38.知らなかったのか……? 親への挨拶からは逃げられない……。
「突然お邪魔して申し訳ないわね」
「いえ、本来はこちらから挨拶をしなくてはならないところですので……」
いつものダイニングテーブルに本條さんと並んで座り、本條さん母――本條景織子さんと対面する。
平安貴族の煌びやかさと、教師のような厳しさが同居した女性が目の前に座っている。
狭く粗末な我が家とは思えない光景……だが。
なぜ……。どうしてこんなことに……。
いや。ご挨拶はペンディングなのだから、いつかはこうなることになっていたはずだが……。それは、今ではなかったはず。
ねーちゃん! あしたっていまさッ!!
あばばばばばばばば。
土下座? 土下座すればいいのかな?
「でも、こういうことは早めにはっきりさせたほうがよろしいでしょう?」
「は、はい。そうですね……」
本條さんのお母さんかい? 早い、早いよ。
俺が生返事をしたタイミングで、カイラさんがお茶を出してくれる。
お礼を言おうとしたところ、機先を制してタブレットを手に引っ込んでしまった。
我関せず……というわけじゃない。バックアップに回ろうとしているんだ。
……マジで、魅了の能力取ろうとしてない?
「皆木秋也さん」
「はい」
学校の先生に呼ばれたかのような既視感。
思わず背筋を伸ばし、はっきりとした声で返事をしてしまった。
でも、実際、プレッシャーはすごい。
笑顔だけど、眼鏡の向こうの目は笑ってないからね!
しかも、悪いのは一方的に俺だからなぁ……。気分はまな板の鯉。ギロチンのオイ・ニュング伯爵だぜ。
「うちの娘がいろいろご迷惑をおかけしているでしょう? これからも、あきれずによくしていただけます?」
「もちろんです。こちらこそ、本條さんにはお世話になっていて……」
「…………」
当たり障りのない言葉を交わしているが、本條さんは無言。珍しく、ちょっとむすっとした様子でお母さん……景織子さんをにらんでいた。
かわいい。
年相応なところが見れて、ちょっとほっとする。本條さんでも、親の前ではこうなるんだな。
「娘の態度は、気になさらないで。親といえども、自分の群れに土足で踏み込まれて上機嫌になる雌はおりませんもの」
「は、はあ……? 仰る意味はよく分かりませんが、気にはしていません」
「それは良かったわ」
本條さんのお母さんが、湯飲みを手にし……口に含む前に爆弾を投下する。
「不思議なことに巻き込まれておりますのね?」
「……はい?」
本條さんのお母さんが、艶然と微笑んだ。
まるでこちらのリアクションを計っているかのように。
ど、どこまで?
なにをどこまで知ってるの?
隣に座る本條さんへ目配せするが、彼女も呆然としていた。本当に、異世界の本を見せる作戦を実行したわけじゃないらしい。
はっきりバレたわけじゃないみたいだけど……そっちのほうが反応に困る。どの程度喋ったらいいんだ。
「お母様、なにを言って……」
「ごまかすのが下手ね、綾乃」
「ごまかすとかそういうことではなく……」
本條さんの抗議をソロモンの悪夢のように鎧袖一触した本條さんのお母さんが、意味ありげに微笑む。
「こう見えても母親ですもの。娘の様子が変わったことぐらい気付きますわ」
「お母様……。また、適当なことを。指輪のことで連絡が来たと仰っていたではないですか」
「それがきっかけだけど、適当ではないわよ」
怜悧な政治家のような表情を浮かべ、娘の言葉を否定した。
しかし、それも一瞬。
獲物を前にした猫のような表情でネタばらし。
「だってこの娘ったら、英語でもフランス語でもドイツ語でも普通に返答するんだもの。おかしなことになっているのは、誰でも気付くわよ」
「ああ……」
まさか、《トランスレーション》から気付かれるとは。
読むほうは集中しなくちゃだけど、聞くほうは全部普通に日本語なんだよなぁ。
もっとも、誰でもは気付かないと思うが。普通に複数言語を喋れたりするわけじゃないし。さすが、現役の通訳だ。
「心当たりがありそうね、皆木秋也さん」
「まあ、そうですね。原因は分かります」
「ちなみに、今もよ」
あちゃあ……。
それハメだって。メストに書いてあったって。
役者が違う。これはもう年齢とか経験とかそういう以前の問題。いわば、人としての器の違いだ。
「綾乃。うちの人の前に、私を仲間につけたほうが楽よ?」
「本條さん、ここは白旗を揚げよう」
大丈夫。バッフ・クランじゃないから大丈夫。
「ええ、ええ。素直な子は好きよ」
「お母様!」
「嫌だわ。冗談の通じない娘に育ってしまって。そう思いません?」
「そんなことはないですよ」
正直、本條さんとの会話で違和感を憶えたことはない。たまにしか。
基本的には、とても接しやすい娘さんだ。
「分かりました。話します」
「話せるところまででいいわよ」
「……そうします」
鋭い視線でお母さんを射抜いてから、本條さんがきゅっと結んでいた唇を開く。
ちょっと反抗的な本條さんも、それはそれでかわいい。
「私は、未来を予知することができます。その力を巡って諍いに巻き込まれ、そこを秋也さんに助けてもらいました」
どうだ、とても信じられないだろう。
これでも、まだ全部じゃない。
いくつも隠し事があります。
そう、むしろドヤ顔で言い放つ本條さん。
「お母様が気付かれた言語能力……《トランスレーション》は、その過程で秋也さんから与えられたものです」
だから、お母さんのリアクションは完全に予想外。
「やっと話してくれたわね」
「はい? お母様……?」
「あなたが、なにか秘密を隠していることには気付いていたわ。当然でしょう? 母親だもの」
「嘘……そんな……」
そういえば、ちっちゃい頃は予知のビジョンと現実の区別が付かなくて、周囲を困らせてた……みたいなことを言ってたな。
その頃に、気付いてたってことか。でも、本人の意思に任せて知らない振りをしていたと。
でも、なにか有れば手助けできるように、観察は怠らなかった。
親の愛情って、すごいな。
「だって……」
「綾乃、あなたなにも言わなかったではないの」
「それは……そう……ですけど……」
ずっと抱え込んでいた本條さんの秘密。
それが、氷解した瞬間だった。
「でも、別になんでもかんでも言わなくてもいいのよ。こっちにもキャパシティというものがあるのですからね」
「お母様……。はい、そうします」
まだ秘密があることを知りつつも、本條さんのお母さんは許容した。してくれた。
カイラさんのこととかめっちゃ気になるだろうけど、抑えてくれているんだ。
まあ、《トランスレーション》を俺から与えられたとか、ツッコミ所しかないもんな……。
「もう親よりも頼りになる人を見つけたのだから、そちらを頼りなさい。親なんか、二番目三番目でいいのよ」
これは頭が上がらない……。
「皆木秋也さん」
「はい。なんでしょう?」
「秋也さんとお呼びしても?」
「駄目です」
横から本條さんが即却下。
本條さんのお母さんは、ころころと楽しそうに笑う。
さては、このリアクション予想。いや、期待通りだったな。
「では、皆木さん」
一瞬で真面目な表情に戻り、俺をじっと見つめる。
「娘を救っていただき、本当にありがとうございました」
「そんな。大したことは……。運命を切り開いたのは、本條さん自身です」
「謙遜なさる必要はありません。この子の親ですもの。どれだけぞっこんかは、よく分かります。分かりますとも」
「そういうことでしたら」
今の話にぞっこんかどうかは関係ないような気がしたが、俺はスルーした。大人だからね。
「ところで、うちの娘を本條さんと呼んでいらっしゃるのね?」
「それがなにか?」
「いえ。いささか、他人行儀ではありません?」
本條さんは無言。
しかし、期待の波動を感じる。
初めて母子の意見が一致したんじゃないだろうか?
あと、脳内エクスがチアリーダー衣装で俺のことを煽……応援していた。
「それでしたら、綾乃……さん」
「堅いわ」
リテイク入りましたー。
そうなったらもう、選択肢がひとつしかなくない? なくなくない?
マジか……。マジかよ……。
「あ、綾乃?」
「は、はい。秋也さん……」
「ちゃんづけになるかと思っていたけど、まあ、いいでしょう」
しまった。やりすぎた!?
初陣でコロニーに穴を開けた天パも、こんな気分だったのだろうか。
さっきからペースが乱されっぱなしだ。
先生を前にしているみたいで、かなーりやりにくい。
「この様子だと、まだやることはやっていないみたいね。キスぐらいかしら?」
「お母様! そんなことまだしていないですよ!」
「まだ? なにも?」
眼鏡の向こうで、景織子さんの切れ長の目がすっと細まった。
彼女を初めて驚かせたかもしれない。
まあ、キスはしてないけど添い寝はしてるんだよな……。冷静に考えると順番がおかしいね? しかも、カイラさんと一緒だね?
これは話せない……。
「綾乃、あなたね。安売りしろとは言わないけど、身持ちが堅すぎてもいつか捨てられるわよ?」
「秋也さんは大人なんです!」
もうやめて。俺のライフはゼロよ!
ささやき - いのり - えいしょう - ねんじろ!
よし、生き返った!
「いい年して女子高生と付き合おうって男が、大人なわけないでしょ?」
「私から押しかけているので、そこは関係ないです」
「そうね。そうだったわね」
え~と。「いい年して女子高生と付き合おうって男が、大人なわけない」という部分に関してのフォローは……。
ないですね。そうですね。
だから、俺もいろいろ頑張ってたんじゃん?
涙が出そう。コートの外だから。
「綾乃、あなた。しばらく学校を休んでいていいから別荘へ行っていなさい」
「え? どういうことですか?」
別荘の件をすでに話したのかと思ったが、違うようだ。本條さんもめっちゃ驚いている。
というか、話の展開がおかしい。頭のいい人特有の過程をキング・クリムゾンする感じだ。
「皆木さんと、カイラさんだったかしら? そちらお二人のお休みは?」
「いえ、無しょ……個人事業主ですので休みはどうとでもなりますが……」
「それは好都合」
本條さんのお母さんが、薪を売る太公望のように笑う。してやったりという笑顔だ。
「というか、普通は最初にそこを確かめるのでは?」
「収入があるには越したことはありませんけど、そこはどうとでもなりますでしょう?」
そんなことは些細な問題と、本條さんのお母さんは斬り捨てた。
……親子なんだなぁ。
「お父さんとお兄ちゃんは、こちらで説得します。その間、別荘でほとぼりを冷ましていなさい」
「分かりました……そうします」
不承不承という体で、本條さん……綾乃はうなずいた。
思いがけない、願ったり叶ったりな展開。
あっちの世界のことも、説明せずに収められたし。
もしかして、最強の仲間を手に入れた……のか……?
「綾乃、私は早く孫を無責任に可愛がりたいの。お兄ちゃんには期待できそうにないから、アナタが頑張るのよ」
「言われるまでもありません」
最強は最強でも、呂布みたいなことになりそうな気もするな……。
とりあえず、助かった……ということでいいんだよね?
なんか、内堀まできっちり埋められた気がしないでもないけど。