35.吸血鬼の宙船(前)
「とりあえず、お別れですね」
地上に降りた風の刻印騎。
再び膝をつき、俺たちは手から下りて山の上の船と相対する。
エクスが《マナ・リギング》の青い紐を新体操の選手のように振り払っても、船体から目を離せない。
刻印騎に負けず劣らずの高さ。
しかもそれが、100メートル以上も続いているのだから、高層ビルが横倒しになっているようなものだ。
ミリタリージャンルは詳しくないのだが、空母とか戦艦ならこれくらいの大きさは当然なのかもしれない。
けど、実際目の前にすると溜め息しか出ない。たとえそれが、廃墟のような様相を呈していても。
「エクスさん、疑うわけではないのだけど……」
「疑うのはもっともです。ただ、他に船らしき物体は見つかりませんでした」
「ですが、これはそもそも船とは呼べないのではないでしょうか?」
本條さんの根本的な問い。
しかし、それは意外なところから否定される。
「あー。なんか、見憶えってほどやないけど……」
「記憶に引っかかる?」
「せやな。なんか、知っとるような気するわ」
「お姉ちゃん、このお船が来た頃は良くないハッスルをしてたから憶えてないわ~」
今の風の精霊を見ると信じられないが、ついさっきまで強そうなのにケンカを売るほかはじっと耐えてたんだ。そこは仕方がないところだろう。
それよりも、リディアさんだよ。
「無理に思い出そうとしなくていいけど、なにか分かる?」
「分からへん。でも、胸がざわついてな……。少なくとも、無関係ではない思うわ」
「辛いなら、帰っても……」
「そこまでやあらへん。大丈夫や」
じっと船体を見つめていた視線をこちらへ移し、リディアさんは微笑んだ。
空元気も元気っていうし、今のところは大丈夫かな……。
「もちろん、ミナギはんが帰る言うんなら従うけどな」
「そこは、信頼してもらってると思うことにしよう」
けど、どうしたもんかなぁ。
リディアさんから巨大な船体に視線を移動させるが、名案も妙案も浮かばない。
警備用のロボットでも残っていて、攻撃でも受けたほうがいっそ楽なくらいだ。
「宇宙船と決まったわけじゃないけど、これはなぁ」
「予想外と言うべきか、なんと言うべきか……ですね」
「綾乃ちゃんが驚くのも当然ですが、オーナー。結局、どうします?」
「幸い、ファーストーンで移動できるようになったのだから。一度、撤退してもいいのではない?」
「それも、選択肢のひとつではあるか」
ちらりと、リディアさんを見ながら検討する。
リディアさんの状態が心配。これは大前提。
とはいえ、それを除けば仕切り直しが必要なほど消耗しているというわけじゃない。休憩なら、通知と報酬の時に取ったともいえる。
結論から言えば、精神状態以外は問題なし。
そして、もうひとつ。
「でも、戻って準備できることある?」
「う~ん。どうでしょうねぇ」
「陸に上がった船への対応策なんて、里にも伝わっていないわよ」
メタれるような状況じゃないよね。
リディアさんの精神状態だって、時間を空けたことで好転する保証はない。さっきの食事問題のように、むしろ時間をかけたらダメな可能性だってある。
「なにかあったら素早く撤退する。その前提で、探索を進めよう」
「分かったわ」
「賛成です」
「ま、妥当なところやろな」
風の精霊も、いい笑顔でサムズアップ。
わりと玉虫色の判断だが、とりあえず賛同は得られたようだ。
……っと、その前に。
「なあ、エクス。まずは、この船そのものを《中級鑑定》してみない?」
「ですね。早速、やってみます!」
その結果は――
【シアリーズ号】
価格:127,500金貨
等級:伝説級
種別:乗り物(魔力航行船)
説明:惑星セリルの統一戦争時に大量建造された魔力飛行艇をベースに開発された魔力航行船の残骸。
かつては、アルカナリアクターから生成される魔力で宇宙を駆け巡った。
――どこに感心したらいいのか、よく分かんねえなこれ。
とりあえず、惑星セリルってところでは大航海時代(宇宙)が存在していたってわけだ。
あと、壊れて動かないので、効果じゃなく説明になってるな。やっぱ便利だ、《中級鑑定》。取ってたら、直し方とかも分かったのかな《上級鑑定》。
「魔力の海を駆る船だったのね~。お姉ちゃんも、さすがに知らなかったわ」
「宇宙……星や月の世界ね。伝説の類になるけれど、月と地上を往還する牛車を開発した刻印術師がいたという話があるわよ」
月と地上を……。
かぐや姫を迎えに来た天人っぽい。さすが、ファンタジー世界だなぁ。
「しっかし、残骸認定される状態でも、この値段か……」
「恐らく、このシアリーズ号そのものが宝の山なのでしょうね」
「何処かに持ち込んだら、有効活用してもらえるのでしょうか?」
マークスさんに言ってみる? いけそう?
さすがに、無理か。人格的には信用できるけど、一介のギルドマスターには手に余る案件だろうなぁ。
別に、また邪神が攻めてきてどうこうってわけじゃないんだ。当座はスルーでいいだろう。
ああ、そうだ。所有者が望めば別か。
「所有者であるリディアさんの意見は?」
「は? ウチ? まあ、理屈で言えばウチに所有権があるのかもしれへんけどなぁ……」
片眼鏡越しに、魔力航行船の残骸を見つめる。
露骨に困っていた。
まあ、さすがに先走りすぎか。
「とりあえず、宇宙船だと確定したということで良しとしようか」
「そうですね。船体亀裂からドローンを送り込んでみます」
「内部は暗いんじゃないか?」
「そのときは、私が偵察に行くわ」
冷静に。しかし、尻尾を振りながらカイラさんが言った。
なんだろう? 散歩という言葉を聞いた瞬間に反応した大型犬みたいだ。
いいと思います。
「それでは、ドローン偵察隊出発です。ナルト、サスケ、ジライヤ、行きなさい」
「名前つけてたのかよ」
「ええ。偵察にはもってこいの名前だと思いませんか?」
「猿飛佐助と自来也ですね。鳴門は知らないですが……やはり忍者でしょうか」
「ええ。ニンジャよ」
カイラさんが正確に元ネタ把握してて、本條さんがずれてる現象なんなんだこれ。ツッコミが追いつかねえ。
それはともかく、ジライヤ先生は偵察に出しちゃだめじゃないかな……? あと、サスケも戻って来るか怪しい気がする。
「あー。やっぱり、中は真っ暗ですねぇ」
「防衛機構が生きてて、攻撃されたりは?」
「そういうのはなさそうです」
完全に死んでる船なんだろうか? 鑑定結果も、通常と違ったしなぁ。
「ダンジョンの一種と考えたほうが、いいのかしらね」
カイラさんの懸念。
それは尤もだったが、現実はそうはならなかった。
それから、数分。
なんとか壁とかには当たらないで進んでいるが、タブレットに表示される映像は闇しかない。FPSならとっくに敵から襲撃を受けているタイミングだが、それもなかった。
「このまま飛ばし続けると、ナルト、サスケ、ジライヤを失うかもしれません」
「じゃあ、撤収だな」
「私の出番ね」
「ええと……。光の魔法をドローンにかけて飛ばすというのは、どうでしょうか」
さっきの闇の神様の部屋みたいなギミックがなければ、偵察が捗るのは間違いない。とても素晴らしい提案だった。
一人を除いて。
その一人――カイラさんの赤い瞳から、光……ハイライトが消えた。尻尾も垂れ下がってる。
あ、これはまずい。
「本條さんのは名案だけど、生き物にだけ反応する仕掛けもあるかもしれないし」
「そうね。危険があったら、すぐに戻るわ」
我が意を得たりと、カイラさんが尻尾をぱたぱたさせた。
ついでに、きらきらもついた。
「無理だけは、せんといてな」
カイラさんが、無言で。
でも、微笑を浮かべて亀裂の中へ消えていった。
本條さんに魔法をかけてもらったドローンと一緒に行けば良かったんじゃ? と、気付いたが後の祭り。
「カイラさんなら、滅多なことはないと思うけど……」
「場所が場所だけに、心配ですね」
そんな場所でなければ、カイラさんに偵察してもらう必要もないわけだが。どうにも、ジレンマだ。
「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか」
「太宰ですね」
「なかなか、含蓄があるセリフやないの」
宿代の形に残した親友が、金を取りに帰った太宰がなかなか戻ってこないために借金取りとともに確認しにいったところ、井伏鱒二と将棋していた大宰がもらした一言――という背景は説明しないのが花だろう。
本條さんと二人、目と目でその意志を確認した。
そんな感じで、警戒しながら待つこと10分ほど。
「特に、危険はなかったわ」
潜入したときと同じ。まったく、いつも通りの姿でカイラさんが戻ってきた。
「いくらか床や壁が崩れて全体的にやや傾いているけれど、それくらいね」
「そっか」
「船内を守っているモンスターの影や、トラップの類も発見できなかったわ」
「助かったよ。ありがとう」
まあ、リディアさんが見つかってから数百年だもんな。
いくら異星の宇宙船でも、そんな長い時間稼働できないか。もしかしたら、空気があるところでの長期間の運用は考えてなかったかもしれないし。
そもそも、ここに墜落だか転移だかしたショックもあったかもしれない。
「じゃあ、行ってみる?」
「ここまで来て、帰るんはないやろ」
「そうよね~。こういうのぞくぞくするー。楽しみだわ~」
即答するリディアさんと、若干空気読めていない風の精霊。その無邪気さが、今だけちょっとありがたい。
「行こうか」
「先導するわ」
「カイラさん、お願い。それから、本條さん」
「……あ。分かりました」
本條さんに目配せして、リディアさんの手を引いてもらう。
さすがに、俺がやるわけにはいかないからね。
「…………」
リディアさんは無言。でも、手を振り払ったりはしなかった。
吸血鬼の宙船編は、次回かその次で終わるはず。