74.失墜の聖騎士(下)
「さて、どう攻めようかしら」
本條さんの活躍で数を減らすことはできたが、帆船――さまよえる栄光号の上には、さっきの幽霊が十数体も遊弋していた。
霧で見えにくいので、もっといるかもしれない。
「さっきのと同じ攻撃は、あと数発なら問題ないです」
怪しい魔道書に耳を傾けるようにしながら、本條さんが請け負った。
頼もしい。
でも、本命の失墜の聖騎士との対決を考えると、少しでも温存しておきたいところだ。
「甲板には、上がろうと思えば上がれるけれど……」
カイラさんが俺を意味ありげに見てから、首を振った。
「正攻法で敵陣に突入するのは、得策ではないわね」
今、俺をお姫さまだっこできなくて残念だと思ったね? 《渦動の障壁》があるから、もともと無理だからね?
「かといって、このまま待機というのも難しそうです」
エクスに言われて海面を見れば、船の周囲だけ海水の色が黒くなり、しかも、海中にクロコダインのおっさんを投下したかのように渦巻き始めていた。
「とにかく、乗り移らないことには始まらないな」
仕方がない。
入り口がないなら、開けさせてもらおう。
「エクス、《吹雪の飛礫》を最大威力で」
「受諾。《吹雪の飛礫》、石300個を消費し、最大威力で実行します!」
初っぱなから石を使いまくっているが、エクスが聞き返すことはない。
俺たちとさまよえる栄光号の間に、バスケットボールぐらいの氷塊が10……20……無数に出現した。
……最大だとこれくらいになるのか。
さすがに、これならヴェインクラルを一発で倒せていたかも……。
貧乏性に後悔を禁じ得なかったが、過去のこと。
現在の《吹雪の飛礫》はさまよえる栄光号に強引なノックを行い、轟音と水煙を周辺にぶちまけた。
それが晴れると――なんということでしょう。
船腹に人一人が余裕で通れる穴が空いているではありませんか。
「劇的ビフォーアフターだな」
「ここぞというときは、やっぱりミナギくんね」
そう俺を褒め称えたカイラさんが、さっと船内へ突入。
「大丈夫よ」
幸いにしてというか当然というか、カトラス幽霊の姿はなかったらしい。いても、蹴散らしてそうだけど。
「じゃあ、飛ぶから――《踊る水》」
「受諾。《渦動の障壁》を対象に実行します」
水を移動させるマクロ《踊る水》で《渦動の障壁》を操作し、その中に包まれている俺も一緒に舟から船へと飛び移った。はたから見ると、シャボン玉に包まれて飛んでいる様に見えるかもしれない。
中身はアラフォーで申し訳ない。
速度は遅いが、物理法則を無視した軌道で船の中へ。
「失礼します」
遅れて、こちらは危なげなく本條さんが乗り込んできた。
初めて会ったときは運動が苦手そうだったが、そんな面影はどこにもない。きらきらさせたまま、船内を興味深そうに眺めている。
この程度では《勇者の祝福》は消費されないらしい。
移動は行動に含まれないんだな。
早いところリディアさんにエンハンスポーションってのを作ってもらわないと、俺が足手まといになってしまう。いや、身体能力が上がるスキルを取ったほうが早い?
「ここから甲板を目指しましょう」
「どうせなら、最短ルートで行こう。エクス、もう一発《吹雪の飛礫》を最大威力で」
「受諾」
どこへなんて言わなくても、エクスは分かっている。
俺の頭上に出現した無数の氷塊が天井を突き破って、甲板へのショートカットルートを形成した。
カイラさんと本條さんは自力で飛んで。
俺は《踊る水》で《渦動の障壁》を操り、ゆっくりと浮かんで甲板に到着。
霧が煙る船上。
そこには、闇があった。
怖気がするほど穢らわしい闇が。
境界も曖昧な人型の影。
表面は墨が流れるように揺れ動き、ただ、瞳だけは赤く爛々と輝いている。予想もしないルートで現れたはずなのに、動揺は一切ない。
手には、七支刀のように枝刃が生えた大剣。
「いや、背骨と肋骨?」
気付いたら、そうとしか見えなくなった。
「聖騎士の魂がアンデッドとなり、朽ちた肉体から背骨と肋骨を取り出した……なんて、ただの伝説だと思っていたけれど」
影がぶれた。
そう思った次の瞬間、失墜の聖騎士が俺の前にいた。骨の大剣を、おおきく振りかぶって。
トラックを前にしたアラフォー社畜のように動けない。
「瞬間移動かよ!?」
「ミナギくん!」
反応できない俺に代わって、カイラさんが二本の【カラドゥアス】で骨の大剣を受け止めた。
枝刃が絡みつき、漆黒の短剣を砕こうとするが、影人は動じない。
「《光刃》」
闇色の短剣を光の刃に変えて骨に相当する枝刃を破壊すると、マフラーに握らせていた三本目の【カラドゥアス】を境界も曖昧な人型の影へと振り下ろした。
必殺のタイミング。それに加えて、《勇者の祝福》もついている。
それなのに。
光の刃は、失墜の聖騎士を虚しく通過していくだけ。なんら痛痒を与えた様子はない。
どんなバグキャラだよ……。
「こうも攻撃を無効化され続けると、さすがに忸怩たるものがあるわね……。ここまで伝承通りとは思わなかったわ」
距離を取りつつ、《勇者の祝福》が解けたカイラさんが忌々しいと吐き捨てた。
尻尾も垂れ下がっているし、これ、ガチでへこんでるやつだ。
……今度フォローしないと。
そこに、空気を読まないカトラス持ちの幽霊が急降下してくる。
「――GIGAGAGAGAGAGAGAGAGAGA」
「火を三単位、天を九単位。加えて、風を二単位、地を四単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
それを本條さんがホーミングレーザーで一掃し、カイラさんが後ろに下がった。同時に、失墜の聖騎士も大剣の枝刃を再生しようとする。
奇妙な膠着状態。
それを利用し、カイラさんが失墜の聖騎士の伝承を語る。
「失墜の聖騎士の闇の骸は、あらゆる攻撃を寄せ付けないとされているけれど……」
「まさか、比喩じゃなくてガチだとは思わないよな」
「ええ、そうよ。そんなことはありえないわ」
「つまり、やたら防御力が高い……じゃなくて、一定以下のダメージを無効化かな?」
ますます、仮想メフルザードめいてきた。ボクシングマンガでも、こんな理想的なスパーリングパートナーは出てこない。
そうだ。スパーリングパートナーだ。そう思わないと、呑まれてしまう。
メフルザードとの再戦は、ずっと考えてきた。といっても、カイラさんが足止めして、本條さんがしとめるというシンプルな作戦だけど。
でも、複雑な戦術なんて実行できないからね。良い仕事は全て単純な作業の堅実な積み重ねなんだ。
「カイラさん」
「任せて」
「本條さん、俺もサポートするから、カイラさんの合図で一番すごいのを使ってくれ」
「――はい」
方針は決まった。
そして二人が光をまとう……って、待った。
本條さんはともかく、カイラさんは名前を呼んだだけなんだけど?
「それは、名前を呼ぶだけで失墜の聖騎士を足止めしてねという役割分担が伝わったんですから、そうなりますよ」
と、なぜかエクスにあきれられた。
ごめんなさい……。
謝罪は結果を出すことで行うことにしよう。
「私のことは気にせずに動いて」
そう言い捨てて、カイラさんが光をまとったまま剣の再生を終えた失墜の聖騎士へ肉薄する。
白い霧の中、衝突する光と闇――とは、ならなかった。
輪郭の曖昧な闇が骨の大剣を振り下ろした刹那、カイラさんが消えた。横でもなく後ろでもなく、頭上に。
両手に増殖した【カラドゥアス】を持って、投擲の構えを取った。
失墜の聖騎士は骨の大剣を腰だめに構え、防御も回避もせずカイラさんが落下するタイミングを計る。
正しい判断だ。
カイラさんが攻撃をするのであれば。
「束縛なさい、【ギルシリス】」
同調者の命を受け、首に巻いたマフラーが伸びた。
それだけでなく、意思を持つかのように飛翔し、失墜の聖騎士をぐるぐる巻きにする。
「エクス。《スキル錬結》、《凍結庭園》」
「受諾!」
当然、このチャンスを逃すはずがない。
虚空に、鉛色の斧が三つと透明なレンズがひとつ出現した。《スキル錬結》で同時に三つ生み出した《凍える投斧》と、それをキーに発動した《コンティンジェンシー》で生み出した《水鏡の眼》だ。
斧はぐるりと縦に回転し、霧を引き裂いて失墜の聖騎士の両足と胸に命中する。
いくつかある攻撃用のマクロの中から《凍える投斧》にしたのは、威力だけが目当てではない。
凍傷による行動阻害。これが、一番の理由だ。
「Oooooooooooohhhhhhhh!!!!!!」
狙い通り、傷口から氷が広がり失墜の聖騎士を氷漬けにする……とまではいかなかった。全身を薄い霜のようなもので覆うのが精一杯。
でも、いいんだ。
まだこれで終わりじゃあない。
さらに、《コンティンジェンシー》で作った《水鏡の眼》を俺たちと失墜の聖騎士の間に設置した。
正確には、本條さんとの間に。
「アヤノさん、今よ!」
「火を九単位、天を二十七単位。加えて、風を六単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
かつてないほどの魔力を注ぎ込み、本條さんがかくりと膝をつき魔道書を取り落とす。
代わりに、光球から放たれた光は、かつてないほど太く眩い。今までのがビームライフルだとしたら、これはメガ粒子砲だ。
それでも、失墜の聖騎士は動かない。必要がないから。闇の骸とやらで、しのげると判断したのだ。
ああ、そうだ。その通りだ。
それぐらい分かってる。これで終わるんだったら、カイラさんの最初の一撃で終わっていた。
だから、《水鏡の眼》を用意した。
霧に浮かぶ、水のレンズ。
本條さんのレーザー魔法がそれを通過すると、光も勢いも桁違いに増幅された。もうメガ粒子砲じゃない。コロニーレーザーだ。
つまり、俺の《スキル錬結》は、敵を足止めして本條さんの超威力のレーザーを叩き込んでもらうためのもの。
最低で最高のコンボだ。
「――QuAAAAAAAAAAAAAAAAA」
危機感を憶えた失墜の聖騎士が、ようやく反応して拘束を解こうとする。そのうえで、最初の瞬間移動を使おうとしているのだろうが――遅い。
遅すぎた。
「させないわ」
カイラさんが失墜の聖騎士の背後に回り、光の刃を伸ばした【カラドゥアス】を足に突き刺す。
そのとき、光が世界を支配した。
思わず目をつぶるが、まぶた越しにも真っ白な光を感じる。
世界が漂白された。
刺激臭が鼻を刺激し、船がきしむ音がし、《渦動の障壁》ごと吹き飛ばされそうになる。
「終わったわよ」
すぐ側から聞こえたカイラさんの声で、俺は目を開いた。
そこは、霧が晴れぼこぼこになった幽霊船の甲板が広がっているだけ。
闇も幽霊も、なにもなかった。
「カイラさん、無事で……」
「首輪のお陰で、助かったわ」
「チョーカーだから」
そこは譲らないからね。絶対に、絶対にだ。
「本條さん、お疲れ様。語彙力がなくてあれだけど、とにかくすごかった――」
「秋也さん、カイラさん、逃げましょう。来ます」
膝を突いていた本條さんが顔を上げ、頭痛をこらえるように言った。
まさか、このタイミングで未来予知!?
正解に至った途端、船が大きく揺れた。川の流れに翻弄される木の葉のように。海水が、通り雨のように降り注いで甲板を濡らした。
俺たちがやり過ぎたわけじゃあない。
海中からなにかが浮かび上がり、それが大波を引き起こしたのだ。
それは巨大な。
巨大と言うには、あまりに馬鹿げたサイズの。ゆえに巨大としか言えない半魚人だった。
アイディアロール――成功。
――ダゴン。
古代カナンの神。
そこから派生した、クトゥルフの従属神。
正解かどうかは分からない。知らない。
でも、直感的に理解してしまった。
そのものでなくても、近しい者であると。
正気度判定――辛うじて成功。
正気度減少――不定の狂気に至らず。
……これ、一番駄目なやつじゃね?
「正気度判定は、成功すればいいってもんじゃない。場合によっては、気絶した後にもっとすごいのが来たりするからな」
――CoCを10回以上同じキャラで参加し、クトゥルフ神話技能が15%ぐらいになってしまったプレイヤーの言葉