83.世界樹の騎士
そこは、真っ白な空間だった。
極めて狭いような、それでいて広大無辺のような不思議な場所。
行ったことも見たこともないが、俺は慌てることはなかった。
タブレットというか、エクスをかばったところまでは記憶にある。
で、次の瞬間これだ。
「なるほど。俺は死んだのか……」
議論の余地などない、完全な推論。
前回は、エクスだけで俺は行かなかったけど、いわゆる神様土下座空間ってやつだろう。間違いない。俺は、そういうのに詳しいんだ。
となると、俺の仕事はなんとかして元の場所に帰してもらうことだな。
ついでに、新しいチートとかもらって帰れるとなお良い。不死の吸血鬼でも殺せる能力なら、なおさら。
無理やり気合いを入れると、俺は大きく口を開けて神様に呼びかけよう――としたところで、
ぺしっと足を叩かれた。
え? なんで?
「あいたっ」
いや、痛くはない。痛くはないが反射的に声が出たのは、勢いが強かったからだろう。あと、妙に硬い感触だった。まるで、竹の定規で叩かれたような。
「ラー!」
「らー?」
異国の挨拶だろうか? 反射的に返してみたが、正解……かは分からないけど、きゃっきゃと喜んでいるので間違いではなさそうだ。
そう、喜んでいる。
いつの間にか緑色の髪をした幼女がいて、諸手を挙げて喜んでいる。
「なぜ、アホ毛が……」
「アー!」
「あー?」
単音節でしか喋れないの? 神は死んだの?
さすがに、このパターンは予想外なんですけど……。
困って後頭部をかいていると、緑髪のアホ毛幼女が満面の笑みを浮かべて、アホ毛を抜いた。
えええええぇぇぇぇ??? 抜けるの? そういうパーツなの? 抜いちゃ駄目でしょ?
「ラー!」
しかも、それを俺へと差し出す。
……受け取れと?
いやいやいやいやいやいや。
「ナー!」
しかし、白いワンピースの元アホ毛幼女……いや、見たらまた生えてきてるから現役アホ毛幼女だ。展開早すぎる。早すぎない?
とにかく、幼女は頬を膨らませてアホ毛を持って迫ってくる。
悪夢かな?
その勢いに抗しきれず、俺は左手で受け取った。
「あ、普通に枝みたいな感触だ」
生触感だったら、放り投げていた自信がある。
「ラー!」
幼女は満足そうにうなずくと、楽しそうに手を振った。
帰れってこと? それは望むところだけど、どうやって?
ふと見ると、足下がなかった。
……正確に表現しよう。
どこまでも続く真っ白な空間で、俺の足下だけ真っ黒の穴が空いていた。
「ラー!」
「ら、らー」
俺は完全な苦笑いで。
訪れる浮遊感に身を委ねた。
「オーナー!」
……あれ?
スマホをいじりながら寝落ちしてしまった。そんな感覚とともに目を醒ますと、エクスの小さな顔がどアップで飛び込んできた。
「オーナー! オーナー! オーナー!」
エクスが目に涙を溜めて、俺のことを呼んでいる。
「えっと……俺はなんで生きてるんだろうな?」
「そういうことを言わないでください……って、その葉っぱはどうしたんですか?」
「どうしたって?」
葉っぱって? なにかいけないお薬がなぜ?
疑問を抱きつつエクスの視線の先――俺の左手を見ると、葉っぱの模様の刺青? 紋章? が手の甲に描かれていた。
「これじゃ、会社に行けないぞ」
「まだ行くつもりなんですか、会社……」
確かに。
メフルザードを倒すのが先決だよな。
現実に目を向けると、部屋は無惨に焼け焦げ、怖いぐらいめっちゃ無表情なカイラさんがメフルザードを切り刻み、ショタ真祖吸血鬼は対照的に愉悦をこらえきれずに哄笑をあげていた。
なにこれ怖い。
「なにこれ怖い」
思わず、口にも出していた。
それくらいめちゃくちゃな惨状だ。
「秋也さん!」
そこに、本條さんが息せき切って駆け寄ってきた。
見たところ、怪我はしていないようだ。良かった。
「本條さん、ごめん――」
「綾乃です」
「あ、はい?」
「綾乃です」
存じておりますが……。
「綾乃ちゃん、それより説明しましょう」
「全力で魔法を使いましたが、殺しきれませんでした。すみません、次こそは上手くやります」
おーちーつーいーてー。
スパルタンになってる荒ぶる本條さんの手を取って、言葉を掛ける。
「心配かけてごめん。それから、よく頑張ってくれたね。ありがとう」
本條さんは呼吸を止めて真剣な瞳でこちらを見ると……一瞬で、きらきらした。
相変わらずガバガバ判定な《勇者の祝福》だが、今はこれで良しとする。
「どっかへ行きなさい」
そうこうしているうちに、メフルザードを牽制しつつカイラさんも合流した。
蘇ったと思しき俺への興味が勝ったのか、とりあえず、傍観に徹するようだ……ん? それにしては、やたらとこっちを凝視しているような?
「戻ってきてくれると思ってたわ」
冷静そのものな声で、カイラさんが言った。
ただし、その尻尾は本人の意思に逆らい、ふぁっさふぁっさと揺れている。
「遅くなったのか分からないけど、間に合って良かったよ。ありがとう」
「ミナギくんが、今戻ってきた。それは即ち、最善で最適なタイミングだったということよ」
カイラさんが全幅の信頼を寄せすぎる。
でも、今はそれが快い。
また、一瞬できらきらし始めたけどね。
……ん?
「……戻って?」
「ええ。世界樹の加護を受けて、戻ってきたのでしょう?」
左手の甲に刻まれた葉っぱの紋章に目をやりながら、カイラさんが言った。
「世界樹……夢のあれが……?」
あのハイテンション幼女は、世界樹(仮)の精霊だった……のか……?
そうなると、アホ毛が紋章になったということになるんだけど……。紋章……108星を集めなきゃいけないの?
「ダメだ。さっぱり分からん」
いつにも増して思考がまとまらない。
首を振る俺に、少し離れた位置からメフルザードが笑いかける
「驚いた、驚いた。お兄さん、本当に僕の同胞だったりしない?」
「血を吸ってみれば分かるんじゃないか?」
「……僕にも、選ぶ権利はあるよ?」
「なんで、俺が悪いみたいな雰囲気になってるんだよ!?」
おかしいだろ! カイラさんと本條さんが、ガチでキレた表情してるのも。
「まあ、いいや」
別段、本気で疑っていたわけじゃないんだろう。
肩をすくめて、あっさりと疑問を放り投げた。
「そろそろ、第二ラウンドといこうか。その力も気になることだし」
「第一ラウンドめっちゃ長かったな」
「じゃあ、第二ラウンドは短く終わらせよう。場も暖まったからね」
雰囲気が変わった。
メフルザードのオーラ……というか、存在感が段違いになる。小さな体が、何倍も大きく感じられた。
「そういえば、疑問に思わない? この部屋には、足りない物があるよね?」
ゆっくり近付いてくるメフルザードに対し、カイラさんが【カラドゥアス】を、本條さんが魔道書を構える。
俺もタブレットをヤツの視線から隠しつつ、油断せずに辺りを見回す。
間違い探しは、すぐに終わった。
「……血痕がない?」
「その通り。それはね、僕が集めていたからなのさ」
メフルザードがぴんと立てた人差し指の先。
そこには、キューブ状になった真紅の塊――血が螺旋を描いていた。
「再生できるとはいえ、痛いものは痛いし、殺られて平然としているわけではないんだよ」
「嘘つけ」
「決めつけは良くないなぁ、お兄さん」
「吸血鬼なんだから、当然だろ?」
「道理だね」
真祖は物分かり良くうなずいた。
「――ただし、人間の」
ニィと笑って犬歯をむき出しにし、メフルザードは指を振った。
螺旋を描いていた血の塊がその速度を上げ、残像が生まれ、ひとつの姿を象ろうとする。
「いい加減、死になさい」
もちろん、黙って見ているわけじゃない。
きらきらを纏ったカイラさんが【カラドゥアス】を縦横に振るい、目を喉を心臓を潰す……が、そこから噴き出た血は螺旋の血塊へと吸い上げられ、なにごともなかったかのようにメフルザードは再生する。
「ブラッドエゴ……まあ、手品だよ」
そして、完成したのは分身。
血でできた、メフルザードの像。
まるで、レクチャードールの意趣返し。
「注意したほうがいいよ。僕がやられた分だけ、その怨念で強くなってるからね」
はああぁぁっぁぁっぁぁっっっ!?
残機制のくせして、倒された分だけ強化される攻撃手段があるとか、どういうことだよ!?
理不尽すぎだろ!
「理不尽だと思ったんでしょ?」
「心を読む能力まであるのかよ」
「いいや。ただの経験則だよ」
メフルザードが、にっこりと笑う。
天真爛漫で、純粋で混じりっけない――天使の微笑み。
「ただね」
血の分身が動いた。
「本当の理不尽は、ここからだよ」
次の瞬間、カイラさんが横の壁に吹き飛ばされていた。
「は……?」
ブラッドエゴが……なにをした?
俺にはさっぱりだったが、油断はない。カイラさんが弱いなんてことは、もっとない。
ただただ、相手が規格外なだけ。
絶望的に。
きらきらのお陰か、ダメージはあまりなさそうだが、目の前の分身――ブラッドエゴに遮られこっちには戻ってこられそうにない。
やばいな分断された。この状態じゃ、《ホームアプリ》で一緒に帰れるか分からない。いや、カイラさんを残しても、問題はないと言えばないのか?
ただ、その状態じゃメフルザードへの勝ち筋が見えないし、なにより、再々戦する勇気なんて湧きそうにない。
今、ここで決着をつけなければならない。
「ミナギくん、アヤノさん。少しだけ耐えて」
「もちろん、カイラさんを信じてるよ」
カイラさんが、すぐにまたきらきらを纏う。
だが、それ以上のことは分からない。伸ばせば手が届くような距離に、メフルザードがやってきたから。
「そうだ。お兄さんの目の前で、その子の血を吸い尽くそうか。さすがにお腹ぺこぺこで、加減できそうにないよ」
「お断りします」
毅然とした態度で、本條さんがぴしゃりと言い放った。勇気ある態度。けれど、メフルザードに感銘を受けた様子はない。
「たまには、無理やりってのも悪くないかな」
「《純白の氷槍》」
「受諾!」
問答無用で氷の槍を生み出し、メフルザードへ投射する。効く効かないの問題じゃない。やるやらないの問題だ。
しかし、《純白の氷槍》は真祖へ届かない。
避けられた? 違う。
投射された《純白の氷槍》は逆再生するかのように後ろへ進み、左手の紋章に全部吸い取られたのだ。
……はい?
「あはっ、あはははははは。これは、さすがに予想外だね。う~ん。やっぱり、お兄さんだけは生かして僕の側にいてもらおうかな。退屈しそうにないよ」
あれ……? これ……?
契約……?
俺は、メフルザードの言葉など聞いていなかった。
「秋也さん……?」
「オーナー……?」
本條さんやエクスからの問いかけも、同じ。
ただ、感じるまま、拳を握って、利き手じゃないのに、左手の紋章にこもった熱を放出するかのように、振り抜いた。
直後、紋章からなにかが飛び出ていく感覚。
「……ふえあ?」
意味を成さない、メフルザードの声。
拳は、真祖には届かなかった。
届いたのは、一本の槍。紋章から放たれたモノ。
それはまるで白木の杭のように、真祖の胸を貫いていた。
「あれは世界樹の……?」
カイラさんの呆然とした声が聞こえる。
メフルザードは、水をかけられた犬のように飛び退いて俺から距離を取った。
「さ、さささささささ、再生しない!?」
「普通の生き物は、再生とかしないもんだぞ?」
当たり前のことを偉そうに言っているが、俺も余裕はなかった。
槍だか杭だか世界樹だかなんだか分からないけど、あれを撃ち出した直後から、全身の力が抜けそうになっている。
ぶっちゃけると、だるい。
気を抜くとまた眠ってしまいそう。
だから、吸血鬼の真祖を揶揄して鼓舞する。
「理不尽は、ここから。正しかったな」
実際、土壇場でいきなり敵がパワーアップして最大の能力を消されるとか、ほんと理不尽だよな。クソゲーかよ。
ゲームと言えば、残機制の敵を倒すには、ふたつ方法がある……というより、俺にはふたつしか思いつかない。
ひとつは正攻法。残機が0になるまでひたすらひたすらひたすら殺し続けること。
実際簡単だ。達成不可能だってことを除けばな。
では、どうすればいいのか?
ゲーム機の電源を抜いてしまえば良いのだ。もしくは、掃除機をぶつけてフリーズさせちゃってもいい。
残機がいくらあっても、それで終わり。全部、終わり。無限1UPした配管工の敵は、いつだってお母さん。
要するに、まともにやってられっか! って、ことだ。
「く。霧化もできないなんて……」
メフルザードが逃げ出そうとするが、当然、許すはずがない。
終わりだ。終わりにしなければならない。
「エクス。《スキル錬結》、《凍結庭園》だ」
「受諾!」
メフルザードは動けない。千載一遇。絶対に逃せない。
疲労で目が霞むが、エクスには関係ない。
虚空に、鉛色の斧が三つと透明なレンズがひとつ出現した。
失墜の聖騎士を相手にしたときと同じ。《スキル錬結》で同時に三つ生み出した《凍える投斧》と、それをキーに発動した《コンティンジェンシー》で出現した《水鏡の眼》。
間髪容れずに、《凍える投斧》が真祖を打ちすえ、逃亡を防ぐ。
「この程度で……ッッ」
メフルザードが悔しげにうめくが、足は氷漬けになっていて説得力はない。
「本体が弱ると、分身も駄目になるみたいね」
カイラさんがブラッドエゴを切り刻み、その勢いのままメフルザードを二本の腕と【ギルシリス】で羽交い締めにした。
マフラーで上から抑え付けられているせいで、本條さんから杭は見えない。
すべては、このビジョンを再現するため。
ガチャこと《ランダムボックス》を購入したことさえも、無駄ではなかった。
「今よ!」
「本條さん!」
「火を九単位、天を二十七単位。加えて、風を六単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
身動きの取れないメフルザードを、《水鏡の眼》で増幅された光そのものが包み込んだ。
無慈悲に、冷酷に――確実に。
世界が光に塗りつぶされ、叫びは押しつぶされ、魂が蒸発する。
光が去り、音が戻り、あるべき姿を取り戻したそのとき。
俺の傍らには、デフォの巫女衣装で踊るエクスと、感極まりすぎて無表情になっている本條さんが。
目の前には、会心の笑顔を浮かべたカイラさんと、黒々とした穴――地下室が広がっていた。
【世界樹の種】
価格:購入不可
等級:神話級
種別:ユニークアイテム(その他)
解説:この世界を荒廃から癒すため神の手により使わされた世界樹が宿した種。
相応しき者の前に何処からともなく現れ、契約を行った後大地に根を張る。
種から生長した世界樹の若木は、下記のスキルを使用する。
《生命の実》
解説:世界樹に生る実は、生命力の宝庫である。
実を口にすることで、その日の間あらゆる病と毒を退ける。
老化は緩やかになり、精神的にも充実する。
また実を口にした者のその日の行いに有利(1)を与える。
《財宝の実》
解説:世界樹の根本には、神々の財宝が眠っている。
世界樹は、毎日異なる財宝が実を付ける。その価値は様々。
この実は、収穫をしないと翌朝には消滅する。
《蘇生の若葉》
解説:世界樹には、生命の神髄が宿っている。それは、まだ若くとも同じことだ。
契約者が死亡した際に、一度だけ蘇らせる。後遺症も、なにも存在しない。
《世界樹の騎士》
解説:世界樹は、己が契約者に世界を癒す力を与える。
ただし、契約者は力を得るに相応しいことを証明せねばならない。
一季節に一度、世界樹は騎士に槍を下賜する。その槍は、あらゆる障害を打ち砕く。