秘密
1
翌日の昼前、雲ひとつない青空の下で――、
「くかー」
馬車の荷台から、加藤八千代の寝息が聞こえた。
土の街道を、俺たちはいつものおんぼろ馬車に揺られる。久々の我が家――姫と妹のいるフィル=セロニオ城へと向かって。
今回は荷台にいつもより一人増え、さすがに“でこぼし”号も大変そうだ。
「しかし加藤のやつ、あきれたもんだな。遠慮なしに熟睡して」
「ふん! 久々に貴様と会えて、安心したのであろう。オークの捕虜になっていたのでは気の休まる暇もなかったであろうからな。そこに貴様と会ったのだから、こうもなる。こやつは嫌いだが、気持ちはわかるぞ」
「そうなのか?」
「うむ……」
俺にはわからないが、やはり女同士とあって理解し合える部分もあるのだろう。
「それより貴様は、この娘のことをどう思っているのだ? つまり、その……好きかどうか、というか――」
「嫌いだ。敵だ」
「敵!? そうであるのか? そうか……」
カーラは、なぜかホッと息をつく。それがどんな意味の『ホッ』であるのか、俺にはまるで理解できなかった。
「では、なぜこの娘を連れていく?」
「自分こそ。お前だって仲悪いじゃないか」
いや、カーラの理由はわかっている。
一度知り合った相手は、多少不仲でも助けずにはいられないというだけだ。
彼女は騎士であり軍人で、必要とあらば他人に暴力を振るい、命さえも奪うが――しかし、根はお人好しの善人だ。
本来、『悪』には向いてないタイプの女だった。
だが、俺は違う。
俺は『悪』だ。もっと打算的な人間だ。
「俺が加藤を引き取るのは理由がある。――この女、簿記の資格を持っている」
「ボキ……?」
そうだ。
工業高校の商業科に通い、不良のくせに真面目に簿記の勉強をしている。
この世界に来た日、この女がわざわざ俺の学校まで来たのは、簿記の試験に受かったんだか、模試でいい点数を取っただかを報告しに来たからだ。
たしか『数学、教えてくれたから点が取れたよ』と言っていた。
「この女は、帳簿のつけ方を知っている。前に話した裏帳簿が作れるはずだ」
マヨネーズを売った銀貨を、領地税を払うための『ヤバくない金』にできる。
いわゆるマネーロンダリング。
加藤八千代は、そのための必要悪といえる存在だった。
「そうか……。ふふン、そういうことであったのだな。あははははっ」
御者席のカーラは、なぜかやたらと嬉しそうな顔をしていた。手綱ごしに感情が伝わるというのか、“でこぼし”号もこころなし歩みを速める。
(どうして、こんな嬉しそうに……? ああ、そうか。マネーロンダリングの問題が解決できて、それで喜んでるのか)
さすがは騎士。仕事に対して姿勢が真摯だ。
その後もしばらくの間、カーラは手綱を握ったままなにやらクスクスと笑っていたが、やがて小一時間もするとやっと落ち着いてきたらしく、少しだけ落ち着きを取り戻して俺に訊ねた。
「……そういえば、もう一つ、教えてほしいことがあるのだ」
「なんだ、カーラ?」
「うむ。キョーイチローよ、その……」
カーラは言葉の途中で一旦、うんと間を置いてから、俺に訊ねた。
「貴様の“まよねず”はなぜ腐らぬ?」
ああ、その話か。
白い牙〇一九も知りたがっていたことだ。
オークの作ったマヨは、すぐに汁が出て駄目になったのに、ほぼ同じ材料で作られた俺たちのマヨはどうしてそうならないのか。
しかもオークのマヨは、地球人である加藤八千代が製法を教えたもの。俺たちのものとどう違うのか?
地球でも食品会社が製造した市販品のマヨと、家庭でこしらえた手作りのマヨでは賞味期限は大幅に異なる。
市販品はゆうに一ヶ月以上もの間、常温での保存が可能だったが、手作りはせいぜい一日か二日といったところだ。
オークのマヨは、家庭の手作りマヨに近い。
では、なにゆえ、そのような差が生まれるのか?
食品添加物のおかげか?
それとも特殊な材料や製法のおかげ?
――答えは否。
白い牙〇一九には『魔法』と『友情パワー』と答えた。それが、この問いの答えだった。
「カーラはいつも『貴様の“まよねず”』と言うが、そうじゃない。『俺たちのマヨネーズ』だ。俺とカーラ、二人で作ったマヨネーズだ。忘れるな」
「う、うむ……。そうか。なにやら照れるな」
だろうな。顔を見れば照れてるのはわかる。
また真っ赤だ。
「世辞を言っているわけじゃない。二人のマヨだ。だから最高のものになる。美味くて、それに腐らない。成分が分離しないし腐敗もしない」
「どういうことだ?」
腐らないことの理由の一つは、俺が容器や器具を念入りに消毒しているからだ。
――だが、それはメインの理由ではない。
最大の理由は……このカーラの存在だった。
「お前が混ぜるから成分が分離しないんだ。だれよりも強い力を持っているから」
「私の力が“まよねず”を最高にする……?」
「そうだ」
マヨネーズは油と酢と卵。
この三つが混ざり合い『乳化』することでできあがる。
だが、乳化が不完全であれば味は落ち、また本来混ざり合うはずのない油と酢はすぐに分離してしまう。
また、市販のマヨネーズが長い賞味期限を保つのは、酢が防腐剤の役割りを果たすからだ。
生の卵は腐りやすいが、乳化して酢と混ざり合うことで、カビや細菌の繁殖を防ぐ。殺菌作用のある酢酸の分子が、マヨネーズを守るのだ。
このように乳化はマヨ製造にとって最も重要な工程といえたが――しかし、材料を完全に乳化させるためには、工場の機械のパワーが必要となる。
人力や、家庭用ハンドミキサー程度の力では、100%の乳化は望めない。
だから、すぐに分離してしまう。オークたちのマヨが腐ったのは、そのためだった。
「だがカーラ、魔法によって強化されたお前の腕力でなら、機械のように強い力で、機械のように正確に、材料を混ぜることが可能になる。それなら工場の機械で混ぜているのと同じことだ。
――俺の知識と、お前の力が合わされば、工場で作ったのと変わらない『本物のマヨネーズ』を作ることができる。
なによりも美味く、絶対に腐らない、世界で最高のマヨネーズをだ!」
卵を触媒に、出自の異なる二つ(酢と油)が一つになって大切なものを護る――それは、ある意味、俺とカーラのようとも言えた。
「キューイチローの知識と、私の力か……。そうか。私の力は、そんなにも役に立っていたのだな」
「そうだ。俺たちのマヨネーズだ」
「ふふ……っ」
カーラは手綱を握りながら、また上機嫌な顔になっていた。
“でこぼし”号の歩みもますます速くなる。
これなら、夕方前にはフィル=セロニオ城に着くだろう。
青空の下、俺たちは馬車に揺られ続けた。
(失敗した……。なにが『貴様の“まよねず”はなぜ腐らぬ?』だ)
カーラは後悔していた。
本当は、そんなことを訊きたいわけではなかったというのに。
(本当は――『貴様{キョーイチロー}は、私のことをどう思っている?』と訊きたかったというのに……)
より正確に述べるのならば、
『ヤチヨが嫌いなのはわかったが、ならば私は?』
『私のことを好きなのか?』
そう訊きたかったのだ。
『私は家族も同然のスー兄さまを裏切ったのだぞ? なのに、まさか私を好きでないとは言わぬだろうな?』とも。
(もちろん、そこまで言うのは、女として失格であるのだろうが――)
だが、そう言ってやりたい気持ちはあった。ただ、その一方――。
(俺たちのマヨネーズ、か。……ふふっ)
その言葉を思い出すと、自然と口元は緩んでいった。
悪くない言葉だ。このツルギ・キョーイチローという男にとって、それは最高の賛美であり友情の言葉であったに違いない。
今までに稼いだ銀貨は、合計157枚。
領地税の銀貨500枚まで残り343枚。徴税人が来るまで、あと約二ヶ月。
希望が生まれ、見通しこそ明るいが、来年以降の分も稼ぐことを考えると、まだまだゴールは遠かった。
だが、それでも愛しいシア姫と、貧しくも純朴な領民たちのためならば――そして、キョーイチローと二人でならば、きっと乗り越えていけるはず。
その確信が、彼女にはあった。
(このキョーイチローと一緒に、『悪』の道を生きよう……。そして、彼を“まよねず”の王――“白濁王”と呼ばれる男にしてやろう)
カーラは覚悟を新たにした。




