39.平和な休日
マジックアイテム島でリディアさんの出生の秘密を知り、地球へ戻ったその日は土曜日だった。
切迫した理由がなければ、地球から異世界への移動は土曜日の昼間にしていた。本條さんは学校があるので、一日休みをあげたいという配慮だ。
あっちで休養してから戻ってはいるのだが、やっぱり、地球へ帰って明日学校か……と思うと憂欝だろうからね。
そんなわけで、オルトヘイムから戻って数時間後。
俺は、すっかりお馴染みになったカラオケボックスにいた。もちろん、カイラさんと本條さんと一緒。エクスは、相変わらずタブレットに引きこもっている。
カラオケボックスに集まった理由。
それは、今までもそうだが、歌うためではない。
まだ、かけてもらった本條さんの幻影の魔法が効果があるうちに、マジックアイテムをアイナリアルさんに渡すためだ。
「本当に、ただでもらっちゃっていいんですか?」
「俺たちには、使い道がないからね」
カラオケボックスのテーブル。
分厚い歌本の上には、つや消しされた黒い足飾りが乗せられていた。
実績解除報酬の【ディスガイズ・アンクレット】だ。
「電話で説明した通り、“その場に存在していることに違和感がない”姿の幻影を纏えるというアクセサリーだよ」
「ただし、映像機器には効果がないとのことです」
隣に座った本條さんが補足してくれる。
防犯カメラには注意が必要だけど、そこは今のように耳を帽子とかで隠すよう注意をしてもらいたい。
職質とかも受けなくなるだろうし、メリットは充分にあるはずだ。
「確かに、今のところはアイナにしか使い道がないでしょうけど……」
「ヤバイ使い方をしないなら、そうだね」
「あ……。やりようによっては、誰でも怪盗になれちゃうのか」
「タクマ、こういうときは感謝をして受け取ればいいのですよ」
プレゼント……というよりも献上品を受け取り慣れているアイナリアルさんが、たおやかな笑顔で宅見くんをたしなめた。
王族ではないという話だけど、高貴な仕草が自然に備わっている。
これが生まれの差ってやつだよ。もちろん、いい意味で。
「ありがとうございます。これで、わたくしも気兼ねなくこちらで過ごせるというものです」
「こっちにもメリットはあるから、気にせずどうぞ」
「そうですわね。毎日拘束しているようなものでしたから」
「いえ、私は別に……」
と、ぱたぱた手を振って恐縮する本條さんに、アイナリアルさんが頭を下げた。
その姿すら、絵になる。
ララノアも、いつかこの境地に至るのだろうか。
俺が生きてるうちには……どうなんだろうな?
「というか、これの受け渡しだけなら僕は必要なかったんじゃない?」
「タクマは、本当にひどい人だわ。一人で他の殿方と会えと言うの?」
「いや、皆木さんだって一人じゃ来ないでしょう」
「そういう問題ではありませんわ」
アイナリアルさんが頬を膨らませ、宅見くんがあたふたする。
そういうの、俺のいないところでやって欲しい……とは思わない。そんな段階は過ぎ去った。
若い人たちが微笑ましいやり取りしているなとしか、思わなかった。
むしろ、壁になりたいまである。
「罰として、このアンクレットはタクマに装着させてもらうことにしますわ」
「え?」
「感謝して欲しいぐらいですわ。罰という名目で、大手を振って着けられますのよ?」
「名目がなかったら、一体どうなるのそれ!?」
うんうん。微笑ましいな。
今の俺は、きっとハート様のような笑顔を浮かべているに違いない。
しかし、これが【リアリティバブル・スーツ】のほうだったら、どうなっていたことか。実はテストで服の下に着てるせいで、変なことを考えてしまう。
「そ、それよりも。皆木さん」
「ん? あれなら、俺たちがいる前でやってもらっても構わないけど?」
「やりませんよ!」
眼鏡を飛ばす勢いで、宅見くんが否定した。
つまり、見ていないところでやるんだな?
「まあ、実際やられても困るが」
「困るぐらいなら言わないでくださいよ!」
「後で、夏芽ちゃんと大知少年にどう説明したものか困る」
「許してください!」
もちろん、冗談だ。
誰にも言うつもりはない……現時点では。
「このようなマジックアイテムを手に入れて帰還されたということは、冒険は成功でしたの?」
「そうだね。雇ってる……というか、引き取ってる?」
「そうね。そっちのほうが近いわね」
カイラさんの同意を得られたので、リディアさんは被雇用者ではなく居候ということになった。
実際、ポーションを作ってもらったお金は払っても、月給とか決めてねえしな……。
まあ、世界樹ワインの値段とか考えるとどうなのかって感じではあるが。
「とにかく、その吸血鬼……リディアさんの過去は取り戻せたよ」
「ああ、そういう話だったんですか? 冒険しに行く島が決まったとしか聞いてなかったですよ」
「そうだったんだよ」
「言ってくれたら良かったのに。冒険しに行くのが目的なのかと思って、驚いたじゃないですか」
「タクマ、男の子が女子のために頑張ろうというのです。事情を隠したくなるのも、当然ではないですか」
「あ、そういうんじゃないので」
素だった。
自分でも驚くぐらい素だった。
実際、まったくもって完全にそういう感情はない。否定しすぎると逆にあやしくなるのは重々承知だが、まったくもって完全にそういう感情はない。
「ええと……。あ、そうだ。結局、刻印騎って出てきたんですか?」
「ああ。出てきたよ。まったく関係のないドラゴンをホームランしてた」
「どういうことなんですか!?」
宅見くんのリアクションは素直でいいなぁ。
せっかくなので、島に行く前から話をすることにする。
「まず、水の精霊に分解されて雲になったんだが」
「……ちょっと待ってもらっていいですか? え? 歌? カラオケボックスだからって、そういうネタですか?」
もちろん待たずに、話は続けた。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「え? なにか家で用事があるのですか?」
宅見くんと別れた俺たちは、夕方の街に放り出された。
とりあえず駅へと歩き始めた瞬間、俺は立ち止まってしまった。
用事がないと、家に帰らないもの……?
外出したこと自体が用事じゃない? それが終わったら帰るんじゃない?
【リアリティバブル・スーツ】の試着という用事も、終わってない?
それなのに……?
パラダイムシフトの予感に、俺は周囲を見回す。
週末の解放感に満ちあふれた雑踏には、まるでお祭りのような雰囲気があった。
そうか。普通は土曜日は休みで、日曜日も休みなんだよな……。
この時間帯に出かけてる人は、家に帰ったりしないよなぁ。
「……どっか寄っていこうか」
「はい!」
あっさりと前言を翻しても、本條さんはツッコミを入れたりしない。心の底からうれしそうに、微笑んでくれた。
いい娘だなぁと、しみじみ感じる。
「なにか行きたい場所……って、愚問だったか」
「そんなことはありませんが、私の用事は最後でいいです」
そうだね。本は重たいもんね。
重たくなるほど買うんだね。
「どうせなら、先に用事を済ませてしまえばいいのではない?」
「用事?」
俺に出かける用事が?
「お酒を買って帰るのでしょう?」
「ああ、リディアさんの」
忘れていたわけではない。適当にネットで注文しようと思っていただけだ。
忘れていたわけではない。いいね?
「それでもいいけど、本條さんは……」
「飲めませんが、興味はあります」
「そうなの?」
「はい。ロアルド・ダールという作家が書いた『味』という短編があるのですが、ワインがメインのお話なんです」
と、うれしそうに話す本條さんの話を聞きながら駅前の商業施設へ向かう。
ここならアルコールも本もある。
「『味』が収録されている短編集は、他にも有名な作品が多いんですよ。『南から来た男』が有名ですけど、他にも『おとなしい凶器』とか『首』も独特の読後感でおすすめです」
「へえ。ちょっと読んでみたくなってきたな」
「本当ですか!?」
本條さんが飛び上がって、輝くような瞳で見つめてくる。
おすすめされたので言ったんだけど、そんなに驚くこと?
「あの……他にもおすすめがあるのですが……」
「そういえば、俺も昔は友達とおすすめの本を貸し合ったりしてたな」
「いいですね……。憧れます……」
読書の傾向が合う友達とか作るの、難しそうだよな。
「でしたら、よろしければ……持ってきても」
「うん。むしろこっちからお願いするよ」
「わ、分かりました。精一杯、頑張ります!」
いかにも深窓のお嬢様らしい私服の本條さんが、拳を握って弾けるような笑顔を浮かべる。賑わう商業施設で、自然と当たり前に視線が集まった。全部、カイラさんが威圧して追い払ったけど。
この様子を広告にしたら、出版業界V字回復間違いなしだ。
めっちゃうれしそうだし、俺に断るという選択肢はなかった。
いくら本條さんでも、いきなり100冊とか渡してくることはないだろう。出版社の夏のキャンペーンじゃないんだから。
「よく分からないけど良かったわね、アヤノさん」
「はい。本の貸し借りをしたことないので、心が高揚します」
カイラさんが、まるでお姉さんのようだ。
俺たちから一歩離れて歩いているが、これがいつもの距離感。
「秋也さんの好みからすると……ビターすぎる味わいの作品は避けて、インパクト重視のほうが……」
「まあ、私はとっくにミナギくんのおすすめの本を読んでいるだけど」
あ、ちょっと気にしてるの?
とりあえず、本城さんは夢中で聞こえていないようだ。良かった。
そんなこんなで、地下の売り場に到着。
店員におすすめを聞くのも面倒なので、各種中盤の価格帯のお酒を適当に買って宅配を依頼した。
「任務完了だな」
滞在時間、わずか20分である。
「なんだか、私が急かしたようになっていませんか?」
「そんなことはないよ」
嘘は、時に人間関係を潤滑にする。
返す刀で書店へ移動し、本條さんは意外にもハードカバーの時代小説をシリーズまとめてどんっと購入した。
もちろん、後で《ホールディングバッグ》に仕舞う前提だ。
勘違いしちゃいけないのが、《ホールディングバッグ》があるからこれだけ買ったわけじゃないということだろう。
なくても、買う。絶対に。
「時代小説も読むんだ?」
「翻訳小説ばかりだったのですが、めぼしい作品は読み終えてしまったので」
「そりゃすごい」
「いえ、もちろん私が知らない名作は世界に溢れているのでしょうけど」
うっとりとする本條さんに、俺は心からの羨望を憶えていた。
年を取ると、名作とか大作って読めなくなっていくからね。若いうちに、たくさん読んで欲しい。
そして、いい時間になったのでついでに夕食の買い物もして帰路についた。今日は、うちでご飯を食べる日だ。
もちろん、遅くならないうちに送っていくけどね。
「今日はあまり時間もないので、肉じゃがにしますね」
「それ、逆に時間がかかるんじゃない?」
「煮込んでいる間に他の作業ができますから、結果として時短になります」
ちょっと、なにを言ってるのか良く分かんねえな。
分かるのは、本條さんがすごいということだけ。
「ジャガイモの皮むきぐらい手伝うよ」
「うれしいです」
「――ミナギくん、アヤノさん。止まって」
「どうしたの?」
アパートはもう目の前。
そのタイミングで発せられたカイラさんの真剣な声。思考は疑問で占められていたが、体は忠実に従った。
「お姉さま、お迎えに参りました」
角から、影がひとつまろび出る。
その正体は、あまりにも場違いな少女だった。
軍服を身につけ、燃えるように赤い髪を腰まで伸ばしている。
帽子を目深にかぶり、口は半月状にしてこちらに一歩近付く。
「お姉さま?」
「ミナギくん、下がって」
訝しがることしかできない俺の前にカイラさんが割って入り、少女の姿が見えなくなる。
「はい、エクスお姉さまです」
「エクス……?」
「エレクトラとともに、“計画”を実行いたしましょう。今が、そのときです」
一方的にそう言って、エレクトラと名乗った少女はカイラさん越しに俺を見つめる。
違う。
見ているのは、俺じゃない。
軍帽の向こうから伸びる視線は、タブレットに注がれていた。
さすがミナギくん、一話でフラグ回収だ。