交渉
1
その夜遅く。
女神神殿の端の物陰で、俺たちはある人物と待ち合わせをしていた。その相手とは――。
「どうも、“クピド”と“ブルゥ”の旦那……」
人目を気にしながらコソコソと現れたのは、第六天使の手下である青鼠のステッジだった。
俺とカーラはいつもの仮面姿で、この小男と顔を合わせる。
「よく来たな、ステッジ。俺のやったマヨネーズは皆で分けたか? それとも売って金にしたか?」
「い……いえ、旦那、それがその――」
この生返事。どうやら『全部自分で食べた』ということらしい。
「最初は、試しに一口だけ舐めようと思ったんでさあ。上物の“まよねず”を口にできる機会なんざ滅多にねえんで。けど、ほんの一口だけ味わったら……」
「我慢できずに全部舐めてしまったというわけか?」
「へえ、そういうことで」
だろうな。そうなると思っていた。
実を言えば、最初からそのつもりでマヨを与えた。
俺たちの作ったマヨネーズ――それも、オーク油で作った逸品だ。一口だけで我慢するなんてできるものか。
「よく聞け、ステッジ。あれと同じマヨネーズを、第六天使がお前に与えることは絶対ない。お前はギルド末端の準構成員で、しかも安物が出回っているせいで、純度100%のものは価値が上がる一方だ」
「へえ、まあ……」
俺が売った状態のままのマヨネーズを味わえるのは、よほどの上客か、あるいは第六天使本人だけだ。
なのに、ステッジは俺たちの極上マヨを味わってしまった。お祖母様がよく言っていた。
『――我が社のマヨネーズは人々の暮らしを支える。なぜなら一度味わえば、二度と我が社のマヨネーズなしでは生きていけないからだ』と。
この哀れな男も同じだ。もう俺たちのマヨなしでは生きていけまい。そして、あの駄マヨでは満足できまい。――だが、それは今のままでは絶対に手に入ることはない。
「つまり、お前を救えるのは俺たちだけだ」
「へ……へえ、旦那……」
だから、俺たちの味方になれ。――俺は言外で、この小男にそう言っていた。
「旦那、それはわかってまさあ。けど、親分を裏切るのは――」
「安心しろ。俺もそこまで頼む気はない。むしろ、お前が仲間を裏切るとは思っていない。お前が義理堅くて実直な男と思うからこそ、こうして俺も信頼し、腹を割って話せるんだ」
「俺が、実直……? 信頼してる?」
「そうだ。もちろん、それだけじゃない。目端が利き、勘もいい。お前が優秀な男であるのはわかってる。ここだけの話、第六天使も陰で褒めていた。他の部下たちの手前、人には言ってないようだがな」
「親分が? 本当に?」
嘘だ。全部嘘。適当だ。『大人の男というのは仕事で褒められると一番喜ぶ』と昔、お祖母さまが言っていた。珍しくマヨとは関係ない格言だった。
この冴えない小男は、普段褒められ慣れていないのだろう。毛むくじゃらで不細工な顔をクシャクシャにして嬉しがっていた。
「いいかステッジ、俺はただいくつかの情報を知れればいい。――いや、俺の知ってる情報が正しいのかどうか確認してくれるだけで構わない。それだけなら親分やギルドを裏切ることにはならないだろう? それどころか、第六天使のためにもなることだ」
「親分のためにですかい?」
「そうだ。お前から情報を得ることで、俺たちは第六天使がなにを欲しがっているのか事前にわかる。円滑な取り引きができるというものだ。お前の親分も喜ぶ」
そう言いながら、マヨネーズの小さな容器をステッジに差し出す。もちろん中身は俺の作ったものの方。――彼は、それを受け取った。
「そうですかい……。わかりやした。お答えしやしょう!」
2
こうして俺は、いくつかの重要な情報を手に入れた。たとえば――、
『――第六天使は、まだマヨネーズの製法を知らない』
『――ただ、俺たちよりうんと安い“業者”から大量に買い付けているだけ』
といったことだ。
その業者とやらが何者か、さすがにステッジも口を割らなかったが(というより、最初から知らされていなかったが)しかし、俺には見当がついていた。
俺はポケットから安物の方のマヨの容器を取り出し、匂いを嗅ぐ。
この駄マヨネーズは材料の比率が適当で、味付けもセンスがなく、しかも油と酢の乳化が不完全だ。
――なにより卵を黄身だけでなく白身も一緒に混ぜている!
こんなもの、そこいらの家庭でこしらえた手作りマヨネーズ程度の品でしかない。
工場で製造した『本物のマヨネーズ』や、それに匹敵する俺たちのマヨにとって、敵とは呼べないものだった。
……とはいえ、全てが駄目というわけでもない。少なくとも、俺たちが最初に売った九キロ分より、優れた部分がたった一点だけ存在する。
それは、材料。
この駄マヨネーズからは、あの匂いがした。するはずのないあの芳香が。
「キョーイチローよ、貴様の話は正しいのだろうな?」
「ああ、間違いない……。この駄マヨは、オーク油と岩塩を材料に使ってる!」
薔薇の花に似た、あの香りだ。
3
俺たちがオーク油でマヨを作ったのは今回が初めてだ。
なのに既に出回っているマヨネーズから、この香りがするのはなぜか? 答えは一つだけだった。
翌朝、俺とカーラはミ・メウス市を発ち、フィル=セロニオ郷へと向かう。
ただし、一直線には帰らない。途中、ある場所に寄り道することにした。――駄マヨネーズを売る“業者”の居場所にだ。
「キョーイチローよ、到着したぞ」
「そうか、助かった……」
また“でこぼし”号の馬車で揺られ、途中で何度も嘔吐しながら、夕方近くにやっと目的の場所へとたどり着く。
黒い葉の繁る暗き森に。
カーラが笛を三度鳴らすと奥から同じリズムで返事があり、オークが五匹現れる。――子分の数は増えていたが、真ん中に立つ一匹は前と同じだ。
白い牙〇一九。
ここのオーク部族の族長であり、俺たちにとっては密貿易の相手だった。
「オ前タチカ……。“まよねず”の人間ダナ?」
「そうだ。族長、ずいぶん羽振りがいいんだな? 前に会ったときは、そんな飾りはつけてなかったろう」
族長オークである白い牙〇一九の首からは、金と宝石のネックレスがジャラジャラと何本もぶらさがっていた。
それに緑色の顔はほんのり赤く、葡萄酒の臭いが漂っている。
「さては族長、調味料の交易で儲けたな? お前の取引相手のチビは、俺たちの友人でもある。俺たちのことをなにか言ってなかったか?」
「知ラナイ。奴トハ無駄話ヲシテイナイ。はーふえるふノ口臭ハ、屁糞蔓ノ臭イガスル」
俺は『取引相手のチビ』としか言ってないのに、このオークは『ハーフエルフ』と返事をした。思った通りだ。相手は第六天使に間違いない。
塩ギルドが巡回判事の手で壊滅したため、調味料の密売買は第六天使のギルドが受け継いだ。だが彼女たちは、商品を仕入れるルートをまだ持ってない。――それで塩ギルドとは異なる“業者”から塩や調味料を仕入れることにしたのだろう。
その仕入先の“業者”が、こいつら。
暗き森のオーク、白い牙族というわけだ。
「オークの族長、俺たちがなにをしに来たかわかってるな? 見た目より賢いお前たちなら、そのくらい理解できているはずだ」
「サテ、ナンノコトカ……」
「とぼけるな!
お前たちだろう、第六天使のギルドにマヨネーズを売ったのは!?」
あの糞マヨネーズを作ったのも、こいつらだ。
俺の言葉に族長オークは、『ブゴッゴッゴ』という猪のような笑いを発していた。




