33.客人とエルフのパラドクス
「わざわざ来てもらって悪いね」
「いえ、日曜ですから別に……」
テーブルを挟んで向かい側に座った宅見くんが、恐縮をして首をすくめた。
そうか。オルトヘイムへ移動したのって日曜の朝だったんだよな。
時間が経過しない仕様はいいけど、曜日感覚は完全に無だ。無職にも曜日感覚なんかないので、跳満だな。
「というわけで、依頼の進捗があったんだ」
依頼人にして異世界帰還者同盟の一員である宅見拓真くん。
彼を呼び出したのは、大知少年や夏芽ちゃんと出会ったカラオケボックスだった。
「え? もう、ですか?」
予想外の言葉に、眼鏡の向こうの瞳を白黒させる宅見くん。
あれ? 《ホームアプリ》が時間経過しない仕様だってちゃんと説明してなかったかな……。手探りで、結構ぼかして喋ってたか。
う~ん。これを説明しないと、話が先に進まないな。
「もちろん、向こうでは何日も経っているよ。俺の《ホームアプリ》……往復するスキルは、元の世界では時間が経過しない仕様なんだ」
「そうだったんですか……。いや、僕たちが世界樹に戻されたときも似たようなものだったんだから、驚くべきことじゃないのかな?」
あ、そうだったんだ。
学生が行方不明になって戻ってきたニュースとか聞いた憶えがないのは、俺が社畜ってただけだからだと思ってた……。
冷静に考えると、そんなはずなかったわ。
「行ったり来たりできてそれはすごいですね。ああ、でも。戦闘から逃げる用途として考えると逆に不便か」
昔取った杵柄か。宅見くんは、即座に《ホームアプリ》の利点と欠点を口にした。
一見冷静に思えるが、わざわざ言わなくてもいいことを口にしている。そのことに気付いていない。
どうやら、緊張しているらしい。
そりゃそうだ。
やることやってた相手の情報が、依頼した翌日にもたらされるんだもんな。覚悟とか、それ以前の問題だ。
頼んでいたドリンクを飲んで落ち着くのを待つ。
(ミナギくん、報告よ)
そうしている間に、カイラさんからのテレパシーが届いた。
別に携帯でやり取りしてもいいのだが、世界を移動してもテレパシーリンクポーション(正式名称がやっと決まった)がそのまま持続するかテストも兼ねてだ。
別に、ポーションを回し飲みしたかったとか、そういうわけではない。
(ターゲットAとBは確保したわ)
(近くのファミレスへ行っていますね)
宅見くんと会っているのは、タブレットにエクスが潜んでいるけど、俺一人。
カイラさんと本條さんには店の周囲を警戒してもらって、ターゲット――まあ、大知少年と夏芽ちゃんなんだけど――がいたら、確保してもらうようお願いしたのだ。
俺にだけこっそり依頼してきた宅見くんに、幼なじみ二人が不審を抱いても不思議じゃない。
そして、その予測は的中した。
気になるよね。
分かる。気持ちは、よく分かる。
でも、プライベートでセンシティブな内容だから、盗み聞きなんてさせるわけにはいかないのだ。
(ありがとう。なにかあったら、遠慮なく連絡して)
(はい。秋也さんも頑張ってください)
(興味本位でのぞき込もうとするものじゃないと、お説教をしておくわ)
カイラさんには、こっちへ来る前に冒険者ギルドに行ってもらって石を10,000個分確保してもらったりと、お世話になってばかりだ。
それはそれとして、フウゴへの当たりとか見るとカイラさんのガチ説教はわりと怖いぞ。
大知少年、夏芽ちゃん……生きろ。
「どうかしましたか?」
「いや。そろそろ落ち着いたかな?」
「はい。それで進捗とは……」
「まだ会っていないし確定ではないんだけど、アイナリアルさんというエルフがいるということが分かった」
「本当ですか!?」
がたんと立ち上がり、宅見くんはぎゅっと唇を噛んだ。
いろいろと爆発しそうな感情を抑えているんだろうけど……この先の情報を伝えても大丈夫かな? 三国志の武将みたく憤死したりしない?
「まあまあ、まだ先はあるんだ」
「……あ、はい。すみません」
デキャンタで頼んだ緑茶を宅見くんのコップに注ぎ、着席を促す。
それを一口含みクールダウンしたところで、続きを口にする。
「彼女と同じ里のララノアというエルフと偶然知り合って聞いたんだが、アイナリアルさんはその里の長老みたいなポジションらしい」
「長老……。アイナなら不思議じゃないですけど……それだけの時間が経っているんですね」
数百年の開きを改めて感じ、宅見くんがそっと息を吐く。その胸には、いろいろな感情が去来していることだろう。
しかし、それは本質じゃないのだ。
「もちろん、同名の別人という可能性はあるけどね」
「そう……。そうですね。でも、皆木さんは、これを伝えるためだけに?」
実に妥当な疑問。
もっと裏を取ってから知らせればいいだけだし、これだけなら直接顔を会わせる必要もない。
「いや、もうひとつ情報がある」
「……聞かせてください」
「別に、アイナリアルさんが不治の病にかかっているとかそういうことじゃないから、緊張しなくていいよ」
冗談めかして言ってから、俺はタブレットを操作する。
「さっき言ったララノアというエルフが彼女なんだけど」
そして、写真のアプリを起動してララノアのポートレートを呼び出した。
液晶画面一杯に、金髪褐色の美人だけどかなり派手な顔立ちをしたギャルっぽいエルフが大写しになる。
満面の笑みで、ご飯食べているところが。
写真を選んだのはエクスだけど、若干の悪意を感じなくもない。
「アイナリアルさんの孫娘だそうだ」
「ああ……。それは……」
「それで、客人の血を引いていると言っていた」
宅見くんの顔から、文字通り血の気が引いた。
一瞬で紙のように真っ白になり、手はカタカタと震えている。
もちろん、アイナリアルさんが宅見くんの探し人と同一人物ならという但し書きはつくが……状況証拠からすると他に可能性はない。
「さすがに、これは確定する前に報告すべきだと思ってね」
「……待ってください」
両方の手のひらを向けて、宅見くんが絞り出すように言った。
「うん。突然だもんね。混乱する気持ちは分かる。でも、宅見くんのことは一切話をせずに聞いた情報なんだ」
「いやいやいやいや、そうじゃなくですね。そりゃ、逆の立場だったら僕もそんな対応をすると思いますけども」
……おや?
なんだか、思ってたりアクションと違うぞ。
「僕と彼女……アイナとはそんな関係じゃないんです」
「……は?」
「本当です。断じて、プラトニックな関係だったんです」
「ちょっと待って」
俺は手でTの字を作ってテクニカルタイムアウトを要求した。タブレットがパタンと倒れたが、それどころじゃない。
あれれー? おっかしいなぁ?
プラトニックってことは、あれか。プラトンはショタ好きだったし、実はアイナリアルさんもショタエルフだった可能性が微粒子レベルで……?
(カイラさん、本條さん。なんか話が変な方向に行きそう)
(ミナギくん、どうしたの?)
(秋也さん、一体なにが?)
テレパシーで言いたいことを言った俺は、また思考の海に沈む。
(返事をしてください!)
(ミナギくん、危険はないのね?)
(ごめん。考え事)
さすがに、ショタエルフはない。ないったらない。
宅見くんの証言が真実だとしたら、アイナリアルさんには他に相手がいたか、ララノアに嘘を伝えていることになる。
……ある? そんなことある?
なんだこのパラドックス。
俺は、ボタンの掛け違いをしていたのかもしれない……? ジッチャンの名にかけて。
「責任逃れをしているように聞こえるかもしれないですけど、本当ですから」
かもしれないというか、客観的に見たらそのものだよね……とは言わない。年長者として。
「そりゃ、あの……キスぐらいはしましたけど、それ以上は絶対にないです」
「そこはしてるんだ」
思わず有罪認定しかけた。危ない。
いつも心に、ロジャー・スミスを。
「確かに、このララノアという女性にはアイナの面影があるというか、かなり似てますけど……」
「信じるよ」
「皆木さん……」
「大知少年や夏芽ちゃんが信じなくても、俺は信じるよ」
「皆木さん……ッッ」
感動して、宅見くんが俺の手を取る。
まあ、冷静に考えると、黙っててもアイナリアルさん経由でバレる情報だもんな。それをこの段階で否定しても仕方がない。
リディアさんの勇者評で、思考を誘導されていたようだ。
「でも、そうなると謎が残るな……。エルフって、想像妊娠で子供を産めるのか?」
「単性生殖になっちゃいますよ……」
「ないか。それはないよな」
エルフが野菜嫌いというぐらいない。
「しかしこれ、確認するのも地雷原をタップダンスするようなもんだよなぁ」
「あの……。僕自身がそっちへ行くというのは……」
俺は無言で首を横に振った。
気持ちは分かるが、《ホームアプリ》の仕様上不可能……とまではいかないが、現実的には無理だ。
さすがに、宅見くんをカイラさんや本條さんと同じようには見れないし、彼だってそうだろう。
というか、そうなったら宅見くんまできらきらするのでちょっとね……。
「その上で、預かったビデオメッセージをどうするかなんだけど……」
「あのままだと、まずいですかね……」
子供や孫のことなど知らない状態でのメッセージである。無難と言えば無難だが……。
「それはアイナリアルさんの認識次第だからなぁ」
「いやそんな。アイナは明るくて良い娘ですよ」
「でも、ほら。ここで完全に否定するのもねぇ?」
「……どうしたらっ。皆木さん、どうしたらいいと思います?」
俺はにっこりと微笑んだ。
俺は大人だけど、こんな極限状態に陥った経験はないよ?
「複数のパターンを用意しよう」
「複数の」
「俺が相手の状態を観察して、一番相応しいメッセージを再生するから」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
感極まった宅見くんが、テーブルに頭を打ち付けんばかりの勢いで何度もお礼を言う。
罪悪感あるな。
なにしろ、もうひとつ伝えなくちゃいけないことがあるんだ。
「それで、実はうちのカイラさんと本條さんが、大知少年と夏芽ちゃんを確保してるんだけど」
「え? もしかして、僕がつけられたっていうことですか……?」
俺は無言でうなずいた。
宅見くんは眼鏡をつけたまま天を仰ぐ。
限界だった。
「もう、家に帰って良いですか?」
「それはいいけど……」
「……全部話して構いませんので、お願いできますか?」
「あ、うん。一人で帰れる?」
「大丈夫です」
「……分かった」
大丈夫と言われて鵜呑みにはできない。
宅見くんをタクシーに乗せて送り、代わりにテレパシーでカイラさんたちをカラオケボックスに呼び出した。
「秋也さん、思わせぶりなことを言ってそれっきりにしないでください」
「心配したわよ」
そして、めっちゃ怒られた。
「あ、うん。ごめん」
そして、大知少年や夏芽ちゃんからは、むちゃくちゃ同情の視線を向けられる。
いや、同情じゃねえや。同病相憐れむってやつだ、これ。