16.顔合わせ
今回、後書きにも本文あります。
隠れ家的フレンチレストラン。
こんなことでなければ一生縁はなかっただろう店の前に、俺は立っていた。
店名は『La Demoiselle aux yeux verts』。
まったくもって、日本人に理解させる気がなかった。ある種の清々しささえ憶える。
直訳すると、緑の目の乙女といったところだろうか。《トランスレーション》さんのお陰で意味は分かる。
しかし、別に店が緑に塗装されているわけでもない。その由来は、ちょっと分からなかった。
まあ、そんな派手な態で隠れ家的フレンチレストランもないもんだが。
「無駄に格式が高いわけではありませんから、そんなに緊張しなくても大丈夫です」
「ああ、うん……」
慣れないスーツに身を包み、されるがままに髪やらなんやら整えられた俺。その手を、本條さんが元気づけるように握ってくれる。
幻術でごまかした手袋越しなのは玉に瑕だが、些細なこと。
そもそも、制服の女子高生に心配されるアラフォーの存在自体が心配要素なんだよなぁ。脆弱性は、俺。俺なんだよ。
そこに、フランス料理という要素が拍車を掛ける。
フォアグラとかエスカルゴとか日常的に食べる? 食べないでしょ?
けど、先方からの指定だ。逃げるわけにはいかないし、そのつもりもない。
たとえ、俺と本條さんの二人だけだろうと。
タブレット……というか、エクスはカイラさんに預けている。
たぶん、一緒にどこかで見守っているんだろう。
さすがニンジャだ。
そう思うと、自然と気が引き締まる。
「こうしていても仕方ないし、行こうか」
「そうですね。先に入って心を落ち着けましょう」
約束の時間よりは、少し早い。シンデレラアプリで作った時計(高かった)で確認してから、店内へ。
店の中は狭いが、落ち着いた品のいい内装でまとめられていた。
見る目がないので評価は難しいが、《初級鑑定》で見たら結構なお値段なのではないだろうか。
そんなハマーン様から『恥を知れ、俗物!』と怒られそうな感想を抱いていると、これまた品のいい初老の男性が近付いてきた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお名前を」
「本條で予約しています」
「お待ちしておりました」
……普通に対応できたかな?
糸を使って戦いそうな初老のギャルソンに案内され、シックな店内を進む。新しい革靴が、ちょっと心許ない。
だが、その光景は目に映ってもただ風景として流れていくだけ。一秒前の景色さえ記憶に残っていない。
「こちらでございます」
だから、ギャルソンの人がノックをしてからドアを開けた理由に気付かない。
個室にたどり着き、ほっと一息……つく暇を与えられることはなかったのだ。
「あら、早かったわね」
「お母様……」
本條さんがあきれたように諦めたように、言った。
個室にいたのは、景織子さんだけではない。
「…………」
「…………」
無言で、固い表情をした男性二人も。
……先回りされてるじゃねえか!?
いや。この程度、ピンチの内には入らない。
ヴェインクラルやメフルザードとの経験が、俺を確実に強くしていた。
「皆木秋也と申します。この度は、ご挨拶が遅くなり大変申し訳ございませんでした」
「う、うむ。綾乃の父、本條高人だ。こちらも、早く会いたいと思っていた」
素早く心の均衡を取り戻し、なんとかご挨拶。
なお、今のやり取りを翻訳すると、「こっちは早く会いたかったんだけどなー。景織子さんが仕切ってるから、どうしようもなかったんだよなー」「小僧、ただで帰れると思うなよ」となる。
京都かな?
「まったく、まるで敵対的買収に関する交渉の席だわ」
「……分かっています」
自ら動こうとしない本條さんのお兄さんを、眼鏡越しに景織子さんが視線で射抜く。
それに抗することは、誰もできまい。
不承不承と、本條さんのお兄さんも立ち上がった。
巨人ファンと仲良くしろと言われた、阪神ファンぐらい不承不承だ(個人のイメージです)。
「綾乃の兄、雅人だ。初めまして……ではないが」
「はい、お久しぶりです」
「ああ」
相変わらず、血筋を感じさせる美形。
だが、相対しても、思った以上に緊張はしていなかった。
カイラさんへの行動で、俺の中では残念イケメンとなっている。それに、景織子さんの方針に反対はできても、覆すことはできまい。
「そのスーツは、初めて見るわね」
「ええ。特別な席なので」
何事も無いかのように、俺は言った。
オーダースーツは一朝一夕にできあがらない。それは、この場にいる全員の共通認識。つまり、俺は以前からこのスーツを持っていたことになる。
このかなりいい仕立ての、エクスたちが見繕ったいいスーツをだ。
それだけで、アドバンテージになる。
恐ろしい空間である。俺としては、スーツに合わせたネクタイとか時計とか靴ではなく、それを選んだ本條さんたちを信じるしかない。
「よく似合っているわ」
「当然です」
なぜか本條さんが誇らしげに胸を張り、景織子さんは微笑ましいと破顔した。
どうか、付け焼き刃がばれませんように。
「さあ、座ってちょうだい」
「それより、お母様。約束の時間には早かったのでは?」
「いてもたってもいられない男たちがいたのよ」
本條さんが、お父さんとお兄さんに視線を向けると、ばつが悪そうに顔を背けた。
けれど、俺が追随するわけにはいかない。
表面上なにもなかったかのように席に着き、横長のテーブルで3:2になって向かい合う。
……完全に、面接である。しかも、頭に圧迫が付くほう。
「食前酒でも飲みながら話をしましょうか。そうね、馴れ初めを貴方の口から聞きたいわ」
「はい……」
拒否権はないし、話さなければならない。
かといって、正直に話すわけにはいかない。
本條さんが、気分を悪くしていたところを助けた。そういうことになっている。
まあ、以前の病弱気味だった本條さんは実際に気分悪そうだったし嘘ではない。
なので、その辺をちょっといい話風に脚色して伝えた。
「綾乃の登校時間に、会社から出た……?」
「夜勤だったので」
「そ、そうか……」
とかちょっと『文化がちがーう』というエウメネス案件が発生したが、経緯はオードブル(なんかよく分からない色鮮やかなよく分からない物質)を食べ終える頃には伝わった。
ただ、そもそも、たったそれだけで本條さんが俺を好きになるのかという問題はある。
問題はあるが、そこは個人の感情である。
「一目惚れだったんです」
と、押し切った。
「一目惚れ……?」
「綾乃はきっと、ファザコンだったのね」
「そうか……。それなら……いや、そういうわけにもな」
こう言われたら、本條さんのお父さん――高人さんも、悪い気はしない。
景織子さんは、一言で本條家の男子の結束に楔を入れた。
分断して統治せよの見本である。
味方になれば頼もしいが……。いや、これ以上はやめておこう。軍師OSがインストールされた呂布に逆らっていいことなんかひとつもない。
そもそも、俺とダンディな本條さんのお父さんはまったく似ていない。性別が同じで、年齢が近い程度だ。
「……せっかくだ、もっと飲むといい」
「ありがとうございます……」
……多少は認められたのだろうか?
注いでもらって、返杯して。
ワインをたしなみつつ、コースは進む。
しかし、どんな料理が出てきてどんな味がしたのか、俺はまったく思い出せなかった。
肉、もしくは魚。あるいは野菜だった可能性がある。
恐らく、新手のスタンド使いの攻撃があったんだろう。そうに違いない。
まったく腹はふくれていないが、食後のコーヒーへ。
久々のカフェインで頭をすっきりさせつつ、俺は最後の戦いに挑む。
先手を取ったのは……というか、この場を支配しているのは、相変わらず景織子さん。
「IT関係にお勤めだったのよね」
「はい。銀行のシステム系で」
お陰で、銀行には憎しみしかない。トヨタが住友を嫌うが如しである。
「今は、貿易の仕事を立ち上げています」
「随分と、畑違いね?」
「伝手がありまして」
というより、ほぼ個人的な縁故しかない。
事実ではあるが、曖昧な説明。
にもかかわらず、景織子さんは深く聞こうとしなかった。
「見通しはどうなのかしら?」
「立ち上げたばかりですが、大口の取引先と複数契約を結ぶことができました」
月影の里とエルフの里には感謝しかなかった。継続的な収入があるという安心感は、なにものにも代えがたい。
そういう意味では、ざるにも日々感謝である。
「経済的な問題はないと?」
「将来はどうなるか分かりませんが、今のところは」
俺の功績ではないが、そんなことはおくびにも出さず。
淡々と、事実だけを伝える。
「綾乃に買った指輪は、かなりしたと思うのだけど?」
「喜んでもらえるのならば、それで構いません」
正直なところ、あの時の記憶は今でも曖昧だ。
まあ、結構高かったんだろうけど別にね?
「一服、いいかね?」
「はい。どうぞ」
飲食店は全面禁煙になったんじゃ……と、法律だか条例だかの存在が頭をよぎる。
でも、まあ、こういう店は治外法権なんだろう。きっと、たぶん。
「ふう……」
紫煙を吐き出し、本條さんのお父さんは肩の力を抜いた。
一方、こちらはリラックスなど
「実は私は、医者になるべき義務を捨てて景織子さんと一緒になったのだよ」
「そうだったんですか」
「だから、あまり大層なことは言えないのだけどね……」
本條さんが医者の家って言ってたのは、お父さんの実家のことだったのか。
そうか。入り婿だったのか。
「そうなのよ。私に一目惚れしたのよね」
「景織子さん、今は関係ないだろう?」
焦った高人さんと、余裕綽々の景織子さん。
微笑ましい……が、子供たちはいたたまれないだろうな。
「それはともかく」
煙草を吸って落ち着けてから、高人さんが
「正式な婚姻は、少なくとも娘が成人してから。それ以前に、手を出すような真似はしないでもらいたい」
「はい。誓って」
即答しつつも、俺は狼狽していた。
一緒のベッドで寝てるのはセーフ。セーフだよね!? それ以上は、なんにもしてないし。
そんな内心を糊塗できたのも、TRPG経験のお陰である。
身分違い、年齢違いの恋愛をする予定がある人は、是非TRPGをたしなんでもらいたい。ルールブックもいっぱい買って欲しい。
「まあ、それは当然のことだった」
「はい」
当然です、当然です。
景織子さんから節度をもって既成事実を作らされそうになったけどね。
「そんなことよりも……」
煙を吸って、吐き出し。
鋭い眼光で俺を射抜きながら、言った。
「娘を幸福にできるのかね?」
「必ず」
迷いも惑いもなく。
まっすぐに見据えて、答えた。即答だ。
考えて口に出したわけではない。
けれど、紛れなく俺の本音だった。
「……そうか。だが――」
「往生際が悪いわ」
「そうは言うけどね、景織子さん……」
「これ以上は、悪質クレーマーと同じ。控えるのが吉よ」
「クレーマー……。悪質……」
高そうな灰皿で煙草を押しつぶしつつ、不承不承と
なるほど。本條さんのお兄さんと親子なのだなと、変な感心をしてしまった。
「秋也さん、うれしかったです」
「いや、こちらこそ」
自分でも、よく分からない返し。それくらい、いっぱいいっぱいだったんだろう。
でも、些細なことだ。
本條さんの笑顔で疲労など溶ける。
「秋也さん、そういえばお土産を渡すのを忘れていました」
「ああ、そうだった」
空気が弛緩した。
お土産の出番は、ここだ。
「実は、仕事の関係で珍しい本を手に入れまして」
「本?」
それは聞いていなかったと、眼光が鋭くなる。
ぐぐっと、景織子さんが身を乗り出した。
それは、男性陣も一緒だった。
さすが本條家だ。
「これなんですが……」
本條さんとリディアさんが書き上げ、向こうで製本してもらった世界で。いや、二つの世界で一冊だけの本。
それを布の袋から取り出して、白い手袋と一緒にテーブルの上へ。
重たく、古いように見えるが新しい本。《トランスレーション》さんのお陰で、『月夜の鏡』というタイトルは分かる。
だが、逆に元の文字はよく分からない。
それを、三人が顔を突き合わせてのぞき込む。
「見た事の無い文字ね」
「これは……使われている文字種を見ると表音文字かな?」
「そうね。絵文字よりは洗練されている。かなり文化が進んだ地域の文字だわ」
本條さんのお兄さんは、声を出さず。でも、真剣に見入っていた。
「先に見せてもらいましたけど、私にも地球上のどの地域のものかは分かりませんでした」
地球のものじゃないからね。嘘じゃないね。
嘘なのは、見たどころじゃなく自分で書いたところかな。
「ふむ……。そうなると、人工文字の可能性もあるか」
「ある種のアートだと言いたいのね?」
「ああ。羊皮紙のようだが、ほとんど劣化が認められないからな」
「いえ、違うと思うわ」
手袋をはめてページをめくりながら、視線を上げずに景織子さんは断定する。
景織子さん、ぱない。
でもさすがに、異世界の文字という発想には……。
「たとえるなら、別の文明を持った宇宙人の文字が近い……印象があるわね」
……あっさりとたどり着きかけた。
怖え……。景織子さん怖え……。
「根拠はないわ。でも、確信はある」
「景織子さんの直感は、外れたことがないけれど宇宙人はさすがに……」
でしょうね!
「あるのは、この一冊だけなのね?」
「あ、はい」
眼鏡越しの怜悧な視線に貫かれ、俺はコクコクとうなずいた。
ヤバイ。余計なことを口にしたら、ぼろが出そう。
「なら、私から読ませてもらうわ」
「読むだけなら、コピーでもデジカメで写真を取って印刷でも……」
「……なにか?」
「イイエ。お任せします」
こえー。
ビブリオフィリアこえー。
ヴェインクラルとかメフルザードを相手にするよりも、寿命が縮まった気がする。あいつらなんか、前座だったよ、前座。
最初にこれを出していたら、速攻で関係を認められたような……?
いや、今のルートが最善だったんだ。正攻法こそ求められる道だったんだ。
ともあれ、これで予知は成就した。
これで全部解決とはいかないけど……峠を越したのも、また確かなことだった。
「めちゃくちゃ緊張した……」
いつの間にか、世界は夜の闇に包まれていた。
隠れ家的フレンチレストランを出て、俺は本條さんと二人で歩いて帰路につく。
空気を読んでか。それとも別の理由でか。カイラさんとエクスは姿を見せない。
「お疲れ様でした。上手くいって良かったです」
「なんか、不要な爆弾を投下したような気もするけどね……」
ともあれ、マイルストーンにたどり着いた。
長いロードマップの第一歩だとしても、進展したのは間違いない。
「秋也さん、思ったんですけど……」
「ん? なにかマズいところがあった?」
「いえ……。なんで、私はあんなに頑張って本を作ったのでしょう……」
早めに気付いてあげれば、リディアさんも致命傷で済んだのにね。
「ラーメン」
「え?」
「ラーメン食べて帰ろうか」
ネクタイを雑に緩め、唐突に言った。
全部投げっぱなしジャーマンな提案だったけれど。
本條さんは、にっこりと笑ってうなずいてくれた。