62.地下室の吸血鬼
予定を変更して、今回吸血鬼を出してしまいます。
あと、冒頭は三人称です。
「そうか。ご苦労だった」
グライトの冒険者ギルド。
執務室で報告を聞いたギルドマスターは、冒険者を退出させた。
相変わらず、鋼のようにマークスの表情は変わらない。
しかし、その内心まで鋼鉄で装われているわけではなかった。
「事実か……」
湖が突然現れたのは事実。
そこにウンディーネが存在しているのも事実。
そのウンディーネから、水の精霊殿を復活させたのがあの勇者たちだという証言も得られた。
しかも、彼が認めれば、ポーションの素材として湖の水を使っても構わないという。
事実、事実、事実。
すべて事実。
すべて、あの勇者たちの掌の上。兜を脱ぐしかなかった。
長年ギルドマスターを務めてきたマークスですら、そうなのだ。もう一人の当事者であり、一緒に報告を聞いていた薬師ギルドのギルドマスターは、周章狼狽というのも生やさしい。
しきりに、広い――というより、髪が後退して頭の大部分を占める額をハンカチで拭っている。
「お、おい。ジーク、ワシらはどうすればいいと思う?」
「難問だな……」
勇者は、基本的に寛大で多くを求めようとしない。だが、彼らの中のある一線を越えると過剰とすら言える反応を見せるのだという。
それが分かっているのだろう。薬師ギルドのギルドマスターは、来客用のソファに落ち着きなく座って、貧乏ゆすりを繰り返していた。
「勇者たちに、どんな顔をして会えばいいんじゃ……」
吸血鬼の血をポーションの素材とする。
湖沼地帯がフロッガーに占拠され、ポーションの素材として最も重要で基本となる“命水”の供給が断たれた。すでに汚染されており、たとえフロッガーを駆逐できたとしても、元には戻らない。
そうして、窮余の策として採用されたそうだが、もう、何十年も前の話。当時の人間は、すべて墓の下だ。
それ以降、非道な行いであることを自覚し、顧客への裏切りに近いと知りつつも、ずるずると続けてしまった。
ポーションの安定供給という大義名分の前に、怠慢を肯定してしまったのだ。
それをあっさり暴き、あまつさえ完全な解決策まで提示するとは。勇者のなんと尊くすさまじいことか!
「是としてきたのは、ワシらじゃ。どうにか、ワシらだけで収めねばならぬ」
マークスは、鉄仮面を小動もさせなかった。
外見は小悪党で、精神も小物だが、薬師ギルドのギルドマスターは、責任者の存在意義を忘れたことはない。そのことを知っていたからだ。
「できれば、この首ひとつで納得してくれるといいんじゃが……」
「それは、最後の手段にすべきだな」
別に、命を惜しんでの話ではない。
三日間、講義をしてマークスが得た印象からの判断だ。
吸血鬼の扱いに不快感を示し、彼女の解放を願っていた。だが、それ以上のことを求めているようには見えなかった。
そんな相手に首を差し出しても、喜ばれるはずがない。
「とはいえ、対価は早急に支払うべきだ」
「姫に会いたいという話か……」
勇者たちから突きつけられた、情報の対価はそれだけだった。
金銭も、マジックアイテムも、なんらかの地位も。関係者の処罰すら求められなかった。
それは、楽で良い。
などと気楽に構えられる人間は、どんな組織にいても出世はできない。そして、出世している彼らには、それが正解だと気づけるはずもなかった。
「そうじゃな。事実が確認できた以上は、早いほうが良かろう。明日にでも、薬師ギルドへ招かせてもらうぞ」
「ああ。宿に使いを出そう」
事態は前に進もうとしている。
それは自らの死刑執行書を認めているのと同じだったが、前進は前進だ。
「ほんに、ウンディーネと水の精霊殿の情報をぽんっと寄越した相手に、なにを提供すればいいんじゃ……」
「せめて、なにか取っ掛かりがあれば……いや、そうか」
「さすがジーク!」
「彼らは、宿暮らしだ」
「おおっ。確か、塩漬けになっていた物件があったの」
「ああ。だが、すべては明日次第だ」
「……うむ。誠心誠意対応させてもらうぞ」
ちなみに、二人のギルドマスターが苦心惨憺しているその頃、当の勇者たちは、カニを乱獲していた。
「よ、ようこそ薬師ギルドへ」
迎えの馬車から降りた俺たちを迎え入れたのは、髪が後退……いや、額が前進している中年の男性だった。
これが時代劇だったら、越後屋と名乗られても違和感はない。
薬師ギルドのギルドマスターだそうだが、同じギルドマスターなのに、マークスさんとはかなり違うタイプだ。
そんなギルドマスターだが、こっちへの態度は平身低頭。かなり年上だろう相手にそういう対応をされると、逆に辛いものがある。
「早速こちらへどうぞ」
人払いがされているようで、昼間だというのに薬師ギルドの中には他に誰もいない。そして、周囲を見回す余裕もなく、足早に地下室へと案内されてしまった。
「ここが、姫の部屋になりますじゃ」
「姫……」
吸血鬼のことを表す隠語なのだろうか。
というか、女性だったんだな。
「危険はないのね?」
「も、もちろん。我が薬師ギルドと彼女は、互恵関係を構築――」
「それならいいのよ」
「は、はいぃ」
俺たちの安全を第一に考えるカイラさんの確認に、薬師ギルドのギルドマスターは、太鼓判を押した。
姫自体が争いを好まないのか、それともある程度の信頼関係があるのか。
できれば、両方であってほしいところだ。
そうこうしている間に、地下室の扉が重々しい響きとともに開いていった。かなり厚みのある、金属製の扉だった。シェルターや銀行の金庫を連想する。
「遠慮せず入ったって」
「は、はあ……」
なんで、怪しい関西弁っぽい声が?
「私が先に行くわ」
カイラさんを先頭に、俺たちは地下室の中へ入っていく。
もちろんというべきか、攻撃されるなんてことはない。
地下室は床も壁も天井も真っ白で、魔法らしい明かりが室内を照らしていた。サイコスリラーだったら、シリアルキラーが収監されていそうな部屋。
しかし、部屋の中心に置かれた椅子に座る主は、ハンニバル・レクターでも黄金の魔女ベアトリーチェでもない。
「初めまして、勇者はんたち。ウチは、リディア。ここで飼われとる吸血鬼や」
こっちを見て微笑むのは、緑色の髪をして、瀟洒なドレスを身にまとった片眼鏡の美女。
もう、過去形やけどなと笑った彼女の唇の間からは、吸血鬼らしい牙が覗いていた。
雰囲気に飲まれた……というわけじゃないが、リアクションしづらいな、これ。
メフルザードみたいな絶対的強者という雰囲気ではないし、かといって、吸血鬼らしいというわけでもない。
牙を除外すれば、単なる気さくなお姉さんだ。
というか、エセ関西弁がいけない。シリアスクラッシャーだ。
「お役目ご苦労さん。もう、ええで」
「い、いいのか?」
「こっからは、内々の話というやつや」
「そ、そういうことなら……」
俺たちを案内してくれた薬師ギルドのギルドマスターが、そそくさと退場していく。居づらいのは分かるので引き留めはしなかったが……。
……結局、名前聞いてねえ。
若干引き気味の俺に代わり、本條さんが一歩前へ出る。
「リディアさん。あなたが、吸血鬼……なんですか?」
「そう言ったはずやで、美少女ちゃん。うち、そんなにらしくない?」
「いえ、想像した姿と違っていたもので……。あと、私は本條綾乃です」
関西弁っぽい吸血鬼とか、予想外過ぎるよな。
あと、血を利用されていたにしては、全然普通だし。
「アヤノちゃんやね。うちは吸血鬼やから、ずっと地下室でも荒んだりはせえへんで。血を抜かれても、ちゃん補充してくれたしな」
笑えねえ。
なので、話を変える意味も込めてこのタイミングで自己紹介。
「俺は、皆木秋也。勇者になったつもりはないけど、そう認識されている」
「カイラ。影人よ」
「リディアや。勇者はんたちのおかげで、ウチは解放されるそうやな。実感はないけど、ありがとうな」
「いや、こっちもこっちの事情で動いていただけだから」
「お陰で、うちはこれから、自活せんといけんようになったわけやけどな!」
「ダメ人間過ぎる……」
「にゃははははは。まあ、ここの生活も、それほど悪うはなかったということや」
そう言われたら、これ以上はなにも言えない。
当事者にしか分からないことがあるんだろうし。
「まあ、なにかあれば頼ってくれていい」
「ありがとな。でも、そんな話をしにきたわけじゃあないんやろ?」
話。
話か……。
とりあえず会っておきたかったというのが本音だったのだが、これはもう終わってしまった。
そうなると……。
「最初は、天属性の防具が欲しいだけだったんだよな……」
「この眼鏡やな?」
と、吸血鬼のリディアさんが片眼鏡を外した。
それがマジックアイテムだったんだ。さすがに、《初級鑑定》はダメだよな。
「お礼にプレゼントしよか?」
「いや、これから独り立ちしようって人にもらうのはちょっと」
鬼畜過ぎる。RPGの主人公かよ。
というか、リディアさんには、むしろこれから必要になるやつじゃん?
「そうね。結局、私が避ければいいのだし」
「が、頑張ります……」
未来予知でレーザーに巻き込むことが確定しているのに、カイラさんはぶれない。というか、本條さんへのプレッシャーがぱないことになっている。
「そうだ。代わりといっちゃなんだけど、吸血鬼の倒し方を教えてほしい」
「それ、ウチに聞く?」
片眼鏡を戻しつつ、リディアさんは面白そうに笑った。
はい。自覚はあります。
「まあ、俺たちの世界の吸血鬼なんで、話半分ぐらいで」
「英雄界の吸血鬼ねえ……」
「参考までにでいいんだけど」
「まさか、そんな質問をされるとは思わへんかったわ」
苦笑しつつ、それでも彼女は答えてくれた。
「白木の杭で殴ればええんちゃう? とりあえず、吸血鬼だろうと心臓潰せば死ぬやろ? まだ、ウチは死んだことないけどな」
「正論過ぎる」
やっぱり、古典的な方法でいくしかないのか。
ある意味で覚悟を決めたところ……リディアさんがぽんっと手を叩いた。
「あ、そういえば……」
「なにか吸血鬼の秘伝が?」
「吸血鬼の血は、吸血鬼には毒になるんよ」
「それ、初耳だな」
カイラさんを見るが、彼女もうなずいて肯定した。
ほんとに吸血鬼の秘伝だった。
「私も聞いたことありませんでしたが、理屈は合っていると思います。吸血鬼同士で血を吸い合ったりしないという理由にもなりますし」
だとすると、ダンピールだから吸血鬼を退治できるという伝説にも説得力が生まれる。アカシックレコードを書き換えるよりも、ずっと現実的だ。
なんか、本場だとタンバリンとかで呼び寄せて吸血鬼退治するらしいけどな、ダンピール。
服を脱いだり走ったりするうちに、なんか吸血鬼退治されちゃうらしいけどな、ダンピール。
「というわけで、うちの血を分けたろか」
「それは……」
「ちょっと……」
顔をお食べよみたいに言われても、そのなんだ。困る……。
ほらもう、本條さんみたいな美少女が浮かべちゃいけない表情してるじゃん! それでも、美人だけど!
「なんや? うちの血が要らへん言うんか?」
「ブラック過ぎる」
「ウチの血は、ちゃんと赤いで」
結局、強引に押しつけられて、吸血鬼のリディアさんとの会見は幕を閉じた。
リディアさんがエセ関西弁なのは、古代語訛りを《トランスレーション》先生が拡大解釈したからという説が、あるとかないとか。