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01.別れは突然に

お待たせしました。本日から更新再開します。

以前と同じく隔日更新となりますが、よろしくお願いします。

「……なんの匂いだ?」


 ベッドの上で、俺の意識が急速に浮上していく。

 無意識というか習慣で手に取ったスマホで確認すると、午前6時過ぎ。今日はフレックスで出社する予定なので、まだまだたっぷり余裕はある。


 早く行っても残業するんだから、始業を遅らせても一緒だよね。


 とりあえずログインボーナスもらって、APを消費しておかないと。


 無意識というか習慣でゲームを起動しようとした俺は、寸前で正気に戻った。


「料理? カイラさんか?」


 そう。漂っているのはみその香り。

 耳をすませば、なんか包丁の音もする。


 俺はあくびをしながらむくりと起き上がった。


 昨日メフルザードと戦ったばかりなので、筋肉痛はまだ来ない。それが明日か明後日か分からないけれど、明日って今じゃないことは確か。


 おっと、今はカイラさんだ。


 布団を買おうとしたらもったいないって断られたし、どこで寝てるのか謎なんだよなカイラさん。そもそも、寝てるのかすら分かんないんだけど。

 そんな、まだこっちに不慣れなカイラさんが、料理というのは不安……とまではいかないが、そのまま放置もしておけない。


 もっさりとした足取りでダイニングキッチンへと移動し……たが、そこにいたのはカイラさんではなかった。


「なんで……」


 髪をポニーテールにまとめ。

 制服の上から白いフリルのエプロンを身につけた。

 本條さんだった。


「本條さんが……?」


 いや、まだ本條さんと決まったわけじゃない。エネミー識別に失敗している可能性もある。現段階ではまだ、不確定名:本條さんだ。


「あ、秋也さん。起こしてしまいましたか?」


 はい、本物でした。


 ハウダニットとホワイダニットが頭の中でぐるぐると巡る。


 起き抜けの脳が、制服エプロンポニテ女子高生というファンタジー物質の受容を拒否していた。これ、脳が生み出した幻影なんじゃないの? むしろ、まだ寝ているまである。


「もうすぐできますから。あ、先にお茶をいれますね」

「ああ、うん。でも、うちに急須とかあったかな?」

「家から余っていたのを持ってきました」


 急須って余る物?


 いやいやいやいや。

 急須はどうだっていいんだ。


 この本條さん、本物みたいだぞ?


「なんで、ここに本條さんが!?」

「朝ご飯を作りに来ました」


 やかんを火に掛けながら、本條さんが言う。ちょっと照れているところが可愛い。

 でも、ご飯? え? 理由を聞いても、さっぱりなんですけど?


「家の鍵なら、カイラさんが開けてくれました」

「アヤノさんなら、問題ないでしょう?」

「最終的には、エクスの責任で招いたというところですね」


 タブレットを抱えたカイラさんが、天井から降りてきて言った。


 いないほうが驚くけど、いたのかよ天井に。


 ……うちに、忍ぶような天井裏はなかったと思うんだけどな。いったいどこから……いや、深く考えるのはやめよう。

 俺は、そんな迂闊なことはしない。クトゥルフ神話小説によくいる、遺産相続の条件として処分するように厳命されていたアイテムを取っておいて破滅するタイプな人間ではないのだ。


「秋也さん、驚きすぎですよ」

「普通に驚くから」


 通報リスクもあるからね? もちろん、本條さんの不法侵入ではない。


「ひどいです。向こうでは、普通にこうしていたのに」


 そう言われると弱い。なんということだ。外堀は最初から埋まっていたのだ。

 下手をすると、その外堀というのは、もしかして俺の想像上の存在なのではないでないかと、心理学者の人に言われてしまいかねない。


 そして、これ以上抵抗すると、俺がなにかするつもりだってことになってしまう。


 そんなつもりはない。ないのだ。


「それよりも、オーナー」

「今のこの状況より、優先すべきことってある?」


 抵抗は無意味だと脳内ボーグがささやいていたが、それでも抗うことをやめないんだ。人間って生き物はね。


「顔ぐらいは洗ったほうがいいのではないかと愚考する次第ですが、いかがでしょう?」

「イッテキマス」


 即座に降伏した俺は、着替えを持って洗面所へ飛び込んだ。

 わざわざ《水行師》の能力を使うことなく、普通に蛇口をひねって水を出す。充分に発達した科学は、魔法よりも便利だ。


 アラフォーの男なので、身支度にかかる時間はかげろうの一生ぐらい短い。


 そして、戻ってきた時にはテーブルに朝食が並んでいた。


「これは……」


 炊きたての白いご飯。

 ネギとわかめと豆腐のみそ汁。

 アジの開き。

 卵焼き。

 梅干し。

 焼き海苔。


 頭に“ザ”と、定冠詞をつけたくなるぐらい典型的で美しい日本の朝ご飯だった。


「秋也さん、そんなにじっと見られたら恥ずかしいです」

「美味しそうね」


 カイラさんは特に気負うことなく食卓についたが、俺はそうはいかなかった。


 あっちでは朝ご飯の実を食べていたので、もう、食事なんて面倒くさいとか言う気はないけど……。


 トラディショナルジャパニーズブレックファストに、ちょっと気圧される。旅館ほど充実していないところが、また心憎いじゃあないか。


「冷めないうちに、どうぞ」

「ああ、うん。いただきます」


 そうか。俺が呆けていたら食べられないよな。


 席に着き、まずはみそ汁をすする。


 俺は東西新聞のぐーたら社員ではないので、みそ汁の具は一種類のほうがいいとか野暮な文句は言わない。


 それにしても、これは……。


 牛丼屋のデフォでついてくるみそ汁とは比べものにならない……というか、比べること自体が罪とすら思える、深みのある味わい。


 みそって、出汁って、こういう味だったんだ。


 美味しい……。


 初手でノックダウン寸前だ。


「美味いな。みそが違うのかな?」

「お口に合って良かったです」


 突然。だが、当然の帰結として、本條さんがキラキラした光をまとった。

 まぶしい……というか、こっちだと得も言われぬ違和感がすごい。


「……そのままじゃ外に出られないんじゃない?」

「大丈夫です。あとで、全力を傾けてお茶をいれますから」


 その使い方、前代未聞過ぎない?


 とはいえ、魔法を使って解消というのも難しい。やはり、普段は指輪を外してもらわないとと決意を新たにしつつ、次は、アジの開きに箸を伸ばす。


 これも、一枚100円で売ってるような冷凍の特売品じゃない。倍ぐらい大きく肉厚だ。見ただけで、美味しいのが分かる。


「ああ、脂がのってて美味いな」


 そして、食べて思い知らされた。美味い。

 若い頃なら、半身でご飯一杯余裕だっただろう。


「秋也さん、おかわりはどうします?」

「お願いします」


 気付けば、ご飯がなくなっていた。


 やばいな。

 アラフォーの胃と舌は、こんなにも日本の朝ご飯に飢えていたのか。梅干しも、昔は食えなかったのに、今は普通に美味い。


「卵焼きって、家によって味付けが違いますよね?」

「うちは、甘いやつだな」

「良かったです。うちもです」


 中がちょっと半熟になっていて、甘みのある卵焼き。チェーンの居酒屋で出てくるのとは、ステージが違う。


 ああ……。焼きたてって美味かったんだな……。


「ところで、材料はどこから?」

「気にしないでください。家から持ってきただけですから」

「……え?」


 それって、家の人にばれてるってことでは?

 学校に行く前に朝ご飯作りに行くとか、普通に事案でしょ。


「山本さん……あ、昔からうちに来てくれているお手伝いさんなんですけど。山本さんにお願いして分けてもらいました」

「そうなんだ」


 お手伝いさん? 実在していたというの?


 睡眠不足とは違うめまいに襲われる。文化が違うな、ほんと。


 それはそれとして、お手伝いの山本さんが黙っていてくれる保証はない。というか、立場上、本條さんのご両親に報告せざるを得ないはず。


 ……ご挨拶が、必要だよな。


 まあ、仕事が優先だけどね。

 起業するって言っても、すぐに会社を辞められるわけでもないんだし。


 そんな俺の心を読んだかのように、割烹着になって俺たちを見守っていたエクスが言う。


「オーナー、今日はカイラさんに手伝ってもらって手続きを進めますので、お金とか印鑑とかを使わせてもらいますよ」

「ああ。そこは自由にやって」


 もちろん、俺に否やはない。

 その他、細かい話をしてから俺は出社した。


 それが、最後の出社になるなどとは露程も思わず。





 会社を作る。


 言葉にすると簡単だが、実際には簡単にできるもんじゃない。

 手続きやらなんやらが面倒で、これなら普通に仕事を続けたほうがまし……なんてオチがつくんじゃないか。


 そう思っていた時期が俺にもありました。


「というわけで、手っ取り早く開業届を出してもらいました」

「出してきたわよ」

「ほう。なるほど、なるほど……?」


 朝から本條さんが朝ご飯を作りにきてくれた、その日の夜。

 珍しく、普通に電車が走っている時間に帰ってきた俺は、出迎えたエクスとカイラさんから報告を聞いたのだが……。


 よく分かんないけど、展開早くない?


「開業届って、会社の名前とかいつの間に決めたんだ?」


 株式会社エクスとかにしたんだろうか? それはそれでありだけど、なんか、企業紹介のホームページがめっちゃうさんくさいことになりそう。


「厳密に言うと、会社は設立していません。個人事業主ということで届けてきました。町の酒屋さんとかと同じ扱いです」


 俺はネクタイを外しながら、家に上がった。

 体はルーティンに任せているので平然としているように見えるが、理解は追いついていない。


「まあ、表向きの屋号は必要になりますが、できれば向こうでも使える名前のほうが良いと思います」

「ミナギ商会でいいのではない?」


 いろんな意味で、そんな簡単でいいのだろうか?


 上着を脱ぐ俺へ向けて、エクスはさらに説明を続ける。


「食品や生活雑貨などを仕入れて、月影の里からは金貨で支払いを受けます。それで魔力水晶を購入し、適切な範囲で《マナチャージ》により現金化。事業の口座に振り込むという流れになります」

「商品の売り先が、めっちゃ架空になる気がするんだけど……」

「そこは、エクスの腕の見せ所ですよ」


 オーバーオールと無地のシャツにセンスのない野球帽という、いかにもなハッカーファッションでエクスがにんまりと笑う。コーラのペットボトルが似合いそう。いや、ドクペか?


 まあ、表沙汰にできないだけで犯罪行為をしているわけではなから、別にいいのか……? エクスができるって言うんならできるんだろうし。


 にしても、量産品のタブレットに、なんでこんな高性能AIが存在しているのか。しかも、俺に協力的なのは本当に謎だ。


「税金面で不利になる場合もありますが、そこまで体裁を整える必要はないですからね」


 確かに、株式会社か個人事業者かって気にしないよな。そもそも、違い自体よく知らないし。


「帳簿はエクスにお任せです。くくくくく。オーナーを救済しなかった政府になど、びた一文払ってやりませんからね」


 いや、そんなに政府を恨んだりしてないからね? 大丈夫だよ?


「税金がめんどくさいことになったら、そのときはまた別に考えましょう。法人に転換することはできますし。今は、拙速こそ肝要です」


 俺は首振り人形と化していた。

 操り人形よりはましだが、直にそうなることは確定的に明らかだった。


 そのほうが、楽に生きられるよね……?


「というわけで、あとは会社を辞めてもらうだけなのですが」

「う、うん……」


 ここまでされたら、もう俺には選択肢なんかない。まあ、最初からなかったと言えば、なかったんだけど。

 でも、退職の話をするのは憂鬱だな……。なんか逃げるみたいで申し訳ないというか、あの現場に代わりに入るいけに……後任が可哀想だなというか。


 もちろん、逆に考えて逃げちゃってもいいさって考えればいいんだろうけど、逃げちゃ駄目だという意識がすり込まれている世代だからね。仕方がないね。


「オーナーは、もう会社にいかなくてOKです」

「ぱーどぅん?」


 さすがに、バックれはまずくない?

 引き継ぎは、まあ、離職率の高い職場だし、突然いなくなることも多いから、そこまで心配しなくてもいいんだけど……。


「弁護士に依頼してしまいましょう」

「弁護士」


 すごい悪いことをしている気になってくるな……。


「退職代行というサービスがあるので、そこに連絡だけしてもらえればそれで。というか、いっそ、オーナーの声を合成してエクスが連絡してもいいですか?」

「そんなことできるの?」

「もちろん。エクスとオーナーは一心同体ですから」


 それ、ちょっと意味が違う。違くない?


 助け……というよりは常識を求めて、デフォ巫女衣装のエクスからカイラさんに視線を移す。


「ミナギくんを苦しめた場所を破壊せずに残しておくだけ、温情的な対応よね」

「違う。そうじゃない」


 思わず真顔になって言った。


 おかしいですよ! カイラさん!!


 というか、ええ……?


 仕事行かなくていいの?


 もう、突然深夜呼び出されてタクシーで出勤したり、休日出勤したり、書類上でだけ夏休みを取ったり、始発で出勤して始発で帰ってきたりしなくていいの?


 マジか……。


 マジか……。

お休みしている間に、たくさんのブックマーク・評価をいただきました。

お陰で、日間ランキングに久々に載ったり、総合評価が2,000ptぐらい増えました。

本当にありがとうございます。


お返しは作品でさせていただければと思いますので、社畜でなくなってもミナギくんをよろしくお願いします。

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