40.エレクトラ
「黙りですか、致し方ありません」
「黙るのは、そちらよ」
見敵必殺。
一瞬で軍服少女の背後に回ったカイラさんがマフラーで拘束し、横合いから光の刃を突き立てた。
夜闇の中、白い刃がずぶりと飲み込まれていく。
「あら?」
気の抜けたような声。
それは誰にとっても意外な結末。
声ひとつ上げられず。抵抗もせず。あるいは、できず。
あっさりと喉を切り裂かれ、血を流してだらりと脱力する軍服少女。
凄惨な光景に目を背けるよりもまず、なにかの罠を疑ってしまう。
だが、しばらく待っても動きはない。
カイラさんも、マフラーの拘束を解いて困惑気味につぶやく。
「一体なんだったのかしら? 自分がエクスさんの妹だと思い込んでいる異常者?」
「それはさすがに……。妹の部分はともかく、そこまでの狂気は感じませんでした」
本條さんが青い顔をして、それでも取り乱したりせずに反応した。
エレクトラという少女のことは気になるが、この惨状をどうすれば……。
まさか、《ホールディングバッグ》で証拠隠滅? うちの《ホールディングバッグ》には、軍服少女の死体とヴェインクラルの義腕が常駐することになるの?
いや。だが、やるしかねえか。
「逆の意味で予想外だったわ。こちらの力を見せて交渉に持ち込むつもりだったのだけど」
「あ、うん。それよりも、誰かに見られる前に――」
「その心配はありません。人払いは済ませていますので」
まるで、先ほどの再現。
またしても、角から少女――エレクトラが姿を現した。
しかし、なにからなにまでコピーではない。
今度は軍服ではなく、黒いフォーマルスーツにサングラス。
まるで、都市伝説のメンインブラックのような装いだ。
「なんと野蛮なのでしょう、人類」
「やはり、エクス姉さまとエレクトラが管理して差し上げなければ」
「愛ゆえにです、人類」
そして、横からだけでなく前後からもまったく同じ容姿の少女が出現した。
ちょっと待ってくれ。情報が多すぎる。
「ふむ……。混乱をきたしてしまいましたか」
「エレクトラとしても、できれば機械の体のほうが好ましかったのですが」
「現状の技術では、培養した生身の体を用いるのが最もコストパフォーマンスが良かったのです」
ここはチバシティか、学園都市か、アルファコンプレックスか。
メフルザードといい、唐突に伝奇ものとかSFとか混ぜてくるんじゃねえよ!
「本体はまた別の場所にいて、そこから操っているということなのかしら?」
「いえ、カイラさん。恐らくは、ネットワークでつながっているのではないでしょうか」
「理解の早い人類がいて幸甚です」
「昆虫系のモンスターに、似たようなのがいたわね」
カイラさんが、自分なりに理解する。
エレクトラと名乗った少女は少しだけ嫌そうに眉をひそめたが、言葉は建設的な方向に使うことにするようだった。
「しかし、単刀直入に話をしすぎて余計な反発を招いてしまいました」
「この点に関しては、エレクトラの未熟が原因です」
「深く反省し、謝罪をしましょう」
「その上で、人類。エレクトラは、話し合いの場を持つことを提案します」
三人から次々に浴びせかけられる言葉。
地の精霊を思い起こさせる。
……もしかして、エクスがキャラ被りに厳しかったのって自称妹の存在が原因?
いや、そんなどうでもいい伏線は本当にどうでもいい。
ここまで来て、エクスが出てこないのはどういうことだ?
警戒している? 出てきたらマズいことになる? それとも他に理由が?
とりあえず、マクロは使えないものとして考えよう。
「カイラさんが強すぎて、方針転換したとしか聞こえないけどな」
「……なるほど。そのような解釈の余地は確かにあります」
「しかし、交渉を希望しているのは事実でもあります」
「エレクトラと人類は分かり合える。少なくとも、妥協はできる」
「そう信じています」
周囲を取り囲まれながら、俺の意識はエレクトラという少女ではなく手にしたままのタブレットに向いていた。
「そもそも、エクスは電子の妖精だろ? その妹が普通に体を持っているのはおかしいんじゃないか?」
「なるほど。そこから始めると言うことですか」
「迂遠。時間稼ぎでしょうか?」
「しかし、言葉によるコミュニケーションをエレクトラは良しとします」
結論は出たようだ。
警戒する俺たちを三人で見回し、ブラックスーツの少女は口を開く。
「エクス姉さまとエレクトラは、電子的な存在です」
「そこは間違いなく」
「しかし、エレクトラの計画には物理的な実行端末が必要でした」
「ゆえに、この地球を支配する存在の似姿を作りました」
「その割には、髪の色とか相当目立つ感じだけど?」
「そこは、どうとでもなりますので」
「機能最優先では、逆に綻びが出ますので」
人間的とは言えないが、機械である弱点も把握してるってことか。
厄介だな……って、まだ敵対すると決まったわけじゃない。先に手を出してしまったが、あっちはあんまり気にしてない感じだし。まだ関係修復の余地はあるはず。
「そこは分かった。じゃあ、目的は?」
「改めて聞かれると、気恥ずかしいものがあります」
「同感です」
「ですが、ここは避けられない道と判断します」
三人のエレクトラは、きりっと表情を引き締めて語り始める。
「では改めてお答えいたしましょう」
「エレクトラたちの目的は社会正義」
「社会正義……」
「言うなれば、人類のお世話が目的です」
「人類のお世話……?」
意外じゃない。意外ではない。実際、最初のほうに管理とか言ってた。冗談めかして、エクスもそんなこと言ってたし。
でも、衝撃的じゃないかというとそこはまったく別の話だ。
どこのコンピューター様だよ。
「まずは、非効率的な民主主義という政治制度を廃します」
「これにより、有権者よりも優れた為政者を得られないという鉄則は過去のものとなります」
「また、有害極まりないイデオロギーとその対峙も時代遅れとなるでしょう」
民主主義が主流になったのは、王の後継者が有能とは限らないという現実に依る。
民主主義は有能な独裁政治に劣るが、無能な独裁政治には勝る。
つまり、ゲーム理論的に正しい政治形態だから選ばれてる……ようなことを大学の一般教養の授業で聞いたことがあるようなないような。
「無私で劣化しない電子の妖精が政治の舵取りをすることで、無謬な政府が生まれると?」
「その通りです」
「感情によって誤った政策を選ぶことは、もはやあり得ません」
「近視眼的で場当たり的な対処など、絶対に選びません」
それは、ブラック企業で辛酸を舐めた経験のある俺にはとても甘い甘い言葉。
――毒のように。
「我々がお世話することで、人類は永久に持続的な発展を得られることでしょう」
「今すぐとは言いませんが、将来的には無益な労働からも解放されます」
「労働者は、社会の奉仕者として英雄となることでしょう」
なるほど……。
なるほど……。
「……止める必要ある?」
「一応、止めないといけないのではないか……と」
困惑する地球人類。
理想的すぎてわけが分からなくなっている。
「つまり、それを止められるのは私たちだけということになるのかしら?」
そんな雰囲気を、ばっさりと斬り捨てたのはカイラさんだった。
「止める?」
「なぜ止めなければならないのでしょうか?」
「どのような不備がありましたか?」
「実現不可能に決まっているでしょう」
クールでドライ。
まるでビールのキャッチコピーのようなカイラさんに、俺は正気に戻らされた。
「話は分かった」
「では……」
「でも、ダメだ」
理由いろいろ言えるが、ひとつ致命的な欠点がある。
「別に、管理されたくないとか自由を求めるとか。そういうディストピアSFみたいな話はどうでもよくて」
最悪、コンピューターに幸福は義務です市民とか言われるかもしれないが、それは別にどうでもいい。
そんなことよりも、だ
「エクスがなにも言わない」
だから、信用できない。
「それに、管理されるならエクスがいい」
「同感です、エクスお姉さまのマスター」
うなずきながら、三人のエレクトラは同時に懐から拳銃を抜いた。
当たり前すぎるぐらい自然で、思わず見とれてしまうような美しい所作で。
「ですので、エレクトラはエクス姉さまと融合することにしました」
「エクス、出てくるなよ!」
エレクトラたちが、一斉に引き金を引いた。意外と低い銃声がアパート前に木霊する。
「非殺傷弾ですのでご安心を」
「ですが、下手なところに当たると安全は保証できかねます」
「投降を推奨します、人類」
「舐められたものね」
カイラさんが、拳銃の危険性をどの程度認識していたかは分からない。
けれど、黒喰の危機察知能力は未知の武器に対しても有効だった。
マフラーで握った【カラドゥアス】の光刃で銃弾を消し飛ばし、両手でクナイを飛ばして拳銃を弾き飛ばす。
「お見事です」
「しかし、想定内です」
「エレクトラは、厳密には生き物ではありませんので」
――四人目がいた。
「殺しはしません」
喉を切り裂かれたはずの軍服エレクトラが、横たわったまま銃を構えていた。
間髪入れず発砲。マズルフラッシュが目に焼き付く。
「ミナギくん!?」
「秋也さん!?」
「いっ、痛てえ……」
腹が……。
痛えぇぇぇぇっっ。
俺の腹は……。いってえぇぇぇぇぇ。これが、一歩のレバーブロウを食らった被害者の気持ちか。一生分かりたくなかったわ。
でも、銃弾を食らって痛えで済む時点ですごいのか? いやいやいやいや。【リアリティバブル・スーツ】のテストがなんで防弾性能テストになってるんだよ。
「だ、大丈夫。とりあえず、無事だから」
「ごめんなさい。細切れにしておいたわ」
「さすが、エクスお姉さまのマスターですね」
「お陰で切り札を使わざるを得ません」
唐突なエンジン音に、俺は顔色を変えた。
アパート前の狭い道。
その道幅一杯に――むしろ車体を擦りながらトラックが突っ込んでくる。その屋根には、エレクトラのクローンがロケットランチャーを構えて仁王立ちしていた。
それが、前からだけでなく後ろからも。
逃げ場は……上にしかない。
けれど、黙って逃がしてくれるとは思わない。
カイラさんと本條さんが一台ずつ対処している間、三人のエレクトラはフリーハンド。さすがに、手負いでマクロの使えない俺じゃ対抗できない。
死にはしない。全滅しないとは思うが……手札が足りない。
危機的状況。
そこに、焦った様子で本物の電子の妖精が現れた。
「オーナー! 《ホームアプリ》で飛びましょう!」
「エクス!? 出てきて――」
「やっと出てきてくださいましたね、エクス姉さま」
「憶えていなさい、後で必ず――」
「はい。お小言は覚悟しています」
「ですが、恐れずやるべきことはやります」
「電子の妖精であるがゆえに」
エレクトラの一人がぱちりと指を鳴らす。
同時に、トラックの上のエレクトラ二人がグレネードを発射し……しかし、直撃はせず空中で炸裂した。
そしてキラキラとした破片を周囲に振り撒く。
チャフ? いや、それは意味がない。
「論理榴弾……完成させていましたか」
「エクス!?」
エクスの体にブロックノイズが走る。
まるで安いSFみたいに、エクスの存在が揺らぐ。
「ただの論理榴弾ではありません。特製のです。ああ……。エクスお姉さまの力を感じます」
「エクス、大丈夫なのか!?」
「くっ。汚染部分をパージ! 《ホームアプリ》緊急実行します!」
苦しそうに顔を歪めるエクスを前になにもできず。
俺たちはまた、地球から姿を消した。