63.電脳空間を赤と黒に染めて
「さあ、綾乃ちゃん。やってしまいましょう!」
「はい。お願いします、《炎狐》」
魔法陣から生まれた、尻尾の先が赤い無数の小狐。
それが体をきゅっと伸ばすと、漆黒の電脳宇宙空間へと飛び立っていった。
その数は、無数としか言い様がない。
初手で、数えられる限界を軽々と突破している。この数は、最終決戦感があるな。これが結界自在妖『華鎚』だったら、敵はエレクトラじゃなくて白面の者だった。
「マスコットみたいな可愛らしさだにゃ」
かわいい子には旅をさせよと言うが、小狐たちは実に愛らしい。
それが本條さんの命令には忠実に従うんだから、そのマリアージュはまさに宇宙的。
もっふもふやぞ。
「大丈夫です、オーニャーのほうがかわいいですよ!」
「もちろんそうです。自信を持ってください、秋也さん」
「そういう心配は一切してないにゃ!」
「自分の可愛らしさに無頓着。さすがネコ、ですね……」
本條さん、なにに感心してるの……?
というか、ネコをどういう生物だと思ってるんだ……。
「それよりも、今はやることがあるよにゃ?」
「ツッコミもこなすとは、さすがネコちゃんですね」
「そこじゃにぇーにゃ!」
確かに、使い魔のネコってツッコミ役なイメージあるけども。
いや、ちょっと待った。
「……俺は人間じゃないかにゃ?」
「というわけで、綾乃ちゃん。まだいけますね?」
「スルーだにゃ!?」
「はい。魔力を30単位、演算を20単位。加えて、回路を15単位。理によって配合し、電脳の理を紡ぐ――かくあれかし」
さらに呪文を重ね、追加で《炎狐》が出現。寝起きのように伸びをして、そしてまた旅立っていった。
あっという間に見えなくなる。
見えなくなる……。
「……《炎狐》って、オートクルーズにゃの?」
「そうです。精神集中すれば、こちらで制御もできますが」
「ある程度離れた場所まで行ってからでないと、エレクトラに探知されてしまいますからね。もちろん、リアルタイムでエクスがジャミングをかけけていますが」
「にゃるほど」
大丈夫ならいい。
魔法陣の中央に立ち、待つことしばし。枝のようなアンテナの光が消えたエクスがぱたぱた宙に浮きながら、ヴェールをかぶった本條さんに言う。
「綾乃ちゃん、そろそろいいでしょう」
「分かりました。攻撃開始します」
本條さんがこくりと頷き、魔道書を手でなぞった。
数秒後。
天頂方向の宇宙に、赤い光が点った。
それはすぐに消え失せず、それどころかどんどん増えていく。《炎狐》の攻撃が始まったのだ。
「これは綺麗だにゃ」
「はい。みんなが頑張ってくれています」
それはまさに、銀河の陣取りゲーム。
いくつもの光点が生まれ、重なり、帯となって電脳宇宙を染めていく。
「分かりやすく演出してみました」
「いいと思うにゃ」
状況が一目瞭然だし。分かりやすいと、自然にモチベーションも上がる。
まだ、赤い部分は無限に広がる大宇宙の一部でしかない。それでも、0と1とじゃ大違いだ。1を100にするのは難しいが、0を1にするのはもっと困難なのだから。
まあ、手直しするよりイチから作り直したほうが早い超天才プログラマもいたけど。
「これ、現実のほうには影響出てたりしないよにゃ?」
「通信障害が起こったり、接続不能なサービスが出たりとかそういうことですか?」
「そうだにゃ」
「今のところは大丈夫ですね」
フェアリーフォームなエクスが、軽く太鼓判を押す。
今のところはという部分に不安はあるが、これ、可能性は否定できないってだけで確実に起こるわけじゃないはず。
技術者は、こういう言い方をするもんだ。
「エレクトラが対抗策を取らにゃければ……だにゃ?」
「そういうことです」
「できれば、障害はなしにしたいものだにゃ」
「起こったとしても、そう大きな問題にはならないでしょう。事が収まったら、現地で再起動でもしてもらえれば」
「それはそれで大変だにゃー」
でも、電脳空間を股に掛けた大騒動だ。
その程度で済めばマシなのかもしれない。それにほら、休日でも深夜でもないし。
「もしも問題が出たら、エレクトラをこき使って復旧させましょう。ふふふふふ。自分がなにをやったか、ちゃんと分からせないといけないですからねぇ」
「ほどほどににゃ」
同情もあるが、復旧にかこつけて変なバックドアでも仕込まれたらたまらないというのもある。
「秋也さん、エクスさん。……《炎狐》が攻撃を受けているようです」
「来ましたか。モニターに出しましょう」
フェアリーフォームなエクスが枝角のアンテナを光らせると、俺たちの目の前に透化スクリーンが出現した。
「おお、SFだにゃ」
「格好良いでしょう?」
自慢気なエクスがスクリーンに映像を出す……が。
「うにゃ!?」
「……ひどい」
「悪趣味ですね、これは」
そこに写っていたのは、ギロチンの刃が生えたタイヤだった。
それがぎゅるんぎゅるん回転して電脳空間を飛び回り、《炎狐》へと群がっていた。
もちろん、自動的に反撃も回避もしている。
それでも数が多く、見ている前で《炎狐》がタイヤギロチンに何体も八つ裂きにされていた。
「虫のよう……ですね」
バグ。
エクスの言う通り悪趣味にもほどがある。あの電脳戦闘機とはコンセプトからなにもかも違う醜悪な兵器。
「これが、こっちに使われたらたまりませんね」
「だにゃ」
「なので、エクスたちには通用しないことを早々に証明しましょう」
エクスの撃退宣言。
まったく以て異論はない。
「あの場所へ移動するんですね?」
本條さんの確認に、しかし、フェアリーフォームなエクスは笑顔で首を振った。
「見えてさえいれば届きます」
翅を羽ばたかせぱちりと指を鳴らすと、電脳空間に水でできた鏡が出現した。
本條さんのレーザー増幅マクロ、《水鏡の眼》だ。
「オーナーもお願いします。できるだけたくさん」
「にゃ? 《水鏡の眼》だにゃ」
首輪の飾りにまで小さくなったタブレットが俺の声に反応して、同じように虚空に鏡が生まれる。
エクスに請われるまま何度か繰り返し、魔法陣の上に水鏡が何個も浮かぶ。なかなか幻想的な光景……だが。どうするんだ?
「いくつも通して威力を増幅させて攻撃を届かせるのかにゃ?」
「近いですが、それが本来の目的ではありません。電脳空間なんですから、見えて――アドレスが分かれば届きます」
じゃあ、どうして?
ヴェールの本條さんと肩の黒猫がそろって首をひねる。
その間に、エクスは結節点を通して《水鏡の眼》をどこかへ移動させた。
ワームホール! ワームホールじゃないか!
残ったのは、ひとつだけ。
それで、閃くものがあった。
「にゃるほど。しもべの星だにゃ」
「イグザクトリィ」
「……もしかして、攻撃を反射させるのですか? こう、ピンボールのように」
「おお、よく気がついたにゃ」
元ネタ知らないのに正解にたどり着いた本條さんはすごい。あと、ピンボールの例えばアラフォーに優しい。
「いえ、言ってみただけで……」
ヴェールの本條さんが、はにかみながらきらきらする。
そのきらきらが真価を発揮する場面は、すぐに訪れた。
「導入角・射出角調整完了。綾乃ちゃん、お願いします」
「火を九単位、天を二十七単位。加えて、風を六単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
発射されたレーザーが《水鏡の眼》を通して増幅され、電脳空間の闇へと消えていく。
しかし、本当に消えたわけではない。
次の《水鏡の眼》を通って減衰分が補われ、微妙に方向を変える。そしてまた、次の《水鏡の眼》を通って。
――ほんの数秒で現場へと到着した。
スクリーンの向こう。
一条の光線が、ギロチンタイヤの群れに風穴を開けた。
それが瞬間的に広がり、どういう理屈か分からないが左右に振れてギロチンタイヤだけを爆散させる。
「すげえにゃ……」
「ちゃんと敵味方識別が働いていますね」
「エクスさん、すごいです。ありがとうございます」
いやぁ。それにしても、これは気持ちいい。
日焼けした皮を綺麗にむけたときのような爽快感だ。
「どうですか、ここはもう《炎狐》の発射場兼超長距離砲撃基地ですよ。エレクトラの顔も見ずに勝ちますよ」
「フラグだにゃ」
まあ、あの映像を見たら「この戦い、我々の勝利だ」とうっかり言いたくもなるけど。
それはともかく。
残った《炎狐》は、何事も無かったように尻尾からファイアボール。
いや、カラーボールか?
とにかく、赤い球を電脳宇宙へ放って黒い空間を赤に染めていく。
カイラさんと白猫の俺も頑張っているんだろうし、このままいけば……。
「なんでしょうか、あれは……」
「え?」
本條さんに言われてスクリーンに目をやると……でかい。でかいとしか言えない球体が画面の中央に浮かんでいた。
丸い、球形の巨大な。あまりにも巨大な構造物。
赤い宇宙空間で、そこだけ黒い。
周囲の光景が歪み、滲むほどの存在感。
「まあ、母艦のようなものがあるだろうとは思っていましたが」
「宇宙要塞じゃにゃーかー!」
いきなりのラスボスの出現。
戦闘機やバグから、一気に飛びすぎだろ!?
俺は、本條さんの肩で立ち上がってツッコミを入れざるを得なかった。
好きな宇宙要塞はイゼルローン(アニメ版)。
流体金属いいよね。