72.海へ
誤字報告ありがとうございます。助かってます。
「ギルマン……だと……?」
「ええ。場所ぐらいは把握しているでしょう?」
冒険者ギルド。
その執務室で、ギルドマスターのマークス・ジークは無表情なまま頭を抱えそうになっていた。
突然の訪問は構わない。
それが早朝と言える時間なのも、マークスにとっては許容範囲。
しかし。
相手が野を馳せる者の黒喰で、彼女の口から語られた内容は、さすがに問題だった。
「腕試しにギルマンを皆殺しにしてくるから居所を教えろと、言われたように聞こえたのだが」
「そう言ったわよ?」
鋼の自制心と表情筋を持つマークス・ジークでなければ、退室を命じられてもおかしくない。それだけのことを、白い野を馳せる者は平然と言い放った。
「近付いてはならない海域……ということであれば、もちろん情報はある。あるが……」
「それをちょうだい」
「簡単に言ってくれるな」
下手に連中を刺激をして……と考えてから、マークスは心中で首を振る。
ギルマンはなにもしなくても地上に現れるのだ。そもそも、“大いなるもの”に仕える魚人たちに一般的な感性や反応を求めることはできない。
つまり、彼女の要求を断る理由はないのだ。
「分かった。今日中に屋敷へ届けさせよう」
「……そうね。それでいいわ」
黒喰が見せたわずかな逡巡。
その理由が分からず、マークスは僅かに眉をひそめた……が、即座に思考を放棄した。必要なら、向こうから言うはずだ。
結果として、その判断は正解だった――主に、彼の胃腸にとって。
まさか、『世界樹が生えているけれど、実が生っていなければ普通の木と変わらないから問題ないわよね』という思考が展開されたなどとは思いも寄らない。
そもそも、普通は世界樹が生えてきたりしない。
「ああ、そうそう」
気付けば、野を馳せる者の黒喰が目の前から消えていた。いつの間にか、扉を開いたところで振り返っている。
鋼鉄の表情が歪む寸前、カイラはなんでも無いように口を開く。
「あの家、とても気に入っているわ」
ギルドマスターの返事も聞かず――元々、そんなものは求めていなかったのだろうが――そのまま出ていってしまった。
「そうか……」
一方的に押しつけたような形になってしまったが、気に入ってくれたらしい。
そこに保身が含まれていることに気付きつつも、マークスはつい安堵してしまう。
だが、それも長くは続かない。
代わりに、良くないことが起こるような……根拠のない悪い予感がして、ただでさえも鋭い眼光がさらに剣呑な光を帯びた。
勇者が、海に出る。
いや、今までも出ていたらしいのだが、本格的に海へ出て、積極的にモンスターを狩る。
「こちらに損はないのだがな……」
冒険が成功すれば、ある程度は冒険者ギルドの得点になる。
失敗しても、彼らの責任で行ったこと。冒険者ギルドが悪者になることはない。
自明の理。
そのはずなのに、胸のざわめきは収まる気配がなかった。
「今日は、そばじゃなくてピザかぁ」
「まだ二日目ですけど、基準が分からないですねぇ。まあ、エクスには関係ないですけど」
翌日というか翌朝。
今日も、グライト周辺は天候に恵まれていた。
せっかくなのでキャンプ用品を《ホールディングバッグ》から出して、外で朝食となったわけだが……世界樹の実を割ってみたら、中から出てきたのはピザ。
オーソドックスなトマトソースとソーセージのピザ。
なぜか、紙のカップに入ったコーラもセットだ。いや、それ自体は嬉しいんだけど。だけど、実の中からひょっこり出てくると違和感が先に立つ。
ピザは、いつから神の食べ物になったんだ……? いや、本国じゃGMがセッションしながらピザ食ってるんだろうけど。
「もしかして、秋也さんの好物が選ばれているのではないですか?」
「そんなこと……なくはないけど……」
普通に好きだけど、ギャルゲーのキャラみたいにそれしか食べないとか、食い逃げするほど好きというほどではない。
それに、プログラマーの主食はピザとコーラというのは偏見だ。固形物なんて食べたら、集中できなくなる。
「まあ、いくら美味しくても毎日同じ物では飽きてしまうのだから。素直に喜べばいいのではない?」
「せやせや。はよ食べよ。ウチが朝型になってまうやん」
それは吸血鬼的に一大事だ。
「じゃあ、温かくて冷たいうちに食べようか」
「不思議ですよね。この実はどういう仕組みになっているのでしょう?」
「お先にいただくで」
本條さんの疑問など知ったことではないと、リディアさんがピザにかぶりついた。
緑色の髪の片眼鏡をかけた吸血鬼が熱々のピザを冷え冷えのコーラで流し込んでいく光景は、ありがちなサブカルのようだ。
そして、同じく初体験だろうカイラさんは、特に表情を変えることなくピザを口にしていた。
だが、尻尾がふっさふっさと揺れており、思わず俺とエクスはにっこり。
世界樹(仮)、いい仕事してるじゃあないか。
「この黒いしゅわしゅわ、ダークエルフが秘伝にしとった水薬に似とるな」
「なぜダークエルフがコーラを」
過去の勇者が、製法を伝えたりしたんだろうか?
……よく、コーラの材料なんて知ってたな。それとも、《醸造》みたいな便利スキルがあって、酒やジュースをいくらでも出せたとか?
まあ、考えても無駄か。もしかしたら、こっちで発明されたレシピが巡り巡って地球に来た可能性だってあるし。
「イタリアで食べたものより、美味しい気がします。お外で食べているからでしょうか?」
相当なお嬢様だと思われる本條さんだが、さすがにピザを食べたことがないなんていう箱入りお嬢様村の住人ではなかった。
まあ、イタリアと比べるところが箱入りお嬢様村の住人っぽいけど。
でも、こう、食べ方ひとつとっても気品があるよな。
一方の俺は、朝からピザとコーラはきついかなと思ったが、スキルの恩恵で体質が変わったのか。ぺろりといけてしまった。
「若い頃でも、朝からピザは食べたことねえな。《レストアヘルス》って効くんだなぁ」
「オーナーの場合は、肉体もそうですが精神がようやく人並みになってくれたと言うべきかと」
「失礼な」
「そうは言いますが、オーナー。まだ向こうに戻ったら仕事に行く気満々ですよね?」
「そんなことないし。今は、ちょっと億劫になってるし」
娯楽はないけど、寝たいときに寝て、スマホのアラームで起こされることのない生活。そして、美味しい食事と適度な運動。
それが地球に戻れば、眠剤を入れてから寝て、スマホのアラームが鳴る30分ぐらい前に目が覚めるのでソシャゲでログインボーナスをゲットしてからAPを消費し、ゾンビのように会社へ行く生活になるわけだ。
……耐えられるのか、俺。
「勇者はんもいろいろあるんやな。ところで、今日の財宝はなんだったん?」
「ワインらしきもの」
「へえ……。らしきってことは、開けてないんや」
「金貨255万円分相当のワインを飲みたいって言うんなら開けてもいいけど」
「ないわー」
首と手を一緒に振って、リディアさんが全身で拒否する。
「意外。吸血鬼ってワイン飲むんじゃないの?」
「飲むけど、そんな高いのはよう飲まんわ」
庶民派? まあ、記憶喪失だっていうから、その辺の感覚は人間に近いのかも。
「ワインは投機の対象でもありますから、100万円以上する物もざらにありますが……高ければ美味しいというわけでもありませんし」
本條さんの補足に、俺は曖昧な笑顔でうなずいた。
はっきり言って、ワインの善し悪しなんて欠片も分からない。
だって、ワインって、あんまり飲んだことないけど、「お、おお……」とか恍惚の表情浮かべて幻影が見えたりするんでしょう?
怖い。
「というわけで、実戦訓練第二弾の相手を決めてきたわ」
「決めてきた……」
食事と会話が一段落したところで、カイラさんが唐突に発表した。
見れば、いつの間にやらピザとコーラを完食している。
これなら、デザートでシュークリーム出さなくてもいいかな。
「ギルマンを駆逐するわよ」
「深き者に似たモンスターですね……」
よりによってクトゥルフ系だよ、クトゥルフ系。
まあ、ゴブリンと似たようなもんだと思えば、そうなんだけどさ。
「よっしゃ。水中呼吸のポーションを作ったるで」
「あ、その辺は俺の能力でどうにかできるんで」
目立ちそうだからスルーしてたけど、水上歩行できるマクロもあった気がするし。
「……もしかして、ウチの体目当てで雇ったん?」
「そういうのちょっと考えられないです。ごめんなさい無理です。今後ますますのご活躍をお祈りいたします」
「なんでウチお祈りされてるん?」
「ふっ」
「しかも、憐れみを込めて笑われとる」
カイラさんのその反応は、俺にもちょっと分からない。
普通にこう、リディアさんは友達としてはいい感じだけど、それ以上は想像できないかなぁって。
「それはともかく、上手くいけば“大いなるもの”とやらとやり合える可能性もあるわ」
「それは本当に上手くいけばなの?」
問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
「ええ。小物ばかり相手にしても仕方がないでしょう?」
「まあ、それもそうなんだけど」
俺たちの目標は、真っ二つにしても平然と再生するメフルザード。
勝手なスパーリングパートナーは、強いに越したことはない。
「私も異存はありません。自信は、あまりないですけど……」
「そこは、みんなでフォローし合うということで」
「ええ。私もサポートするわ。でも、ほとんど必要がないと思うわよ」
ということで、俺たちはギルマンの巣へ赴くことになった。
翌日、準備を整えてから出港し――カイラさんの目論見は、少しだけ外れたところで大当たりすることになる。
ミナギくんがワインを合法ドラッグ扱いしているのは、だいたいキバヤシのせい。