02.怠惰ギブアップ
朝。
おぞましき朝。
人を安息の地から強制的に追い出し、労働を強いる悪魔の光。
憎い。憎い、憎い……ニクイ……。
……まあ、ぶっちゃけ日が昇る前に家から出てたことも多いんで、朝というか会社もしくは社会が悪いんだけど。
会社を憎んで、太陽を憎まず。だが、夏場の猛暑。てめーは、ダメだ。
というわけで、俺は会社を辞めた。辞めてしまった。もう、朝も憎くない。
IT土方でも、社畜でもなくなったのだ。
では、俺は何者なのだろうか?
人か? カバネか? どちらでもない、カバネリか?
なんにせよ、俺は自由になった。
しかし、それは不自由と同義でもあった。
仕事を辞めてから、俺はなにもしていない。というか、させてもらえていない。
個人事業主となってから、仕入れ先とか商売関係の話は、エクスとカイラさんが精力的に動いている。
異世界パックで取得した《リフレクティブディスガイズ》により、アルビノ系ケモミミくノ一さんでも、怪しまれることなく手続きやら商談ができるらしい。
やっぱ、運営の意図とは異なる使い方じゃない?
しかし、カイラさんは俺の役に立てて嬉しそうだし、エクス的にも下手に俺を外に出さずに済んでWin-Winな状態なんだそうな。
どうやら、エクスは俺が外をうろちょろすると厄介事に巻き込まれると思い込んでいるようだ。
あまりにも過保護すぎるので、話し合いが必要だろう。
そもそも、大げさすぎるんだ。そんなに、ほいほいイベントが発生するはずない。
ちょっと、転移直後にヴェインクラルと遭遇して、会社の帰りに本條さんと出会うきっかけになった事件が起こって、ラーメン食いに行ったらメフルザードに絡まれて、船で遠出したらクトゥルフ系のアレにエンカウントしただけじゃないか。
……実績充分だったよ。
とにかく、今の俺は暇だった。
なので、資源を掘って工場作って宇宙を目指したり、街を作ってそれを車窓から眺めたり、ヤギになったり電子レンジになったりして人間を殺して回ったり。
つまり、積みゲーを崩して楽しく過ごすことにしたのだ。
来る日も来る日も。
昼過ぎに起きてゲームやってたら夜になって、眠くなったら眠る日々。
こんな気持ちでゲームをプレイしたのは初めて。もう、なにも怖くない……はずだったのだが。
一休みして、本條さんが作り置きしてくれた昼食のオムライスを電子レンジにかけているとき、不意に不安に襲われたのだ。
あ、これは俺ダメになる。
これは沼だ。絶対に出てこられない沼だって、気付いてしまったのだ。
「というわけで、集まってくれてありがとう」
ある土曜日。
本條さんにも俺の部屋に来てもらって、話し合いとなった。
俺の目の前には、新品のメモ帳。
ダイニングテーブルには、人数分の湯飲みにお茶請けの入った器が並べられている。
いずれも、過去の我が家には存在しなかったものだ。過去というか、一週間ぐらい?
湯飲みとか茶碗とか食器類が、いつの間にか増えてるんだよなぁ。たぶん、三つの約束を破って水をかけたんだと思う。0時過ぎに食事を与えないよう気をつけないと。
「早速だけど、そろそろ向こうに戻ろうかなと思うんだ」
「そうね。時間が経過していないとは言っても、ほったらかしにしているような罪悪感はあるわね」
「リディアさんは、私たちがこちらに来た状態でいるのですよね……。確かに、ちょっと不思議です」
過去の我が家に存在しなかった最たるものであるカイラさんと本條さんが、それぞれ賛成してくれる。
ある意味当然というか、確認以上の意味はなかった……はずなんだけど。
「正直残念です」
なぜか、エクスはいい顔をしなかった。
「残念って。このまま、自堕落に過ごせっていうのかよ」
「はい。ベッドから動かずにひたすらスマホをいじって、『もう夕方だ……。一日無駄にしたな……』という生活を送ってほしかったのですが」
「罪悪感しかないんだけど、それ」
「からの?」
「まあ、それで生活に不安がなければ最高だろうけど……」
生活に不安のあたりで、本條さんの綺麗な瞳がすっと細くなり、カイラさんの尻尾が揺れた。
「それは……なし寄りのありでしょうか?」
「気持ちは分からないでもないわね」
なし寄りのなしです。
というか、最近のエクスは過保護すぎる。
「とりあえず、向こうに戻るのは確定として」
基本的な方針は決まった。決まったんだ。
だからこそ、その前に、やらなくちゃならないことがある。
「まずは、報酬の分配をしよう」
「一億円なら、全部、秋也さんに預けるということで決着したはずではないでしょうか?」
心当たりがないと、本條さんが頬に手を添えていった。
そういうところは本当にお嬢様みたいで感心するやら呆然とするやらなのだが、今日の議題はそうではない。
「慌ててたから忘れてたけど、メフルザードの魔力水晶があってね」
時間がないので、まとめて《ホールディングバッグ》に放り込んでいたやつだ。
一回で石5,000個もの交通費がかかる。
なので、できればメフルザードの魔力水晶は確保したいところなのだが……三人で頑張った以上、独り占めというわけにもいかない……はずなのに。
「基本は、ミナギくんの総取りでいいのではない?」
「そうですよね。私が変なのかと思っていました」
……相変わらず、報酬を受け取る気がない二人がそこにいた。
「大きな魔法を使うために少しは分けてほしいですが、転移する費用は秋也さん持ちなのですから、私たちが分配を要求するのは強欲すぎるのでは」
「そうか。そういう視点もあるか……」
確かに、三人分でも変わらないってことは、実質値引きとも言えるわけだ。
とはいえ、財布が一体化しすぎるのも良くないと思うんだが……。
「とりあえず、魔力水晶の数をはっきりさせましょうか」
「そうだな。額も分かんないのに、山分けもないか」
「というわけで、巨大の魔力水晶ひとつ、大型が4、中型が16、小型が64、微少が256個となってます」
「えっと、魔力水晶の大きさと価値って、どうだったっけ?」
「こんなところね」
俺が戸惑っていると、メモ帳を取ってカイラさんがさらさらと書き記してくれる。
それを簡単にまとめると、こんな感じだ。
微少魔力水晶=銅貨5枚、神威石(MP)換算1個
小型魔力水晶=金貨1枚、神威石(MP)換算10個
中型魔力水晶=金貨100枚、神威石(MP)換算50個
大型魔力水晶=金貨200枚、神威石(MP)換算100個
巨大魔力水晶=金貨1,000枚以上、神威石(MP)換算500個以上
なんだか、ちょっと金貨一枚当たりの魔力量が正比例していない気もするが、そこは『ひとつの魔法には、ひとつの魔力水晶しか使えない』という制限が関係している。
それで、合計は……。
「合計で、金貨3,476枚と銀貨80枚。魔力のほうは、2596になりますね」
「さすが、綾乃ちゃんは計算速いですね。もっとも、巨大の魔力水晶の質次第ではありますけど」
しかし、メフルザードでも《ホームアプリ》一回分にならないとは……。大物を倒すよりも、雑魚狩りしたほうが効率いいのは間違っているような……。
いや、違うか。
メフルザードみたいな大物は、余禄がでかいんだな。吸血鬼の特性を得られたりとか、一億円とか。
「残念ながら、《マナチャージ》で吸収するまで、石何個分になるかは分からないんですよね」
「《初級鑑定》で見てみたら、値段からある程度は分かるんじゃ?」
「それです!」
サムズアップしたエクスが、バスケットボール大の魔力水晶をダイニングテーブルに出現させた。
「あのときは急いでいたから気付かなかったけど、相当なものよね」
「確かに、びりびりとした魔力を感じます」
俺には、そういうのまったく分からないなぁ。
と口々に感想を述べているうちに、エクスの《初級鑑定》は終わったようだ。
いい仕事してますねとか言いそうな和服に着替えた電子の妖精が、重々しく口を開く。
「金貨25,000枚だそうです……」
「にまんごせんまい……」
巨大の上である超巨大には至らないものの、かなりの大物みたいだ。
あれ? これも億以上? 生涯年収クリアしちゃう?
「金貨25,000枚の魔力水晶となると、そう簡単には売れないわよ」
「こっちで言うと、巨大なダイヤの原石が売り出される……みたいな感じか」
「ニュースになってしまいますね」
どうしたものかと考え込むが、悩んでいたのは俺だけだった。
「面倒だから吸収してしまいましょう」
「そうね」
「それがいいですね」
うちの女性陣は、思い切りが良すぎる。
「でも、簡単に売れないとはいえ大金だぞ?」
「いいんですよ、秋也さん。お金なら、これからまた稼げばいいんですから」
まぶしい。
これが若さか……。不景気しか知らない世代なので、お金は貯金するものだと思ってました。そうか、お金って稼げるんだね……。
まあ、俺としてはもったいないような気がするが、石が増えるのは基本的にいいことだ。
それに、今すぐ石に変換しなきゃいけないわけじゃない。とりあえずの方針だけ決めて、次の議題に移ることにする。
「でもって、あっちに戻るに当たってもうひとつ」
「里に、なにを買っていくかね?」
「うん。資金はあるけど、《ホールディングバッグ》は有限だから」
そして、行き来にもお金がかかるので、できれば一回でたくさん仕入れておきたい。
「正直なところ、あのシュークリームを毎日配布してくれるのなら、ダエア金貨を全部出してもいいぐらいなのだけど」
「それ、商売になってなくない?」
原価/Zeroなんですけど。ぼったくりすぎる。
「やはり、食品がいいのでしょうか?」
「継続的に消費してもらえるという意味では、一番だよな」
その分、責任も発生するわけだが。
「私としては、医薬品も気になるわね」
「それは、リディアさんに頼んでポーションを作ってもらったほうがいいんじゃ?」
「それもお願いしたいけど、ポーションを使うまでもないという場合もあるわよ」
「使い分けか」
手元のメモ帳に、食品とか医薬品とか書き留めていく。
「そういえば、洞窟の中でたいまつ使うのどうかと思ったんだ。代わりに、LEDランタン……この電気みたいなのを設置したら」
「あれば欲しいけど、優先度は下がるわよね」
便利だけど、現状困ってもいないと。そういう感じか。
「う~ん。今回は、広く浅く仕入れて、感触を確かめたほうがいいかなぁ」
焦りすぎも良くないな。
調味料とか長期保存できそうな食品や、いくつかの市販薬を中心に仕入れることにするか。
まあ、実際に仕入れとかはエクスとカイラさんがやるんですけどね!
「オーナー、今の流れとは関係ないのですが、きらきらの件でひとつ提案があります」
「《勇者の祝福》な」
一応、正式名称を強調しておく。
なんかもう、手遅れな気がしないでもないけど。
だが、簡単にきらきらする件は、手遅れにしちゃいけない。
「きらきらでも《勇者の祝福》でもどちらでもいいですけど、オーナーとしては目立ちたくない。カイラさんと綾乃ちゃんは指輪を外したくない」
「このコンフリクトを解消する手段があるって?」
「はい。普段は、別の普通の指輪をつけてもらいましょう」
「えー?」
そんな論点ずらし、二人に通用するはずが――
「なるほどですね」
「妙案ね」
――通用した。
なんだとメガトロン。
「でも、ひとつ問題があるんですよね。どちらの世界で買うべきかは迷いどころです」
「資金が潤沢なのは、向こうでになるけど……」
「いいんですよ、オーナー。個人事業主は会社のお金を生活費として繰り入れてしまっても」
会社の金でプレゼントするとか、どこの中小企業のワンマン社長だよ。キャバクラかよ。
「はい! 私の鞄もまだ決定していませんし、買うかどうかは別にして、一度見に行くのはどうでしょう?」
「そうね。偵察は重要だわ」
俺の躊躇をよそに、二人が早速動き出す。
はあぁん? さては、これが既成事実ってやつだな?
「二人が一緒なら、外出も問題ないですね」
デフォ巫女衣装に戻ったエクスも、うんうんとうなずき賛成した。
最近、珍しいことではないのだが……。
俺に味方はいなかった。
なぜか、エクスがヤンデレっぽくなってしまう。どういうことなんだ、キバヤシ。