02.エルフの支配者
「というわけで、この里はボクの物になりましたよ。うふふ……」
翌朝。巨木の洞の中。
かつてアイナリアルさんが座っていた場所にいるララノアが、妖艶に微笑んだ。
御簾がないため、その表情を遮る物はない。神秘性には欠けるが、さすがエルフというべきか。普段のマヨネーズクイーンっぷりを忘れれば、文句無しの美人さんだ。
……妖艶というか、ちょっとトリップしてるな。
結果的に禅譲は上手くいったけど、わりと綱渡りだったもんなぁ。
「大丈夫か? ちゃんと寝れたか?」
「くふふ……。ご心配なく。エルフは寝なくても大丈夫なんですよぅ」
「いや、無理だろ」
寝なくていい生物なんて、いるはずがない。
いたとしたら、社畜適性がありすぎて奴隷にされるぞ。
「本当なのよ、ミナギくん」
「マジで?」
俺の後ろに控えるカイラさんと、里長席にいるララノアとを交互に見る。
バカな。このままでは異世界エルフSEが生まれてしまう。シャドウランのエルフデッカーの先祖なのか?
「しかし、アイナリアルさんに寝かされていたのでは?」
「あれは気絶です」
本條さんの疑問に、ララノアは真顔で答えた。
睡眠と意識を失うのは違うのか。
俺なんか電車で座った途端に寝られるけど、睡眠と意識を失うのは違うのか。
「代わりに、瞑想するんですよぅ。もちろん普通に眠ることもできるですけど」
「それ、瞑想しながら寝てるだけなんじゃ……」
「違いますよぅ。頭も疲労もすっきりですよぅ」
「エルフだからできる技術ね」
へぇへぇへぇへぇへぇ。
明日から使えるトリビアだな。ララノアには、今度メロンパン入れをプレゼントしよう。
「話が盛大にずれましたけど、ではでは、おにーさん。早速、交易のお話をしましょう?」
「こっちはいいんだけど……。他の仕事を優先したほうが、いいんじゃないのか?」
「とんでもないですよぅ。これこそ、ボクの長としての試金石になるんですからぁ」
アイナリアルさんが座っていた場所で、神秘性の欠片もなく拳を握るララノア。まるで、地元に利益誘導しようとする政治家のようだ。
ほんとに、里長になっちゃったんだなぁ。
決め手はアイナリアルさんのビデオレターAct2だろうし、血筋もあっただろう。けど、それだけで就任できるはずもない。
今のララノアは、やる気に満ち満ちていた。
となれば、俺も協力しなければなるまい。
なんだかんだと、アイナリアルさんを止められなかったわけだしね……。
「つまり、俺たちとの交易がララノア新体制の目玉政策になるわけだ」
「そうなると、こちらとしても失敗はできませんね」
秘書スーツ装備のエクスが、秘書眼鏡をくいっと上げながら言った。
「今回持ち込んでいるのは、マヨネーズ100kg。しょうゆ300kg、みそ600kgですね」
数ヶ月分ということで決めた量。
そこそこいいやつを買ったけど、卸値だったこともあり全部で30万円ぐらい。
……いやまあ、余裕でゲーミングPC買えるぐらいの大金ではあるけど。
「それだけの量だと、全部でいくらになりますかぁ?」
「金貨換算で100枚ですね」
「全部買いますぅ」
「毎度ありです」
軽く契約が成立した。
月影の里に卸している額に比べると若干割高だが、関係ないようだ。
まあ、集落単位だと考えると金貨100枚……50万から100万円相当ぐらいは大したことないと言えるかもしれない。しかも、数ヶ月分だし。
しかし、これを微少な魔力水晶を買って地球で現金化すると、60万円になる。
錬金術かな?
「それから、砂糖に食用油なんかもありますよ」
「お米もありますか? とりあえず、全部買うですぅ」
「気持ちのいい買いっぷりですね。もちろん、用意してますよ」
最初のマヨネーズなんかは最低ライン。
さらなる需要を見込んで仕入れていた食品まで俎上に載り、エクスがとてもとてもいい笑顔を浮かべる。
同時に、ララノアのことが心配になってしまう。
「全部うちに切り替えて、大丈夫か? 今までの取引先との関係とかどうするんだ?」
買ってもらえる分には構わないんだが、こうも簡単に決められると不安になる。
一回きりじゃなくて継続した取引を望んでるんだから。
「なにを言ってるです、おにーさん。ボクたちは、他にどこからマヨネーズを買えばいいです?」
「それもそうか……」
まあ、どこかにしわ寄せは行くんだろうけど、メリットのほうが大きいと。
「そもそも、こちらはほぼ鎖国状態。交易はわずかで、ほとんど自給自足ですよぅ」
「それ、逆に払う金あるの?」
「金貨100枚程度なら問題ないですけど、将来的にはどうにかするとしか言えないですねぇ。現時点では、ですが」
「金貨が難しければ、魔力水晶でも構わないけど?」
「それなら、里で作ってる物とかでもいいですかぁ?」
「どんなのがあるんだ?」
なんとなくわらしべ長者的な流れになっているが、エルフの里の特産品は気になる。
「そうですねぇ。有名処だと弓矢とかマントとかブーツですね」
「ほう。それはそれは……」
エルヴンボウ。
エルブンマント。
エルヴンブーツ。
いいな。
もう、このブランド感が素晴らしい。マジックアイテムじゃないけど、特別な効果ありそう。
「むしろ、俺が欲しいぐらいだな」
「おにーさん、弓を使えるんです?」
「いや、触れたこともない」
「……まあ、売っちゃったら、どう使ってもらっても構わないですけどぉ」
エルヴンボウとか、地球でも絶対売れるよな。私が作りましたって、エルフの写真つけてもいい。了承を得られればだけど。
「エルフのマントは丈夫で保温性があり、ブーツも頑丈で履いた者は疲れ知らずと言われているわね。昔、私も使っていたことがあるわ」
「マジックアイテムじゃないですが、品質に自信はありますよぅ」
「それは、冒険者相手に売れそうだな」
性能はカイラさんのお墨付きだ。
まあ、《初級鑑定》もあるし、こっちが損をすることはないだろう。
転売しなくちゃならないという手間を除けば。
あと、今まで売却してた商人との関係もあるな。
「物納はいいけど、今までの取引先はどうなる」
「……ふっ。今までは、許可が出なくてほとんど売りに出してないですよ」
「鎖国状態だったんだな」
渉外担当だったララノアの苦労はいかばかりか。
「あとは、販路が問題か……」
「ギルドに売ればいいではない」
「盗賊ギルドか。それは確かに」
転売っぽくなってしまうけど、楽なのは間違いない。
「違うわ、冒険者ギルドのほうよ」
「素材の買い取りとかはしてくれるんだろうけど、直接商品を買ってくれるもんなの?」
冒険で見つけたアイテムならともかく、交易品みたいなのは扱わないイメージなんだけど。
「そうね、たぶん納品の依頼という形式になると思うわ」
「なるほど。そうすれば、余計なマージンがかからないということですね」
ふむ。
ギルド自身が俺たちへ依頼を出して、エルフ製品を納品してもらう。
それを比較的安価で、ギルドから冒険者に提供する……と。
みんなが得する、いい取引になりそうだ。
元々、冒険者相手にブーツやマントを売ってた店や職人さんは……頑張れ。
「じゃあ、サンプルでいくつか商品を渡してくれ」
「はいですぅ。それで……」
「もちろん、マヨネーズその他は置いていきますよ」
「分かってるですねぇ」
「こういうのは最初が大事ですから」
「美味しい食事で、誰にも文句を言わせないようにするですよぅ」
エクスとララノアが、悪代官のような表情で含み笑いをした。
そんな空気に毒されない本條さんが、控えめに声をかける。
「ララノアさん、アイナリアルさんへの手紙やメッセージがあれば合わせて承りますけど」
あ、忘れてた。
その気配り、さすが本條さんだ。
「ありません」
「え?」
「ありません」
いつものように語尾を伸ばさず、さっきまでのような悪代官スマイルもなく。
真剣な表情で言い切ったララノアがそこにいた。
……強く生きて。
あと、闇堕ちはやめて。
たった一日でララノアが代表者となったエルフの里。
そこでの交渉を終えた俺たちは、ファーストーンを放り込んだ水場へと移動していた――
「大丈夫なのかしらね」
――ところで、先を行くカイラさんがふと疑問を口にした。
主語はなかったが、なにを言わんとしているのかは分かる。よーく分かる。
というか、心当たりはひとつしかない。
「もうひとつのメッセージは感動的だったし、ララノアの下でまとまるんじゃないかなぁ」
「感動的……。確かに、事情を知らなければ涙を流していたかもしれません」
横を歩く本條さんも、俺の意見に賛成した。
俺たちと再会した後……というか、アイナリアルさんのビデオレターを見た後。
ララノアは他のエルフたちを叩き起こして経緯を説明してから、まともなほうのビデオレターを再生させた。
冷静だったら試聴していたはずだが、結果として、問題はなかった。
アイナリアルさんのビデオメッセージACT2は、真に迫ったものだったのだ。
邪神戦役と、戦後の苦難。
平和と安定を取り戻した、喜び。
育つ、若い世代。
そんな中、忘れられないのが勇者との思い出。
もう一度、会いたい。
でも、会えない。会うわけにはいかない。
会いたい。
そういった震えるような想いを切々と語り、派手さはないがその分臨場感があった。途中からはすすり泣きの大合唱になったほどだ。
例外は、ある意味部外者の俺たち。
逆の意味でエンターテインメントとして楽しんでいた地の精霊たち。
それから、裏を知っているララノアだけだ。
アイナリアルさんの告白を冷静に受け止めたララノアの姿は、それだけで里の長となるに相応しいものだった。
他のエルフ視点では。
ここまで読んで、あのトンチキなビデオレターを撮影したのかもしれない。
……違うな。あれ絶対、昔の恋人と再会して浮かれぽんちになってるだけだ。
最近、浮かれぽんちとか言わねえなぁ。
だけど、あのアイナリアルさんはあえてそう表現したい。
「月影の里としては、エルフたちが下手に動揺されると困るのだけど……」
「そこは、まあ、俺もフォローするから」
「これからお得意様になる予定ですからね。商売をするには平和でないと」
デフォ巫女衣装のエクスが、うんうんとうなずきながらくるりと一回転。
「いっそ、ふたつの里を統合してオーナーが治めるというのはどうです?」
「なるほど……」
斥候役として先頭にいたカイラさんが立ち止まり、感じ入ったように言った。
「いや、なるほどじゃないから」
「そうですよ」
本條さんが、とんでもないことを言い出したエクスをいさめる。
「まずは、大義名分から考えなくては。上手くいくものもいきません」
「違う。そこじゃない」
まったく、いさめてねえ。
どうして、俺が野を馳せる者とエルフを統べる者みたいになってるんだ。
「けれど、勇者の庇護を受けられるとなるとメリットは絶大よ? 見返りも相応以上にあると思っていいわ」
「であれば、いずれこの一帯の支配も……」
「はいはい。まずは、家に戻ろう」
軽く手を叩いて、夢とも妄想とも言えないような話を打ち切った。
家に帰るまでが、ヴェインクラル退治だよ?
「そうですね。リディアさんも心配しているでしょうし」
「それはないと思う」
たぶん、一人でワインとか飲み干してると思う。
「そんなことは……いえ、信じましょう」
信じましょうって言う時点で、信じられてないんだよなぁ。