善意
「『―― ク レ ソ ン の こ と か ー っ !』
気がつけば主人公の髪は金色になって逆立ち、その身は金色に輝いていたのです。そう、これこそがスーパーヤサイ人! こうして彼は……」
しばらくして、俺たちは食事を終える。その後はふたばが“講談”を披露して、シア姫とカーラを楽しませた。
もちろん本当は講談でなく、うろおぼえの少年漫画のあらすじだ。
ふたばの読んでいた漫画や小説が、意外な形で役に立っていた。今まで『もっと高尚なものを読めばいいのに』などと馬鹿にしていて悪かった。
そんなことをしているうちに、気がつけばすっかり夜も更けて――、
「ここが、お二人の寝室です。自分のお家と思って楽にしてくださいね」
俺たち兄妹は、シア姫から客用の寝室を与えられる。
しかも、『行くあてがないのなら、このまま何日でも滞在してくださいな』とまで言ってもらえた。ありがたい。
もちろん俺たちだって、遠慮や慎みくらいは知っている。
だが急に異世界に来て、他に頼るあてもない。我ながら図々しいとは思いつつも、姫の言葉に甘えるしかなかった。
「では、また朝に」
シア姫とその車椅子を押すカーラが去ったのち、俺たちは広いベッドに腰掛けて――、
「「ふう」」
と兄妹揃って息をつく。
いろんなことがありすぎた。
人生で一番いろいろなことが起こった一日かもしれない。
妹と二人だけになると、今まで麻痺していた疲れが一度にどっと押し寄せる。
「お兄ちゃん……今起こってること信じられる? 異世界でお姫様の世話になってるだなんて……」
「まあな」
一息ついたら、改めてそれを感じる。
とても現実の出来事とは思えない体験だ。
「これ、まるっきり異世界ファンタジーだよ!?『普通の人が異世界に行って大活躍する系』のやつ!」
「ああ、そうだな……」
「あ……でも、前に言ったっけ? その手の話だと、マヨネーズ作るってのがよくあるパターンなんだよ。
異世界にはないマヨネーズの力でレストランを作って大儲けしたり、偉い人の料理人になって気に入られたり。――けど、この世界じゃ無理か。法律で禁止されてるんじゃ仕方ないよね」
そうだな。残念だが仕方あるまい。
お祖母様も前に言っていた。
『――ときには諦めも必要。大切なものだからといって、なにもかも手元に残せるわけではない。もったいなくても白身は捨てて黄身だけを材料に使う、我が社のマヨネーズのように』と。
今はマヨネーズ自体が卵の白身ということだ。
「お兄ちゃん、マヨで役に立たないんじゃ、すっかりお荷物になっちゃうね? でも安心して。さっぱり役に立たなくったって、わたしはお兄ちゃんを見捨てないよ!」
「人をマヨネーズしか取り得のない男みたいに言うな!」
失礼な話だ。自分は漫画の話で役に立ったから、それでいい気になってるらしい。
俺の憮然とした顔を見て、この愚妹はげらげらと笑い出す。
「あはははっ、お兄ちゃん怒った。冗談だってば。いっつも『死んでやる』とか言って迷惑かけられてるんだから、たまにはこうして、からかってもいいじゃない。あははっ」
「ふん、まったく……」
ふたばはしばらくずっと笑い転げ、ひーひーと息を整えながら余韻に浸ったのち――急に真面目な顔に戻って、改まって俺に訊ねた。
「お兄ちゃん……。まだ死にたい?」
「…………」
妹は、ずっとこの質問をしたくて仕方なかったのだろう。
カーラ・ルゥに連れられて村を歩いているときも、不味い卵料理を食べてるときも、漫画講談をしているときも、ずっと。
――そして、望んでいた答えはこれだろう。
「いいや……。もう、死なない。安心しろ」
俺が死のうと思ったのは、世界に裏切られたと思ったからだ。
だが、ここはもう、あの世界じゃない。
「シア姫は、いい人だな……。行くあてのない俺たちを城に置いてくれるだなんて」
「ううん、お兄ちゃん、カーラさんだっていい人だよ。ちょっと怖いけど、姫のために頑張ってるのがよくわかるもん」
「そうだな……」
二人とも、いい人だ。
この世界の景色は美しく、そして人々の心もそれ以上に美しい。
この異世界で善良な人々に囲まれて、傷ついた俺の心は少しずつだが癒えていった。
世界はそこまで悪くはない。少なくとも、そうでない世界もある。
――そう思えるようになってきていた。
(いや、もしかすると……地球だって、それほど悪い世界じゃなかったのかもしれない。たしかに俺は裏切られたが、ふたばのように心配してくれる人もいた。俺が悪い面しか見ないで、勝手に絶望していただけなのかも……)
俺は、妹とは反対側を向いてベッドに寝転がると、うんと小さな声でこう呟く……。
「……ふたば、ごめんな」
俺が自殺しようとしなければ、異世界に飛ばされることも危険な目に合うこともなかったはずだ。
――いや、そもそも軽々しく死ぬなどと言って心配をかけた。いくら謝罪してもし足りない。
背を向けて謝る俺に、ふたばはくすっと笑って返事をした。
「いいよ、兄妹だもん。それよりお兄ちゃん、おしっこ行きたい。一緒について来てくれない?」
廊下では、天井から吊り下げられたランプが周囲をほのかに照らしていた。
本物の中世ヨーロッパならば、廊下に灯りを点すなど贅沢なことであったろう。
だが、この村では油は安く手に入るらしい。食事のときに姫が教えてくれた。
なんでも川沿いにオリーブの木(正しくは『地球のオリーブに似た木』)が自生しており、その実から油が取れるらしい。油は一応、調味料ではないので、自作しても許される。
俺とふたばはそんな油の灯りを頼りに石畳の廊下を歩き、
そして厠からの帰り……、
「――……姫様、大事なお話が」
閉じたドアの向こうで、女騎士カーラの声が聞こえた。
たしか、この部屋はシア姫の寝室だ。
「なにかしらカーラ・ルゥ? わたくしは、もう眠いというのに……。あんまり楽しくって、ひさしぶりに夜遅くまで起きていたから、すっかり疲れてしまってよ」
「は……。では、手短に――」
カーラは声を潜め、普段よりいっそう真剣な語調でこう告げる。
「姫様……この城は、もうじき破産いたします」
――なんだって!?