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42.節度の問題

後半、三人称です。

 宅見くんとのビデオ通話を終えた俺は、別荘の浴室にいた。

 疲れた状態ではまともな思考はできないという判断である。確かに、クールダウンは必要だ。


 というわけで、先に入らせてもらったわけだが……。


 お湯につかって周囲を見回しながら思う。

 お風呂とか浴室というより、これはもう温泉だ。


 もうもうと湯気が立ちこめる洗い場も湯船も、2~3人同時に使っても狭さを感じない。

 しかも、檜造りの純和風な佇まい。日本人なら、これだけでテンション上がること間違いなし。子供なら、はしゃいで泳いでいるところだ。


 その上、お湯も本当に温泉を引いているらしい。ちょっと濁った感じのお湯がその証拠。

 庶民からすると贅沢に感じられる。けれど、本條家にとっては当然なのかもしれない。本を読むためにベストコンディションを整えるという意味で。


「にしても、今日は大変だった……」


 早起きをして、電車で移動。

 その後、久々の運転。しかも、エクスナビのサポートがあったとはいえ、見知らぬ道だ。

 それから周囲の探索という名の散歩をして、一息ついたら宅見くんから依頼の話。


 こりゃ、疲れるわ。


 ぬるめのお湯に肩までつかって、俺は大きく息を吐いた。濁ったお湯が、外皮を浸透して体内の疲れを解かしていく。


 そんな錯覚。


 再び息を吐いた俺は、まぶたを閉じて温泉に身を委ねる。


 温泉は気持ちいいが、やはり遠出は大変だ。

 リア充って、楽しんでこれをこなすわけ? バカなの? 死ぬの?


 やはり俺は、溜まったアニメを消化しながらソシャゲやってるのがお似合いだ。アニメの中では、どこへだって行けるんだから。


「……それよりも、宅見くんの依頼だよな」


 年下の先輩の覚悟は伝わった。

 なんとかしてあげたい。


「でも、方法がな……」


 ヴェインクラルが来れる以上、俺たち以外も移動ができることは確か。

 そんなアプリとかスキルとかマクロとかあったりしたら、一発なんだが……。


「いや、明日だ明日」


 もう、今日は考えるのをやめる。

 それに、例のベッドを置く場所がないので、三人揃っているが今日は独り寝なのだ。ゆっくりリラックスして、心と体を休めよう。


 タブレットに入れてあるアニメを参考に、筋トレでもしてから寝ようか……なんて、考えていたところ。


 がらりと、扉が開いた。


 は?


「秋也さん、失礼しますね」

「なかなか、趣があるわね」


 は?


 脳は事態を理解していない。しかし、反射的に後ろを向いていた。そんな俺を、俺は心の底から褒めてあげたい。


 って、何事だよ!?


「だ、大丈夫です。ちゃんと節度を守って水着を着ていますから」

「私は、なにも着るべきではないと思うのだけど、押し切られたわ」

「温泉マナー的には、正しいけどね!?」


 その節度、榛名は大丈夫じゃないと思います!


「はっ。エクスだな! エクスに違いあるまい!」


 脳内に、「私がやりました」といい笑顔でサムズアップするエクスが思い浮かぶ。農家かよ。


 というか、背後からかけ湯をする音がするんだけど……。マイペースすぎない?


「これはさすがに、不味いだろ。本條さんのお母さんに顔向けが……」

「秋也さん」

「は、はい?」


 妙に堅く、真剣な声音。

 思わず、真顔で問い返してしまった。


「こういうときぐらいは、名前で呼んでいただけたら……と」

「いやいやいやいや」


 前例があるって怖いなぁ!


「節度、節度をね?」

「秋也さんは、私の名前を呼ぶと節度を失う……と?」

「まあ、そこは焦らなくてもいいのではない?」


 マイペースでかけ湯をしていたらしいカイラさんが、湯船に入ってきた感覚……。

 視界の隅にすらりと伸びた足が見え、真っ白な肌が桜色に染まっていく。


 いやいやいやいや。

 いあいあいあいあ。

 いやいやいやいや。

 いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!


 おかしいですよ! カイラさん!!


 俺は混乱していた。


「そ、それでは」

「うへ?」

「失礼して、私も……」


 ちゃぽんと音を立てて、もう一人が湯船に入ってくる。言うまでもない、本條さんだ。

 姉さん、事件です。

 3人入れても、余裕があるわけではない。密着しないよう、反射的に距離を取ろうとする……が。


 当然、それにも限界がある。


 意図せず手や足が触れ、びくりと反応してしまう。


 一人を除いて。


「お湯が気持ちいいわね」

「カイラさん、どうしてそんなに余裕があるのですか!?」

「刃の下に心。逆境でこそ、冷静であらねばならないのよ」

「そうでしょうか……そう、ですね」


 それは違うよ!

 刃の下に心って言いたかっただけだよ! このお茶目なケモミミくノ一さんめ!


「秋也さん、こちらを見てください。このままでは……そう、寂しいです」

「せっかくだものね」

「いや、それは……」

「もう、この時点で節度もなにもないのではない?」


 それは、まあ、確かにそうだよな……。


 大丈夫かな? 振り向いても大丈夫かな? たぶん、見えちゃいけない部分は光渡しで隠されるよね? 現実世界って、ブルーレイ版じゃないよね?


「ま、まあ、そう言うなら……」


 ゆだった頭で振り返る……と。


 そこには、水の妖精たちがいた。


 濡れないように髪をタオルでまとめ、それでいて言った通り水着……。学校指定とおぼしき競泳用の水着を身につけた本條さん。

 アンバランスで滑稽にすら思える格好だが、現物を見たら絶対にそんなことは言えない。


 些細なマイナスなど、圧倒的なプラスの前には無も同然。


 そのめっちゃ恥ずかしそうに伏せている美貌とか、服の下に隠されていた肢体という暴力で殴りに来ている。


 ファッションの世界でも、レベルを上げて物理で殴れはひとつの真理だった。


 一方のカイラさんは、堂々としていてモデルのよう。

 そのスレンダーで魅力的なスタイルを、これまた地味とすら言えるワンピースタイプの水着で包んでいた。


 しかし、ワンピースはワンピースでも、むしろひとつなぎの秘宝(ワンピース)のほうだ。


 なんかもう、語彙力がなくなる。


 やばいぐらいやばい。


「……私これ、カイラさんと思いっきり比較されていることになっているのでは!?」

「それは、こちらも同じことではない?」

「俺なんて……」


 マナーとして、湯船にタオルを持ち込んではいない。むしろ、頭の上だ。


 つまり、光渡しされるべきは俺だった。


 って、そんなこと言ってる場合じゃねえ!


 慌てて、俺は後ろを向いた。湯船のお湯がこぼれるが、そんなことは二の次三の次。


「あっ、お湯が濁っているので、その……」

「平気よ」

「ああ、うん」


 無。

 今の俺は、無だった。


 分かる。あのラスボスの気持ちが分かるぞ。


 そして わたしも消えよう。永遠に!!





「綾乃のことだけれど」


 本條家のダイニングルーム。

 一般家庭では見られない長さのテーブルを前に、食事を終えた本條景織子は話を切り出した。


「今日は帰りが遅いみたいだけれど、綾乃になにかあったのかい?」


 綾乃以外の家族。

 綾乃の父と兄が、そんな母を見つめる。


「お付き合いしている男性がいるわ」

「ほう。そうなのか」

「はあぁ?」


 穏やかな表情で事実を受け止める、父の高人(たかと)

 それとは対照的に、整った顔をしかめて驚く兄の雅人(まさと)


「ここ最近、雰囲気が変わっていたからね。そのようなことがあるかも知れないとは、思っていたよ」

「父さん、なんでそんな冷静なんですか。綾乃に彼氏なんてまだ早いでしょう」

「なにを言っているの、雅人。あなたはもっと早熟だったでしょう。もっとも、誰一人として家には連れてこなかったけれど」


 大学に通う傍ら劇団員としても活動している、綾乃の兄雅人。確かに、確かに血筋を感じさせる美形だった。

 しかし、それゆえか自己愛(ナルシスト)の兆候がある。


 これが、景織子が「お兄ちゃんには期待できそうにない」と語った理由だった。


「会ってきたけれど、なかなか良さそうな男性でした。倍ぐらい年は離れているけれど」

「なんだって!?」

「そこ、めちゃくちゃ重要でしょう!?」


 本條家の男子が二人同時に立ち上がる……が、それ以上はなにもできない。景織子の一瞥で縫い止められていた。まるで、メデューサのようだ。


「座って」

「しかしな……」

「座りなさいな」

「……うむ」


 ダンディなひげを生やした中年の男性が、力なく椅子に戻った。

 もう一人の美青年も、同じだ。


「ところで、綾乃本人は何時頃帰ってくるんだい? 本人からも話を聞きたいのだが……」

「しばらく帰らないわよ」

「は? 母さん、なにを言って……?」

「景織子さん、それはどういう……」


 戸惑う男二人を怜悧な表情で見据え、景織子は淡々と事実を語る。


「綾乃は、別荘へやりました」

「まさか……」

「その男性も一緒によ。無事に到着したという連絡が来ています」

「バカなっ」

「景織子さんがなにを考えているのか分からない……」


 驚き苦悩する、本條家の男子たち。

 感情を交えず、景織子は再び事実を語る。


「綾乃は、私の娘だけあって相当な器量よしです」

「…………」

「…………」


 父と子は、賢明にも沈黙を守った。

 一応、事実は事実である。


「将来、面倒なトラブルに巻き込まれる覚悟すらしていました。ですが、幸いにしてあの娘が気に入る男性が現れたのですよ? これを奇貨とせずどうしますか」

「言いたいことは分かるけどね、奇貨居くべしといっても……」

「年の差がありすぎますよ。それに、どうせ冴えない男なんでしょう?」

「外見は、そうかもしれないわね」

「綾乃は騙されて――」

「あの娘が、そう易々と騙されるわけがないでしょう。それに、私も一度会っているのよ?」


 問いの形を取って、景織子が断言する。

 そう言われては、反論もできなかった。


「だが、いわゆる普通の人なのだろう?」

「お金が必要なら、稼げばいいだけです」


 それよりも、綾乃が気に入った。望んでいる。

 それが最も重要なことだ。


「近いうちに、一席設けます。とにかく、冷静になるように。いいですね?」

「景織子さん、そうは言っても……」

「今の話で、冷静には……」

「いいですね?」


 景織子の瞳が、すっと細まった。

 猛禽を遙かに超える、危険な眼光。


 それを向けられ、二人はこくこくとうなずくことしかできなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] >光渡し 残念!猫耳侍じゃなく犬耳ニンジャでしたw 母強しw 奥様は元魔女なんてことはないんでしょうけど実はこっそり受け継がれた資質が…?
[一言] 景織子さんって、もしかして作中で最強のキャラなのでは? 強い(確信) 景織子さん的に節度を守って避妊しろってことは、 一線は越えることを承知の上で別荘に送り出したのでしょうね ただ、ミナギ…
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