番外編その5 ホワイトデーの贈り物
生きてます(一応)。
デスクにお徳用のチョコが置いてあるのを見て、「ああ、そういえばバレンタインデーだっけ」と気付く。
社会人と言うと主語が大きくなるが、社畜にとってのバレンタインなんてそんなもんだろう。
早朝から深夜まで働くので、太陽の光を浴びるのすらもレアなのだ。奴隷に季節行事なんて意味はない。
ある意味最適化と言えるだろう。
しかし、俺はその辺の社畜とは一線を画していた。
バレンタインへ向けて計画的に石を貯蓄したり、イベントが始まったら周回したりとばっちり意識してたよ。むしろ、バレンタインデーが終わってもバレンタインイベントしてたまである。
そこのところは、今年も一緒だった。
けれども、当然ながら異なる点もある。
「さあ、オーナー。バレンタインが終わるとどうなると思いますか? 知らないんですか? ホワイトデーが始まります」
「ホワイトデーの期間、長い……長くない?」
あと、エクスちょっとテンション高くない?
本條さんが家に来ない。そして、異世界にもいかないとある平日の夜。
ダイニングテーブルに置かれたチョコレートを前に、エクス(立体映像)と俺(無職)が顔をつきあわせていた。
話の流れからして当然だが、このチョコは市販品ではない。
ちょっとだけ形が歪なものが混じったチョコレートトリュフは、本條さんとカイラさん。二人からの贈り物だ。
いくつか食べたけど、かなり美味しかった。秘訣は素材か、腕前か。あるいは、愛情が込められているからか。判別できるはずもないが、生半可なお返しでは俺が納得できない。
なお、エクスはチョコレート関連にはノータッチ。代わりに、ソシャゲのバレンタインイベント周回を手伝ってくれた。
正直、助かる。
まあ、スケジュールかつかつだったみたいで、バレンタインが終わってからバレンタインイベントが始まるソシャゲもあったりなかったりしたが。
「ホワイトデー期間が長い? いえいえ、それが男の甲斐性ってやつですよ。おっと、時代遅れですか? ちなみに、エクスは目の前で価値観のアップデートとかしたり顔で言われたら脳内でデスノートにそいつの名前を書くタイプです」
「あ、はい」
根と闇が深そうだが、俺は即時撤退を選んだ。
「で、お返しって、どんなのが喜ばれると思う?」
「最近いろんなAIサービスが出てますけど、超AIとして真実をお伝えします」
おっと? 目覚めた人かな?
「なんでも喜ばれますよ」
「知ってた」
そうなんだよなぁ。
これが一般論なら別だけど、相手が本條さんとカイラさんだと……孟子も自説を疑うレベルで善良すぎる。
客観的にちょっとセンスが……というものでも、なんでも喜んでくれるであろうという確信しかない。
それに、カイラさんはバレンタインとホワイトデーをどこまで理解しているかという疑問もあったりする。
「ただそうですね……ひとつアドバイスするならサプライズは考えないほうが良いでしょう。すぐにバレます」
「相手はニンジャだもんな」
「アヤノさんへのお礼なら、私も協力するわ」
すたっと着地したカイラさんが、するっと会話に入ってきた。
特に隠す気もなかったし慣れっこなので驚きはしなかったが、完全に気配なかったよな。
ニンジャってスゴイ、改めてそう思った。
「こちらの習俗なんてなにも知らない私に、恥をかかせないよう合同ということにしてくれた恩を返さなくては」
「義理堅いですねぇ」
エクスが感心したように、ふんふんとうなずいた。相変わらず、器用な立体映像技術だ。
実際、協力してくれるというのはありがたい。まあ、カイラさんへのお返しは別途(秘密裏に)考えるということで。
今は本條さんに集中しよう。
「アヤノさんならなんでも喜ぶのでしょうけど、その中にも強弱というものがあるのではない?」
「道理ですね」
「本條さんへのプレゼントなら……本か?」
陳腐すぎてつまらない結論だが、彼女はそんなものを凌駕するほどの読書家にして愛書家である。
だがそれだけに、中途半端なものでは通じない。
好みもあるだろうし、読んだことがある。あるいは、すでに持っている本だったら目も当てられない。
それでも、俺からのプレゼントということで喜んでくれそうなのが特にマズい。
「ホワイトデーの辺りで出る新刊がいいのか。それとも、欲しがってる本をさりげなく聞き出して探すのがいいのか」
なんでも読むみたいだから、逆にこれが確実みたいなのがないんだよな。
これは、カイラさんにニンジャらしく情報収集を依頼すべきか。
腕組みして思案する俺の目の前に、エクスがぐぐっと顔を寄せてきた。まるで、Vtuberのガチ恋距離だ。
「エクスにいい考えがあります」
「その切り出し方で、本当にいい考えだったパターンある?」
大丈夫? 気付いたらオプティマスプライムに名前変わったりしない?
「さすがエクスさん、頼りになるわね」
「まあまあ、賞賛の声はアイディアを聞いてからでも遅くありませんよ」
ふふんっとドヤァしたエクスが、ガチ恋距離のまま口を開く。
「それは、オーナー自身が小説家になることです」
「なん……だと……?」
え? いや、待って? どういうこと?
書くの? 俺が小説を?
「ミナギくんが、リディアさんのように本を書くというわけね。なるほど、それならいろいろな問題が解決されるわ」
納得したように、カイラさんがイヌミミをちょこちょこと動かした。
「実に妙案だわ。さすがエクスさんね」
おかしいですよ! カイラさん!
「ふふふ、オーナー。まだあの言葉を聞いていませんでしたね」
「できらぁ!……って、無理に乗せるの止めてもらっていいですか?」
俺にだってできないことぐらい……ある……。
そりゃ確かに、新作であれば問題はクリアになるけどさぁ。
でも、さすがにねぇ……。素人が小説を書いてもねえ……?
「そもそも、自作小説のプレゼントとか痛すぎる。さすがにルールで禁止だろ?」
「ホワイトデーはルール無用ですよ」
あれれー? おかしいなー?
「だいたい、あれだ。俺は小説なんて書いたことないぞ」
小学校で小説を書くみたいな授業があったような気がするが、内容は忘れた。
なにも憶えてない。いいね?
「大丈夫です。今までに触れた様々な作品、それがすべてオーナーの土壌となっています。むしろ、今この瞬間のためにあったと言っても過言じゃありません!」
「100パー過言なんだよなぁ」
できはともかく、本條さんは喜んでくれるだろうけど……さすがに自信がない。
まだ、朝から朝まで働けと言われたほうがマシだ。
「こんなミナギくんは、珍しいわね……」
わりとガチ目な拒絶をする俺に、カイラさんがちょっとシリアスな表情を浮かべる。心なしか、尻尾も垂れ下がっていた。
「本当に不可能なのかしら? であれば、ほかの案を検討しなければならないけれど……」
「まあ、可能か否かであれば不可能ではないと思うけど……」
そう言われると、自然とこちらもトーンダウンしてしまう。
「大丈夫ですよ。添削は任せてください!」
「シチュエーションを伝えたら、エクスが文章を出力してくれたりとか……」
「それでオーナーが納得するならいいですけど」
「はい、皆木秋也頑張ります……」
そういうことになった。
冷静に考えると、これ典型的なグッドコップ・バッドコップじゃない?
とはいえ、俺もこれ以上の妙案はないんだが……。
「さあ、次はネタ出しです。どんな話にします? ここはやはり恋愛小説でしょう。ラブロマンスですよ」
「判断が早い」
相変わらず、エクスのテンションが高い。
「だが却下だ。あまりにも痛すぎる」
アラフォーがJKにホワイトデーに自作の恋愛小説を贈るとか、絶対に違法でしょ。州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所に放り込まれるレベル。
「ニンジャが活躍するのがいいのではないかしら? 英雄界の人間は、ニンジャが好きでしょう?」
「ま、まあ、嫌いではないけど……」
女子高生に自作のニンジャ小説を贈るとか、山風にしか許されざる所行じゃない?
本條さんなら普通に喜んでくれそうではあるけど……それが一番の難所なんだよなぁ。
「では、ドグラ・マグラのような不条理系はどうですか?」
「禁断のお兄さま乱れ打ちはちょっと」
書いてるうちに正気度が1d3/1d8ぐらい減りそう。
ところで、SANチェックに成功したのに1d3で最大値出しちゃって、失敗して1d8振った他のキャラが1とか2を出したときとかやり場のない理不尽さを感じない?
「つたない部分とか意味不明なところも、そういう味で押し切れるかなと思ったんですが」
「本條さんから質問攻めされたら、まともに答えられないぞ」
「むむむ……。作者と読者の距離が近いのがネックですか」
そこまでは考えが及ばなかったと、エクスが唇を尖らす。相変わらず芸コマだ。
「ならば、先達である彼女との合作というのはどうかしら?」
「リディアさんに? 本條さんに送る本を書くので手助けして欲しいって?」
「ええ。簡単な報酬で釣れるでしょう?」
カイラさんの中で、リディアさんがお酒さえ与えればなんでもやるキャラになってる……。
事実だけに救いようがないな!
「釣れるのは間違いないけど、めちゃくちゃからかわれたり煽られる未来しか見えないんだけど」
「それでも、最終的にはきちんと完成しそうですが?」
「だから性質が悪いんだよなぁ」
終わりよければすべてよしじゃあないんだよ。
「協力者はエクスとカイラさんで充分かな。リディアさんから情報漏洩の危険もあるし」
「ええ……。そうね。私たちだけで充分ね」
「ああ。もっと、素人でもできるような……っと、そうだ」
大学ミステリサークルとかで、こういうのをやっていると聞いたことがある。
「自作のミステリ小説を書いて、その謎解きを本條さんにやってもらうというのはどうだろう?」
「それはイベントみたいでいいかもしれませんね。ちなみに、トリックの腹案はありますか?」
「……ないな」
いきなり理屈倒れのシュターデンになってしまった。
さすがに、エクスにトリックを考えてもらうのは違うし。締め切りがあるから、見切り発車は怖い。
「う~ん。どうしたものかな……」
アイディアが出尽くして、沈黙の帳が降りる。
「では、こうしましょう」
エクスがぱんっと手を叩き、それを打ち破った。
「オーナーは、綾乃ちゃんと始めて会ったときのことを小説にしてください」
「会社帰りの地下街で、ゾンビみたいなのに遭遇したときのことか」
実体験なら、トリックみたいに話作りに苦労することはないな。
「それなら、まあ、本條さん的にもありか……?」
ただでさえも自作小説のプレゼントなんてハードルが高いのだ。
馴染みがあるストーリーなら、少なくとも唐突感は和らぐだろう。
「私も話で聞いただけね」
「……そうだな。否定ばっかりじゃ始まらないし、とりあえずそれでやってみるか」
「じゃあ、まずは綾乃ちゃんとの出会いを再現した映像を見てみましょう」
「もう、それをデータで渡せば良くない?」
ダメ? ダメだよね。知ってた。
こうして、ホワイトデーミッションがスタートした。
ゲームではないのに、PCの前に座る日々。
それは同時に、鬼編集エクスの産声でもあったのだ。
「なんで三人称なんですか。日和っちゃダメですよ。一人称にして、オーナーの気持ちを赤裸々に語ってください」
小説を書いたことはないが、読んだことなら一般人よりもあるはずだ。ラノベ中心だけども。
だから、見よう見まねで書けないことはなかった。
まあ、日本人が日本語を書けるのは当たり前だけどね。
苦労しつつ、冒頭の部分をなんとか書き上げたのでエクス編集に見せたところ……コンセプトの部分からダメ出しをされてしまった。
「俺も、一人称のほうが楽かなとは思ったよ? でも、キャラじゃなくて自分自身だと思うと……なぁ?」
「言いたいことは分かりますが、客観的な描写だったら映像でいいじゃないですか。綾乃ちゃんのための作品ですよ? オーナーの心情描写という付加価値を入れないでどうするんですか」
「そんなものが付加価値になる?」
「なりますよ」
スーツ姿のエクスに断言されてしまった。
完全に客観的な意見とは言えないだろうが、俺よりも判断力は上だからなぁ。
「分かった。一人称に直してみる」
「はい。よろしくお願いします」
というわけで、一人称で書き直してみた。
アドバイスに従い、俺の心情描写を意識して多めに。
これで、通るか?
ドラを切ってリーチをかけるような気持ちでエクス編集に原稿を見せる……が。
「赤裸々にとは言いましたが、卑下しろとは言っていませんよ? 露悪趣味も照れ隠しもそこそこにしてください。綾乃ちゃんにとってオーナーはヒーローなんですから、無闇に格好悪いところを見せちゃいけません」
ダメだったみたいですね。
「俺としては、わりと真実に近い感じなんだけど」
「ノンフィクションを元にしたフィクションだと考えてください。初めて会ったときに、アラフォーと女子高生の組み合わせとか事案だって思われてたって知らされて綾乃ちゃんが喜びますか?」
「そっすね」
本條さん的には、予知で見た運命の出会いだったんだよな。
それを犯罪になると警戒されていたとか改めて言われても、うれしくはないだろう。
ここは、気の持ちようだ。
逆に、出だしから絶賛でもされたほうが信じられない。
ダメなのが当然。直すほうが自然。
だから進捗は順調。順調なのだ。
「あと、やたらと漢字を多用しなくていいんですよ。それから、描写も簡潔にいきましょう。暗いのは暗いの一言でいいんです。なんですか、『水墨画で描いた鴉のような暗闇』って」
エクス編集の判断に従えばヨシッ!
「分かった。修正しよう」
「いえ、ここまでね。あと5分ほどでアヤノさんが家に来るわ」
「おっと、もうそんな時間か」
ずっと黙って見守ってくれていたカイラさんからの警告を受けて、テキストエディタを終了させた。
代わりに、PCでゲームを起動する。
さて、ちょっとサメになって人間食い殺したりするかな。
と、本條さんに悟られないよう二重生活じゃないが執筆の日々は続いていく。
エクス編集のご指導ご鞭撻もセットで。
「ほら、こんなペースじゃ間に合いませんよ? ギリギリになって、卵液やパン粉をまぶして揚げられたくないでしょう?」
「オータム書店かな?」
異世界側で作業ができたら楽なんだが、そうすると本條さんがいないときに向こうへ行ったことが分かっちゃうんだよな。そこから芋づる式にバレたら元も子もない。
それに、時間的な余裕はある。そのはずだったんだ。
エクス編集も最初から大長編は望んでいないから大丈夫かなって思ってたし。
順調とは言えないが、それなりに進んでいるはずなのだが……。
なかなかすんなりとOKが出ないんだよなぁ。
石で文才とか買えないかな。無理?
「求められているのは、上手い文章とか高等なレトリックじゃあないんですよ。あふれるようなオーナーのパッションなんです」
「俺はパッションじゃないだろう」
「じゃあ、キュートですか? それともクール?」
「どっちでもないかな……」
「なら、パッションじゃないですか」
そうかな? そうかも?
「……なるほど。分かった気がする」
「え? 今ので分かったんですか?」
「ああ。変に照れたり奇をてらったりせずありのままに書くのと同時に、本條さんが読んだらどう思うか気を配れってことだな」
「わりと初期段階から言ってたと思うんですけど……」
言葉じゃなく、心で理解したってやつだな。
試行錯誤ってのは、やっぱり必要なんだよ。
ようやく基礎に至った俺は、改めてPCに向き合った。
ヘッドホンで作業用BGMを流し、軽く息を吐いて目の前のテキストエディタに集中する。
「これなら大丈夫ね」
「そうですか? オーナーのことだから、まだ二転三転しそうですけど」
「そんなことはないわ。あの真剣な表情をしているもの」
もう、外野の声は聞こえない。
作業用BGMだって、意識の外。
ただ、本條さんと初めて出会ったあの日のことを思い出し、キーボードを無心で叩き続ける。
そして、数日後。
ようやく、俺の処女作は完成した。
「これで……どうだ?」
「では、拝見します」
わざわざプリントアウトした原稿が、扇のような形でダイニングテーブルに並べられていた。
立体映像のエクスが、それを上から睥睨する。
最終チェックを待つ間、俺は背もたれに体を預けて放心していた。終電の時間に稀によくいるサラリーマンスタイル。
エナドリの残骸が周囲に転がってたり、ぼさぼさの格好だったり、目の下に隈があったり。そんな分かりやすい惨状ではない。
だが、疲労とか寝不足以外の理由で、心臓がドクドク動いていた。不安とか緊張とかで狭まった視野はエクスだけしか捕らえられず、変な汗が出ている。
ああ……。エナドリ飲みたい。
K先生が居合わせたら、「今のあなたに必要なのはエナジードリンクなんかじゃない。病院だ(ギュッ)」とか言われそうだけど。
そんな現実逃避から、エクスの声が俺を引き戻す。
「……OKです」
「――からの?」
「そういうオチはないです」
終わった?
「確かに、お預かりします」
終わったらしい。
本当に?
「というか、こんなオーナーにそんな冗談を言えるなんて人の心なさすぎですよ」
本当に!
「ミナギくん、お疲れ様」
「もう……ゴールしてもいいよね?」
「そうですね。表紙とか製本とかはこちらで行いますので」
ああ、そういうのがあったんだ。
ひょいっとカイラさんに抱えられて寝室へ運ばれながら、ガチで視野が狭くなっていたことに気付く。
そりゃ、中身を書いて終わりじゃないよな。
「黙って運ばれているとは、なかなかの重症ですねぇ」
「弱っているミナギくんも、たまにはいいものよ」
「それは……そうですね!」
同意しないで。
安心と安堵で脱力した俺は、抗議する気力もなく。
そのまま、泥のように眠った。
そして迎えたホワイトデー当日。
自宅で本條さんが来るのを今や遅しと待ち受けていた。
こちらの準備は万端。
表紙はエクスが用意した、そのまま広告に使えそうなお洒落なイラスト。
「おお、これが流行のAI作画」
「はい。お絵かきソフトでエクスが描きました」
「超AIが作画じゃん」
装丁もエクスがこなし、オンデマンドで一冊だけ印刷。
それをカイラさんが器用にラッピングして、世界で一冊だけの本が完成した。
「エクスたちにできるのはここまでです」
「ええ。あとは任せるわ」
「ああ、みんなの協力は無駄に……って、ただのホワイトデーだからね?」
危ない危ない。雰囲気に飲まれるところだった。
まるで、プロポーズをするみたいな流れだったぜ。
まあ、今から焦っても仕方ない。人事は尽くしたから天命を待つだけだ。
「来たわね」
カイラさんがイヌミミをぴくぴくっとさせてから数分後、我が家の呼び鈴が鳴った。
「秋也さん、お久しぶりです」
玄関に現れたのは、いつにも増して輝くような美人さん。
どぶ川のような我が家が、本條さんの笑顔で浄化されていく。
「ああ。と言っても、二週間も経ってないけど」
学年末テストとかで忙しい期間のため、最近は本條さんと会っていなかったのだ。部活休みかな?
「充分長いですよ」
ただ、その間もまったく連絡を取っていないわけではなかった。
楽しげな表情を浮かべる本條さんとアイコンタクトを交わし、最低限の設備しかないキッチンへと招き入れた。
「エクスさん、カイラさんも少し待っていてくださいね」
疑問に尻尾をパタパタさせるケモミミクノイチさんを余所に、てきぱきと準備を始める。
本條さんに準備を頼んだのは、そんなに凝ったものじゃない。
ただ、カラメルを用意してもらうだけだ。
その間にアルミホイルで土台を作り、俺はアプリから無限シュークリームを呼び出す。
赤い瞳をぱちくりとさせるカイラさんの目の前で、山のように積み上げていった。
それに本條さんが手早く用意したカラメルで固め、これは俺も驚いたのだが、家で準備してきたらしいカットフルーツを周囲に飾る。
これで完成だ。
「クロカンブッシュを作ったのは初めてですが、とても見栄えがしますね」
「エクスのデータベースには、ウェディングケーキとしても使われると記録されていますよ」
クロカンブッシュ。
キリシタン大名であるクロカンこと黒田孝高(官兵衛)の好物だったことから名付けられという由来は、地元福岡県では誰でも知っている。イギリスでタルカスとブラフォードが有名なのと同じぐらいに。民明書房の本にも書かれていたから間違いない。
「フランス語で『ごつごつした木』という意味を持つお菓子なんですよ」
「これは、カイラさんへのホワイトデーのお返しということで」
「私に?」
意外と言うよりは、想像もしていなかったのだろう。
耳も尻尾も動かさず、ただ目をぱちくりさせる。
「ドッキリ成功ですね」
「うん。それじゃ、これは本條さんに」
「はい、ありがとうござい――え? 私にですか?」
勢いで、本條さんにも自作小説を手渡す。
「うん。みんなに協力して小説を書いてみたんだけど……いや、やっぱキモくない?」
「そんなことはないわよ」
「オーナー、急に冷静にならないでください」
カイラさんとエクスはそう言うが、やっぱこれコンプラ違反だって。
今なら、まだクーリングオフが――
「大切に読みます!」
「あ、はい……」
――しっかり胸に抱きかかえ、絶対に放さないという強い意思を感じる。
これは、俺がなにを言っても無駄だな。
そして翌日。
「大切に読むつもりだったんですが、一気に読んでしまいました!」
「ああ、うん。楽しんでもらえたのなら良かった」
家に来るなり、興奮した面持ちの本條さんから感想というか報告を受けた。
気を遣われているのではないかと思わなくもないが、素直に喜ばれるとこっちもうれしい。
「できれば、本棚にしまって外には出されないようにして欲しいな」
「もちろん、大切にします!」
微妙に通じてないような気もするが、結果的に死蔵されるのであれば構わない。
やれやれ、苦労した甲斐が――
「続きが楽しみです!」
――なんですって?
「でも、来年まで待たなくてはいけないんですよね……」
「来年? 続き?」
「はい。ありますよね?」
穢れを知らない。純真で無垢な瞳。
汗は出ないが、体がカラカラに乾いていく。
今の俺は、破幻の瞳を向けられた雨夜陣五郎のようなものだった。
「ああ、うん……」
来年の自分は上手くやるだろう。
この世に自分ほど信じられんものはほかにないが、そう信じることにした。
友人「そろそろ更新しろよ」
藤崎「君からやれって言われた原神が忙しくて……」
友人「原神禁止な」
藤崎「理不尽……」
友人「でも、話ができないから原神も進めて」
藤崎「理不尽……」
というわけで書きました。
今年は、ぼちぼち頑張ります。