恋する乙女のように卑劣であるべし(後編)
1
その数日後の夜遅く――。
悪徳の都ミ・メウス市で、もっとも情報収集に適しているのが貧民街の“幽霊横丁”だ。
ここにたむろしているのは悪党の中でも冴えない雑魚ばかりであるが、その分、口が軽く、安酒でも一杯おごれば気前よく情報を教えてくれる。
これは酒代欲しさという以上に、『情報に通じた大物だと思われたい』という空っぽの虚栄心によるものだろう。
「それで第六天使の親分たちは、いったいどこにカチコミをしたと?」
酒場で知らない二人組にそう訊ねられ、酔っ払いの男は「さあな」と言って首をかしげた。
「そりゃあ俺にもわからねえ。ただ、親分自らフラリと一人で馬に乗って、次の日に血まみれで帰ってきたらしい」
第六天使が子分たちに語ったところによれば、本命の“頭”が見つからなかったため、そのへんにいた手下どもを二、三匹血祭りに上げたということらしい。
――それが昨日の夜のことなのだとか。
酔っ払いの男は『二、三匹』というのが『ただの荒っぽい言葉遣い』で、相手が人間以外だったとは思っていないようだった。
「相手が死んだのか、それとも大怪我だけかはわからねえ。ただ、なんでも『そのうちにまた来てやる。今度は仲間を連れてきて手前ぇら皆殺しにしてやるからな』と啖呵を切って帰ってきたんだそうだ。親分が自分でそう言いふらしてた」
「ふうん……。そうか、感謝する。――これでもう一杯飲んでくれ」
クースとギチと名乗った二人はそう言って、銅貨を五、六枚置いて店を出る。
「どうだ、ギチよ?」
「ああ、クース。問題ない。上々だ」
思った以上に、事態は上手く進んでいた。
2
事態は思った以上に上手く、そして思っていたよりずっと早く進んでいた。
同時刻――。城壁外の夜闇の中。
複数種族の亜人類が住むミ・メウス市ではあるが、その種族の中にオークはいない。
なぜならば、オークは『亜人類』でなく『魔物』であるからだ。
この分類は生物学的なものでなく、社会的な理由――つまりは人類側の選民意識や差別意識によるものだったが、ともかくも城壁に囲まれた都市の中に、オークは一個体も暮らしていなかった。
ただ、これは『オークの味方をする種族がいない』ということを意味するものではない。
「コレガ、礼ダ」
「へへ、ありがてえ」
族長オークの差し出した岩塩塊を受け取ったのは、両手の指がない老ゴブリンだ。
ゴブリン種は、つい五〇年前まで魔物として扱われていた種族だが、危険な炭鉱での奴隷労働用として一部の部族のゴブリンのみ『ノーム種の亜種の亜人類』と認定されていた。
そのような種族である以上、人類社会に対する帰属意識は薄く、当然このような裏切り者も現れよう。
もと奴隷だったゴブリンの老人は、たった一キロ分の岩塩と引き換えに――、
「この隠しトンネルだ。昔、俺が仲間と工事した。俺以外は全員死んだ」
城壁の内側へと続く通路の入り口を教えた。
その後の惨劇も想像した上でのことだ。――オークの“白い牙”部族の戦士たち計七匹は、次々とトンネルの中に入っていく。
出口は『女神通り』にある七体の天使像のうち一体の足元。
第六天使亭までは、ほんの二〇メートルの距離だった。
3
「第六天使の親分、大変でさァ! お願いです! 来てくだせぇ!」
その晩、彼女は“まよねず”の過剰摂取によるハイテンションと、さらには“クピド”製の純正品が残り少なくなってきた悲しみで、ぽろぽろと大粒の涙を流しつつ、小鉢に盛った白濁をずっと何時間も舐め続けていた。
「なンだァ、手前ぇ……!!“まよねず”中に入ってくんなって言ってンだろうが!」
「い……いえ、けど大変なんでさァ! オークが……オークの群れが襲ってきた!」
「オークだァ? へぇ? はははッ、仕返しかよ! こいつァいい!」
一瞬にして涙は止まり、かわりに『ニィ』と肉食獣が牙を剥くような笑みを浮かべる。
この、感情の瞬間的な変わりぶりは、手下たちにとっては恐怖の対象となっていた。
彼女を呼びに来た手下は、ギルドがオークと取り引きしていたとは知らなかったため、なぜ『仕返し』と口にしたのかわからない。
――ただ彼は、親分の瞳に異常な光が爛々と灯っているのを、その目にした。
それはきっと、狂気の光だ。




