手
1
あの糞マヨネーズを作ったのは、このオークどもだ。
味見をして、すぐにわかった。
材料にオーク油と岩塩を使っている。しかも、酢も以前に味見したのと同じもの。――いずれも、ここのオーク部族が扱っている品だった。
白い牙〇一九は調味料を買いに来た第六天使に、自家製のマヨネーズも一緒に売りつけたのだろう。それも、俺よりずっと大量に。
「ブゴッゴゴゴ……貴様モ、人間ニシテハ賢イナ? モット馬鹿ダト思ッテイタゾ。前ハ油断シテイタダケカ」
ぐうの音も出ない。たしかに俺は油断していた。
野蛮な魔物のはずのオークが、まさかマヨネーズを作るとは。――その上、商売で出し抜かれるとは思わなかった。
(まさか、製法がバレるとは……)
俺の失敗は、卵以外の材料を一式、オークから買おうとしたことだろう。なにかのきっかけで卵も材料だと知られれば、あとは全部混ぜるだけでマヨが作れる。
(だが、なんで卵を使うと? いや……それを抜きにしても、さすがに俺は油断しすぎた)
「痩セッポッチノ人間ヨ、貴様ニ文句ヲ言ワレル筋合イハナイ。我ラおーくハ約束ヲ守ル。ダガ、我ラが“まよねず”ヲ作ラヌナド、イツ約束ヲシタト言ウノダ?」
これまた、もっともな理屈だった。たしかに、そんな約束はしていない。
オークがそんなことをできるはずないと、彼らの能力を低く見ていたのだ。
「キョーイチローよ……」
カーラが、声を潜めて俺に囁く。
「私が、こやつらと戦おう。この獣臭いオークどもを皆殺しにすれば、質の低い“まよねず”が出回ることがなくなるはずだ」
いきなり物騒なことを言う。
しかも、声を潜めていながらも、ちゃんと相手の耳に届く音量で囁いていた。カーラはわざとそうしたのだろう。こうやってオークたちを脅す気らしい。だが――、
「ブッゴゴゴ……。ヤハリ人間ハ野蛮デ愚カダ」
「なんだと、猪頭のオーク風情が!」
「人間ハ愚カデ、女モマタ愚カダ。貴様ハ、ソノ両方デアルナ。――サシタル理由モ無ク、ヒトツノ部族ノ長ヲ殺セバ、おーくト人間デ戦トナルゾ? 貴様ニ、ソノ度胸ガアルノカ?」
「それは……。だが、理由ならばある!」
「ナラバ我ヲ殺シテ、『理由』ヲ皆ニ言ウガイイ。無理デアロウ?」
「ク……ッ!」
これもまた族長オークの方が正しい。理由を公表するなど、できるはずもない。俺たちは法を犯して密貿易をしている身であったのだから。
「心配スルナ、痩セッポッチノ人間ヨ。賢クナイ方ノ人間ノ無礼ハ許ス」
『痩せっぽっち』は俺。『賢くない方』はカーラのことだ。
「貴様トノ商売ハ続ケル。油ト塩ヲ、貴様ノ“まよねず”ト交換ダ」
「……いいのか?」
「イイ。我ラガ、ドレホド試ソウト、貴様ノ“まよねず”ホド美味ニハナラヌ……。貴様ノ“まよねず”ハ、コレカラモ欲シイ」
そのためならば、俺たちの商売を圧迫しすぎないよう、第六天使に卸すマヨの量を抑えてもいい。――族長オークは、そう言った。
俺のように役に立つ人間は、生かさず殺さず、ということか。
「ソノカワリ、代金ノ“まよねず”ハ倍ヨコセ」
やはりオークを甘く見ていた。ここまで高度な交渉ができるだなんて。
「……いいだろう。族長よ、お前たちの条件を飲もう」
俺には、そう答える以外に道はなかった。
族長オークの白い牙〇一九は、また例の笑いを発し、森の中へと去っていく。
――よほど上機嫌だったのか、漆黒色の葉が繁る森では、しばらく笑い声と鼻歌が響き続けた。
2
「なんということか……!!」
俺たちが暗き森を出ると既に夜。
今夜は雲が多く月もほとんど隠れていたため、街道沿いで野宿することにした。
木に馬を繋いでから、俺たちは草の上に寝転がる。土の匂いのする地面にぼろ布と毛布を敷き、二人並んで。
カーラが声を荒げたのは、そんな夜闇の中でのことだ。
「キョーイチロー、私は悔しくてたまらぬぞ!」
「どうした? 急に叫んだら“でこぼし”号が怖がるだろ」
そう思ったが、実際にはあの年寄り馬はぴくりとも反応しなかった。見た目より度胸があるのか、それとも耳が遠くて大声に気づかなかったのか。
「馬のことなど、どうでもいい! 貴様は悔しくないのか!? 野蛮なオークに、あんなに舐めた口を叩かせて! いや――」
正直を言えば、その点はそこまで悔しくなかった。地球人であるため『オークは野蛮で愚かで劣った生き物』という偏見がさほど強くないからだろう。
それよりも、悔しい点は別にある。カーラもそれは同じであったらしい。
「いや――そうではないな。それより奴らの“まよねず”が出回っていることが悔しい……」
やはり、俺と同じだった。
「いくら安いとはいえ、あのようなものが……質の低いオーク製の“まよねず”が、あれほど出回っているなんて! キョーイチローの叡智と我らの努力の結晶よりも、多くの人々の口に……!!」
「カーラ……」
嬉しかった。この言葉だけで、胸が満たされていくようだ。まるで封を開けてないマヨ容器のように、心がパンパンに膨らんでいく。
「カーラ、ありがとう……。俺も同じ気持ちだ。本当はすごく悔しい。俺たちのマヨネーズの方が、本当はずっと美味いのに……」
「うむ……。キョーイチローよ、やはりオークどもを斬るべきであったろうか? 彼奴らが復讐に来ても、私の力でフィル=セロニオ郷だけならば守ることは可能であろう」
「いいや、それは駄目だ。それは俺たちのやり方じゃない」
だったら、どんなのが俺たちのやり方なのか、それを訊かれたら答えることはできなかったが――それでも、その方法だけは絶対に違うはずだ。
「そうか……。たしかに、そうではあるな。罪なき者に犠牲を強いるべきではあるまい。だが、今のままでは貴様の“まよねず”が――」
「違う」
「――? 違う、とは?」
「『俺の』じゃない。『俺たちの』だ。俺とカーラのマヨネーズだ」
「ああ……!」
「俺たちのマヨネーズは最強だ。だから、慌てる必要はない。今は多少の揉めごとが起きようとも最終的には俺たちが勝つ。絶対に勝つ。いずれは、この世界中の人々が俺たちのマヨの良さをわかってくれる。どんな問題も時間が解決してくれる」
「キョーイチロー……」
俺の手を、ぎゅっと包む感触がした。
カーラが手を握ったらしい。彼女は表情を見られたくなかったのか、どうせ暗くて見えないというのに顔を反対側へと向けていた。俺も同じように逆を向く。
『――俺たちのマヨネーズは最強だ』
『――どんな問題も時間が解決してくれる』
今起きている問題を、俺たちのマヨはやがて解決するだろう。
これは比喩表現などではない。
本当のことだ。少なくとも俺はそう確信していた。
(おそらくだが――あと二、三日といったところか……)
その夜は、カーラと手を繋いだまま眠った。
俺とカーラがフィル=セロニオ郷へと戻ったのは、さらに翌々日のことだった。




