天使のたまごと囲む食卓
1
俺たちは城の広間で、“姫様”と対面することになる――。
「……というわけなのです。姫様、この者たちを死罪に! そうでないなら、せめて百叩きにさせてくださいませ!」
「まあ! カーラ・ルゥったら……うふふっ、あははははははっ」
車椅子の上で、少女はころころと笑っていた。
(この子が、姫様――カーラ・ルゥの主か……)
歳はふたばと同じく12歳かやや下程度。
ちんまりと小さな背に、サファイア色の大きな瞳、髪はきらきら煌く黄金色。
カーラも綺麗な金髪と青い目をしていたが、この子の前では見劣りする。ガラス玉とサファイアほどの差はあった。
どちらに価値を見出すかは好みの分かれるところであろうが、一般的にはサファイアの方に高値がつくだろう。
さらには上品な仕草とあどけない顔つき、頭上のティアラ。見るからにお姫様か、さもなくば西洋式のお人形といった、麗しい容貌の持ち主だった。
さすが、カーラ・ルゥが『世界一美しい』と褒めるだけのことはある。
(肌が、すごく白い……というより、顔色が悪いな。どこか体を悪くしてるのか?)
車椅子なのも、なにかの病気のためであるのだろう。
儚げで、可憐そのものといった少女だ。
そんなお人形姫の笑顔を前に、女騎士は憮然とした顔となる。
「姫様、なにをお笑いなのです!?」
「あははっ、ごめんなさい。でも、カーラ・ルゥが茂みでおしっこだなんて。お前は存外そそっかしいのね? ――たしか、子供のときも似たような騒ぎを起こしたことがあると聞いたわ。お前の従兄のスー・キリルを相手に」
「それは……。姫様、うんと子供のころの話です。お忘れください」
顔を赤らめつつもますます膨れっ面となる女騎士を見て、姫はまたくすりと笑った。
「とにかく、そう感情的になるものじゃなくってよ。この者たちも、わざと覗いたのではないのでしょう? 親愛なる友にして忠実なる剣騎士カーラ・ルゥ・グレンセン、二人を許しておあげなさいな」
その言葉を聞き、俺とふたばはほっと肩をなでおろす。
どうやら死刑にならずに済んだ。
「し……しかし姫様! 私の恥ずかしい姿を見たというのに、なんの咎もなしとは!」
「いいえ、まったくの無罪とは言ってなくよ。ええと、キョーイチローとフタバだったわね。貴方たち、ニホンとかいう異国から来たのですって? どうりで見たこともない珍しい服を着ていると思ったわ。――この地の領主として、貴方がたに『罰』を与えます」
罰だって?
「貴方がた、迷子でこの国に来たというのは本当? 行くあてもお金もないのですって?」
「ええ、はい……」
ふたばが鈍い返事をすると、姫は車椅子の上で満足げに頷き、こう続けた。
「でしたら二人とも、この城にしばらく滞在し、わたくしに異国のお話を聞かせてちょうだい。それが罰。よろしくて?」
「わたしたちが、この城に滞在!? ほんとに! それは助かりますけど……でも、いいんですか? そんなにお世話になっちゃって」
「うふふっ、当然よ。ああ、世界はなんて驚きに満ちているのでしょう。カーラ・ルゥのそそっかしさのおかげで、珍しい国からのお客人と出会うことができるだなんて。
――わたくしの名は、シアーテルズ・アナ・アーテルズ。一二歳。お二人とは歳も近いし、シア、とでも呼んでくれればいいわ。それとね……」
そして、青い宝石の瞳で俺とふたばに順に見つめてから、また悪戯っぽく笑って言った。
「お二人にご飯を食べさせてあげないと。ご自分で気づいていて? さっきからフタバはお腹をぐうぐう鳴らしているわよ」
2
聞けばシア姫は二年前から、この地の領主をしているらしい。
もとは王都の無任地貴族であったのだが、家来であるカーラ・ルゥが戦場で手柄を上げたため、その功績でフィル=セロニオ郷を領地として与えられたのだとか。美しい景色の土地には、美しい人物が集まるようにできているかもしれない。
気がつけば、日は傾いて空も夕焼け。だとすれば、これから食べるのは晩餐ということになるのだろう。
俺とふたば、それにシア姫は、食堂の長テーブルを囲んで料理を待つ――。
「ねえねえ、お兄ちゃん。異世界の晩ごはんってどんなだろうね?」
「ふたば、なんだ急に?」
「だって、ファンタジー世界だよ? 前に読んだ漫画だと、異世界の人たちはスライムの煮物とかドラゴンのステーキ食べてたけど、ここでもそういうの食べてるのかな? それに、よく考えたら、まがりなりにもお城だし、すごいご馳走が出てくるかもしれないよ!」
「図々しいぞ。お前、ちゃんとシア姫に感謝してるんだろうな?」
世話になってる立場で『まがりなりにも』とか言うな。
だいたいお前、さっき村の人からおやつを貰ってたくせにまだ腹が減っているのか。
とはいうものの、俺も多少とはいえ似たようなことを考えてはいた。
地球でないこの地の人々が、どのような食事をしているのか。極めて興味深いことではあった。そのうちに――、
「姫様、用意ができました」
女騎士カーラ・ルゥが、料理を載せた盆を運んできた。高級レストランにあるような、ドーム型の蓋がついた金属盆だ。
俺とふたばはごくりと息を飲みながら、蓋が開くのを待ちわびる。
やがて、カーラが蓋の取っ手に手をかけ、その中身が露わになるが……。
「本日の夕食……
ゆ で 卵 と 塩 で ご ざ い ま す 」
蓋の下から現れたのは、ただのゆで卵。
それも、大皿に大盛り!
それを見たふたばは、
がくーーっ
とテーブルに顔を突っ伏した。
3
「あら? フタバ、その動作はどのような意味でして?」
「い……いえ、姫様! なんでもないです!」
突っ伏す愚妹の姿を前に、姫はやや悪戯っぽく微笑んでいた。
「まあフタバ、なんでもないならいいけれど。てっきりわたくし『どんなご馳走が出てくるのかと楽しみにしていたのにゆで卵でがっかりした』ということかと思ったわ」
「いいいい、いえ、姫様、そんな!」
どうやら姫の方が一枚上手だ。ふたばの本音を見透かしていた。
「安心なさって。まだ料理は他にもあるわ。――カーラ・ルゥ、残りの料理も持って来て」
姫の話によれば、この地ではゆで卵はパンや米のような主食であるとのことだ。
卵が畑で獲れるのだから当然だろう。そういえば、村でも農夫がおやつがわりにゆで卵をたべていた。
つまりは、これから運ばれてくるのがメインディッシュということになる。
カーラ・ルゥは、長テーブルに料理の盛られた皿を並べる――。
「お二人とも、召し上がれ。お口に合えばいいのだけれど」
「はい、姫様……。お兄ちゃん、どう思う?」
「……どう、と言われてもな」
声を潜めて訊く妹に、俺はやはり小声で返事をした。
運ばれてきたそれは――特大の皿に山盛りにされた巨大なスクランブルエッグ。
ざっと見て、卵を10個以上は使っている。
しかも、どう見ても『失敗作』だ。
一目見ただけで火加減をしくじっているのがわかる。ある場所は生焼けどころかどろりとした白身のままであり、またある場所は焦げて炭と化している。――見るからに不味そうだった。
それが、一人につき一皿。
各自、卵10個分の量だ。そこに付け合せとして茹でた野菜が少々と、クレープに似た薄いパンが一切れ、野鳥の骨かなにかで出汁を取ったスープがつく。
俺とふたばは不思議そうに皿を見つめていたが、シア姫が当たり前の顔をしてスクランブルエッグを食べているところを見るに、冗談やなにかの間違いではないらしい。
「じゃあ……お兄ちゃん、食べようか」
「そうだな」
この姫様も食べているのだ。見た目より美味であるのかもしれない。
そう思い、手元に置かれた木のフォークを使って、兄妹そろって一口食べるが――、
「普通にまずっ! あと、味が薄い!」
ふたばは、つい、無礼なことを口走る。
そんな妹の口を、俺は慌てて手で塞いだ……が、とはいえ実のところ、意見そのものには賛成だった。
(たしかに、普通に不味い……。こんなの貴族が食べる料理じゃないだろ)
味は主に塩味で、オリーブオイルとハーブかなにかの味もした。
だが、その比率が明らかにおかしく、焦げの苦味と合わさって味覚神経が混乱しそうだ。塩は使う量が抑えられていたが、その薄味のせいで余計なまず味が際立っている。
ちなみに野菜は煮すぎてでろりとなっており、パンは逆に生焼けだった。スープもハーブが効きすぎて車の芳香剤を連想させる。
――微妙な顔をする俺たちを見て、姫はころころと笑い出す。
「あははははっ! 見た? 見た、カーラ・ルゥ? やっぱりお前のお料理は美味しくないのよ。わたくしも前から言ってるでしょう?」
「い、いえ、お恥ずかしい……。このカーラ・ルゥは、戦でしか生きられぬ剣騎士。料理は不得手であるのです。姫様、申し訳ございません! 客人の前で、主に恥を……!!」
「いいのよ、カーラ・ルゥ。ごめんなさい。意地の悪いことを言ってしまったわ。
――フタバにキョーイチロー、二人にも謝らねばならないわね。実は先日、召使いたちに暇を出してしまったの。給金が払えなかったものだから……。それでカーラ・ルゥに料理をしてもらっているのよ」
なるほど、そういうことだったのか。
姫とカーラ・ルゥ以外に、だれも城にいないので、気になってはいたのだが――。
(やはり、貧しい村だったのか……。しかし、まさか領主までこんな貧乏暮らしをしてるとは――)
思った以上に貧しい土地であったらしい。
もちろん中世風の封建社会なのだから、領民から重税を取り立てて裕福に暮らすことも可能なはずだ。
だが、それをせず、人々の貧困につき合っていたからこそ、この姫は慕われていたのだろう。
(そんな貧しい暮らしをしているのに、俺たちに食事を振舞ってくれるなんて)
卵はタダかもしれないが、つけ合わせやパンは違うはず。むしろ、この地でほとんど作っていない分、逆に高くつくに違いない。
俺は、姫に訊ねた。
「シア姫様……。どうして、見ず知らずの俺たちに親切にしてくださるのです?」
「あら、言わなかったかしら? 異国の話を聞きたかったからよ。それに――」
それに?
「キョーイチロー――貴方のお顔からは、不安なものを感じたわ。まるで死を決意したような……。だから放っておけなかったの」
俺は、どきり、となった。不意に胸を針で刺された気分だ。
「俺が、そんな顔を……!?」
「ええ。カーラ・ルゥもよく、そんな顔をしているわ。――あの顔はいけなくてよ。親しい者を苦しめるもの。無論、誤解ならばよろしいのだけど……」
「いえ……」
姫の言葉にカーラは、なにかを悔いているように俯いていた。
もしかすると、俺も似たような顔で俯いていたかもしれない。隣の右席に座るふたばが、無言で俺の袖をぎゅっと掴む。いつもの暢気な表情はしていなかった。
(この姫、侮れない……。ただ可愛らしいだけの子じゃないな?)
12歳とはいえ、さすがは村一つを治める領主。そこいらの子供とは違うようだ。
生まれつき利発な子なのか、それとも領主や貴族としての責務が彼女をこのように育てたのか。
「そういったわけで、遠慮せずにお召し上がりくださいな。味については……そこに調味料が一通りあるので、ご自由にお使いになって。少しは美味しくいただけてよ?」
姫の指差した先――テーブルの中央には、調味料入れの陶製の小瓶が並んでいた。
会話が通じるのと同様に、瓶の文字も目を凝らすとなぜか読める。
『塩』『酢』『オリーブ油』『香草粉』。
ハーブ粉は乾燥パセリに似た粉だ。姫は『調味料が一通り』と言っていたので、以上四種がこの世界の基本となる調味料であるのだろう。
胡椒はない。また、当たり前かもしれないがウスターソースやケチャップもない。それから“あれ”も。
ちなみに女騎士カーラの料理は、調味料をつけてもまだ不味かった。
(いや――カーラの腕前だけの問題じゃないな。塩や酢は妙に味が薄いし、ハーブやオリーブ油は雑味が多い。この世界、もともと調味料文化が未発達なのか)
もちろん主な理由はカーラの腕前ではあったが、とはいえ、せめてなにかもっといい調味料があれば――。
もっと味が濃く、コクや旨味があって、不味さを塗りつぶしつつも素材の味は引き立てる――そんな調味料があれば。
そう、たとえば“あれ”のような……。
「ねえ、お兄ちゃん。これ使って、“あれ”を作れるんじゃない?」
「“あれ”をか?」
……なるほど、たしかにそうだ。
油と酢、それに卵。
さらには味付け用の塩に、爽やかさを出すためのハーブまで。
必要な材料が、全てこの場に揃っていた。
「作ってよ。せっかくだもん」
「今、ここで? だが――」
「なにが『だが』よ。お兄ちゃんなら簡単でしょ? よく家でも作ってたじゃない。――姫様、それにカーラさん! お食事のお礼に、今からお兄ちゃんが珍しいものを作ります!」
「まあ、なにかしら?」
ふたばは自分で作るわけでもないくせに、やたら高らかにこう告げた。
「ふっふっふ……その名はマヨネーズ! わたしたちの国の大発明です!」