再会
1
オークたちのもとで粗悪マヨネーズを作っていたのは、ただ
“ヤツ”
とだけ呼ばれる人物だった。
しかも、それは俺や妹と同じ日本人。
この遠き異世界の地で、二度と会えないかもしれない同郷者だった。
マヨの製法を知る人間を、好き勝手させておくわけにはいかない。
放っておけば“まよねず”の力でオークたちの間でどんどん発言力を強め、やがては人類社会にも影響を及ぼすようになり、俺やカーラにとって大きな障害となるかもしれない。
――いや、既にそうなっている。
また、逆にとんでもない馬鹿やお人好しで、マヨの製法や地球の技術を軽々しく他者に言いふらし、この俺の価値をゼロにすることも考えられる。
いずれにせよ、放置するには危険な相手だ。
俺とカーラは白い牙〇一九に案内されて、ついに“ヤツ”と対面する。
だが、その正体はなんと――。
「――え……っ? 恭一郎!? マジで? 本当に恭一郎なの……!?」
俺の知ってる人間だった!
森暮らしのためか髪や顔は汚れ、制服はボロボロになっていたが、しかし間違いない。
ある意味、決して忘れられぬ顔だ。
「加藤……!? お前、加藤なのか?」
「そうよ、あたしよ! あたし、なんだか急にこの世界に来ちゃって……国道であんたの姿を見つけて、そしたら急に光って、巻き込まれて――。ずっと、ずっと、こんなワケのわかんない森の中で……。でも、恭一郎に会えるなんて!」
この女は、加藤八千代。一六歳。
俺にとっては、まさしく仇敵。
俺の人生を、セクハラ冤罪で台無しにした女だ。
2
(そうか――。“ヤツ”は代名詞じゃなく、“ヤチヨ”の略か……!!)
信じられない。まさか、この女だったとは!
異世界に来てまで、この不良女と顔を合わせるなんて想像さえしていなかった。
この世界に来て一番よかったことは、加藤八千代と二度と会わずに済むことだと思っていたのに――。
「……加藤、なんでこの世界にいる?」
「だから、あんたを追ってきたの! あの日、学校であんなことがあって、恭一郎が泣きそうな顔で帰っちゃったから……」
俺を!? この世界まで追って来たのか?
「あたし、家まで行ったんだよ。でも、いなくって……悪い予感がしたから、近所中探したの。そしたら国道のところで、あんたが死ぬとか言ってて――」
「見てたのか」
「うん……。びっくりして、止めようと思って駆け寄ったの。
そしたら急に恭一郎が光り出して、そのまま体が消えてって――。それで慌てて、あんたの手を掴んだら、気がついたらここにいたの。この真っ黒な葉っぱの森の中に……」
俺の手を掴んで異世界に……?
なんという執念だろう。
どこまで俺を追い詰める気だ!
「ねえ……もしかして、あたしたち死んじゃったの?
光ったってのは、あたしの頭が混乱してそう思い込んでただけで――本当は恭一郎、国道に飛び込んだの? それで、手を掴んだあたしも一緒に車に轢かれちゃったってわけ? ここ、死んだあとの世界なの!?」
うちの妹と似たようなことを言う。
ただ、ふたばよりも具体的だ。
たしかにオークどもは見ようによっては地獄の鬼とも思えたはずだ。
「でも、ちょっとだけ、よかったかも……。死んじゃったのはつらいけど、恭一郎と一緒なら、あたしは……」
「加藤……」
俺の大嫌いな加藤八千代は、俺に抱きつきながら――
泣いた。
大粒の涙を、ぽろぽろと垂れ流しながら。
嫌悪感はもちろんあったが、その柔らかな女体の感触と涙のせいで、俺は抱きつく手を振りほどくことができずにいた。
「うわああああんっ! 恭一郎……恭ちゃん! 恭ちゃん! あたし大変だったんだよ!
だれもいない森の中で迷子になって、ここの連中に助けてもらったけど、捕虜として洞窟の中で掃除だの料理だの働かされて――」
「…………」
「でも……でもね、昔、恭ちゃんに教えてもらったマヨネーズの作り方のおかげで、ちょっと待遇よくなって……。あたし、恭ちゃんに助けられたんだよ!」
「……そうか」
つまり、この世界でも、この女は俺を苦しめていたというわけだ。
この女が作った駄マヨネーズのおかげで、俺たちの商売が邪魔され、余計な手間をかけさせられた。
――しかも、俺の教えたやり方で!
(なにが『俺に教えてもらった作り方』だ。手順を半分も憶えてなかったな? 俺のやり方なら、どうして材料に卵白を使ってる!?)
なにもかも苛立たしいことばかりだったが――、
「そうか……。大変だったな……」
「うんっ!」
つい、優しい言葉をかけてしまった。
俺はこの女のことは大嫌いだったのに、なぜか面と向かって悪態をつくことができない。
昔からそうだ。不良特有の特殊な会話術でも使っているのだろうか?
それとも、単に『女子だから』というだけか?
(いや……惑わされるな! この女は危険だ!)
ずっと前からの仇敵で、マヨの製法を知っている。
しかも、今もまた俺の心を惑わそうとしていた。決して心を許してはいけない相手だ。
「あたし、学校でのこと、許すから! 気にしてないよ! あんなのは痴漢でもセクハラでもないでしょ? あんなの、ただの事故だから!」
「事故だと?」
「そうだよ! よくあることだよ!
放課後、男子校の校門前で喋ってたら、たまたま落ちてたバナナの皮で転んで、慌てて目の前のものを掴んだらそれがあたしのスカートで、しかも金具が引っかかってパンツも一緒に、そのまま足首までずり下ろすなんて……。
普通はないけど、恭ちゃんには今までで一〇回くらいやられてるから! 見てたやつらも『マンガかよ』『いわゆるラッキースケベ事故だな』って言ってたし! だから、気にしなくっていいんだよ!」
なにが、『許す』で『気にしなくていい』だ。
なにが『ラッキー』だ。
これでは、まるで俺の方が加害者だ。
俺が加藤に衆人環視の中ひどい恥をかかせて、それで責任を感じて死のうとしていたみたいじゃないか。――だが、言われてみれば。
(加藤がひどい目に合ったのは、事実ではあるのか……)
それに、この女の言う通り、子供のころから似たようなことを何度も繰り返しているし、この世界に来た直後にカーラの排尿姿を目撃もしている。
星の巡り合わせか、それともただの不注意なのか、いずれにせよ俺にも原因があるかもしれない。
俺が加藤を恨む理由なんて、本当はなかったというのか?
ただの逆恨みでしかなかったと?
そこに、この女はそんな俺の迷いにつけ込むように――、
「それでね、あの……恭ちゃん! ずっと言えなかったけど、今こそ言うよ! あたし、ずっとずっと恭ちゃんのことを……!!」
俺のことを……?
俺を、なんだ? なにが言いたい?
この口ぶりは、まるで『好きだ』とでも言おうとしているかのようではないか。
(い……いや、俺のことを好きだなんて、まさか! でも、もしかして……)
「あたし、恭ちゃんのことを、す――」
――と、そのときだ。
「そこまでだ!」
突如としてカーラが話に割って入り、加藤の言葉を遮った。
「キョーイチローよ、その女は何者なのだ!? その……なんだ、ずいぶんと親しげなように見えるが……。とにかく貴様たち、そこまでだ!」




