50.現実帰還。だが、平常運転
「戻って、きたか……」
さっきまでの白い部屋ではなく、グライトの館。
その見慣れつつある天井を眺めながら、呆然とつぶやいていた。
覚醒……というのとは、ちょっと違う。
なにせ、俺はずっと目覚めていたのだ。
あえて言うならば、移動だろうか?
軽く頭を振って起き上がる。【ヘルム・オブ・イメージプロジェクション】は、すでに取り外されていた。だからというわけではないが、頭は軽い。
「ミナギくん、気分はどう?」
「秋也さん、猫が残っていたりはしませんか?」
目も見える、耳も聞こえる。匂いもする。
記憶や意識の混濁もない。試しに横たわっていたソファから立ち上がってみたが、普通に動ける。バッステも受けてないな。
もちろん、猫も残ってない。
「うん。特に問題ないよ」
「当然です。エクスの仕事に瑕疵はありません……と言いたいところですが、ちょっとオーナーの電脳空間への適性高すぎません?」
「デジタルネイティブだからかな」
電脳空間は、もうひとつの現実だからね。
「それにしても、ミナギはん」
ニヤニヤと笑顔を隠そうともせず、リディアさんが近付いてきて耳元でささやく。
「もう、ニャーって言わへんの?」
「言わねえよっ!」
「ニャーやて、ミナギはんニャーって」
「うん、そうやっていじってくれたほうが正直助かる」
「お、おうふ。た、大変やったんやな……」
片眼鏡の吸血鬼さんは、すごすごと離れていった。
だから、そうやって「お労しや兄上」みたいに言われるほうがダメージでかいんですけど!? 自分のときもそうだったでしょ!?
「大丈夫よ、問題ないわ」
「そうです。なにも心配はいりません」
口々にフォローしてくれるカイラさんと本條さん。
しかし、これをストレートに受け取ってはいけない。こういうときの二人の反応は、俺にとっての内角高めなのだから。
「可愛かったわ。問題ないわ」
「そうです。とっても猫ちゃんでした」
「そうね~」
やっぱりね!?
風の精霊まで便乗してきたよ!
いやでも、猫とか飼ったことがないのでよく分からないです。小学生の頃、野良猫を捕まえようとして指をひっかかれたことならあるけど。
「あれはちょっとネコに飲まれたっていうか、次からはもっと本能を抑えられると思う」
というか、箱に入りたがるとか致命的すぎるだろ。目を醒ませ。お前は、虎やライオンの親戚だぞ。
「……そうなのですか?」
「なぜ残念そうに?」
「ある程度、本能に飲まれたほうが分身もやりやすくなるのではない?」
「なぜ残念そうに!?」
あれのどこが、二人の心の琴線に触れたんだ? まったく分かんないぞ。
というか、目的を忘れないで!?
「まあでも、強いからいいよね?」
猫分身により、エクスも含めたら三回行動。
しかも、カイラさんと本條さんが分離行動できる可能性まで秘めている。広大な(少佐が広大だって言ってるんだから間違いないだろう)電脳空間で別れて行動できるのは大きい。
強さの前には、自信過剰も放火魔も残忍も守銭奴も余命一年も肯定される。それを、俺たちは汎用TRPGから学んだんだ。
「オーナー、もうちょっと手加減というものを……」
「痛くなければ、憶えないんだよなぁ」
仕方がない。
これは、コラテラルダメージというやつだから。
あれだよ、リスクを背負って超魔生物になったハドラーみたいなもんだよ。
「というわけで、俺の方向性は決まった。二人は、自由にやってくれていいよ」
「私も、ネコになるんですね……」
「別に、決まってはいないけど。というか、自由にって言ったよね?」
「……そうなの?」
おおっと、本條さんの他にもネコになるつもりだった人発見。
カイラさんは、明らかに犬とか狼系の野を馳せる者だと思うんだけど、その辺にこだわりとかないのだろうか。
「俺は二人の支援に徹するから、好きに設定していいよって意味だよ」
「確かに、ミナギくんをずっと身につけていられるのであれば自由度は広がるよね」
前から思ってたんですけど、カイラさんってシャガクシャ様の素質ない?
「なんなら、分身を諦めたら二人が使えるリソースも増えるけど――」
「――それはだめね」
「――それはいけません」
「揃って言うこと!?」
なぜ、ネコにそんなにこだわりを?
「ミナギくんは、本当にアホやなぁ」
「これはさすがに、お姉ちゃんも擁護できないわ~」
「えぇ……」
リディアさんから未来の世界の猫型ロボットっぽくいわれたのもそうだが、ぽわぽわな風の精霊に呆れられたほうがショック。
「そもそも、まだあれはただの試作1号だしなぁ」
「……え? そうなんですか?」
「なんで驚くんだ、エクス。言ってなかったけ?」
猫はただの思いつきに過ぎない。それ以前からの腹案は、いくらでもあるのだ。
まだ、器物系を試せていないからな。
ストームブリンガー……は、あれちょっとやりすぎだけどカーラのサークレットみたいなのなら、エレクトラを乗っ取れたりするかもしれない。一部だけだろうけど。
あと、服だけを溶かしちゃわない一般的なイメージのスライムなんかも、作画コスト下がっていいんじゃないかな。分身合体も余裕だし。
エクスが言ってた通り、サイバーパンク系のガジェットもできれば試したい。
それに、行動回数増加に絞られてる感あるけど、追加能力もまだまだ検証したいのあるからね。
たとえば、電脳空間を自分の有利な地形に変更したりとか。固有結界的なもので侵蝕したりとか。
論理榴弾の意趣返しじゃないが、いわゆるデバフ系の追及もしたいところ。
「今日中に、あと10体は作りたい」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あれ?」
なんで、みんな黙って……? ちょっと少なかった?
「オーナー、休みましょう」
「ミナギくん、寝たほうがいいわ」
「秋也さん、心が安まるお茶をいれてきますね」
「ミナギはん、さすがのウチもドン引きやで」
「勇者くん、お姉ちゃんもさすがに胃もたれしちゃう」
なぜ、俺をそんな目で見るんだ。俺は正常だ。狂ってなんかない。
「オーナー、もう寝ますよ」
「……はい」
俺は素直にうなずいた。抵抗は無意味だ。
だって、俺にとってエクスはボーグより上の存在だから。
「え~と……。エクスはなぜここにいるのでしょう?」
「哲学的な問いですね。深いです」
「違うんですけど!?」
グライトの館。
その主寝室に俺たちはいた。女の子特有……なのかは分からないが、絶対に俺ではない甘い匂いが室内に漂っている。
電脳空間に匂いはないので、やはり、ここは現実で間違いない。香水を持ち歩く必要もなかった。
だから、より正確には引きずり込まれたと表現すべきだろう。
俺だけでなく、エクスも。
「オーナーを休ませるはずだったのでは?」
「それは、もちろん。でも、それだけではないわよ」
手配したのは、カイラさんと本條さんである。俺は、まったく関わっていない。
つまり、俺はベッドの隅っこで曖昧な笑みを浮かべるのみである。
「せっかく、生身の体に入ったのですからエクスさんも一緒に眠りませんか?」
「あー」
そういうことかと、エクスが声をあげた。
しかし、フェアリーフォームなエクスはすぐに表情を曇らせる。
「そもそもエクスは睡眠不要な存在なんですが……」
「でも、体を休める必要はありますよね?」
「その間、抜けてればいいだけの話なんですけど!?」
話が通じそうにない。
そう判断したエクスは、翅で体を浮かせて飛び去ろうとする――が。
「まあ、ここは妥協してちょうだい」
しかし、カイラさんが許さない。
肩を押さえられ、ベッドがたわみ、エクスは身動きが取れない。
「というか、これ、明らかにエクスはお邪魔なシチュエーションじゃないです?」
「今日は、ただ寝るだけですから」
「そうよ。遠慮は要らないわ」
「夫婦のベッドに潜り込むとか、空気読めないにもほどがありますよ!?」
そう。こっちにいるときは、基本ずっと同じベッドで寝てるんですよ。
地球へ戻ると別々になるので、ベッドの不老効果は発動しない。
にもかかわらず同じベッドなのである。
夫婦かどうかは否定は……いや、否定できないわ。
「オーナーも、なにか……。いえ、すみません」
「早めに気付いてくれて助かる」
というわけで、この件に関する発言権はないのだ。「今日は、ただ寝るだけっていつもは違うみたいな言い方やめて!」とかツッコミを入れる権利もないのだ。
だって、変に抵抗すると哀しそうな顔をされちゃうからね。
それに、関係がある程度定まって余裕ができたというのもある。
「大丈夫ですよ。このベッド広いですから」
「そうですね……って、この翅だと寝れないのではないですか? いやー、残念ですねー。本当に、残念ですねー」
そういや、日帰りクエストの竜人は背中に翼があるから座ったまま寝てたな。
「クッションたくさん用意しましたから、うつ伏せで大丈夫ですよ」
「ありがとうございます……」
本條さんに隙はなかった。
「エクス、ほら。今日だけ、今日だけだから」
「もう……。仕方がないですね」
この場からエクソダスできないことは、分かっていたのだろう。俺の明らかな一時しのぎの言葉に、エクスは乗って来た。
というわけで、諸々準備を済ませて就寝。
幸運をもたらすランプの淡い光に包まれたバカでかいベッドに、左からカイラさん、俺、エクス、本條さんの順番で横になる。
……というか、今は何時なんだろう?
そんな疑問が浮かんだが、実際、疲れていたようだ。面倒くささが先に立ち、確かめる気にもなれなかった。
「それにしても、今日は本当にいろいろなことがありました……」
「めっちゃ長い一日だったな」
それでも、本條さんの言葉にはちゃんと反応をする。
宅見くんとアイナリアルさんに会ってからだから……いくらなんでもイベント多すぎ。
まあ、途中でちゃんと休まなかった俺たちが悪いと言えば悪いんだが。
「ほぼ、エクスの事情ですが」
「それは、俺たちの事情だから」
即座に返したが、そのあと、誰もなにも言わない。
あれ? この雰囲気、修学旅行だとこのままなし崩しに眠るやつじゃない? いや、寝て構わないんだけど、俺が滑ったみたいじゃない!?
「……エクスさん、かわいいですよね。お肌もすべすべで」
「綾乃ちゃん!? どこを触っているんですか!?」
気にならないと言ったら嘘になるが、確かめるわけにもいかない。
かといって、反対側を向いたらカイラさんと顔を合わせることになる。
となると、寝るしかない。
「肌がすべすべなのは、生まれたばかりですから当然です」
「うらやましいです」
「だから、どこを触って!?」
……エクス頑張れ。
そう、エールを送っているうちに、自然と意識は落ちていった。
次回はカイラさんのキャラ作です。
ネコにはなりません。