36.吸血鬼の宙船(中)
こうして潜入した船内。
外壁……いや、装甲かな?
そこを抜けると通路に出たが、人がすれ違える程度の広さはあった。天井も、圧迫感がない程度に高い。
乗り物のなかというよりは、建物の内部と言われたほうがしっくりくるぐらいだ。
ただし、それは色を除いて。
本條さんの光の魔法で照らされた通路は、真っ黒。真っ暗ではない。光を照らしても、通路自体が黒いのだ。
「しかも、照明らしき物が見えないな」
「ヴァンパイアだけの船であれば、そもそも不要なのではない?」
「それもそうか」
その視点はなかった。言われてみれば、確かにそうだよな。
「壁とか床の素材は、なんなんだろう? 鉄ともアルミとも違うような……」
「そこだけ鑑定すると……ブラックストーンと出ますねぇ」
「知ってる?」
「聞いたことないわね~」
「同じくよ」
惑星セリルだっけ? その星特産の素材なんだろうか。
名前からして、これは素材そのものの色ってことになるのかな。
「宇宙船ですが、地球の客船とそれほどの違いはなさそうですね」
「そうなんだ」
飛行機もそうだが、豪華客船的なものに乗った経験もない。精々、東京湾フェリーぐらい。
そんな俺でも、本條さんの言わんとするところも分からないでもなかった。
色は変わっているが、構造自体は数々のアニメで見た宇宙船・宇宙戦艦と大差ない。
「闇を見通せるとはいえ、体の構造が同じ以上はそう違わないか」
「お姉ちゃん、ちょっと適当に見てくるわね~」
いきなり、風の精霊が飛んで通路の向こうへ消えていった。
「勝手なことを……」
いやでも、一応、今まで遠慮してくれていたのか? その気になれば、カイラさんの代わりに入っていくことだってできたわけだし。
「風の精霊だもの。仕方がないわ」
「そうですね。危険はないようですし」
「そもそも、風の精霊……だけじゃないけど、精霊ってダメージ受けるのか?」
「水と地の精霊は殺せるんじゃないですか?」
「私情バリバリだぁ」
緊張感のないコメント群。そこに、リディアさんの発言は含まれていない。
「…………」
リディアさんは無言。内部に入ってからずっとだ。
いつもの鋭いツッコミも鳴りをひそめ、考え込むようにして歩いている。
「さて、通路が続いてるけど部屋らしき場所があったら家捜ししてみる?」
「あまり気は進みませんが……」
「必要なら、やるだけよ」
「あっちに、面白い場所を見つけたわよ~」
「うわっ。もうかよ」
一瞬で戻ってきた風の精霊に、思わず仰け反らす。
リディアさんが少し笑ってくれたので許すよ。
「面白いって、そんなにハードル上げて大丈夫?」
「つまらなかったら、お姉ちゃんのこと好きにしていいけど~」
「それは、要りません」
「ざーんねん」
そのまま、風の精霊に導かれて船の中心部へと移動していく。
ちょっと入り組んではいたが、10分ほどで“面白い場所”に到着した。
「なんだか、わけが分からない物がたくさんあって素敵よ~」
「ここは……」
一応、動力は生きているのか。それとも、魔法的な効果なのか。
自動扉が開き、斜めに傾いた部屋へと足を踏み入れた。
「艦橋……かな?」
「確かに、それらしい場所ですね」
そこはほんとに、宇宙船というか宇宙戦艦の艦橋のようで。
電源が落ちて真っ暗になった外壁のモニター。
オペレーターが座っていたであろう、コンソール。
そして、丸いメーター類が所狭しと並んでいる。
銀河帝国の名物である謎の殺人柱がないのは、当然のような残念なような。
うわー。すげーな、これ。艦長席っぽいのもちゃんとある。あそこに座って、バカめって言ってやりたい。
はっきり言って、風の精霊が面白い場所という気持ちの100倍ぐらい俺は楽しい。
薄闇に照らされた艦橋を、感動混じりで歩いていると……。
「あ、これ《マナ・リギング》で掌握できそうですね」
「マジかよ」
うちのエクスが万能過ぎる。
もう全部、エクスだけでいいんじゃないかな?
「それはそうですよね。魔力航行船なのですよね……」
「宇宙船飛ばせるって、魔力ってなんなんだろうな」
「とりあえず、やってみます!」
エクスが、いかにも艦長と行った感じの服と帽子に着替える。
そして、《マナ・リギング》のコントローラーである青い紐を艦長席らしき場所のコンソールにつないだ。
ぶぅんっと、ブラウン管に電源が入ったような音がする。同時に、薄暗い程度だが、周囲のモニターやコンソールに明かりが点った。
でも、俺は口を閉じたまま。なぜなら、本條さんがブラウン管のことを知らなかったらショックだから。
ジェネレーションギャップに怯えながら、待つことしばし。
エクスが、艦長っぽい帽子の位置を調整して顔を上げるが……浮かんでいるのは複雑な表情。
「ううむ……。とりあえず、航海日誌的っぽいのを見つけましたが、これは……」
「もしかして、エクスじゃ読めない?」
「はい。ディスプレイに出します」
艦長席前のコンソール。
そこに、見慣れない異星の文字が表示された。
横に読むのか縦に読むのかも判別不可能な未知の文字列。
しかし、それを集中して見つめているうちに理解できる文字――日本語の文章になっていく。
「これは、艦長? 偉い人の私的な日記みたいだな」
「はい。惑星セリルから逃亡した廃棄神とそれに従う同族を追って探索の旅に出発したとありますね」
「廃棄神? 聞いたことがないわね」
「お姉ちゃんも知らないわ~」
俺は一旦顔を上げ、リディアさんへと視線を向け……。
「まったく分からんちんや」
「うん。なんか、ごめん……」
謝る羽目になった。
「……秋也さん! これを……」
「なにか分かった?」
「分かったと言いますか……」
本條さんが指で示した部分を読んでみると……それは、驚くべき。
けれど、納得してはいけないのに納得してしまう内容だった。
ディスプレイから視線を離し、リディアさんをじっと見つめた。
「ごめん、リディアさん。これは俺たちが先に読むべきではなかった」
「構へんよ。でも、教えてな」
リディアさんの声はいつも通り。口元も笑っている。
けど、片眼鏡の奥は見えなかった。
「この船が吸血鬼の宇宙船というのは、間違いない」
本條さんが目配せするが、リディアさんは止めようとしない。
諦めたようにため息をついて、俺は話を続ける。
「廃棄神とそれに従う同族を追って、長い長い刻をかけて空の海を航海するシアリーズ号。補給なしで進み続けられるように、ある装置が搭載されていた……ようだ」
「食料を生み出すマジックアイテムでもあったのかしら~? あれ? でも、当たり前よねー」
吸血鬼の食料。
リディアさんがほとんど吸わないので忘れがちだが、本来は血。生き血が必要なのだ。
「それは、人工生命体を創造する装置。吸血鬼たちは、そこから血を吸って航海をする計画を立てていたらしい」
そして、そのホムンクルスには宇宙船――魔力航行船の維持・管理の役割も与えられていた。
つまり、自我も意思もある生命ということになる。
吸血鬼にしてみれば、仕方がないこと。
そう。メフルザードが振りかざしたのと同じ理屈。
「まあ、その程度じゃ驚かれへんよ」
「リディアさん……」
「なんせ、その先にはこう書かれとるはずや。虐げられてきたホムンクルスが叛乱を起こしたとな。でも、その結果は書かれとらん」
絶句。
二の句が継げないとは、まさにこのこと。
「吸血鬼もホムンクルスも全滅したんや。ウチを除いて……な」
リディアさんは言った。
自嘲。
そう表現するには、苦すぎる笑顔で。
「リディアさん……思い出したの?」
「全部やないと思うけどな。記憶自体はなんだか霞んで……あれやな。物語に感情移入し過ぎてもうたみたいな状態や」
だから文字もよう分からんと、リディアさんは腕を組んで笑い飛ばした。
それ、こっちは笑えないんだけど……。
「で、その記憶によるとな。吸血鬼たちは棺で眠りにつき、魔力航行船による悠久の旅に臨んだわけなんやけど」
「お姉ちゃんたちがいたら、絶対一緒に乗り込んでたわね~」
「SFだとコールドスリープになってるところだな……」
そう言われてみると、この長方形の魔力航行船自体が棺桶のようにも思えてきた。
しかし、吸血鬼とかエルフみたいな寿命が長い種族は外宇宙探索向きなのか。その発想はなかったな。
「話は分かったけれど……。ホムンクルスたちに、叛乱を起こさせない仕組みはなかったのかしら?」
「確かに。生殺与奪の権を他人に握らせてる状態だよな」
「信頼する、しないは別に安全弁は必要ですよね」
「もちろん、吸血鬼が持っとる魅了の力。あれを使って支配しとったわけや」
「じゃあ、なぜ?」
俺の当然の問いに、しかし、リディアさんは答えない。
「宇宙には、いろんな難所があるんや」
ずっと握ったままだった本條さんの手を優しく払って、艦橋をゆっくりと歩いて行く。こつこつこつと、靴音が周囲に響く。
「母星の月には、世界を無に帰す超越存在が封印されとったオベリスクがあったり」
「いきなり難易度ナイトメア」
アンチスパイラルかよ。
「それから、惑星サイズの魔力結晶が崩壊して生まれた魔力重力球」
「あー。うん……ブラックホール……」
「そして、逆に魔力が一切存在しない絶魔宙域」
魔力航行船なんだよな?
それって、かなり致命的なのでは?
「そこはなんとか抜けたんやけど、その間、支配の力も抑止されとった」
「もしかして、その間に叛乱計画を練って……」
「そうや。絶魔宙域を抜けた後、支配の力が戻ることを前提にな」
映画かよ……という感想は、ギリギリのところで飲み込んだ。
「それなら気付かないかもな……」
「気付けるチャンスはあったんやけどな」
俺たちからさりげなく距離を取っていたリディアさんが、唐突に足を止めた。
「子供やった一人の吸血鬼が、棺から起きだしてホムンクルスの少女と友達になったんや。お定まりの種族を越えた友情ってやつやな。まあ、騙されとったわけやけど」
「リディアさん」
「言わせてえな」
俺の制止を拒絶して、リディアさんは艦橋を歩き回りながら続ける。
「気付いたら、すべての棺に白木の杭が打たれとった。支配に反しない範囲で杭を打つ装置を作って、事故を装って起動させたわけや」
「そうやって、支配のくびきを逃れたのか」
「でも、ウチらやって無能やない。何人かは生き残って……あとは大虐殺や」
「だけど、リディアさんは生きてるじゃないか」
「せやな。ホムンクルスの少女にかばわれて棺に押し込まれ。ウチはなにもできず……。最後には、次元の歪みに巻き込まれて、ここに落ちてきた……ということなんやろな」
ここから持ち出されたのは、リディアさん一人。
もしかしたら、転移の前の段階ですでに……だったのかもしれない。
「リディアさん、ありがとう」
「お礼を言うのは、ウチのほうや。ろくでもない記憶やったけど、それでもウチのものやしな」
「でも……」
「リディアさんっ」
感極まった様子の本條さんが、リディアさんへと駆け寄ってぎゅっと手を握った。
片眼鏡越しに驚いた表情を見せるものの、振り払ったりはしなかった。
「大丈夫やって。物語に感情移入し過ぎてるような状態やって言うたやろ?」
「それでもです」
「……おおきにな」
薄暗い艦橋で、リディアさんが落ち着くのを待つ。
そう、彼女自身で乗り越えなければならない問題。
いたたまれない。もどかしい。
でもそれが、リディアさんのためになるというのであれば決して不快な時間ではなかった。