戦い。それ自体には習熟していないのだろう。とても、洗練されているとは言えなかった。命のやり取りも慣れていないか、初めてだったかもしれない。
にもかかわらず、戦い振りは剛胆そのものだ。
奇襲に失敗しても、あえて攻撃を受けてから適切に反撃している。倒しきれなかったのは、ヴェインクラルというオーガが規格外だっただけ。
そう。あえて防御をし、あのオーガに肉薄して致命の一撃を放つ勇気。グレートソードを投げつけられても眉ひとつ動かさない度胸。
いずれも、並ではない。
それでいて、驚くほど善良。
使い魔のエクスの影響もあるのだろうが、偉ぶらず、紳士的で、優しい。子供たちを任せても問題ないと、本能的に感じてしまうほどに。
勇者のなかには、傲慢に振る舞う者もいたそうだが、彼に限ってはまったくそんなことはない。
ちょっとなにを言っているのか分からない部分もあるが、それも面白いと言えば面白い。
「そもそも、協力は得られそうなのかい?」
「いい関係を築けていると思っているわ」
別の黒喰。師にあたる豹の耳を持つ穏やかな男に、カイラは赤い瞳を向けながら言った。
ここが正念場だ。
嘘は通じない。真実だけを告げて、目的を達しなければならない。
「外は私と彼が担当するから、皆には里の防衛をお願いするわ」
視線を中央の長老へと動かし、じっと見つめる。
永遠とも思える数秒の後、結論は下された。
「委細、カイラに任す」
カイラは安堵した。
その結果どうなるかは分からないが、ミナギからの恩を仇で返すことにはならずに済んだ。それは確かだった。
「では、お願いがひとつ。里に残っている魔力水晶の扱いは自由にさせてもらうわね」
「よかろう」
残っているのは、微少な魔力水晶がほとんど。
長老の応えに、反対が出るはずもない。
先ほどの虎の黒喰も、無表情。勇者を頼ることに不服はあるが、表立って言うほどではないということか。
その態度に、カイラは再び安堵する。
だが、今はミナギと話し合うのが先だ。必ず、説得しなければならない。
命運を託しても後悔はないが、そうするかどうかは別の話。
彼らを、これ以上巻き込むわけにはいかないのだから。
「……この状況はいったいなんなの?」
「高いところから失礼します」
洞窟から戻ってきたカイラさんに、コンサートの演出で釣られた男性アイドルのような挨拶を返す俺。
困ったように、カイラさんのケモミミがぱたぱた揺れていた。
「ミナギくんとエクスさんは、どうして岩棚の上に座っているの? というか、この岩はどこから?」
「話せば長くなるんですが……」
過去を振り返りながら、俺は語り出す。
あまりにも衝撃的で、思い返そうとする必要はない。
「あのシュークリームがいけなかったんだと思います」
「地獄への道は、善意で舗装されているというあれです」
それほどまでに、シュークリームを食べた子供の反応は劇的だった。
歓声を上げる者。
放心する者。
辺りを走り回る者。
そして、凧みたいなので、空を飛ぶ者。ニンジャかよ! ニンジャだったよ。
もはや制御不能であり、もう、好きにさせることにした。
それがいけなかったのだが、だとしても、俺にはどうしようもなかった。
あれよあれよと胴上げされ、その間に畳のような岩が運ばれてきた。
その岩が何枚どころか何十枚も重ねられ、それが終わったと思ったら上に座らされていた。
まるで牢名主だ。
そして、子供たちはその周りで踊ったり、追いかけっこをしたり……つまり、遊んでいた。
「子供の恐ろしさの片鱗を味わいました」
「それは、ほんとうに……」
カイラさんが耳を下げ、尻尾を力なく垂らす。
まあ、実害はないと言えばない。
やることがないので、いつの間にか解除されてた《ホームアプリ》の説明を読んで性能にびっくりしてたぐらいだし。そりゃね、それなら石5000個も使うよね。
他にも、軽く覚悟を決めたりとかしてたので、あっという間でもあった。
むしろ、しょぼーんとしてるカイラさんを見られたので、収支としてはプラスだ。
「カイラ様!」
「ちゃんと神様を祀っておいたぜ!」
「神様? 私、ちゃんと勇者様って言ったわよね……?」
カイラさん、もっと記憶力に自信を持って!
というか、祀られてたのか、俺たちは……。
「とりあえず、ミナギくん。魔力水晶のところへ案内したいのだけれど……」
「……頑張って降ります」
「……私が迎えに行くわ」
白いポニーテールをたなびかせ、カイラさんが飛んだ。「こういう巻き込み方は予想外だわ」とつぶやきつつ、俺をお姫様だっこする。
……って、ナンデ?
「もうちょっと、なにかなかった!?」
「オーナー、暴れるとエクスと心中コースですよ」
「それにしたってさぁ」
もう少し加減というものを。
と抗議の声を上げることもできず、カイラさんは岩棚を直滑降していった。ニンジャ! ちょっと、やり過ぎニンジャ!
「ちゃんと片付けておきなさい。分かったわね!」
地上に降りるなり子供たちへかなり強く言いつけて、カイラさんは走り出した。
俺をお姫様だっこしたまま。