ちーちゃんはロボット
ちょームカつく。
人間だと言い張るなんて、生意気にもほどがある。
「何度言ったら分かるの? あなたはロボットなのよ!」
あたしは自分の部屋で説教していた。
「いいえ姉上、わたしはロボットではありません」
ちーちゃんが言った。くりくりとした瞳をこっちに向けながら。
見た目は、絵に描いたような大和撫子って感じ。ぱっつんロングの艶やかな黒髪が印象的だ。華奢な体つきをしていて、おっぱいの膨らみ方もいやらしくない。ちょうどいい慎ましさがある。
とっても愛くるしい姿だ。あたしはいつも妬んでいる。
「はあ……その答え方も聞き飽きたわ。ひもを引っ張るとしゃべり出すオモチャの人形だって、もうちょっと色んなパターンがあるのに」
あたしは、お気に入りのベッドで寝そべって不満をもらした。本気で自分を人間だと思い込んでいるのか、それともあたしをからかってるのか……まったく、ムカつくったらありゃしない。
ちーちゃん、それがロボットの名前。
本物の人間と見分けがつかない高性能なロボットだ。食べたり、眠ったりもする。出会ったのは今から二年も前になる。
その佇まいには『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』ということわざがよく似合う。見た目だけじゃなくて、仕草も魅力的だから。レッドカーペットを渡る女優みたいに優雅な歩き方をする。口についたクリームを舌でぺろりと舐めるときなんて、女のあたしでもドキッとするくらい色気がある。
性格はおしとやかで頭もいい……って当然か。ロボットだから人間に反抗できないし、計算は得意なはずだ。自然とそんな性格になるんだわ。
「あいかわらず憎たらしいわね……」
ちーちゃんのほっぺをぷにぷにと突っつきながら、あたしは言う。とても柔らかい。きっと高級な素材なんだ。
「あたしもその可愛さがほしいわ……」
「その文句、聞き飽きましたよ。飼ったばかりのオウムだって、もうちょっと色んな言葉を覚えて話せると思いますが」
「むっ……」
言われてみれば、このセリフは何度口にしたか分からない。なにせ本気で思っていることなのだから。
あたしはちーちゃんの可愛さに嫉妬してる。
本当は分かってる。ちーちゃんの持つ完璧な可愛さは、作り物だからこそ得られるのだ。どんなにお化粧しても、あたしなんかその足元にもおよばない。
あたしは人間だから、手に入る可愛さには限界がある。
将来的には美容整形もできる。でも、今じゃなきゃ意味がない。あたしは〝女の子〟である今のうちに可愛くなりたい。それに、整形だけじゃ完璧には程遠い。
「はあー……いいわよねぇ、ロボットは。悩み事もなさそうだし……」
ちーちゃんは、あたしの妹という設定で話すようにプログラムされている。そこだけは正常に動作しているのだけれど、肝心なところでバグがあるみたい。
そして何よりムカつくのは、
「ロボットなのは姉上の方ですよ。ですから、姉上の方が可愛いです」
こんな風に、あたしをロボットあつかいすることだ!
人間様にこんなこと言うなんて信じらんない!
ムカつく。
ちょームカつく。
ちょーちょームカつく。
「いいですか姉上、よく聞いてください。わたしは学校に通っています」
「知ってるわよ。途中まで通学路同じなんだから」
あたしとちーちゃんは別々の学校に通っている(という設定だ)。
一緒にいるところは見られたくないから、出発する時間をずらしたり、わざと遅く歩いたりする。それでも背中だけ見えてしまうときがあって、その日は一日中最悪の気分で過ごすことになる。
「で、それが何だって言うのよ」
「ロボットが学校に行くと思いますか?」
「ふんっ、どうせ登校するふりでしょ? 本当はふらっとその辺を歩いた後、Uターンして家に帰っているのよ」
「なぜそんなことをするのですか」
「あたしに、あたかも人間だと信じ込ませるためにね。騙そうたってそうはいかないんだから」
「なぜ、姉上を騙す必要があるんですか」
「あなたがそういう商品だからよ」あたしは言う。ただのモノだってことを知らしめてやる。「人間のように生活するロボットなんだから、徹底して人間のように見せかける細工をするのよ……どう? これでもあなたはロボットじゃない、普通の中学生だと言い張るつもり?」
「はい、わたしは学校に通っています」
「しつこいわねっ!」
あたしは怒鳴った。
「その証拠に、わたしには記憶があります」ちーちゃんは冷静だ。「授業内容、給食の献立、クラスメイトと話したこと……今日あったことは、すべてはっきりと憶えています。必要であれば、今この場ですべて申し上げましょう。いかがですか」
「かわいそうに、偽の記憶を植えつけられているのね……」
と、ちょっと同情するふりをしてみる。人間の余裕ってやつ?
「どういうことですか」
「あなたは、本当はいつもママの家事のお手伝いをしている。そのときの記憶は消去されて、代わりに、授業を受けたという偽の記憶を埋め込まれているってわけ」
「何でもありですね」
「そりゃ、あなたロボットだからね」
「いくらロボットでも、できることと、できないことがあると思いますよ」
そう言って、ちーちゃんはため息をついた(ように見える動作をした)。
「わたしが授業を受けているところ、見学してください。そうすれば確実に分かります」
「いやよ。なんであなたのために学校休まなきゃいけないの?」
「学校の記録を確認するだけでもいいです。わたしの名前があるはずです」
「どうせ裏で何か手を回してるんでしょ? わたしが手にできる資料は何から何まで偽物。だからそんなことが言えるのよ」
「その反論は、さすがに無理があると思いますよ。騙すにしても公職と癒着するなんて、スキャンダルじゃ済みませんから」
「どうだか」
「というか、今までわたしに言ったこと、そっくりそのまま姉上にも言い返せると思いますが」
「勝手にそう思っておけばいいじゃない……」
ふう、そろそろしゃべり続けるのも飽きてきた。やれやれ、ああ言えばこう言う。これだからロボットは。呆れちゃうわ。
……こうなったら強硬手段しかないわね。
「なんてね、冗談よ。気を悪くしたならごめんなさい」
ベッドから起き上がった。枕側の空いたスペースを、ぽんぽんっと手で叩いた。
「仲直りしましょう。ほら、あたしの隣に座って?」
「どうしたんですか、急に」
「いいからぁ、早くぅ」
首をかしげた後、言われるがままにホイホイとベッドに上がってきた。
ふんっ、所詮はロボットだわ。人間の命令には必ず従うってわけね。
「スキありっ」
腰を下ろした瞬間、無理やり押し倒してやった。
仰向けに寝かせて、あたしはその上に覆いかぶさる。馬乗りの状態だ。
ガシッと両手首を掴んで、ばんざいのポーズをさせる。
強引に服を脱がせた。
「なにするんですか」
するすると裸にひん剥いていく。スカートを床に放り投げた。ブラジャーのホックを外して、ニーソとパンティーをずり下ろした。
全裸にしてやった。
「ロボットのくせして、服を着るなんておこがましいのよっ」
「やあっ……」
「あら? ロボットもあえぐのね」
すごい、迫真の演技ね。顔もイチゴのように真っ赤だ。ちゃんと恥ずかしがっているように見える!
でも、今はそんなことに感心している場合じゃない。
「あなたのことなんて大・大・大っ嫌いよ。電源切って捨ててやるわ。スイッチがどこにあるか教えなさい」
「そんなものありません」
「あらそう。じゃあ、全身をじっくりと調べてやるわ」
「えっ……」
ちーちゃんが大きく目を見開いた。よほどビックリしたらしい。
腕でガッチリと拘束しながら、身体をまさぐる。雪のように白くて滑らかな肌が、小刻みに震えていた。ふむふむ、捨てられる恐怖をボディーランゲージで表現しているのね。
まるで人間のようだけれど、ぜんぶ作り物だ。身体の表面は有機素材で覆われていて、その裏側で生ぬるい液体を循環させることで人肌のような温度を維持するのだ。身体の震えは、小型のモーターか何かを振動させているに違いない。おそらく。多分。あたしの推測にすぎない。くわしくは知らない。
「……やめてください」
「ホントに上手ね。恥ずかしがったり、驚いたりするふり」
「本当に恥ずかしいんです、本当に驚いているんです」
「嘘ね。ロボットに感情なんてないわ。それにね、本当にイヤなら、あたしを突き飛ばせばいいじゃない」
「それは……」
ちーちゃんは答えず、口を閉ざした。
「うふふ、思ったとおりね。抵抗できないんでしょ? あなたはロボットなんだから、あたしを傷つけたりしない。おとなしくシャットダウンされることね」
「んぐ……」
最初は身をよじっていたちーちゃんも、やがてあきらめた。ぎゅっと目をつぶり、あたしに身を委ねた。
「ふんっ、たいしたことないわね。もっと骨のあるロボットかと思ったけど……って、ロボットにはもともと骨なんかないわよね。あははっ、おっかしい」
そうして全身を調べ上げた。頭からつま先まで、人間なら恥ずかしすぎて死にたくなっちゃうところまで。
でも結局、それらしきボタンやスイッチは見つからなかった。
「おかしいわね……」
巧妙に隠されているのかしら? それとも、ずっと稼動し続けるように設計されているのかしら? 電力以外のパワーで動いていることもありえるわね……
「さすがに高性能ロボットなだけあるわね、一筋縄じゃいかな――あっ、こら!」
あれこれ考えていたら、ちーちゃんがあたしの腕からひょいっと抜け出してしまった。
「くっ、やるじゃない……! 不覚を取ったわ……!」
「姉上、もうこんなことはやめましょう」
布団で身体をくるみながら、ちーちゃんは言う。まるで裸を見られるのが恥ずかしいと言わんばかりの仕草だ。ムカつく。
「イ・ヤ・よ。あなたを屈服させるためなら、あたしは何だってやるわ。必要なら、今と同じことを何千、何万回もね」
「それは……その……」
ちーちゃんがモジモジした。まるで乙女の恥じらいね……やだっ、なんかあたしまでドキドキしてきた……落ち着きなさいよ……相手はロボットなのよ……!?
あたしのそんな心を見透かすように、ちーちゃんは言った。
「姉上はあくまでも、わたしの言葉を信じないということですか。わたしが人間だと認めないつもりですか」
「あ、あ、当ったり前でしょ!?」なに緊張してんのよあたし、しっかりしなさい!「さっきまで、ず、ずっとそれでケンカしてたじゃないっ! ロボットのくせに、物覚えが悪いわね!」
「姉上の望みは、何ですか」
また質問してきた。か弱い小動物をマネして、上目遣いであたしを見ている。ふ、ふんっ、こんな時まで可愛い子ぶっちゃって……
「そんなの決まってるわ!」
あたしはベッドの上で立ち上がった。ふんぞり返って高らかに宣言する。
「完璧な可愛さを手に入れることよ! そのためなら……そう、人間だってやめてやるわ! 迷いなくねっ!」
なーんて、ちょっと大げさすぎるかもだけど……
「そうですか」
ちーちゃんはそう答えた後、ぴたりと動きを止めた。目をまばたかせているから、動作を停止したわけじゃない。何か高度な計算を――人間で言うなら、何か考え事を――し始めたのだろうか。
しばらく待ってみたけど、ちーちゃんに動きはない。ひょっとして壊れちゃった?
「……ちょっとあなた、いつまであたしのベッドを占領するつもり? さっさと降りなさいよ」
体を揺さぶってみたけど、反応はない。
「まったく……何をしているんだか……」
しょうがない。今日はこの辺にして、さっさと部屋から追い払おう。力ずくで追い出してやる。あたしも変な気分になっちゃったし、ゆっくり休んだ方が――
「分かりました」
瞬間、ちーちゃんが手を伸ばした。
あたしは手首を掴まれた。
「えっ……」
ちーちゃんは、そのままベッドから飛び降りた。その勢いで、あたしは身体をぐいっと引っ張られた。
「きゃあっ!?」
危うくベッドから転げ落ちそうになった。ちーちゃんに抱きとめられた。手首は掴まれたままだ。そのまま、あたしを引っ張って部屋を出ていく。
「ちょっ、ちょっと……!?」
あたしの声を無視して、ちーちゃんは突き進んでいく。裸のままで。振り払おうとしてもダメだった。おとなしく付いて行くしかなかった。
辿り着いた先は、洗面所だった。
ちーちゃんはあたしから手を解き、ゴソゴソと引き出しをあさり始めた。何かを探しているようだ。
あたしは逃げることもできた。できたはずなのに、なぜだか身体が動かなかった。
ちーちゃんが振り返った。
「あ、あなた、さっきから何を――」
口から出かかった言葉は、すぐに引っ込んだ。ちーちゃんが右手に持っている物に気づいたからだ。
カミソリだ。
銀色の刃がギラギラと閃いていた。
嫌な予感がした。
「ちーちゃん……?」
名前を呼ぶのは久しぶりだと、ふと気づいた。
どんっ――
あたしは押し倒された。
「うぐっ……」
背中を強く打った。お腹と腰の辺りに体重を感じた。ちーちゃんがそこに乗っているからだ。
ベッドの上にいたときとは、丸っきり逆の状態だ。あたしが下で、ちーちゃんが上。
こんなのおかしい。
あたしを無理やり引っ張って、床に押し倒して……
ロボットが、人間に反抗するなんて。
「姉上――」
ちーちゃんは、自分の左手首にカミソリの刃を当てた。
そのまま、手首をすうっ切り裂いた。
細い傷口が広がっていき、そこから徐々に血が滴り始めた。
目の前で起こっている光景が、信じられなかった。
「んっ……」
ちーちゃんが声をもらした。苦しそうに顔を歪めていた。
なんで……とても痛そう……ロボットが痛みを感じるわけないのに……
そして、赤く濡れた手首をあたしの目の前に差し出してきた。
血が、ぽたぽたとあたしの顔に落ちて張り付いた。
「姉上、よく見てください」切り裂いた手首を見せつけながら、ちーちゃんは言う。「血です。真っ赤な血です」
「は、はあ……?」
怖さと混乱が頭の中で渦巻いていた。
「わたしが生きている証拠です」
ちーちゃんは、自分には命があると主張した。
はああああああああああああああああっっっ!?!?!?!?
意味分かんない! なんでこんなことするわけ!? 何なのこのロボット!? 故障してんじゃないの!?
それに、それに! 血があるから生きている、ですって!?
はっ! そんなの証明になんか全然ならないわ!
「ど、どうせ見せかけよ!」あたしは言った。「赤い着色料が混ぜられたただの水――んぐっ!?」
口を塞がれた。ちーちゃんの手首で。
ぬるぬるとした液体が、口の中に入ってきた。
ちゃんと血の味がする。錆びた鉄のような味だ。
「味わってください。分かるはずです」
ちーちゃんの言う〝生きている証拠〟が、次々と喉を通り過ぎていく。
認めない、認めない……! 絶対、絶対、絶対……! 認めてやんないわ……!
押し付けられた手首を、思いっきり振り払った。
「ぷはっ……!」
ようやく息がしやすくなった。
「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……!」
呼吸を整えるまで時間がかかった。そして、言ってやった。
「ほ、本物の血の味を再現してるわけね……きっと鉄分とか含まれているんだわ……ホント……徹底してるわ……」
笑った。勝ち誇りの笑み――のつもりだった。本当は、苦し紛れの表情に見えるのかもしれない。
そんなあたしを見て、ちーちゃんは意を決したような表情になった。何なのよ……さっきから何を企んでいるのよ……!
「姉上、覚えていてください――」
ちーちゃんが手を伸ばす。
あたしは、また手首を掴まれた。
心臓がばくばくしていた。
「わたしがこれから何をしたとしても、それらはすべて、姉上のためであると」
カミソリの刃を当てられた。
考えるより先に感じた。命の危機を。
「やめっ――!」
そのまま刃を押し込まれた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?!?!?!?」
カミソリの刃が痛いずぶずぶと痛い入って痛い痛いくる痛い痛い痛い血が痛いどくどく痛い痛いと流れて痛い痛いああ痛い痛い目がいたいたいぼやけていたい……いたいいたいきていたいたいい……たいたいたすいたい……けていたいいたいいたい……いたいいたいどうしいたいて……いたいたい……こんないた…い……いた……
「さ――なら……」
ちーちゃいたい……ん……いたいなに……いって……?
「――さい……」
わか……ん……ない……よ……
いき……うまく……でき……ちから……む……り……
し……にたく……な……
……………
…………
………
……
…
*
二年前、あたしは交通事故にあったらしい。
らしい、というのはワケがある。事故のショックのせいか、あたしはそれ以前の記憶を失っているのだ。
あたしは意識不明の重傷を負い、数日にわたり昏睡状態に陥っていたそうだ。
初めて目が覚めたとき、近くの椅子に座っていたのは黒髪の女の子だった。
「姉上――」
そう言って、女の子はあたしに抱きついてきた。それが、この世で初めて感じた温もりだった。
自分が誰なのか分からなかった。
この子が誰なのか分からなかった。
その女の子――ちーちゃんは、記憶がないあたしに色んなことを教えてくれた。家族のこと、昔のこと、勉強のこと。どんなに些細な質問にも、必ず丁寧に答えてくれた。
あたしの心の隙間を、いつでも埋めてくれた。
嬉しくて、楽しくて、安心して、それから――
「ありがとう」
心の底から浮かび上がる気持ちを、あたしは何度も伝え続けていた。
いつからだろう。
ちーちゃんの可愛さに嫉妬するようになったのは。
この優しさはロボットだから当然なんだと、感謝しなくなったのは。
*
大きなベッドの上で目が覚めた。周りはカーテンで覆われていた。
ここはどこだろう? 二年前に事故から目が覚めたときと、同じような――
違う。
ちーちゃんがいない。
「ちーちゃん……?」
名前を呼んだ。返事はない。
「ちーちゃん……? どこなの……?」
辺りを見回す。すると、枕元に白くて薄い物が置かれていることに気づいた。
手に取った。
それは、きれいに折りたたまれた紙だった。
手で紙を開いた。
その一文目は、『拝啓 姉上へ』から始まっていた。
あたしは食い入るように内容を読み始めた。
『
拝啓 姉上へ
あなたがこの手紙を読んでいるとき、わたしはもうこの世にいません。
……なんておかしいですよね。姉上は、わたしのことをロボットだと思っているのですから。もしそれが本当なら、わたしは生きていませんから、死ぬこともありません。壊れるか、捨てられるか、それだけです。わたしの場合は、これから後者になりますが。
さて、率直に申し上げます。今の姉上は人間そっくりのロボットです。
わたしは姉上の手首を傷つけました。深く深く傷つけました。静脈ではなく、動脈をバッサリと切りました。大量の出血でしたので、姉上は通常の外科手術では助からない致命的な状態でした。
助かる方法はひとつ、姉上をロボットに改造することでした。姉上は今、改造手術を終えてロボットになっているのです。
人間をどうやってロボットに作り替えるのか、あたしはよく知りません。知っていても、長々と書き連ねるつもりはありません。あまり関係のないことですから。
ただひとつ言えるのは、今の姉上は、完璧な可愛さを手に入れたということです。救命と同時に、顔も可愛く作り替えてもらったという寸法です。そのように手続きを進めました。わたしではなく、両親が。
姉上は言いました。可愛くなるためなら、迷いなく人間をやめると。わたしはその願いを聞き入れ、忠実にそのお手伝いをした次第です。
おめでとうございます。姉上が望んでいた、作り物でしか手に入らない完璧な可愛さです。そして、このような暴力的な方法しか思いつくことができず、申し訳ありません。
わたしは廃棄されます。当然ですよね。人間を傷つけたロボットがどうなるかなんて、古典的なフィクションでも相場が決まっています。この手紙を書き終えたら、わたしはロボット解体工場に連れて行かれます。もう二度と会うことはないでしょう。
最後に、お別れの挨拶とささやかなお願いを。
さようなら。ありのままを大事にしてください。
敬具
あなたの不出来な妹より
』
ひとつ、またひとつ、手紙に染みができた。
それが自分の目からこぼれ落ちた感情だと気づくまでに、だいぶ時間がかかった。
これはちーちゃんの字だ。
これがちーちゃんの思いなんだ。
「ちーちゃん……」
嗚咽をあげながら呼んだ。あたしの、かわいい、かわいい、妹ロボットの名前を。
ようやく理解した。ちーちゃんが、自分が人間だと言い張る理由を。あたしをロボットあつかいする理由を。
ちーちゃんは、あたしを喜ばせようとしていたんだ。
あたしは完璧な可愛さを求めていた。作り物の可愛さを求めていた。
あたしが自分をロボットだと思い込めば、完璧な可愛さを持っていると納得する。同時に、ちーちゃんを人間だと思い込めば、あたしはもう嫉妬することはない。ちーちゃんはそれを狙っていたんだ。
ふと、ちーちゃんの言葉を思い出した。
――ロボットなのは姉上の方ですよ。ですから、姉上の方が可愛いです。
「うん……分かるよ。今ならぜんぶ分かるよ。あなたのこと」
言い続ければ、いつかそれが本当になると信じていたのね。
それが馬鹿げたやり方で、人間に失礼なことだと分かっていても、やるしかなかったのよね。それしか安全な方法はなかったのよね。
でも結局、あたしはそうはならなかった。だから最後の手段として、あたしを重傷に追い込んだ。『可愛くなりたいからロボットにして』なんてお願い、パパとママは聞いてくれるはずがない。けれど、娘の命を助けるためなら迷いなく実行するだろう。ちーちゃんはそう考えたんだ。今実際にそうなっている。
「どうして……」
どうして気づいてあげられなかったんだろう。
もう遅すぎた。
あたしを傷つけたから、ちーちゃんはいなくなる――
「いやだ……」
ちーちゃんは、ずっとあたしのことを好きでいてくれたのに。なのに、あたしはずっと嫌ってばかりだった。
あたしが傷つけたから、ちーちゃんはいなくなる――
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」
ちーちゃんの手紙を握り締めて、あたしは部屋から飛び出した。
耐え切れなかった。
初めての、独りぼっちは。
*
あたしが出て行ったことは、すぐに連絡されたらしい。パパとママはあたしを見つけて、家に連れ帰ってくれた。
見慣れた家の玄関を上がる。泣きじゃくっていたあたしに、ママが耳元でささやいた。
「まだ間に合うわよ、ちーちゃんは」
意味はすぐに分かった。驚きと、ほんのちょっぴりの希望が湧いた。
涙を流している暇なんてない。あたしは決意した。
ちーちゃん、必ずあなたを取り戻すから――
あたしは早速、パパを説得し始めた。
「工場に電話して」
パパと机で向き合いながら、あたしは言う。
「ちーちゃんはまだ解体される前なんでしょ? 今ならまだ間に合う。解体を中止にしてもらえるわ。だから……だから……」
どうすれば、自分の思いが伝わるか分からなかった。ロボットになったのに、どうして頭が悪いままなんだろう。
「あたし、悪い子だったわ……これからは大事にする。だから――」
「口だけなら何とでも言える」
パパは言った。厳しい声だった。
怖かった。
自分でも分かっている。あたしは悪いことをした。どう謝っても許されるはずがない。なのに、要求をしている。こんなワガママが通るはずがない。
「う……うう……」
何を言えばいいか分からなくて、すすり泣くことしかできなくなった。
「泣けば許されると思っているなら、話は終わりだ」
パパが椅子から立ち上がった。パパは無駄話が嫌いだ。ここで逃げられたら、本当に何もかも終わってしまう。伝えなきゃ、言葉にして伝えなきゃ――
あたしは思いっきり机を叩いた。手が痛んだ。
「パパだって! ちーちゃんの手紙を残してくれたでしょ!?」
ありたっけの気持ちを込めて叫んだ。
ちーちゃんからの手紙は、枕元に置かれていた。もしパパが、あたしを傷つけたちーちゃんのことを憎んでいるのなら、手紙を残させるはずがない。
だったら、答えはひとつだ。パパは認めてくれたんだ。ちーちゃんはあたしを愛してくれている、そのために手首を切ったんだって。そう信じた。だから、手紙を残すことを許したんだ。
そうだ、ちーちゃんだけじゃない。パパとママは今もあたしのことを――
「パパとママは……あたしがロボットになっても、実の娘として変わらずに見てくれている。愛してくれているわ。こうして話し合っているのがその証拠よね。手術だってすごくお金がかかったはずなのに……ごめんなさい……」
頭を下げた。そして、ゆっくりと上げた。
パパは椅子に座り直していた。
「あたしもきっと、そんな風にちーちゃんを愛せると思う」
違う。あたしは首を振った。涙を拭いて言った。
「ううん、愛せるわ。絶対に」
しばらくパパと見つめ合った。
何も聞かなくても理解できる。あたしの思いは伝わった。パパはそれを真剣に受け止めている。人間とロボットでも心を通じ合えるんだ。
「そうか、分かった」
あたしは、ほっと胸を撫で下ろした。
「ただし、ひとつ条件がある」パパが続けて言った。
「帰ってきたら、本物の妹として大事にすること。もし、それができないなら――」
「わかったわ」すぐに答えた。迷うことなんてない。「絶対に約束する。もうロボットあつかいなんてしない。だって……ちーちゃんは……あたしの……だいじな……いもう……と……」
最後のあたりは声にならなかった。飛んで跳ねたいくらい嬉しかったけど、死にたいくらい気持ちが沈んでいた。
あたしは、ちーちゃんにひどいことをした。ひどいことをさせた。
今さら姉を名乗る資格なんて、あたしにはないのかもしれない……
ママは、そんなあたしの身体を優しく抱きしめながら言った。
「これでふたりとも、元通りの姉妹になれるわね」
そうかな……うん、あたしもそう思う。
*
夜が明けた。眠れなかった。
がんばって朝ごはんを食べてみたけど、すぐトイレに駆け込んで吐き出した。ちーちゃんへの罪悪感がつのって、心も身体もおかしくなっていた。
頭をめちゃくちゃにかきむしった。
壁に何度も頭を打ち付けた。
爪で身体のあちこちを引っかいた。
これは罰だ。自分を許すことができなかった。ロボットになっても痛みを感じることができてよかった。
自分の部屋に引きこもった。カーテンを閉めきって、毛布にくるまった。光を浴びるのが怖くて仕方なかった。
どれだけの時間が流れたのか、分からなかった。
ふと、気になって鏡を見た。ちーちゃんからもらった顔が映った。
ぺたぺたと手で触って確かめてみる。正直、人間でいたときとあまり違わないように思える。痛い、辛い、苦しい、ぜんぶ人間と同じ感覚だ。頭も全然賢くなっていない。ロボットになったという実感は、いまいち湧かない。
手首には細い傷痕がある。ちーちゃんが付けたカミソリの傷を再現しているのかしら……何だか痛々しいな。
そんな風にして観察していると、ある疑問が頭をよぎった。
あたしは、本当は人間なのだろうか?
ちーちゃんの手紙には『ありのままを大事してください』と書かれていた。それは、ロボットになっても自分を大事にしてほしいって意味かもしれない。あたしがこうして身体をボロボロにすることはお見通しで、それを止めさせるためにメッセージを残したということだ。
けれど、あたしにとって本来の『ありのまま』は〝人間〟だ。改造手術を受ける前のあたしだ。ちーちゃんが大事にしてほしい『ありのまま』は、そっちの意味だとも考えられる。
そういえば……あたしには、手術を受けたときの記憶はない。本当はそんなものなかったのかもしれない。今となっては知りようがない。なんせ、あたしは二年前の事故のときみたいに意識がない状態で――
「あれ……?」
そもそも二年前に目が覚めたとき、あたしは何者だったの? それ以前は?
人間なの? ロボットなの?
それがどう変わってしまったの? それとも何も変わってないの?
ちーちゃんは? あの子は今どこにいるの?
人間なの? ロボットなの?
あたしたちは誰で、いつどこで――
「うう……」
ダメ……頭がズキズキする……何も考えたくない……あたしはどこにいるの……入口も出口も分からないよ……
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
あたしは出ることができなかった。
どうして?
あれほど帰りを待ち望んでいたのに、どうして玄関に駆けつけないの? どうして足が動かないの?
床板の軋む音が聞こえる。ゆっくりと、こっちに近づいてくるのが分かる。
どうして迎えに行ってあげないの?
音はやがて、あたしの部屋の前で止まった。
ノックの後、ドアノブをガチャガチャと回す音が聞こえた。
どうして鍵を開けてあげないの?
どうして怖がってるの?
ベッドの上でドアを見つめたまま、あたしは動かなかった。動けなかった。
しばらくすると、すすり泣く声が聞こえた。
聞き覚えがあるけど、聞き慣れていない声だ。だってあたしは、あの子が泣くところなんて見たことないから。
「ちーちゃん……?」
布団を振り払って、四つん這いでベッドの上を移動する。手を突き損ねて転げ落ちてしまった。
「いたっ……」
頭を打ったから、少しくらっとした。腰を上げて、ベッドに手を付いた。足が滑ってまた転んだ。立ち上がって、歩いて、鍵を開けた。
ドアを開けた。
そこには、床にぺたんと座りながら、泣き顔であたしを見上げるちーちゃんがいた。
妹のこんな表情を見るのは初めてだ。
あたしは困惑した。
「あ、あなた……ええっと……」
あたしが何か言おうとする前に、
「姉上っ――」
飛び上がって抱きついてきた。
「わっ……」
そのままの勢いで、あたしは床に押し倒された。
くりくりとした瞳を持つ愛らしい顔が、すぐ目の前にあった。息がかかるほど近くに。
じっと見つめ合った。
やがて、ちーちゃんが口を開いた。
「わたしは、姉上のことが大好きです。これまでも、これからも」
涙で濡れた顔を、あたしの胸に押し付けてきた。背中に腕を回しながら。息苦しかった。心臓が潰れちゃいそうなくらい痛かった。
「ちーちゃん……」
あたしも負けずに強く抱き返した。あたしがこの世で初めて感じたのと、同じ温もりがあった。
「うん……分かるよ。今ならぜんぶ分かるよ。あなたのこと」
あたしたちは離れ離れになっても、〝寂しい〟って感情でつながっていたんだ。
その左手首には、あたしと同じ細い傷痕があるんだ。
腕を解いた。肩を掴んで引き離した後、今度はその顔を両手で引き寄せた。
「ちーちゃん」
あたしは呼んだ、妹の名前を。
「姉上」
妹は呼んだ、あたしのことを。
「ありがとう――」
心の隙間を埋め合うように、あたしたちはキスをした。噛み付くような激しいキスを。