29.スタンピード終息
最初は三人称です。一気にスタンピード終わらせますね。
カイラから勇者一行の離脱を告げられたとき、ギルドマスターのマークス・ジークは然したる反応を示さなかった。
それはもちろん、呆然としてしまったから……ではない。
いつも通り至極冷静に、麗しき黒喰の言葉を受け止めていた。
あくまでも一時的なものであることは分かっていたし、また、どこかで彼らが予想外の行動を取るだろうことは予期していた。
なにをしでかすか分からないのが勇者だ。いや、だからこそ偉業を成せるのであろう。
それに、影人の部隊が協力してくれている時点で、戦力的には充分。あくまでも、勇者一行は遊軍であって主力ではない。
もちろん、彼らが活躍すれば他への負担は減る。
だが、それに頼り切ってはならない。
集まった冒険者たちだけでも、充分に対処可能。そこに影人が加われば万全。
それがマークスの見通しであった。
事実、その予測は的中していた。
なにをしでかすか分からないのが勇者だ、という部分が特に。
「グライトが、ギルマンに攻められた……と?」
なにを言っているのだと、マークスは絶対零度の視線をぶつける。実際に冷気が出ていたかのように、黒髪の勇者がたじろぐ。
その視線はすぐに野を馳せる者に遮られ、ギルドマスターはそれで冷静さを取り戻す……が。
「起こりえるのだろうが……あまりにも……」
牙の森から溢れたモンスターに対応するために築かれた簡易砦に到着した直後に聞かされた思いがけない報告に、さすがのマークスも容易にはうなずけない。
ここは邪神戦役時に数多建設された拠点のひとつで、平時は山賊などに利用されないよう冒険者ギルドが管理し、有事には簡単な工事で再利用できるようになっている。
倉庫が空なのは、荷馬車からの積み替えを一旦保留しているから。それ自体は、他に片付けるべき仕事があるので構わない。
そこで、マークスは一人勇者一行に対応していた。
人目のないところでという要望に従ったものだが、確かに、こんな話は大っぴらにできない。
事実であれ、虚偽であれ。
「そもそも、グライトまで往復しておきながら、なぜこんなに早くたどり着けたのだ」
一時離脱した勇者一行が合流したのは、本隊とほぼ同時。それ自体は喜ばしいことだが、内容には眉をしかめざるを得ない。
総合すれば、いくら勇者でも荒唐無稽に過ぎる。
「もちろん、証拠はあるわ」
「ギルマンの死体かなにかか? それでは……」
その程度では、証拠能力に乏しい。
拒絶しようとしたが、カイラは取り合わない。
「ええ。ミナギくん、お願い」
「この広さなら、大丈夫かな?」
黒喰の求めに応じ、倉庫を見回してから銀板を操作し……。
「なぁっ」
――それは唐突に出現した。
腫れぼったまぶたで、ほとんど瞳が隠れている目。
分厚く巨大な唇。
一抱えもある鱗に覆われた巨大な首。
ただのギルマンではない。伝説級モンスターの生首。
問答無用の説得力に魂消る……文字通り魂が消失しそうになったが、マークスの鉄仮面のごとき表情筋は小動もしなかった。
恐らく、驚きすぎて。
とはいえ、醜態をさらさずに済んだのは確か。
なんとか感情を整理し、思考を立て直す。
「……現れたのはギルマンではなかったのか?」
「いたわよ。ただ、この大物が二体出たというだけで」
「二体……だと……?」
「ええ、一体は逃がしてしまったわ」
それは大した問題ではない。
「それで、被害は……」
「港湾施設はかなりダメージを受けたようだけど、人的には軽微よ」
別に救おうとしたわけではないが、ほとんどをヴェインクラルが対応したこと。
最初に現れたギルマンだけであれば、残った街の衛兵でも充分対処できたこと。
思わぬ方向からではあるものの、元々、街全体がスタンピードに備えていたこと。
これらが、被害を最小限に抑えられた理由だろう。
ただし、港のほうへ避難を進めていたため、一歩間違えれば逆に被害は甚大になっていたはずだ。
その紙一重を生み出したのは吸血鬼のリディアであり、そのことをマークスが知ったら自己嫌悪で暗澹たる気分になっていたことだろう。
「なるほどな……」
事実を知らない今でも、そう言うのが精一杯。
というよりも、他に言い様もなかった。報告を受けないわけにはいかないが、今すぐにできることはなにもない。
ゆえに、マークスは一旦超巨大半魚人からは目を背けることにした。
現実逃避ではない。これは、選択と集中の結果だ。
「これを相手にしたのだ。この後は……」
「もちろん、参加するわよ。ここで討ち漏らしては、片手落ちもいいところではない」
「……それは頼もしいことだ」
そう言うのが精一杯だった。
直後、それだけでは足りないことに思い至る。
「もちろん、冒険者ギルドとして……いや、グライトの街として報いることは約束しよう」
そう言うのが精一杯だった。
他になんと言えばいいというのだ?
本来想定していたスタンピードの迎撃は、まだこれからだというのに。
「さすが、マークスさんだな。あんな荒唐無稽な話を、きちんと受け止めてくれるなんて」
「ギルドマスターという要職にある人は、器が違いますね」
倉庫を出た直後。俺と本條さんがマークスさんを絶賛する。
超巨大半魚人の生首を見ても、取り乱したりなんかしなかった。ギルドマスターは、正気度も高い。
上に立つ人は、やっぱりすごいな。ほんと、定時後に会議を設定する課長とかは爪の垢を煎じて飲んで欲しい。
なお、プロパーの社員は参加しない模様。定時過ぎてるからね。当然だね。
まあ、もう俺には関係のない話だけどな!
「……そう、分かったわ」
空っぽの倉庫から出て割り当てられた宿舎へ向かう途中、カイラさんが唐突に足を止めた。
「ん? カイラさん、どうかした?」
「里のニンジャの人が、なにか話して立ち去っていったみたいですよ」
しかし、カイラさん以外の野を馳せる者の姿は見えない。一瞬で姿を消したってことになる。
「さすがだなぁ」
アラフォーになっても男の子なので、素直に憧れる。
もう少し若かったら、毎日苗木をジャンプしたり布が地面につかないように走ったりしてたかもしれない。
「いい知らせがふたつあるわ」
「いい知らせと悪い知らせじゃないんだ……」
歓迎すべきなんだけど、ちょっと残念。
是非、いい話から聞いて悪い話で絶望したかった……ッ。
「ここでは邪魔になりますから、どこかに移動しましょう」
「えーと……。あそこでいいか」
というわけで、倉庫の裏へ移動して、ふたつのいい知らせを聞くことにした。
「偵察に出た里の影人たちがモンスターの数をそれなりに減らしてきたわ。あとで、集めた魔力水晶も渡せるわよ」
それは助かる。
まだ超巨大半魚人の解体をしてないから、余裕はあるとはいえ、石は赤字だからなぁ。
「もうひとつはなんでしょう?」
「思っていたよりモンスターの進化のスピードが速かったみたいね。新たな主が現れたようよ」
そのりくつはおかしい。
「それ、普通に悪い知らせじゃないの?」
「どうして? 新たな主が現れる過程で、また数が減ったはずよ?」
「一理ある……と言っていいのでしょうか?」
本條さんが疑問を呈す。
良かった。まだ、こっち側だ……。
しかし、安心するにはまだ早かった。
信頼すべき相棒が、カイラさん側だったのだ。
「エクスに、ひとつ試したいコンボがあります」
ヒゲを付けて軍師っぽい服を着たエクスが、閉じた扇をネギみたいに振りながら言った。
呉先生と孔明でだいぶ変わってくるけど、その辺、大丈夫? あと、ちょっと大先輩のキャラをパクってない? そこも大丈夫?
「コンボ……ジャズですか?」
本條さんが大まじめに言うが、俺は首を傾げるばかり。
ジャズに、そんな曲があるの?
「少人数構成のジャズバンドをコンボというのですが……」
「ジャズ好きなんだ?」
「私も、ジャズはあまり詳しくないんです。ただ、辞書を最初から最後まで読んだときに、そういう言葉が出ていたなと」
「あ、うん」
エクスと目を見合わせ、とりあえず、スルーすることにした。
われわれはかしこいので。
「コンボというのは、コンビネーション技みたいな感じかな?」
「そうです。カイラさんの隠密性、綾乃ちゃんの長距離砲撃力を組み合わせてオーナーが取りまとめるという、まったく新しい格闘技です」
「うぉおおおおおお……って、格闘技じゃねえだろ」
長距離砲撃力って言ってるじゃん。いや、ブーメランも遠距離武器ではあるけど。
「詳しく説明を聞きたいわね」
「まず、カイラさんがボスだか主に接近します」
作戦自体は、エクスの言う通り極めて単純だった。
「いきなり無茶じゃねえか」
単純すぎる。
「まあ、最後まで聞きましょう」
「上手くいけば危険はないですよ」
当事者の賛成もあり、とりあえず、最後まで聞くことにするが……。
無理無茶無謀の三無主義全開だった。
「できなくはないと思いますが……」
「やっていいのか? というか、俺あんまり役に立たないよな」
「そこはほら、パワーアップした勇者の祝福の確認という意味もありますし」
「ぶっつけ本番じゃねえか」
試作機かな? 強奪フラグしか感じないやつだ。
「私はできると思うわよ。ギルドマスターの許可を取ってきましょう」
と、カイラさんが倉庫へ戻っていき、あっさり許可をもぎ取ってきた。
まあ、失敗しても冒険者の人たちには迷惑を掛けないからいいんだけど……。
というわけで、翌日。
俺たちの眼下でモンスターの群れが怒濤のように迫りつつあった。
予測よりも規模は多少小さく、時間は予測通り。
それでも、現実だと思うと背筋が震える。
すさまじい光景。
なのだけど、画面越しに洪水を眺めているような他人事感もある。
それは、俺たちがいる高度に理由があった。
フェニックスウィングはそこまで高く上昇できないのだが、事前に本條さんが飛行する魔法を使って高く浮かんでいる。
それで大型サイズの魔力水晶がまたひとつ消えたが、虫系のモンスターも到達できない高さだ。
(アヤノさん、やってちょうだい)
(……はい)
キラキラしている本條さんが、勇者の指輪に念を込める。
それで、カイラさんの位置が脳裏に浮かんだ……ようだ。
そこは、ボス……主候補のいる場所。
つまり、攻撃地点である。
「《水鏡の眼》」
「火を九単位、天を二十七単位。加えて、風を六単位。理によって配合し、光を励起・収束す――かくあれかし」
本條さんが生み出した光の束が、水のレンズを通して光の帯となる。
ラーマヤーナに謳われるインドラの矢か、パリ円盤事件の下僕の星ルシファーか。
天の怒りを代弁するかのように光は地を穿ち、メフルザードの喫茶店で起こったのと同じ爆発が生じた。
いや、屋外で同じように見えるってことは、あれよりも上ってことか?
(成功よ)
直後、カイラさんからのテレパシー通信が入って作戦の成功を知った。
これに一番喜んだのはエクス。
「ふふふ。軍師エクスの爆誕ですよ、はわわっ」
「絶好調だなぁ」
エクス考案の『カイラさんが隠密状態でボスに肉薄し、勇者の指輪で位置を検出して遠距離攻撃』作戦はバッチリ上手くいったんだから、それも仕方ない。
もっとも、勇者の指輪の対象の位置を知る機能って、離ればなれになったときに使うエモい状況を狙ったものだよね?
絶対に、スポッターをさせるためのものじゃなかったと思うんだけど……まあいいか。成功は成功だ。
モンスターの群れに突き刺さった光の帯は、戦闘開始の嚆矢となった。
最初は両軍ともに戸惑っていたものの、マークスさんから指示が出たのだろう。冒険者たちが、勇躍して斬り込んでいく。
もはや、勝敗は決まったようなものだろう。
「俺たちは、上から危なそうな所を潰す感じでいいかな?」
「それでいいかと。これ以上働くと、後で問題になるかもしれませんしね」
「狡兎死して走狗烹らるですね」
そこまで酷くはないと思うけど、まあ、俺たちが手柄を独占しすぎるのも問題だろう。大勢が決した以上、あとは政治の問題となる。
ボスを潰した時点で功績は充分……。
ボス……?
「……あ」
「どうかしましたか、秋也さん」
「結局、俺たちが攻撃したのって、どんなモンスターだったんだろうな……って」
「それは……」
「さ、さあ! 空を飛ぶ昆虫系のモンスターは厄介みたいなので、ぷちぷちやっていきましょう!」
そうしよう。
というわけで、スタンピードは収束した。
ヴェインクラルという問題は残ったけれど。