恋する乙女のように卑劣であるべし(中編)
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第六天使の苛立ちは募るばかりだ。
つい最近まで飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼女のギルドは街中からつまはじきにされ、常に満員だった“不道徳の園”の隠し部屋も閑古鳥。
第六天使亭の客席もすっかりがら空きとなっていた。
――いや、それよりなにより、先日の地下倉庫での件がこたえている。
倉庫に保管してあったオーク製“まよねず”が、全て変質していたという一件だ。
(チクショウ、なんでこんなことに……!!)
第六天使亭の地下倉庫は、密輸品の高級葡萄酒も保存できるような風通しの良い冷暗所であったが、いくつも並べられた“まよねず”の壷は、全て底に黄色い汁が溜まっていた。
オーク製のものだけが、ほんの一壷さえも残らずに。
「あの、親分……キズ顔の兄貴も言ってやしたが、安い方の“まよねず”はもったいねえですが捨てた方が……。ありゃあ、もう腐れ汁が出てやすぜ?」
「うるせえ! 手前ぇも顔に傷増やしてぇのか!?」
「い、いえ……」
「腐ってねえよ! あの野郎がなに言ってたかなんて関係ねえ! 俺様がいいって言ってんだからいいんだよ! この黄色い汁はアレだ……スープやシチューなんかでも、置いときゃ透明な水が溜まるだろ!? それと同じだ! 腐ってねえ!」
「そ、そうですかい? へい……言われてみりゃあ、腐ってねえような……」
「おう、そうだろ? なんだ、汁くれえ。あんなの、よく混ぜりゃいいんだよ。混ぜて汁がわかんなくなったら、そのまま客に売っちまえ!」
実を言えば、第六天使の意見もそこまで間違ったものではない。
容器に溜まったこの汁は、マヨネーズの成分が分離したもの。混ざり切らなかった油と酢が分かれたものだった。
――とはいっても、酢でも油でもない。酢の水分を中心とした濁った汁だ。
その一方、子分たちの言葉も正しい。この粗悪なマヨネーズのせいで腹痛や食中毒を起こす者はあとを絶たなかった。
しかも、上客用の『上物』――五〇%以上“クピド”から買ったものを使った商品でまで、食中毒が発生するとは……。
子分たち一同が不安の色を隠せない中、親分である第六天使は――、
「チッ……。だれか、俺用の“まよねず”を持ってこい!」
ボス専用の“まよねず”壷だ。混ぜ物なしの純度一〇〇%。彼女はその貴重な純白を、指ですくって直接舐める。
「らめぇええええええっ! トンじゃううンっ!」
いつもの味、いつもの効き目だ。こっちは腐れ汁など出ていない。
買った日からずっと変わらぬ味だった。
(“クピド”の純正は平気なのかよ……。まさかあのキツネ、嫌がらせで呪いでもかけやがったんじゃあるめぇな?)
美味のあまりグルグルと回る視界の中で、彼女はもう一口マヨを掬い取る――。
「親分、あまり“まよねず”は……。それに、今はこんな状態ですぜ。“クピド”製は自分で食べるんでなく、売る方に回した方がいいんじゃねえですかい?」
「うるせえ! 俺ゃあ、“まよねず”が入ってた方が頭が冴えるンだよ! それともお前ぇらは自分の親分に、オーク製の粗末なブツを食わせてえのか? この俺様によォ!?」
「い……いえ、そういうわけじゃ……」
第六天使の言う『“まよねず”が入ってた方が頭が冴える』は真実だ。
――いや、正確には『今や“まよねず”なしでは頭が働かない』と言うべきか。
ただでさえその凶悪さで恐れられていた第六天使だったが、マヨ依存症の影響により、前よりもずっと短気で、無慈悲で、荒々しい性格の人物となっていた。
「おゥ! 手前ぇらは馬鹿揃いか!? 揃いも揃って、首の上には頭じゃなく岩の塊でも乗せてんのか? 俺様のために事態を解決できる知恵を出すヤツぁいねえのか!」
この身勝手な要求に、手下たちは皆、怯え、萎縮し、ずっと沈黙を保っていた。
ただ一人の例外を除いて。
「あの……アッシに意見がございやす」
それは最近になって会合に顔を出すことが許されたばかりの子分、青鼠のステッジだ。
「オ? 下っ端が意見か? 言ってみやがれ。けど、下っ端の分際で、もしつまんねえこと言いやがったら、五体無事でいれると思うなよ?」
「へ……へえ、アッシが思うには――」
ネズミ顔の小男は、震えながら言葉を発した。
「こりゃあ……『仕入れ先』につかまされたんじゃねえでしょうか?」
「ンだと? どういうこった?」
「仕入れ先がどんな連中かは知りやせんが、そいつら親分を舐めてやがんでさあ。それで腐りかけの“まよねず”を押しつけやがったんじゃねえかと……。今ごろは、やつら、親分が困ってるところを想像して、笑ってやがるに違ぇねえ」
「ンだと……。そうか、そういうことだったか……!!」
凶暴性・凶悪性を持ち合わせながらも鋭い知恵者であったはずの第六天使は、このステッジの言葉を信じた。信じてしまった。
裏で“クピド”と通じている、この小男の言った言葉を。
彼の意見は“クピド”から吹き込まれたものだった。
――もちろん、信じたのにはそれなりの理由がある。ステッジに限らず第六天使やその子分たちは最初から似たようなことを疑っていたからだ。
『――仕入れ先が、なにか“ずるい商売”をしているのではないか』と。
だから安物の“まよねず”はすぐに腐り、自分たちの組織は困ったことになっているのではないか。そう疑心暗鬼に陥っていた。
「なるほどな……。お前ぇはなかなか見所があンな? 俺様も薄々、そういうことなんじゃねえかと思ってたんだ。――おゥ、じゃあ手前ぇ、どうしたらいいと思う?」
「そりゃあ、決まってますぜ。カチコミでさあ! 相手が何者だろうと、親分の魔法にかかりゃあイチコロでさ!」
「へへッ、そりゃあ面白え」
かつての第六天使なら、このような案は一蹴にしていただろう。
相手はオークだ。
彼女やその子分らは暴力に頼って生きる者たちではあったが、それでも都市型の『犯罪者』。戦争のための軍隊ではない。
青鼠のステッジは下級の子分であるため相手がオークとは知らず、襲撃の提案もそれ故のものだった。
だが、第六天使はマヨネーズ依存症による判断力の低下と、ついさっき剣騎士を屠ったという高揚感や思い上がりもあって――、
「よしっ、やってやんぜ! お前ぇら、すぐに武器を用意しな! あの豚っ面の悪徳業者どもを皆殺しにしてやらあ!」
そう決めた。
子分たちのうち、一部の上級幹部は『仕入れ先』が何者なのかを知っていたが、その反対を押し切っての決断だ。




