51.初めてのゴブリン
6,000文字オーバー注意。
「討ち漏らしても構わないわ。まずは、しっかりと呪文を使う感覚を掴みましょう」
カイラさんの気楽にというアドバイス。
しかし、それを投げかけられた俺と本條さんは肩に力が入りまくり。
洞窟の前で遊んでいるゴブリンたちから視線が外せない。
「大丈夫よ。向こうは夢中で気付いていないわ」
「……ですね」
本條さんより、多少は経験がある。
俺が、ちょっとでも余裕なところを見せてあげないと。
手元のタブレット。そして、山ガールだか森ガール風ファッションに着替えたエクスを目にし、俺は、ふっと頬を緩めた
笑うという行為は偉大だ。
「俺からやります」
初めてのゴブリン退治。
その幕が、切って落とされようとしていた。
「ゴブリン退治に行きましょう」
狩りに行こう!
それぐらいの気安さで、尻尾をふさふさと揺らすカイラさんから提案を受けたとき。
「甘味様、ゴブリンと戦うんだ?」
甘味様……ではなく俺は、宴会も行われた広場で、里の子供たちにシュークリームを配布しているところだった。
アシスタントに、エクスと本條さんを従えて。どんなイベントだ?
こっちでは宴会の翌日だが、子供たちのスイーツ欲はまったく満たされてないようだ。
それどころか、増しているまである。
そんな中、牛っぽい耳と角の少年が、くりっとした黒い瞳で心配そうに見上げる。
「甘味様、気をつけて! 血でべとべとになっちゃうから!」
「注意するの、そこなの?」
「こらっ、勇者様でしょう!」
「できれば、どっちも勘弁してほしいんだけど……」
どうしてこうなったのか。
言うまでもない。それもこれも無限シュークリームなどという謎アイテムを、運営が配布したからである。
しかし、運営とはしばしばプレゼントボックスにマスコットキャラクターを20体まとめてとか、恐竜の子供の毛とかイエティのプロペラを突っ込んでくる存在。
そう考えれば、シュークリームはかなりましとも言える。
「ゴブリンというと、あのゴブリンですか?」
子供たちが完全に散ってから、本條さんが小首を傾げながら聞いた。元々、ほとんど配布は終わっていたので、子供たちを邪険にしたわけではない。
それにしても、ポーズではなく、本條さんそのものが可愛いので、なにをしても可愛らしい。
「たぶん、それで合ってるんじゃないかな?」
端的に言えば、雑魚。
低レベルなうちは好敵手になりうるし、ゲームによっては呪文が使えたりしてそこそこの強敵になる場合もあるが、基本的には雑魚である。
「ゴブリン……妖精の一種……ですよね?」
合ってなかった。
今カルチャーギャップが発生したぞぉ。
やっぱり、本條さんはあんまりハイファンタジーを読まない人なんじゃなかろうか。
「妖精といっても、エクスみたいなのとは違うかな」
ルーツはそうでも、今では似て非なるモノのはず。
「端的に言うと、モンスター……でいいよね?」
「そうね。強さはそこまでではないけれど、数が多くて放置すると厄介なことになるのよ」
基本だな。
どうやら、こっちでもゴブリンはそんなポジションのようだ。
里の影人が巣穴を見つけ、黒喰に報告。その情報が、カイラさんに降りてきたそうだ。
俺たちが修業に出ることはすでに周知されており、ちょうどいいのではないかという配慮があったようだ。
「遭遇戦よりは、マシ……かな」
「ええ。こちらは、遠距離主体だもの」
フォーメーション的には、カイラさんのワントップに、俺と本條さんのツーシャドウが並ぶ超攻撃的布陣だ。
確かに、こっちが主導権を握れるような状況が適しているはず。
「秋也さん」
「うん。やろうか」
どちらにしても、避けられない道。
それなら、自分で選んだほうがいい。
こうして、カイラさんの先導。
つまり、フェニックスウィングには俺と本條さんがまたがり、カイラさんはマラソンでゴブリンの巣穴にたどり着いた……のだが。
案の定、見張りがいた。
俺たちは、木の陰に隠れて洞窟の入口を窺っているところ。けれど、もっと堂々としていても見つかる心配はなさそう。
だって、見張り……のはずが、まったく警戒していないのだ。
代わりになにをしてるかと言えば、しわだらけの老人みたいな緑の肌の小人が、青い肌をした人型のモンスターを斧で嬲っている。
えええぇぇ……。
緑でしわだらけのがゴブリンなんだろうけど、俺が知ってるゴブリンと違うぅ……。
「やられているのはオークね。食欲だけで生きるモンスターよ」
内輪揉めというわけでもないらしい。
なぜなら、どっちも人類の敵というだけで、仲間ではないからだ。
なんでも、オークには性欲と睡眠欲がなく、食欲に特化しているのだそうだ。その強靱なあごと胃袋は、有機物だろうと無機物だろうと咀嚼・消化し、同族以外はなんでも食らう。
オークは飢えているのではなく、ただただ暴食に明け暮れるだけ。ゆえに、満足というものを知らない。
イナゴよりひどい……。
そんなオークを取っ捕まえて、「きゃきゃきゃっ」と楽しそうに飛び跳ねているゴブリンを、どう表現すればいいのか。
「ゴブリンは血を流させることを至上の喜びとし、犠牲者の血で髭を染めることを誉れとしているのよ」
とカイラさんが言う通り、長く白い髭は、とっくに真っ赤だ。
ドン引きである。
……次からは、勝手なイメージで判断せず、事前にしっかり下調べしよう。
「まるで、残酷な子供ですね……」
心は子供、体はモンスター! 殺人鬼ゴブリン!
最悪じゃねえか、それ。
差別するわけじゃない。
差別するわけじゃないが……これ、ダメなやつだ。
そう、虫。
カサカサカサカサ集ってくる虫への嫌悪感に近い。
「討ち漏らしても構わないわ。まずは、しっかりと呪文を使う感覚を掴みましょう」
カイラさんの気楽にというアドバイス。
しかし、それを投げかけられた俺と本條さんは肩に力が入りまくり。
洞窟の前で遊んでいるゴブリンたちから視線が外せない。
「大丈夫よ。向こうは夢中で気付いていないわ」
「……ですね」
本條さんより、多少は経験がある。
俺が、ちょっとでも余裕なところを見せてあげないと。
手元のタブレット。そして、山ガールだか森ガール風ファッションに着替えたエクスを目にし、俺は、ふっと頬を緩めた
笑うという行為は偉大だ。
「俺からやります」
初めてのゴブリン退治。
その幕が、切って落とされようとしていた。
「エクス、《純白の氷槍》」
「受諾」
俺の頭上に、その名の通り真っ白で鋭い氷の槍が生まれる。
要するに、氷柱だ。それも、巨大な。
「じゃあ、俺は左側をやるから」
「……はい」
本條さんの返事を聞くと、心の中でだけ「ファイエル」とつぶやいて右手を振り下ろす。
その合図に従って、《純白の氷槍》が回転しながら飛び――ゴブリンの頭を吹っ飛ばした。一応、粗末な鎧っぽいのは装備していたが、まったく関係ない。
体のほうは、しばらく死んだことに気付いていないように佇んでいたが、やがて糸が切れたように倒れ伏した。
なのに、もう一体のゴブリンはオークに夢中で気付いていない。
「アヤノさん」
「……やります」
耳をぴんと立てて警戒に余念のないカイラさんからの、最終確認。
本條さんは魔道書をぎゅっと抱きしめて、しっかりとうなずいた。
「火を一単位、天を三単位。加えて、風を二単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
恐らく、一単位が石一個。感覚的には、MP1点分ぐらいになるのではないだろうか。最大MPが分からないからなんとも言えないが、そこまで消費が大きな呪文ではなさそう。
だが、効果は必要充分か、それ以上。
もう一体のゴブリンのすぐ近くで閃光が走り、光の帯が眉間を貫いた。
見えないファンネルからビームが発射されたかのよう。
悲鳴すらあげることなく、もう一体のゴブリンは絶命した。
「二人とも上出来よ。洞窟の中へ行きましょう」
「あ、ちょっと待ってください」
「同じく」
ちょっと準備がしたい。
それは本條さんも同じだったようで、以前使った光の呪文を行使する。
「火を一単位、天を二単位。加えて、地と風を一単位ずつ。理によって配合し、舞い踊る光を産む――かくあれかし」
今度は、手に置いた呪文書から光球が浮かび上がった。
これで洞窟の中でも視界が確保できる……のはいいが、やっぱりあの魔道書のビジュアルはよろしくない。
近いうちに、ブックカバー的なのを用意しよう。
「これで、一時間ぐらいは持続するはずです」
威力や持続時間に合わせて『根源』を何単位使用するかは、魔道書からのささやきで分かるらしい。便利だ。
「はっきりとしたアドバイスができる、エクスのほうが有能ですけどね!」
「そこで張り合う必要ないから。とりあえず、こっちも《渦動の障壁》を使っておこうか」
「そうね。でも、私は不要よ」
「受諾です!」
「やっぱ、任意に対象を外せるんじゃねえか」
デフォ巫女衣装のエクスが、「てへぺろ」と舌を出す。
かわいいは正義だね。
結果として、メフルザードを相手にするとき、カイラさんがいてくれてすげえ助かったし。カイラさんまで巻き込んだ件は不問にするしかないな。
「とりあえず、合格よ」
ふぁさふぁさと尻尾を動かすカイラさんが、満足そうに微笑んだ。
俺たちを急かしたのは、ちょっとした引っかけだったらしい。
思わず、本條さんと顔を見合わせてしまった。
「後ろからの奇襲は、私が警戒するわ。こっちは気にせず、撃てると思ったら撃ってちょうだい」
そう先導されて入ったゴブリンの住処は、気を抜くと頭をぶつけそうなほど天井が低い洞窟だった。
横幅も、二人並ぶのが精一杯。なので、《渦動の障壁》をまとっている俺たちは、俺が先行したL字型の陣形になっていた。
月影の里とは違って天然の洞窟そのもので、どちらかというと熊とか出てきそうな雰囲気がある。
ひんやりとしていながら、家畜小屋のような臭気という変なハイブリッドな空気の中、俺と本條さんは、適度な緊張感を持って進んでいった……のだが。
「火を一単位、天を三単位。加えて、風を二単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
「グギャッ」
ゴブリンの断末魔の悲鳴が、洞窟内に響き渡った。
「秋也さん、もう一人奥から来ます」
「エクス、今度は《吹雪の飛礫》を」
「受諾」
水が流れる《渦動の障壁》の向こうにこぶし大の氷塊が生まれ、出てきたばかりのゴブリンを滅多打ちにした。
今度は、断末魔の悲鳴すら聞こえない。
「ふう……」
とりあえず、1グループをつぶせたようだ。
ほっと息を吐くが、ピンチの予感すらない。
この場に薔薇の騎士連隊の第13代連隊長がいたら、「こいつは戦闘と呼べるものではありませんな」と評したことだろう。
なにしろ、さっきからずっとこんな感じの繰り返し。
出会い頭に攻撃を放つとだいたい死ぬ。ほぼ、初見殺しだ。
今まで意識していなかったのだが、マクロも本條さんの理力魔法も、ろくに狙いなんか定めず敵に当たる。
見えてさえいれば届くという感じ。
ちょっとだけ、ガンシューティングを連想する。上から来たり、赤い扉はなさそうだが。
そのうえ、こっちは《渦動の障壁》で守られているという安心感もある。次に地球へ戻るときも、こいつをかけてから転移だな。
というか、ヴェインクラル……。あのオーガ、どんだけどんだけだったんだよ。
あ、ヴェインクラルって言っちゃったね。
「そろそろ、終点みたいね」
「行き止まりには、ボスがいるものだけど……」
「そういうものなんですか?」
同じパターンでゴブリンたちを蹂躙していくこと、30分。
一切苦戦することなく、ついに俺たちは終点にたどり着いた。
そこには、一際大きなゴブリン。ホブゴブリンがいた。
――のだが。
「グガ、ギャギャギャアアアッッ」
俺と本條さんの攻撃を同時に受けて、あっさりと倒れ伏した。
本当に、あっさりと死んだ。
「本條さん……」
「秋也さん……」
俺たちは、行き止まりの部屋で顔を見合わせ言った。
「俺たちって」
「私たちって」
入れ替わってる……ではなく。
「結構、強い?」
「はい。そうみたいですね……」
もちろん、吸血鬼――メフルザードを相手にする以上、弱くちゃ話にならない。
だけど、それと実感……自己評価とは別なわけで。
「私からすると、なにを今さらという感じなのだけど」
俺たちよりも俺たちのことを分かっていたカイラさんが、優しく微笑みかける。
「でも、上出来よ。よくやったわね」
「ありがとう……」
「ございます……」
さすがに緊張の糸が切れ、俺と本條さんはその場にへたり込みそうになった。
汚いからそんなことしないけど。
「もっとも、連携はまだまだだわ。次の機会には、私が前に出て撹乱させるから、私を撃たないように頑張ってもらわないといけないわね」
「むしろ、そう言ってもらえると安心する」
「ですね……」
もう一人前だから、次からは独り立ちと言われたほうが困る。
あと、カイラさんの尻尾、めっちゃふぁっさふぁっさしてるな。嬉しそう。
「さて、休むのは解体が終わってからにしましょう」
「それについては、俺に考えがあるんだけど」
それは、《踊る水》で血液や水分を抜いて、ミイラのように乾燥させるというアイディアだったのが……。
結論から言うと、上手くいった。
一体につきほんの数分で、処理完了。
魔力水晶は《踊る水》の影響を受けないので、普通に回収してエクスが吸収。
残った遺体は、集めて外で荼毘に付した。
火は、本條さんに用意してもらった。
乾燥していたため、よく燃えた。
ドラゴンの鱗とか牙とか、そういう特別なモンスター以外は、素材にしたりっていうのもあんまりないみたいだし。
当面はこの処理法で問題なさそうだ。食肉向きの獲物が出てきたときは、そのときまた考えよう。
もっとも、完璧とは言えない。
代わりに、小部屋に血の池ができあがってしまうという副産物が生まれたのだ。地獄かよ。
というか、ディスポーザーの出番とは……。
「今回の収入は、だいたい石300個ぐらいですね」
「《ホームアプリ》の代償を稼ごうと思ったら、これを20回近く続ける必要があるのか……」
ゴブリンの武器やその他の財産に、価値は特になかった。《初級鑑定》の結果だ。間違いない。こんなところしか出番がなくて、ごめんよ……。
それはともかく、石300個だと三人で分けても、日給3万円にはなる。
悪くはないが、スキルの費用を考えると全然足りない。
チートを与えるから、代わりにもっと強いモンスターを倒していこうという運営からのお達しなんだろうか。
まあ、ゴブリンに財産があるということはどこからか奪ってきた物になるわけだから、それがないというのは悪い話じゃないか。
「一休みしたら、野営の準備をしましょうか」
「……ですね」
「なにも持っていないのにキャンプって、少し不思議ですね」
まだ遠征は終わりじゃないが、一段落。
こうして、初めてのゴブリン退治は幕を閉じた。
……最後まで、吐き気をこらえられて良かった。
●ゴブリン
ドワーフがモンスター化したモノ。そのため、ドワーフとは激しく憎みあっている。
緑色のただれた肌に、長く薄気味悪い髪と髭。背が低く醜い老人の姿をしており、ドワーフと同じく斧を得物としている。
血を流させることを至上の喜びとし、犠牲者の血で髭を染めることを誉れとしている。
殺戮を重ねることでゴブリンたちの神を地上に呼び出そうとしているというのが一応の定説になってはいるが、虐殺そのものが目的化しているようにしか見えないため異論も根強い。
より大型の亜種としてホブゴブリンが存在している。
●オーク
エルフがモンスター化したモノ。
青い肌に、赤い瞳。口から飛び出る巨大な牙からは、常に唾液が滴っている。身長は160cm~180cm前後。
性欲と睡眠欲がなく、食欲に特化している。その強靱なあごと胃袋は、有機物だろうと無機物だろうと咀嚼・消化し、同族以外はなんでも食らう。
オークは飢えているのではなく、ただただ暴食に明け暮れるだけである。ゆえに、満足というものを知らない。
ハイエルフがモンスター化したハイオークに率いられた群れは、都市ひとつを丸ごと食べ尽くしてしまう。この世界では、蝗よりも恐れられている。