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悪貨は良貨を駆逐する



  ――悪貨は良貨を駆逐する

          イギリスの政財家トーマス・グレシャム(1519~1579)



 その後も、俺たちの調査は続く――。


(しかし――ろくでもない駄マヨだな?)


 もう何人かの売人からマヨを買い、改めて思い知らされた。


 とにかく、味がひどい。

 初めてマヨと接したこの世界の人間ならともかく、祖母が勤めていた会社の『本物のマヨネーズ』を知る俺には、不味くて食えたものじゃなかった。


 ちなみに試食用の『いい方のマヨ』は、混ぜ物入り――俺たちのと低品質マヨネーズを半々程度に混ぜて水増ししたものだ。


(それは当然だな。俺たちのマヨの方が、段違いに味がいいんだ)


 こんなときではあるが、ほんの少しだけ誇らしい。

 この低品質の駄マヨネーズはミ・メウス市のあちこちで売られており、おそらくだが俺が前回卸した九キロの数倍は出回っているようだった。


 ちなみに、売っているのは皆、第六天使(シクス)の手下だ。――カーラは、マントの内側で『がしゃり』と剣の(つか)を鳴らす。


「つまり、あの女、我らを裏切ったというわけか……。キョーイチローよ、あやつを成敗するぞ! もとより気に喰わなかったが、盟約を違えたとなれば遠慮は無用!」

「落ち着けカーラ。そう急ぐな。お前がそこまであの裸幼女を嫌ってたとは思わなかった」

「貴様こそ、少々第六天使(シクス)に甘いのではないか!? やはり裸の幼女であるからか? 貴様、そういう嗜好の持ち主であったか?」


 人聞き悪い。さすがに誤解だ。

 むしろ、俺はカーラのような巨乳の方が好みであったのに。――とはいえ、わざわざ口に出して言いはしない。


「キョーイチローよ、貴様はずいぶん落ち着いているのだな? 我らだけにしか作れないはずの“まよねず”を、他のだれかが作ったのだぞ!? これでは金を稼ぐことなど適わぬ! 領地税を払うことが……姫様を救うことができなくなる!」


「いいや、そこまで心配することじゃない」

「――っ!? 本気で言っているのか?」

「本気だ。この紛い物は、俺たちの作ったマヨに比べて、問題にならないほど品質が低い。この程度の品なら、第六天使(シクス)は今後も俺たちの品を買うだろう」


 試食用は高品質のものでなければ客寄せにならないし、“不道徳の園”のグルメな上客たちは駄マヨの味に満足できまい。

 それに、なにより第六天使(シクス)が自分で舐める用。


 いずれも多少は駄マヨで水増しするにせよ、俺たちのオリジナルマヨなしでは成り立たない。現に今日も10キロ買い取り、10日後にもまた11キロ買うと言っていたではないか。


「しかしキョーイチロー、そうは言っても……。第六天使(シクス)に“まよねず”の製法を知られてしまったかもしれないのだぞ? 本当に不安ではないのか? 貴様たちニホン人は、我らイース人より胆力が上回るとでもいうのか?」


 ずいぶんと大げさなことを言う。


「そんな大層な話をしてるわけじゃない。――それに、全く不安でないと言えば嘘になる」

「では、なぜ落ち着いていられる?」

「解決の糸口を掴んでるからだ」


 そう言って俺は、低品質マヨの容器をカーラの鼻先に突きつける。


「カーラ、匂いをよく嗅いでみろ」

「匂い……? あっ、これは――!!」


 この匂いこそがヒントだった。




 一方、ミ・メウス市の市庁宮。

 スー・キリル・グレンセンが、巡回判事用執務室のドアを開けると――、


「失礼、スー・キリル閣下。中で待たせていただきました」


 部屋の中には、ただ一人、見知らぬ女が立っていた。


 歳のころは二〇代後半といったところか。

 よく糊の効いた中級官吏用の礼服に、ひっつめ(・・・・)にした赤い髪、さらには今どき珍しい『眼鏡』(五〇年ほど前に流行した視力矯正器具)と、まるで戯画化された『堅苦しい役人』といった姿の女だった。


「だれだ?」

「新しい秘書官です。王都より閣下の補佐を仰せつかりました。

 スー・キリル閣下は先日、休暇を取られたそうですね? 従妹に会うための休暇とのお噂ですが……しかし、二日も早くお休みを切り上げてお帰りになったとか。

 それに、その曇った表情。あまり良い再会ではなかったとお察しいたします」

「――ッ! 無礼にもほどがあろう!?」


 名前も名乗る前に、そのように立ち入った発言をするとは。

 スーは従妹の件で機嫌が悪かったこともあり、彼女を叱責しようとしたが、


「それで……例の『仮面の女』とは別人と確認できましたか?」


 そう言葉を続けられ、思わず黙った。


 この街に“まよねず”を持ち込んだという二人組。――その片方である『見覚えのある仮面の女』が、自分の従妹であるかもしれない。

 スーはそれを確認するために、わざわざ休暇を取り、片道二日近くもかけて『魔女に呪われた村』フィル=セロニオ郷へと行ったのだ。


「貴官、どうしてそれを? 来たばかりというのに、なぜ知っている?」

「推理です。塩ギルド一斉摘発の調書を読んだところ、巡回判事閣下は取調べの際、その仮面の女のことを気にかけておいででしたので。他の情報とも照らし合わせて、そういうことかと判断しました。違っておいでで?」

「いや……」


 机に積まれた書類の山から情報の断片を掻き集め、真相に行き着いたということか。

 その優秀さに、スーはつい舌を巻く。


「驚いたぞ。貴官は何者だ? 姓名を言うがいい」

「ふふッ。閣下のお目に適い光栄ですが……」


 そう言って彼女は、ピンと紐で留められていた髪をほどき、古風な黒縁の眼鏡を外す。

 スーは最初、なぜそのような動作をするのか理解できなかったが――、



「正体は、私だ。おかげで変装に自信が持てたぞ」

「――っ!? 大公殿下!」



 その素顔は、コトヴィック大公――アマデジス・ジャナ・コトヴィック。


 この国で最大の富と権力を握る女がそこにいた。

 まるで悪戯小僧のように微笑みながら。


「シッ。趣味のおしのび(・・・・)だ。騒ぎ立てるな。

 ――聞け、スー・キリル。お前の活躍を私は高く評価している。ミ・メウス市の塩ギルドを三つまとめて潰し、この東部地方の密売網を壊滅させたことは、国庫と我が一族の財産を守ることに大きく貢献したと言えよう。だが……まだ足りん!」

「は……」


 即ち“まよねず”。

 この新たな調味料のこれ以上の普及を阻止すべく、この赤毛の権力者は自ら乗り込んできたというのだ。


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