23.戦場へ行く朝
ついにやって来た、出発当日。
スタンピードを前に、俺たちは厳しい戦いを強いられた。
「朝からカツ丼は辛い……」
「小盛りでなければ残していたところでした……」
リビングのソファに体重を預け、着替え済みの俺と本條さんは激戦の余韻に浸っていた。お茶が美味しい。
残せばいい?
まさか、お残しは許しまへんでという食堂のおばちゃんの薫陶を受けて育った俺たちには、不可能だ。
なあ、そうだろう? 乱太郎、きり丸、しんべヱ。
「朝カツを完食できるなんて、オーナーの胃は若いですね」
「若くても朝カツはしないんじゃねえかなぁ」
「でも、美味しかったですよね?」
「それは認める」
今日のログインボーナスは普通に使える物だったのに、朝ご飯はカツ丼。微妙に空気が読めないお母さんみたいなチョイスだ。ドン勝つだ。
その応援の気持ちを無下にもできず、俺も本條さんも朝からヘヴィなチャレンジをせざるを得なかったのだ。
カツ丼自体は、タマゴはとろっと、ご飯は固めで、たれは甘辛。肝心のカツも美味すぎない絶妙なバランスだった。
「美味しいというぐらいで朝からカツ丼を食べてくれるなんて、オーナーの回復振りにエクスは感無量です」
「回復もなにも、朝からカツ丼食ってた俺は存在したことねえよ……」
エクスの感動を余所に、俺は燃え尽きた。真っ白にな。
せめて普段着ならまだましだったが、出発に備えて先に三銃士みたいな服に着替えていたのが失敗だった。本條さんの方と比べて、結構締め付けられるんだ。
「もう、オーナー。大げさな」
「せめてカツサンドにして欲しかったと思ってる程度には、大げさじゃないんだけど?」
「そんな風にしてたら、ぺろっと食べた上にリディアさんの分に熱い視線を向けているカイラさんの立場がどうなるんです?」
「流れ矢を飛ばさないでくれるかしら?」
沈黙は金であり、雉も鳴かずば撃たれまい。
そのことわざを忠実に守っていたカイラさんにフレンドリーファイヤを放つエクス。強い、絶対に強い。
あと、平静を保ってるつもりで耳を動かしてるのかわいい。
「でも、秋也さん。いつまでもこうしてはいられません。遠征の準備をしなくては……」
「とりあえず、《ホールディングバッグ》に詰めておけばいいんじゃない?」
きゅっと両手を握って立ち上がった本條さんが、そのまま座った。
これまたかわいい。
「楽ではありますけど、それですと今ひとつ区切りがつかないですね」
「便利でいいのではない?」
常在戦場のカイラさんはさすがだが、俺も本條さんも一般人サイドなのでそこまでは思い切れない。
「……そうか。現地で着替えても良かったのか」
戦闘に備えてということで、本條さんとのデートでも着たスタイリッシュな服を選んでいた。
黒いジャケットとシャツ。同じ色のズボンにブーツ。飾りのボタンというかリベットがたくさんあって、メタリックな印象を受ける服。
それにミラージュマントを合わせると、一応、冒険者っぽいような気がする。
顔さえ映さなければね。
「私は、その服の秋也さん好きです」
「いやいや。さっきも言ったけど、本條さんこそ、よく似合ってるよ」
「仮装みたいではないですか?」
「ものがいいから、そんなことはないよ」
この場合の『もの』は服とそれを着る本條さん自身の双方を意味しているのだが、気付かれてしまったかは分からない。
「た、確かにこちらでは違和感がないかもしれませんね」
確かなのは、存在しない地下鉄のホームから行く魔法使い学園みたいなローブを着た本條さんが、きらきらして魅力的ということだけ。
まあ、実際にきらきらしてるんだけどね! 最初に見てほめたときからずっとさ!
ちなみに、俺は原作にも映画にも触れていない。昔、ちょっと話題になったぐらいのタイミングで読もうかと思ったんだけど値段に躊躇して買わずにいたら世界的に大ヒット。
そうしたら逆に読む気がなくなってしまったのだ。
こういうオタクになってはならない。イカサマをしようとしてスタンドに指を折られたギャンブラーぐらい、戒めとしてほしい。
「カイラさんはいつも通りだけど、似合ってるよ。これぞカイラさんって感じがする」
「別に、気を使わなくてもいいのよ」
そうは言いつつも、カイラさんの尻尾はゆらゆらと揺れきらきらし始めた。
……いいんだ。スタンピード中は頻繁にきらきらするんだから、この状態がデフォルトだと思ってくれたほうが都合がいい。
そのはずだ。
「ミナギはん、ようやくできたで! お役立ちポーションや!」
「ヒーリングポーションなら、もう受け取ってるけど?」
スタンピードを迎撃するため、グライトを離れる。
その当日。しかも、そろそろ家を出ようというタイミングで言われてもな……。
しかも、ヒーリングポーションは《ポーション効果遅延》を見越してすでに飲んでる。メフルザードから攻撃を受けても致命傷で済んだ優れものだ。
だが、それとは違うものらしい。
「あ、例のポーションが完成したんですか」
「せやで。無茶振り上等。それに応えるのが薬師ってもんやからな」
「いえーい」
「いえーい」
エクスとリディアさんがハイタッチ……の真似をするところから、俺はカイラさんと本條さんへと視線を移動させる。
「私たちからも頼んだ物はあるけど、違うと思うわ」
「そうですね。戦場で役立つ物ではありませんから」
非戦闘用のポーションを頼んでいるという時点で、若干嫌な予感がしないでもないのだが……。
まさか、俺の感度が3000倍になるとか、そんなことはないはずだが。
「それで、お役立ちポーションっていったいどんな効果が?」
「精神感応薬やな」
「おっと、なんか怪しいのが出てきたぞ?」
精神感応。つまり、テレパシー。
創作だとわりと地味な扱いを受けがちだが、その強さによって全然危険度が違ってくる。レンズマンだったら光年単位で届くし、天パだったら先読みして撃墜するし。
「怪しいって、失礼な。ちゃんと実用的やで」
「確かに、敵の心を読めたら戦闘ではかなり有利になるけど」
「ん? そういうんちゃうで?」
「違うの? じゃあ、こっちから思念波で攻撃とか」
「だから、お役立ちポーション言うてるやん。なんで、そんな物騒なことばっかり言うん?」
これから、スタンピードの対処に行くから……かな?
「このポーションを回し飲みした人の間に、テレパシーの絆を構築するものやねん」
「……なるほど、そっち系か」
できたてらしいポーションが入った瓶を見せつけながら、リディアさんがドヤ顔を浮かべた。
「口が塞がってるときに伝えたい言葉もあるやろ? お互いに」
「それは、まあ……」
あんまり想像したくないが、誘拐でもされて猿ぐつわを嵌められたときとかは起死回生の切り札にもなり得る。
……ん?
「お互いに?」
「それはそうやろ」
俺の疑問に、初歩的なことだよと吸血鬼の薬師は答える。
「口言うか、塞がってるのは唇やけどな」
「本当に戦闘関係ねえな!」
思わず、カイラさんと本條さんを見た。
「ち、違います」
「そうよ、誤解よ」
なぜか浮気した男みたいなことを言って、二人して首を横に振る。
まあ、今回は無関係っぽいけど……。
「私たちがお願いしたのは、就寝時にリラックスできるお香ですから。女子高生が好きそうな……そう、アロマです。アロマ」
「本城さんも女子高生だよね?」
この娘、あんまりその辺の自覚なさそうなんだよなぁ。
そういうところが、俺からすると付き合いやすかったりするわけだが。
「最大の受益者が疑いをかけられるのは仕方のないことですが、これはエクスからのリクエストですね」
「エクスかよ」
「心と心でつながるって、なんだか憧れません?」
「言われてみると……一理ありますね」
「確かに、ちょっとだけそんな気がしないでもないわ」
二人があっさりエクスの軍門に下った。
いやいや、今までそれが必要なシチュエーションになったことないよね!?
「エクスは、オーナーが考えてることがある程度分かるので、お裾分けをと思いまして」
「やっぱそうだったの?」
でも、俺にはエクスの考えてること全然伝わってこないんだけど? こっから先は一方通行なの?
「まあ、あれやで。距離も結構届くし、戦闘中に聞かれんよう作戦会議とかもできたりするんやない?」
「そういう使い方があったか……。それならまあ……」
って、いやいや。
納得しちゃ駄目だよ、俺。
「それ、考えてることもオープンになっちゃうってことじゃん」
「いや、それなんやけどな」
片眼鏡のずれを直し、リディアさんが珍しく肩を落として言った。
「まだ、言いたいことをそのまま伝えるだけやねん。こう、口で喋る代わりにテレパシーで喋るみたいな?」
「なるほど。改良が待たれますね」
「かー。厳しいクライアントやで」
「安心してください。きちんと結果を出してくれたら、報酬は約束の二倍支払いますよ」
「ふんっ。ウチを誰やと思っとるねん」
「その小芝居いる?」
俺の経験上、小芝居が必要だった確率って2%未満なんだけど。
「ま、毒ではないし後で回し飲みしたって」
「分かったわ。実戦で効果を試させてもらうわ」
「そうですね。テストは大事です」
それ、本番は別にあるってことになるんですけど……。
いいの?
「三回分は作っといたから、昼の休憩時にでも飲んどき」
「具体的な時間を指定して、うやむやにさせないテクニック……」
汚いな。さすが吸血鬼きたない。
だが、有用なのは認めざるを得ない。それに、今のやりとりで、リラックスできたことも確か。
絶対に、リディアさんが意図したわけじゃないけどな!
とりあえず、リディアさんには朝ご飯のカツ丼で胸焼けする呪いを掛けておいた。
朝からすまし顔でカツ丼ぺろりと食べちゃうカイラさんかわいい(個人の感想です)