21.スタンピードへの備え
「ゆうべは別にお楽しみじゃなかったぞ」
「ぐぬぬ。オーナーに先手を打たれるとは、このエクス一生の不覚」
「エクスの一生って、どれくらいなんだろうなぁ」
生まれて一年経ってる?
「レディに年齢の話は御法度ですよ?」
「自称電子の妖精でも?」
「自称電子の妖精でもです」
そういうことなら仕方がない。
俺は妙に軽い肩をすくめて、降伏を申し出た。
例のベッドとランプの寝室で初めて一夜を過ごした翌朝。
カイラさんと本條さんがログインボーナスの収穫に行っているので、俺とエクスはリビングで待っているところだった。
「どうせ、本條さんかカイラさんから、なにがあったか聞いてるんだろ?」
「もちろん、二人から事情は聞いていますよ」
ふふんっと、デフォ巫女衣装のエクスが胸を張り、一緒に青い髪も揺れた。相変わらずの凝り具合。いつか、VTuberデビューとかして欲しい。
……あれ? エクスはバーチャル? バーチャルじゃない? どっちだ?
「なにもなかったことは分かっていますが、それはそれとして多角的な情報は重要ではないですか。ビッグデータですよ、ビッグデータ」
「それはなんか違う……」
まあ、俺のためにいろいろ頑張ってくれてるエクスだから、聞き出す権利はあるとは思うけど。
だが、こっちに義務はない。素直に話すか否かは別問題だ。
「詳しい話は、事務所を通してもらわなきゃ」
「ところで、オーナーには性欲ってないんですか?」
オブラート!
「理性的で紳士的な振る舞いをとがめられるこの風潮」
「イエスですね?」
「そのりくつはおかしい」
ほんと、本條さんのご両親に合わせる顔がなくなるから。
俺は、そんな節操なしじゃないから。
「まあ、いいでしょう。オーナーも決心している以上、無理に既成事実を作る必要もありませんからね。あるにこしたことはありませんが」
「直後に矛盾させるのやめよう?」
引くなら、ちゃんと引いて。
「それに、オーナーの顔を見れば気持ちよかったことは明らかですから」
「……それは認めざるを得ない」
昨日はなんかいつのまにか寝てしまったのだが、目覚めはめっちゃさわやかだった。
ベッドの効果なのか、途中で起きることもない。内容は良く憶えていないけど、なんだかすごくリラックスできて……なんかこう、犬になった夢を見た気がする。
もし今日スタンピード本番だったら、体が軽い……。こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めてとか口走っていたかもしれない。
危なかった。
調子が良すぎても、なんかのフラグにしか思えないんだよね。Jドリームの本橋さんとか、かなりショックだったわ。
「まあ、あまり言っても逆効果ですからね。これくらいにしておきましょう」
「引き際を心得てやがる……」
「ふふっ。できるタブレットですから、エクスは」
「それは認める」
などと話をしている間に、カイラさんと本條さんが戻ってきた。
かごには、世界樹の実が満載だ。
なんかこう、避暑地の朝っぽい雰囲気があるな。
「お待たせしました」
「待ってなんかないよ、ご苦労様」
「オーナー、そこは今来たところだよですよ」
「ここ、家なんですけど?」
なにが面白いのか。俺とエクスの脳を使わないやりとりを笑顔で聞きながら、本條さんが朝ご飯の実をリビングのテーブルに並べていく。
一方、カイラさんはログインボーナスの実を目の前でぱかりと割った。
「今日は、真珠のネックレスね」
「朝ご飯は、カレーでした」
真珠とカレーかぁ。
まったく全然関連性がないな! あってもびっくりだけど。
「金貨300枚ぐらいの価値ですね、真珠。養殖真珠なんてないでしょうし、こちらですと価値は高いのでしょう」
「とりあえず、真珠は預かっておこうか」
ささっと《初級鑑定》を使用したエクスに、《ホールディングバッグ》へ収納するよう促す。
二人ともアクセサリーを欲しがらない……わけじゃないが、ログインボーナスにはあんまり関心がないみたいなので回収。
要るならもらって欲しいくらいなんだけど、こればっかりは無理強いできない。
まあ、いずれ必要になる時もあるだろう。
「では、朝ご飯ですね。スプーンとコップを持ってきます」
「それくらい、俺が……」
「秋也さんは座っていてください」
そう笑顔で言って本條さんがキッチンへ移動する。
楚々として、それでいてうきうきした雰囲気もあり……なんだか……。
「新妻のようですね、綾乃ちゃん」
「…………」
「おやおや。オーナー、なぜ黙っていらっしゃるんですか?」
「肯定しても否定しても、俺の得にならないじゃん?」
「でも、新妻っぽいと思いましたよね?」
「弁護士を呼んでくれ」
「え? オーナーは地獄に行きたいんですか?」
「ワーオ」
よく分からないメリケンっぽい会話は適当に打ち切り、みんなの分の朝ご飯のふたを開く。
某ひみつどうぐのように、実を割ったらそのまま食べられるようになっているのだ。
「これ、完全に日本風のカレーだよなぁ」
「勇者が広めたのでしょう?」
いつの間にか俺の右に座ったカイラさんが、当たり前でしょうと言った。
「でも、話を聞くと世界樹は戦いが終わった後に現れて、勇者を元の世界に帰しただけだよね?」
「そう言われてみると接点は薄いわね」
「まあ、その後、他の手段で知ったのかもしれないけど」
そもそも、カレーが実になってる時点でおかしいんだけどね!
「ふあぁぁ……」
「あ、リディアさん。おはようございます」
「おはようさん」
めちゃくちゃ眠そうなリディアさんと、食器をお盆に載せた本條さんが戻ってきたのは同時だった。
本條さんはコップや食器を配った後に俺の左隣に座り、リディアさんは正面へ。
俺はマクロで水を作ってコップに注ぎ――
「ゆうべは、お楽しみやったな」
――水をこぼさなかったことをほめて欲しい。
「それ、もうやったから」
「でも、勇者が広めた作法やん?」
「パイセンたち、ろくなことしねえな」
これは宅見くんたちに厳重注意だな。恐らく、冤罪だろうけど。
……いや、大知少年わりと怪しい。変なことを言って、夏芽ちゃんに蹴られているシーンが容易に想像できる。
むしろ、これが公式なのでは?
「まあ、ええわ。食べよか」
「そうですね」
「ぎょうさん食べ。もう、一人の体やないんやからな」
「そんな……」
本條さん、照れないで。
「勇者言うたら、百発百中の代名詞やん」
「自重して」
朝から、しかも食事中だから。
というか、冤罪!
これは、宅見くんたちへ文句を言わなくっちゃ。
「刺激的だけど、美味しいわね」
カイラさんはマイペースだった。
カレーライスに舌鼓を打ちつつ、感想を述べる。
「これくらいの辛さなら、里でも受け入れられると思うわ」
「なるほど。カレールゥじゃなくて、カレー粉を卸すのも手か」
「炒め物や揚げ物にしてもいいですよね」
「なんかこう、キミたち本物の夫婦みたいな雰囲気になっとるな」
何気ない、リディアさんの一言。
それは、俺たちを固化させるに充分すぎた。
「なんや、余裕が感じられるわ」
「そこに気づくとは、大した人ですね」
「くくく。ウチの目を欺くことはできへんで」
エクスの賛辞に、リディアさんがドヤ顔で胸を張る。
「え……? 別に変わってなくない?」
「外からでないと分からんこともあるんやで」
「そんなことはないと思うけれど」
だが、カイラさんの尻尾はめっちゃ揺れていた。
「お昼ご飯は、リディアさんの好きな物を作りますね」
「肉がええなぁ」
「お肉ですね」
めっちゃおおざっぱなリクエストだったが、上機嫌な本條さんには関係ないようだった。
そんなこんなで食後。
リラックスした雰囲気で、しかし、話題はスタンピードへの準備とか対策となる。
「冷静に考えると、今まで俺たちって単体ボスへの対策しかしてないんだよね」
「確かに、面での制圧が必要になる場面はありませんでしたね……」
洞窟じゃないオープンフィールドなので、圧縮ペットボトル水作戦は使えない。
というか、みんなを巻き込む。
ペットボトルさえあれば、水は海からいくらでも補充できるんだけど。
「そうは言うても、スタンピードは乱戦になるやろ? 下手に範囲攻撃したら巻き込むことになると思うんやけど」
「巻き込んでも構わないわよ」
スパルタンなカイラさんのお言葉。
うん。それは、里の影人たちの話だよね? むしろ、巻き込まれたら里の面汚しよまである。
でも、一般冒険者の方々もいるんだし注意すべきだろう。まさか、普通の冒険者も影人並なんてことはないだろうし。
「今まで単体攻撃ばかりでしたが、面を制圧するような呪文ももちろん使用できます」
例の悪趣味な魔道書を手にしながら、隣に座る本條さんが断言した。
メフルザード戦に備えてレーザーばっかりだったけど、詠唱からすると火属性魔法とかも使えるはずなんだよな。
「俺も、酸の霧を呼び出すマクロとかあるな」
「となると、私は二人の護衛に回ったほうが良さそうね」
「もったいない気もするけど……」
「安全第一よ」
そう言われては、カイラさんを説得するのは不可能だ。
これは、他にもいいマクロがないか確認したほうが良さそうだな。
前にも言ったけど、シチュエーションが違えば、以前は使えないと思っていたマクロも候補として立ち上がってくるものだし。
「スタンピード用となると、ポーションは難しいな」
カレーを食べ終えてソファに思いっきりもたれているリディアさんが、その姿勢で出しうる深刻さを総動員して言った。
つまり、めっちゃ態度でかい。思わず、兄さんって呼びたくなるほど。
……ん?
なぜリディアさんは広々とソファを使って、俺たちは三人ひとつのソファに座って……?
いや、これ以上はやめておこう。藪をつついて蛇を出す趣味はない。
「長丁場になるやろうから、ちゃんとした疲労回復ポーションを準備するぐらいやな」
「やっぱり、疲労がぽんっと飛ぶポーションって、ヤバイ薬だったんじゃねーか!」
「そりゃ、簡単に疲れが飛ぶわけないやろ。精神をごまかすか、体力前借りするしかないで」
魔法とは……。
「まあ、そんなところでしょうね。ヒーリングポーションを大量に用意するのは、薬師ギルドの役目でしょうし」
「せやな。縄張り破りは禍根を残すで」
「将来に禍根を残すようなやり方を先にやったのは、向こうなんだよなぁ」
どうしようもなかったとはいえ、吸血鬼の生き血を抜いて……なんてやり方は異常だ。
「まあ、ウチのことはええやん。三食昼寝つき、メニューのリクエストまでできるアットホームな職場に流れ着けたんやし」
「離職率高そうだなぁ」
アットホームという単語への風評被害が留まるところを知らない。
「とりあえず、どの程度冒険者ギルドに手の内を晒すか決めたほうが良さそうね」
「確かに……」
絶対秘密にしなくちゃならないわけじゃないが、後々面倒なことに巻き込まれるのも嫌だしな。
俺がではなく、本條さんとカイラさんが。
「里からも人を寄越すのだし、私たちが全力で事に当たる必要はないと思うわ」
「そうですね。これからもずっと、私たちが協力できるとは限らないわけですし……」
「確かに」
ちょっと不死者風を吹かせているようであれだが、俺たちに頼りきられてもそれはそれで困るのは事実なわけで。
もちろん、発端はヴェインクラルなので被害が最小限になるように動くつもりではあるが。
……ヴェインクラルか。
「もしかしたら、この祭りにヴェインクラルも便乗してくるかもしれないしな」
「……そうね」
「……ですね」
「本気でありそうな気がしてきた」
微妙な沈黙が場を支配する。
「では、備えはしつつその方針でいきましょう!」
エクスが空気を変えてくれるまで、それは続いた。
ほんと、疫病神だなアイツ。